It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

ボウリング・フォー・コロンバイン

「ボウリング・フォー・コロンバイン」パンフレット

コロンバイン高校で起こった銃乱射事件の原因を探るドキュメンタリー。アカデミー賞授賞式でマイケル・ムーアが「われわれは偽の選挙で偽の大統領を持ってしまった。恥を知れ、ブッシュ」と言った意味がよく分かる映画である。ムーアはアメリカで年間1万人以上が射殺される事件が起きるのは弱者や貧困者を助けないアメリカの体制が悪いと言っているのである。見る前はガン・コントロール(銃規制)の必要性を訴える映画かと思っていたが、そうではなかった。ムーアの視点はもっと深いところを見ている。ベトナムやチリやアフガンやイランでアメリカがこれまで起こしてきた世界の警察としての“正義の戦い”が国民にどんな影響を与えたのか、ムーアは鋭く追求していく。それはインディアン虐殺の時代まで遡る要因なのである。もう、面白くて面白くて仕方がない。

銃による犯罪が多いのは銃が簡単に手に入るからだ。普通ならそう思う。ムーアはこれを認めた上で、しかしそれ以上に大きな要因を見せていく。銃があるから事件が多いのか、いや、カナダでは銃が700万丁もあっても、射殺事件は年間数十件しか起きない。人種が混合しているからか。アメリカ人の残虐性か。貧困者が多いからか。ロック(マリリン・マンソン)の影響か。そうした事々をムーアは一つ一つそうではないと例証していく。ユーモアたっぷりの突撃取材で。

ムーアの姿勢は一見、軟派のようでいて実に硬派である。しかも戦略家でもあり、乱射事件の被害者2人(Kマートで売られた銃弾がまだ体の中にあり、1人は脊椎を損傷して車いすだ)と銃弾を売るKマート本社に押しかけ、相手にされないと分かると、翌日、マスコミを連れて再訪問し、そこでKマートから銃弾の販売を止めるとの宣言を引き出してしまう。知性と勇気と行動力。太った外見からは想像できないジャーナリズム精神が、いやそれよりもこんな国にしてしまった政治家や支配階級への強い怒りがムーアには渦巻いている。

ムーアはパンフレットのインタビューでこう答えている。

コロンバイン高校の事件の直後に作品を作ろうと決めた。最初は、銃を減らせば殺人も減るといった内容の、いってみればリベラルな内容のものになると思っていたんだ。だが、作っているうちに銃そのものは真の問題じゃないことに気がついた。問題はアメリカン・メンタリティ、アメリカの精神構造なんだ。アメリカはなぜ、譲り合ったり話し合ったりして問題を解決することができずに、暴力で事を決してしまうのか。恐怖が原因だ。権力を持つ人間たちが抱える恐怖。そして我々が他人に対して感じる恐怖。《外部》に対して恐怖を抱くよう仕向けられていること。恐怖とそのために起こる暴力は、いまやアメリカの文化の一つになってしまった。

この言葉は映画の結論そのものである。取材の過程で当初立てた構想が変わっていくのはよくあることで、長編ドキュメンタリー作家としてムーアが優れているのは目に見えることをそのまま受け入れて、映画の方針を変更したことだ。Kマートの場面は弱者には高飛車な態度に出るKマートがマスコミ(権力)にはからきし弱い卑しい実態を浮き彫りにするとともに感動的な場面でもある。それは行動力がもたらした変革だからだ。

ムーアは最後に全米ライフル協会の会長であるチャールトン・ヘストンを訪ねる。この映画で異論があるとすれば、それはこの場面で、耄碌しきったヘストンを責めてもしょうがないのである。本当に改革すべきはアメリカの体制そのものなのだ(ヘストンはその傀儡みたいなものだ)。だから、アカデミー賞授賞式でのムーアのスピーチは映画を補完するものだったのだろう。

【データ】2002年 カナダ 120分 配給:ギャガ・コミュニケーションズ
監督・製作・脚本:マイケル・ムーア 製作総指揮:ウォルフラム・ティッチー 製作:チャールズ・ビショップ ジム・チャルネッキ マイケル・ドノバン キャサリン・グリン
登場人物:マイケル・ムーア チャールトン・ヘストン マリリン・マンソン ジョージ・W・ブッシュ ビル・クリントン クリス・ロック

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