小さいおうち
黒木華はそれほど美人じゃないなと思いながら見ていたら、「ちっともべっぴんさんではなかった」から芸者や女郎に売られることはなかった、というセリフがあった。そういう意味も含めてのキャスティングなのか? しかし、黒木華はいい。クライマックス、意を決して「奥様、行ってはなりません」と松たか子を引き留める場面など、それまでに黒木華の役柄が寡黙で控えめで誠実に描かれているからこそグッとくる。行かせてしまえば、人の噂にのぼって平井家の穏やかな生活は壊れてしまうのだ。
中島京子の直木賞受賞作を山田洋次監督が映画化。昭和11年、東京オリンピックの開催が決まりそうな景気の良かった日本が戦争に傾斜していく時代を背景に、ある一家の恋愛事件を描いている。山田監督が戦前を今の日本に重ね合わせていることは明らかだが、それを声高に主張しているわけではない。ノスタルジーが前面に出ているわけでもないけれど、その時代に慎ましく生きる人々への愛おしい思いは感じられ、次第に息苦しくなっていく時代の空気もまた端々に描かれている。1931年生まれの山田洋次はこの時代の雰囲気を肌で知っており、それをフィルムに刻みたかったのだろう。
主人公のタキ(黒木華)は山形から奉公のために東京に出てきた。女中として仕えたのは赤い瓦屋根の小さな家に住む平井家。玩具会社常務の雅樹(片岡孝太郎)と時子(松たか子)、一人息子の恭一の3人家族だ。美しい時子はタキに優しく、タキも「一生この家で勤めさせていただきます」と考えるほど平穏な生活が続いていたが、夫の会社の部下・板倉(吉岡秀隆)の出現で時子の心が揺れ動き始める。
映画は現在のタキ(倍賞千恵子)が遺した自叙伝の大学ノートを親類の健史(妻夫木聡)が読む形で進む。少し気になったのは美人の時子が惹かれていく存在として、どうも吉岡秀隆には説得力が欠けること。時子が惹かれた理由は美大出身の板倉が夫の会社の他の社員にはない雰囲気を持っており、クラシック音楽の趣味が合ったかららしい。映画を見た後に原作を読んだら、時子は恭一を連れての再婚で夫とは十数歳の年の差があり、性的関係はないらしいことが示唆されていた。
パンフレットの監督インタビューを読むと、山田監督の主眼が小市民的な幸せにあることが分かる。60年安保から70年安保の時代、小市民という言葉は蔑称的な意味合いでしか使われなかった。小さい家で幸せに暮らすという憧れは口にできなかったそうだ。この映画では小さな幸せこそが重要だということをはっきりと言いたかったのだろう。だからタキが必死に時子を押しとどめる場面が心に響く。
時子の姉を演じる室井滋がなんだか小津安二郎映画の杉村春子を思わせておかしかった。医者役の林家正蔵やタキの見合い相手・笹野高史ら脇役のコミカルな扱いが山田監督らしい。山田監督の傑作群の中で、この映画は特別な存在ではないけれども、良い映画を見たなという満足感が残った。