さらば愛しき人よ
この映画は1987年8月のモントリオール映画祭に出品された。その模様を原田監督自身がミステリ・マガジンの連載コラムに書いている。
「さらば愛しき人よ」はコンクール外の招待作品として23日に2回上映された。400席弱の劇場は2回とも満員で、反応は、控え目に見て、熱狂的であった。ヴァラエティ紙の批評家リチャード・ゴールドは私をつかまえると「ダズリング!ダズリング!ダズリング!」と連呼して祝ってくれた。ひとつのダズリングがクラクラするほど素敵だという程の意味だから、彼は殆ど立っていられない状態だったことになる。地元のTVでも我が作品を取り上げ、あまり映画をよく見ているとは思えない批評子は「"マイアミ・バイス"とソープ・オペラとやくざものの巧みなコンビネーション」と誉め上げ、我が国のギャング映画の登場人物も「さらば-」のやくざのようにドレス・アップしてくれると嬉しいのだが、と結んだ。一般からの反応も上々だった。(「ミステリマガジン」1987年11月号・「遥かなるドジャー・ブルー」第31回=伝説が死ぬとき又は、センチメンタル・ジャー二ー)
例えば、楢山不二夫の「冬は罠を仕掛ける」が良い例だと思うが、翻訳ミステリで育った作家の書く小説が時として翻訳ミステリのような構成、文体になることがある。そういう作家はミステリといえば、チャンドラーやクイーンが思い浮かぶのであって、松本清張や横溝正史は頭にないわけだ。ロサンゼルスに住んだこともある原田真人監督の映画にも、同じことが言える。「さらば愛しき人よ」は日本的な情景の中で進行しても、基本的にはアメリカのギャングスター映画、あるいはフランスのフィルム・ノワールの再現である。だからこそ、カナダ人(に限らず西洋人)にも理解しやすかったのだろう。
なにしろ、主人公の男女の幼いころの思い出がマーク・トゥエイン「トム・ソーヤーの冒険」と重なるのだ。出てくるヤクザにしても、東映の実録路線のそれとはまるで異なるもので、郷ひろみの役柄は最盛期のアラン・ドロンを彷彿させる。この種の映画は、へたな監督が撮ると、目も当てられぬ駄作となるのだが、原田監督にはそうならないだけの技術があった。郷ひろみが安岡力也を襲うシーンの鮮やかなカット割りを見よ。最近の日本映画でこれほど映画的なシーンはない。拳銃のアップ、驚きの表情、スローモーション…。そのモンタージュはブライアン・デ・パルマ的と言ってもいい。映画本来の魅力が長回しではないことが、この場面ではっきりと分かる。そして、石原真理子との2分強に及ぶキス・シーン。ヒッチコックの「汚名」を参考にしたというこのシーンは、まさにエモーションの高まりを感じさせる。「日本映画史キス部門の記録を塗り変える」と、豪語するだけのことはある名シーンだ。
そうした優れた場面を支えるのが、細部のこだわりである。郷ひろみはガムを小さく丸めて食べ、砂糖が一粒も残らないように、完全に溶けるまでコーヒーをかき回す。木村一八はタバコを半分にちぎってから吸う。プロットには関係ないが、キャラクターの豊かさは、そんな描写から生まれる。
佐藤浩市演じる金髪のパンク・ヤクザ、「ストーム・フィールド」という酒場のマスター役の内藤陳(ロバート・B・パーカーなら云々というセリフをつぶやく)も適役だ。銃火器の迫力も日本映画の枠を超えている。技術が見えすぎるきらいはあるにせよ、これはやはり第一級のエンタテインメントであることは間違いない。(1987年10月号)
【データ】1987年 1時間42分 松竹富士=バーニングプロ
監督:原田真人 製作:奥山和由 周防郁雄 脚本:原田真人 原作:西岡琢也 撮影:藤沢順一 美術:丸山裕司 音楽:中西俊博 出演:郷ひろみ 石原真理子 木村一八 佐藤浩市 南條玲子 嶋大輔 内藤陳 高品格