どら平太
山本周五郎の「町奉行日記」を四騎の会の4監督(黒沢明、市川崑、小林正樹、木下恵介)が脚本化したのが1969年。他の3監督は既に亡く、ただ一人現役の市川崑がようやく映画化を実現した。念願のとか、悲願のというニュアンスではないようだが、それでも今年85歳の市川崑にとってある種の決意が必要だったのではないかと思う。話の設定に少し弱い部分もあり、傑作と胸を張って断言できないのがとても残念だが、痛快娯楽時代劇として市川崑の近年の低迷を払拭する出来ではある。独自の細部へのこだわり、映像へのこだわりが随所に見られ、主役の役所広司も期待にこたえる熱演を見せる。ゲスト出演的な他の俳優も演技を楽しんでいるようで、豊かさを感じさせる映画になった。市川崑の健在ぶりを確認できる作品である。
ある小藩。主人公の望月小平太(役所広司)は剣の達人だが、放埒なふるまいから、道楽者の平太=“どら平太”と呼ばれる。江戸に住んでいたが、藩主の命を受け、町奉行として藩の腐敗を正すことになる。この藩には濠外(ほりそと)と呼ばれる地区を3人の親分が支配し、密輸・売春・賭博・殺傷が横行している。藩の重職は腐敗を黙認し、「藩の財政を豊かにするため」との名目で親分たちから巨額の利益を吸い上げていた。どら平太は遊び人になりすまし、濠外に侵入。豪快な遊び方と腕っ節の強さで2人の親分と兄弟分の杯を交わすが…。
設定の弱さというのは悪役が極悪非道ではないこと。最初は凄みを感じさせるものの、親分たちも家老たちもユーモラスに描かれているから、それほど卑劣な悪人に見えない。黒沢明「用心棒」や「椿三十郎」(特に「椿三十郎)を思わせる設定なのに、黒沢作品にあったようなエモーショナルな高まりがないのである。ここは誰か一人でも親分たちの悪行に苦しめられている人物(借金のカタに娘を要求される父親とか、よくあるパターンでもかまわない)を具体的に描き、悪に対する憎しみを観客に伝えられれば、説得力が増したと思う。劇中で50人斬りを見せるように主人公が強すぎて、一度も危機に陥らないのもマイナス。主人公の行動は悪に対する怒りではなく、藩主の命令なので(少なくともそのようにしか見えない)、腐敗が全部正されてもカタルシスが少ない。予定調和の世界なのである。
主人公がすべて峰打ちで1人も斬らないのは、黒沢明が「用心棒」などで人を殺しすぎたと反省したからだという。そうであれば、これは黒沢明の計算違いと思う。遺稿を映画化した「雨あがる」の温厚な主人公でさえ、殺傷場面はあった。いつも飄々としたどら平太が感情を爆発させる場面を見たかったと思う。
役所広司は時代劇風のセリフ回しではないが、口跡が良いのに感心する。宇崎竜童、片岡鶴太郎も好演。このほか市川崑の映画でおなじみの加藤武なども楽しく、この映画、それが弱点につながっていると分かっていても、コミカルな味わいに捨てがたいものがある。浅野ゆう子は最初に登場した場面(どら平太を難詰する場面)ではちょっと違うなと思ったが、どら平太を捜して濠外に侵入する場面の夜鷹の格好は色気を感じさせて良かった。もう少しこの2人の関係に重点を置いても良かったかなと思う。
【データ】2000年 1時間51分 製作:どら平太製作委員会 日活 毎日放送 読売広告社 配給:東宝
監督:市川崑 製作総指揮:中村雅哉 製作:西岡善信 原作:山本周五郎「町奉行日記」(新潮社) 脚本:市川崑 黒沢明 木下恵介 小林正樹 撮影:五十畑幸勇 美術:西岡善信 音楽:谷川賢作 出演:役所広司 浅野ゆう子 宇崎竜童 片岡鶴太郎 うじきつよし 尾藤イサオ 大滝秀治 神山繁 加藤武 三谷昇 津嘉山正種 岸田今日子 江戸家猫八 菅原文太