ZIPANG ジパング
ヤマトユキオ扮する服部半蔵がいい。その率いる軍団も含めて不気味な雰囲気がある。あまり強くないのが欠点ではあるが、何しろかっこいいから許してまうのだ(ふと先月の「バットマン」を思い出したあれも要するに忍者なのだな。夜陰に乗じるイメージも共通するじゃないか)。林海象監督が秘密兵器と誇るだけのことはあり、ヤマトユキオに関しては満足した。映画全体はというと、全然満足できない。超時空大活劇という惹句には?である。好きなタイプの映画なのだが、痛快さに欠けるのだ。脚本、演出ともそれほどうまくない。
と、ここまで書いてビデオで「男たちの挽歌II」を見た。あの傑作映画の続編で、前作で死んだマーク(チョウ・ユンファ)に双子の弟がいたという苦しい設定である。脚本も荒っぽく、1時間余りたってもちっとも面白くならない。だが、クライマックスの殴り込みシーンが凄い。マシンガン、手榴弾、果ては日本刀まで振り回して大アクションが展開されるのだ。スプラッタ映画真っ青の大量の血が流れ、死体の山が築かれていく。いわゆる香港ノワールの筋立ては、耐えて耐えて耐えぬいた後に怒りを爆発させるという日活アクションや東映やくざ映画を踏まえたものだが、アクションに関してはそれらを大きく上回っている。面白ければ、何やってもいいんだという考えが一貫しているのである。
「ジパング」に足りないのはそんな部分だろう。黄金の国ジパングを探して、地獄極楽丸(高島政宏)の一行と鉄砲お百合(安田成美)、服部半蔵、謎のイレズミ男(修健)が四つどもえの争いを演じるというプロットは悪くない。高島政宏は相変わらず器の大きい演技を見せるし、安田成美のきっぷのいいアネゴぶりも意外性を感じさせる。だが、売り物のワンカット50人斬りをはじめ殺陣がなっちゃいないのである。撮影の苦労はしのばれるものの、あれはただ斬ってるだけで工夫がまったくない。あんな出来に終わるくらいなら、カットを切り替えて撮った方が良かった。チャンバラ映画を標榜する割りにはその楽しさがない。殺陣には凄みがなくてはならない。あの勝新太郎の「座頭市」は脚本、構成に難はあったけれども、これに比べれば、うまい殺陣だったなとつくづく思う。
極楽丸たちはジパングの扉を開く黄金の剣(これは円卓の騎士」物語の“エクスカリバー”だ)を発見するが、服部半蔵軍団に奪われる。その争奪戦の間に軍団とお百合は空中に消失。イレズミ男の力で極楽丸たちもジパングにたどり着く。この造形が貧困だ。黄金の国のイメージからはほど遠く、なんか薄汚いセットである。ここには顔に金粉を塗り付けたジパングの王(平幹次郎)となぜか幽閉されているその妹(鰐渕晴子)、王の家来の兵士たちがいる。実は王の妹とイレズミ男は愛し合っており(年の差なんて…)、王はそれを妨害するために何度も男を殺していたのである。男はそのたびに生き返り、ジパングを目指していた。で、王様はお百合たちに「愛とはなんだ?」などと訊くのである。こいつは愛が分からないのだ。物語の中心にこういうチンプな言葉が出てくると、本当にがっかりしてしまう。気恥ずかしくてしょうがない。ロブ・ライナーの「恋人たちの予感」は上質のラプ・コメディだと思うのだが、同じ意味で駄目だった。“わたしたち友達。だからセックスしません”というコピーは日本の映画会社が勝手につけたものだろうと思っていたら、映画の中身も本当にそのままだからあきれてしまった。こういう直接的なものではなく、もっとうまい表現の仕方はないものか。こういうのを野暮と言うのだ。
「ジパング」はシリーズ化するという話もあるらしい。題材は良いのだから、今度はもう少し洗練された作りを目指してほしいものだ。(1990年2月号)
【データ】1990年 1時間59分 エクゼ=東京放送
監督:林海象 製作:堤康二 原作・脚本:林海象 栗田教行 撮影:田村正毅 美術:木村威夫 音楽:浦山秀彦 熊谷陽子
出演:高嶋政宏 安田成美 平幹二朗 鰐淵晴子 成田三樹夫 修健 ユキオ・ヤマト