帝都大戦
前作の「帝都物語」はSFXが素晴らしく、見ごたえのある場面もいくつかあったのだが、なにせ話がつながらなかった。原作の4巻までを一気に映画化するというのが、まず無理な話なのだ。各場面のハイライトをつないだだけでは、映画として成立するわけがない。今回の「帝都大戦」の成功は話を二つに絞り込んだことにある。帝都破壊をたくらむ魔人・加藤保憲(嶋田久作)と霊能力者・中村雄昂(加藤昌也)、辰宮雪子(南果歩)の戦い、そして戦争を早く終わらせるために進められる秘密計画。この二つが絡まり合って、映画はまさにサイキック・ウォーズとして進行する。映画のタッチが重たくなりがちなのが難であり、見終わったあと、「エイリアン2」のように疲れたのだが、十分な満足感があった。超能力SFとして日本映画の中では最高の出来、と先月の「ガンヘッド」のノリで賛辞を送っておこう。
題名にしてからが平井和正「幻魔大戦」を思わせる。ここでの幻魔はもちろん加藤。空襲下の東京で甦った加藤は完璧な悪の権化となっている。呪文で超能力を発揮した前作とは異なり、兵士を空中でねじ切ったり、ジープを持ち上げたりとパワーアップ。簡単明瞭な話に合わせて、極めてけれんのある描き方がしてある。対する中村は天性の超能力を軍部が薬物によって増幅させたらしい。一度、超能力を使うと耳から血を流したり、吐いてしまうというのはスティーブン・キング「ファイアスターター」のようだ。雪子は東京の守護神・平将門の子孫。前作を見た人なら、この名前には記憶があるはずだ。今回の映画ではまったく触れていないが、加藤にさらわれた辰宮由香利の子供である(加藤は自分が由香利に生ませた子と理解していたが、前作のラストで雪子は辰宮洋一郎・由香利の兄妹を「お父さん、お母さん」と呼ぶ)。加藤と中村の超能力はテレキネシスだが、雪子のそれは主に祈りから発している。ラスト近くでテレポートするのも祈りによるものだ。
で、この映画のどこに感心したかというと、これが純然たる超能力SFである点だ。超能力者同士の戦いがテーマとなった映画は本当に珍しい。クローネンバーグの「スキャナーズ」ぐらいなのものである。ブライアン・デ・パーマの「キャリー」は超能力を持つ娘の暴走だったし、「フューリー」にもサイキック同士の戦いはなかった。ジョン・ハフの「ヘルハウス」は幽霊屋敷に立ち向かうサイキックを描いていたものの、ヘルハウスの謎に重点が置かれていた。「エスパイ」にはあったような気もするが、あれは超能力を題材にしたコメディの趣がある。日本映画で大まじめに超能力を描くのはこれが初めてではないか(アニメにはたくさんある)。
だから僕はこの映画に希少価値を見いだす。加藤と中村の二度にわたる対決はテレキネシスを駆使して見ごたえがあるし、最後の対決に備えて中村が死を恐れずに増幅機を使うなどというのはうれしい限りだ。あと、雪子の見る悪夢のシーンが秀逸だ。加藤の顔をした子供が3人出てくるという夢の造形自体は何でもないが、悪夢からさめたらまた悪夢という繰り返しがいい。これも例えばフィリップ・K・ディックあたりを参考にしたのではないかと思えるのだ。
これが監督デビューとなる一瀬隆重の演出は順当である。話のスケールは小さくなったものの、的はずれていない。原作の趣旨とは異なることにはなっても、この映画化の仕方は成功だった。ヘタなダイジェスト版よりは、はるかにいい。そして、当初予定されていたあの「孔雀王」のラン・ナイチョイが監督しなかったのも幸いであった。香港映画の場当たり的クライマックスは、この題材には似合わなかっただろうから。(1989年10月号)
【データ】1989年 1時間47分 配給:東宝
監督:一瀬隆重 製作総指揮:一瀬隆重 原作:荒俣宏 脚本:植岡喜晴 李美儀 撮影:安藤庄平 美術:正田俊一郎 音楽:上野耕路
出演:加藤昌也 南果歩 嶋田久作 丹波哲郎 日下武史 高橋長英 野沢直子 桂木文