シン・エヴァンゲリオン劇場版
物語はシンプルに3つのパートに分かれる。サードインパクトで赤く汚染されたパリ旧市街地を復元させるための戦い、主人公・碇シンジたちの「第三村」での穏やかな生活、そして人類補完計画を実行しようとするネルフとそれを阻止するためのヴィレの戦い。例によって意味が分からない単語・用語が大量に出てくるが、そうしたものを取っ払って乱暴にプロットまとめるなら、これはマッド・サイエンティストである父親・碇ゲンドウと息子シンジの確執に集約されていく。
マッド・サイエンティストの暴走は世間に隠れてこそこそやるのが普通だが、エヴァにおいては巨大な組織が堂々と行うことになった。どう考えても人類に破滅しかもたらさない人類補完計画を終わらせるための葛城ミサトやシンジたちの戦いは物語を終わらせるための総監督・庵野秀明の戦いでもあっただろう。テレビシリーズから25年かけてエヴァはようやく最後に「つづく」ではなく「終劇」を打つことができた。正確に言えば、旧劇場版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」にも「終劇」の文字は打たれていたのだが、今回こそは本当の終わりを実感させた。併走してきたファンにとってもそれは感慨深いものであるはずだ。
前作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」(2012年)が不評だったのは、神以上の力を得たエヴァ初号機を現出させた「破」の直接的な続きになっていなかったことと、「序破Q」で終わるはずが終わらなかったからだ。終わると思っていた観客は裏切られた思いを持たざるを得なかった。1995年から翌年にかけてのテレビシリーズは物語の決着を放棄した終わり方だった。劇場版2作でも満足な終わり方ではなかった(途中までは良かったのに、最後で観念的になりすぎた)。新劇場版3部作で今度こそ終わるかと思ったら、またしても終わらなかったのだ。
同時に「Q」でそれまでの世界観が反転したことも唐突だった。舞台設定は「破」から14年後の世界。ミサトが率いるヴィレはネルフを壊滅するための組織であり、ネルフは悪役に堕ちていた。
ただし、「シン・エヴァ」を見た後に全体を眺めれば、物語は新劇場版3部作と「シン・エヴァ」の4作で構成され、観客が思っていた「序破急」ではなく「起承転結」の構成だったことが分かる。「転」に当たるとすれば、「Q」で物語が反転・転換したことも許容できる。もちろん、これは後付けの考え方で、庵野秀明は当初、「Q」で終わらせることを意図していたはずだ。それにしては見事に「Q」の最後から話をつないで完結させたなと思う。傑作「シン・ゴジラ」を挟んで9年間かけただけのことはあった。
「シン・エヴァ」がある意味分かりやすいのは物語の方向性にブレがないからだ。「Q」で悪役を規定したわけだから、悪の陰謀を止める戦いに単純化できる。そして終わらせることを目標に物語が組み立てられている。「Q」でフォースインパクトを起こしそうになったシンジは例によってウジウジして拗ねているが、父の暴走を止めるためにエヴァに乗ることになる。エヴァの物語は父と息子が和解するか、対決しないと終わらない話なのだ。
ラスト、成長した2人のキャラの姿を見てほっとした気分になった。登場人物たちのそれぞれにつらく苦しい十代を終わらせることも、この完結編の目的ではあったのだろう。