怒り
東京・八王子の夫婦が自宅で惨殺され、現場に大きな血文字の「怒」が残されていた。という発端から映画は東京、千葉、沖縄に現れた殺人犯かもしれない3人の男とその周辺の人々のドラマを描く。映画の主眼はだれが犯人かということではなく、周辺の人々の心の揺れ動きの方にある。
これは吉田修一の原作でもそうだ。個人的に深い感銘を受けた原作を同じ吉田修一原作の「悪人」に続いて李相日監督が映画化すると聞いて大いに期待した。期待はまったく裏切られなかった。見ながら、いくつかの場面で胸が熱くなる。登場人物たちの慟哭、後悔、悲しみ、やりきれなさが胸に迫ってくるのだ。多くの登場人物たちのさまざまな感情の渦に巻き込まれたよう。見事な脚本と編集とリアルな絵づくりと俳優のリアルな演技に坂本龍一の美しい音楽が加わって、ケタ違いに充実した映画になった。今年のベストを争う作品であることは間違いない。
八王子の事件から1年後、沖縄の無人島に現れた男(森山未來)は田中と名乗る。高校生の小宮山泉(広瀬すず)は同級生の知念辰哉(佐久本宝)のボートで島に遊びに行き、田中と出会う。どこか田中のことが気になった泉は交流を深めるようになる。東京で藤田優馬(妻夫木聡)はゲイのパーティーで大西直人(綾野剛)と出会い、お互いに惹かれ合って一緒に暮らすようになる。直人は自分のことを一切語らなかった。千葉の漁港で働く槙洋平(渡辺謙)は娘の愛子(宮崎あおい)を歌舞伎町の風俗店から連れ戻す。槙の下では3カ月前にやってきた田代哲也(松山ケンイチ)が働いていた。コンビニ弁当を食べている田代を見て、愛子は弁当を作るようになる。やがて愛子は田代と一緒に住みたいと言い出す。
3つの場所で進行する物語が交錯することはない。素性不明の3人の男と関わる人々の姿がそれぞれに描かれていく。凡庸な監督が撮ったら、エピソードの羅列に終わっただろうが、李相日監督は沖縄から東京、東京から千葉へと転換する場面でフラッシュフォワードを使ったり、エピソードに軽い関連を持たせ、エモーションをうまく持続させている。
渡辺謙も宮崎あおいも松山ケンイチも妻夫木聡も綾野剛も広瀬すずも森山未來も、それぞれが1人で主演を張れる俳優。それが束になって出てくるのだから、画面の厚みがただごとではない。松山ケンイチと綾野剛に関しては受けの役柄のため演技の見せ場がないのだけれど、それでもこの2人が演じることによる効果は大きい。最も儲け役なのは宮崎あおいで、予告編を見た時からうまいと思ったが、「少し人とは違う」女を演じきっている。これで女優として大きく成長したのではないか。それはアイドル女優だったらやらないような難しい役を演じる広瀬すずにも言えることで、試写を見た事務所の社長が「いい映画になって良かった」と涙ぐんだ(キネ旬2016年9月下旬号)というのもよく分かる。
空撮を交えた笠松則通の撮影も見事。どの場面もないがしろにしないという強い意志が伝わってくる。隙がない映画というのはなかなかないし、原作を無茶苦茶にする映画も多いのだが、李相日が書いた脚本は原作のエピソードを削りながら、そのエッセンスは少しも損なわれていず、驚くほど原作に忠実なイメージになっている。ストーリーを知っていても圧倒されるのは画面と脚本の構成、出演者の演技が高いレベルにあるからだろう。上映時間2時間22分。それでも短い。3時間でも4時間でも見ていたくなる。