実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
映画は3つのパートに分かれている。1960年の安保闘争から連合赤軍が生まれるまでをニュース映像を中心に描いた部分を第1部とすると、第2部は 12人の同志が総括や処刑で殺害された山岳ベース事件、第3部があさま山荘事件である。もちろん映画の焦点は第2部にあり、ここが最も見応えがある。映画としてはあさま山荘の部分をもっとコンパクトにした方が良かったかもしれない。若松孝二監督が所有する別荘を破壊しながら撮ったそうだが、予算に限りがあったようで山荘内部の描写に終始する。時折、インサートされる浅間山の遠景だけではなく、当時のニュース映像を使うと、効果的だったのではないか。ここが予想以上に長いので山岳ベース事件の陰惨な衝撃がやや薄れる結果になっている。もっとも、この部分、警察視点に終始して山荘内部をまったく描かなかった「突入せよ! あさま山荘事件」へのアンチテーゼでもあるのだろう。ヤワな題材が多い日本映画に活を入れる力作であり、「これを描かずに死ねるか」という若松孝二の気迫がみなぎる3時間10分だ。
山岳ベース事件はリーダーの器ではなかった卑小な男女がリーダーになってしまったために起きた事件だろう。森恒夫も永田洋子も共産主義と武力闘争に忠実であるように見えて実は自分勝手なだけである。赤軍派と革命左派の幹部が次々に逮捕されて組織が弱体化していたために生まれた連合赤軍はこういうバカな人間たちがリーダーにならざるを得なかったのが悲劇の始まりだ。
映画はなぜ次々に若者が殺されなければならなかったのかを詳細に描く。自己批判と総括自体は以前から行われていたそうだが、そのうちに総括を助けるとする総括援助が行われるようになり、気絶するまで殴る暴力が肯定されていく。反対すれば、自分に総括の順番が回ってくるという絶望的な状況。それは死を意味する。森と永田の唾棄すべき人格がこれをもたらしたのは間違いない。痛ましいのは自分で自分の顔を殴らされる遠山美枝子(坂井真紀)で、遠山は生き残りたいために必死に殴り続けるが、永田洋子(並木愛枝)から腫れ上がった顔を鏡で見せられ、悲痛な叫びを上げることになる。監督によれば、あの醜い顔は永田洋子の醜さのメタファーでもあるという。永田洋子役の並木愛枝が人をにらみつける場面は怖い。爬虫類のように冷たい視線だ。
革命の実現のために人を殺し、指導力を維持するために人を殺し、疑心暗鬼が募ってさらに人を殺す。狭いグループの崩壊はいつもこのように進むのだろう。革命のために同志を殺すというのはポル・ポト政権下のカンボジアを思い出してしまうが、それよりも強い権力を持った人間が横暴を振るって惨殺を続けた北九州の監禁殺人(7人が殺された)の方がこの状況には近いかもしれない。
日本の左翼運動はこの事件によって壊滅したと言っていい。若松孝二は「鬼畜大宴会」や「突入せよ!あさま山荘事件」「光の雨」など事件を部分的に捉えた一連の映画に我慢できず、この映画を撮ったという。「安保闘争? 何それ」という若い観客には格好の教科書になるだろう。それだけでもこの映画には十分な価値がある。歴史に残るのは常に勝者視点の出来事であり、当事者に近かった若松孝二が事件全体を総括したことの意義は大きい。しかも、山岳ベース事件に関しては徹底して批判の立場を貫いている。残念ながら、劇場に来ていた観客は年配者が多かった。今の若い世代には連合赤軍事件なんて通用しないのかもしれない。来ている年配者にしてもノスタルジックな気分が皆無とは言えないだろう。
公式ガイドブックに収録されたロフトプラスワンでの座談会がめっぽう面白い。元共産主義者同盟赤軍派議長の塩見孝也と元連合赤軍兵士の植垣博弘が未だに対立しているのである。60年代から70年代初めまでは政治の季節だったのだなという思いを強くする。第58回ベルリン映画祭で最優秀アジア映画賞と国際芸術評論連盟賞を受賞した。
【データ】2007年 3時間10分 配給:若松プロダクション スコーレ
企画・製作・監督:若松孝二 プロデューサー:尾崎宗子 大友麻子 企画・構成:若松孝二 掛川正幸 音楽:ジム・オルーク 脚本:若松孝二 掛川正幸 大友麻子 撮影:辻智彦 戸田義久 美術:伊藤ゲン
出演:坂井真紀 伴杏里 地曵豪 大西信満 中泉英雄 伊達建士 日下部千太郎 椋田涼 粕谷佳五 川淳平 桃生亜希子 渋川清彦 RIKIYA 坂口拓 玉一敦也 ARATA 並木愛枝 菟田高城 佐生有語 安部魔凛碧 奥田恵梨華 神津千恵 一ノ瀬めぐみ 宮原真琴 鈴木良崇 金野学武 比佐廉 岡部尚 木全悦子 高野八誠 小木戸利光 タモト清嵐 山本直樹 中道亜希 田島寧子 黒井元次 佐野史郎 倉崎青児 奥貫薫 ナレーション:原田芳雄