深呼吸の必要
「お医者さんなんでしょっ。助けてあげてっ」と、ひなみ(香里奈)に言われた池永(谷原章介)が意を決して、事故で足に大けがをした田所(大森南朋)の治療に当たる場面で、なんだか泣けてきた。池永は治療を終えた後、ひなみに自分が小児外科医で死んでいく子供を見送ることが耐えられずに宮古島に来たことを打ち明ける。子供が好きで小児科医になったのに、それ以上に子供の死ぬ姿を見なくてはいけないつらさ。それがサトウキビ刈りのバイト(きび刈り隊)に参加した理由だった。
東京から、きび刈り隊に参加した5人と全国の農家を渡り歩いて農業のバイトを7年間も続けている田所と宮古島出身で帰郷した美鈴(久遠さやか)の7人の男女の物語。7人の男女はそれぞれに日常の何かから逃げてきたらしい。池永と手首に傷のある無口な加奈子(長澤まさみ)とニヒルな大学生の西村(成宮寛貴)のエピソードがそれを物語るけれど、この映画で描かれるのは7人がただただキビを刈り、次第に心を通わせていく姿である。35日間で7万本のキビを刈る。広大なサトウキビ畑を前にして到底無理と思えたことが、自発的に1時間早起きして夜遅くまで作業することで達成されていく。最初は自分のため、お金のために参加した7人が、人の良いおじい(北村三郎)とおばあ(吉田妙子)のために期限内に刈り終えようと、自然に目的を変えていく姿には胸を打たれる。
映画はドラマティックなものをことさら強調せず、きび刈り隊に参加した男女の成長を描くとか、そういう部分も希薄である。1カ月も寝起きを共にしているのに、7人の間にはロマンスさえ生まれない。なのに見ていてとても心地よく、感動的だ。メチャクチャ気持ちのよくなる映画である。
映画の元になったのは長田弘の詩集「深呼吸の必要」(1984年、晶文社刊)だが、物語はもちろん映画のオリジナルである。篠原哲雄監督はこの映画の脚本について、こう語っている。
「脚本は、あの島にやってくる7人7様の物語を、最大限語るという方法からスタートし、そこから映画的にどのように削ぎ落とし、省略し、簡潔に語るかという方向性をずっと試行錯誤して決定稿に近づいて、というやり方でした」(キネマ旬報6月上旬号)
きちんとキャラクターの背景を作った上で、それを削除していく作業を行っているわけだ。画面には直接描かれなくても、それは画面からにじみ出ることになる。そういう作業を経ているからこそ、この映画は洗練されているのだ。よくある泥臭い感動の押し売りではなく、さわやかに人の心を動かすことはなかなか難しいことなのである。
「朝は来るんだなあ。…いっぱい働いて、たくさん食べて眠れば、必ず朝は来るんだなあ」。それまで何も話さなかった加奈子が終盤にそう言うあたりに監督の主張はさりげなく込められているのだろう。たぶん7人はサトウキビを刈ることに集中することで、日常の悩みを振り切って深呼吸できたのだと思う。最後に数本残ったサトウキビ目がけて、7人がビーチフラッグ競技のように畑を走る姿、その一人一人の表情の素晴らしさがそれを象徴している。「ならんあれぇ、はじめからしぃなおしぇむさ」(ダメになったら、最初からやりなおせばいいさ)。予告編では白々しく思えたおじいの言葉も実にしっくりと来る。
7人の俳優たちがいい。だれか一人だけいいというのではなく、全体としていい。6日目であまりの重労働に音を上げて、きび刈り隊を脱けようとする悦子(金子さやか)を含め、全員が素直な演技なので好感が持てた。
【データ】2004年 2時間3分 配給:日本ヘラルド 松竹
監督:篠原哲雄 製作:坂上直行 久松猛朗 川城和実 安田匡裕 エグゼクティブプロデューサー:遠谷信幸 高野力 黒坂修 熊田忠雄 脚本:長谷川康夫 脚本協力:長澤雅彦 タイトル:長田弘(参考文献「深呼吸の必要」) 撮影:柴主高秀 美術:都築雄二 音楽:小林武史 主題歌:MY LITTLE LOVER「深呼吸の必要」
出演:香里奈 谷原章介 成宮寛貴 金子さやか 久遠さやか 長澤まさみ 大森南朋 北村三郎 吉田妙子