誰も守ってくれない
「お前が守るんだ」。主人公の刑事勝浦卓美(佐藤浩市)は姉妹刺殺事件の容疑者の妹沙織(志田未来)に兄と父親を世間から守るように言う。「人を守るってのは人の痛みを知ることだ」。
これが脚本・監督の君塚良一が訴えるシンプルなテーマだ。容疑者の家族の保護を実際に警察がどの程度やっているのか知らないが、これは現実にすべて即した映画ではなく、現実社会に隣接したところで真摯に組み立てた物語なのだと思う。ちょっと現実をデフォルメしすぎているとか、現実にはありにくいと思える描写もこの映画の中にはあるのだけれど、君塚良一は人の痛みを知らない社会への異議申し立てとしてこの映画を撮っている。「踊る大捜査線」の人なので、エンタテインメント気質が抜けていないのが逆に好ましいところで、生真面目な社会派映画では伝わらない作者の主張というのは確かにあるのだ。
君塚作品は前作の「容疑者 室井慎次」もこうしたシンプルな主張を備えていた。「勇気というものは一人に一つしかない。それを捨てた人間は一生逃げ続けることになる」というセリフから僕は「ジェームズ・スチュワートが主演していたようなかつてのハリウッド映画の精神を受け継いだ作品。歪んで腐りきった人間と真っ直ぐに生きる人間、醜悪な現実主義者と理想主義者の相克を描き、理想が勝つことを信じて疑わない視線が根底にある」と書いたのだけれど、それは今回の作品でも同じことを感じた。君塚良一は世間的には青臭いと思われている正義感や倫理観を頑なに信じている人なのだろう。だからこういう映画が生まれる。僕はそういうタイプの映画が好きなので、この映画も大いに支持する。
保護を命じられた勝浦は妻と離婚しそうになっている。その原因は3年前の事件にあった。尾行中の覚醒剤中毒患者が4歳の男児を刺し殺してしまったのだ。責任を感じた勝浦はそれ以来、精神科に通うようになり、妻との仲も悪くなっていった。主人公のこうした設定は気の利いた脚本家ならば当然用意するもので、主人公が事件を通じてこれを克服する映画であることは容易に予想がつく。勝浦と沙織は容疑者の家族にも責任があるとして取材攻勢をかけるマスコミから逃れ、ホテルから勝浦のアパート、精神科医(木村佳乃、好演)のマンションを転々とする。そして勝浦が家族旅行をするはずだったペンションへとたどり着く。しかし、ネットの掲示板にも2人の個人情報と誹謗中傷が書かれ、追及が始まっていた。
「被害者も加害者も、残された者の思いは一緒かもしれない。それまで一緒に暮らしてた者を失うってことでは」。ペンションを経営する本庄(柳葉敏郎)の言葉にハッとさせられるのは家族にとってはどちらも突然降りかかった不幸である点では違いがないことを僕らが忘れがちだからだ。それなのに加害者の家族は加害者と同罪であるかのように扱われてしまうことが多い。君塚良一がその間違いを正したくてこの映画を撮ったのは明らかだ。人を非難する前に非難された人の痛みを知る人間であるべきなのだ。
モントリオール世界映画祭最優秀脚本賞受賞作。同じ映画祭でグランプリを受賞した「おくりびと」は昨年夏に公開されたが、この映画が公開を今日まで遅らせたのは物語が1月24日に始まる設定のためもあったのかもしれない。