さよなら渓谷
モスクワ国際映画祭審査員特別賞受賞。真木よう子が凄い。真木よう子はどの映画でも目立つが、この映画では真意が分かりにくく、振幅の大きなキャラクターに実在感を与えている。映画が見応えのある作品に仕上がったのは真木よう子の力によるところが大きいと思える。
映画を観た後に吉田修一の原作を読んだ。230ページ余り。すぐに読める。映画は忠実に作られていて、ラストまで同じだが、中盤にある主人公の男女(大西信満、真木よう子)の道行きとも思えるあてのない旅を原作以上に詳しく描いている。男女の素性が何なのかということよりも、なぜこの男女は一緒に暮らしているのかが重要なポイントなので、これは納得できる力点の置き方だと思う。
原作の解説で柳町光男が「サイコ」を引き合いに出している。脇道から始まって本筋になだれ込む作りの類似性を指してのことだ。こういう作りだからこの映画、一切の予備知識なしで見た方がいい。中盤に明かされるネタを平気で書いている紹介などは野蛮な行為と言うほかない。と思ったら、吉田修一自身がパンフレットのインタビューでネタばらしをしていた。その先にあるものがポイントだからだろうが、何も知らずに見るのに越したことはない。
原作は実際にあった2つの事件がモデル。現時点では既にどちらも記憶から風化した事件なので、あくまで吉田修一の小説のきっかけになっただけと位置づけて良いだろう。実際にあった事件をモデルにしながら、原作と映画が描くのは実際にはありそうにない男女の関係に説得力を持たせるところにある。そしてそれはうまくいっている。この男女の関係はまだ途上なのだが、映画は事件を取材する週刊誌記者(大森南朋)と妻(鶴田真由)の壊れかかった関係に修復をほのめかせることで、主演の男女の行く末に同じ思いを託しているようだ。
弱々しさと強気と憎しみと愛を織り交ぜた真木よう子とそれを静かに受け止める大西信満の演技がこの映画の見どころだ。同じ吉田修一原作の「悪人」の主人公2人の切実さに僕は惹かれたが、この映画の男女も切実な関係にある。