大病人
「ミンボーの女」で暴力団に襲われたと思ったら、今度は「大病人」上映中の映画館のスクリーンを切り裂かれるという事件に見舞われ、災難続きの伊丹十三監督にはご同情申し上げる。しかし、暴力団に狙われたからといって、「言論の自由に対する攻撃だ」などと社会派ぶった言動をするのは筋違いである。伊丹十三が社会派でありえないのは「マルサの女」シリーズ2本と「ミンボー…」を見れば良く分かる。社会派には不可欠の権力に対する批判精神などさらさらなく、いずれも国の方針を分かりやすく伝えてくれる政府広報のレベルに過ぎない。
で、「大病人」である。これは「お葬式」や「タンポポ」と同じく、一つの物事に対するウンチクを傾ける映画だ。伊丹監督の作品は“政府広報"とウンチク映画との2つの流れに分けられると思う(「あげまん」だけはどちらにも入らない。だから失敗したのだ)、実は“政府広報"の方もウンチクを傾ける姿勢では変わるところはなく、要するに、この人の映画はストーリーを語るよりも、知識を語ることに主眼が置かれているのである。伊丹監督のエッセイもこの方式であって、自分の意見より物事の説明が多く、インテリが知識をひけらかす姿勢が見えて僕は嫌です。「大病人」のウンチクはガンである。暴力団に襲われて入院した経験を生かした作品というから、どんな映画が出てくるかと思ったら、 ガンとはね。題材の面白さでもってきた部分が多かった伊丹作品の中で、最も平凡な題材と言えよう。それゆえ、出来の方も平凡である。
映画の撮影中、監督(三国連太郎)に胃ガンが発見される。監督には愛人(高瀬春奈)がおり、妻(宮本信子)とは離婚寸前である。入院した病院の医師(津川雅彦)は妻の知り合い。監督が撮っている映画はガン患者を題材にしており、監督と愛人が主演している、こういう設定のもと、監督が手術を経て、安らかに死ぬまでが描かれる。やりたい放題にやってきた主人公が死を覚悟していく過程は本来なら、ある程度の感動があるはずだが、極めて同情しにくいキャラクターなのでそういうこともない。良かったのは宮本信子が脇に回った(「お葬式」以来ではなかろうか)ことくらいで、あとはいつかとこかで見たような病院内の風景が繰り返されるばかり。
これでは、話の行き着くところが分かっているだけにツライものがある。病院映画が氾濫している中では仕方がないのだが、それにしても工夫が足りない。黒沢明の「生きる」や「ゴーストニューヨークの幻」からの引用とか、極めて常識的な臨死体験の場面(まさか「大霊界」からの引用ではないと思うが)とか、何をやっているのかね。唯一のオリジナリティーは映画中映画の中でもクライマックスとなる般若心経の合唱とオーケストラを合体させた場面だが、これに何の意味があるのか。わざわざ字幕を出すところに監督のイヤラシサを感じる。「一般庶民は般若心経なんて読んだことがないだろう」という意識がミエミエである
三国連太郎はBSで伊丹監督の演技指導をほめていたが、リップサービスが過ぎるのではないか。(1993年7月号)
【データ】1993年 伊丹フィルムズ 1時間56分
監督:伊丹十三 製作:玉置泰 脚本:伊丹十三 撮影:前田米造 美術:中村州志 音楽:立川直樹
出演:三国連太郎 津川雅彦 宮本信子 木内みどり 高瀬春奈 熊谷真実 三谷昇 田中朗夫 村田雄浩 南美希子 清水よし子 左時枝 高橋長英