歩いても歩いても
海で溺れた子供を助けようとして命を落とした長男順平の15回忌に集まった家族の1日を描く。亡くなった長男というと、まるでロバート・レッドフォード「普通の人々」のようなシチュエーションだが、あの映画ほどギスギスした厳しい展開はなく、何も起こらないのが逆に良い。普通の家庭の普通の人々がその心の中には何らかのわだかまりを持っている。それが会話の中に時折ふっと意図しないのに浮上して、それを聞いて心を少し痛める人がいる。ちょっとぎくしゃくしながらも家族は続いていく。そうした日常の光景を丹念に描いて是枝裕和、うまいと思う。血肉の通ったユーモアと優しい視点が映画に溢れている。かつての日本映画は小津安二郎をはじめ、こういうホームドラマが多かったが、今は極端に少ないだけに貴重な作品だ。
優秀な兄が死んで出来の悪い弟が生き残る。家族の中には死んだ長男の影が重く横たわっているという設定は「普通の人々」に限らず、過去の映画や物語に例がある。そういう作品の場合、クライマックスには何らかの感情の爆発があり、それが収束していくというパターンが多い。この映画のそれは黄色いチョウチョになるのだろうが、ずっと穏やかだ。「黄色いチョウは白いチョウが死なずに1年たって帰って来たもの」という母親の言葉は死んだ長男と重なっている。墓地で見つけたその夜、家の中に入ってきたチョウを母親が、「順平が帰ってきた」と言って追いかける。「逃がしなさい」という父親。母親がおかしくなったんじゃないかと思う次男。さざ波は立つけれども、破壊的にはならず、やがて収まる。いかにもありそうな描写だ。
父親と息子の関係、その息子と義理の息子との関係、母親と嫁の関係、姉夫婦と両親の関係が日常会話の中で見事に浮き彫りになっていく。「歩いても歩いても」のタイトルは母親が好きないしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」から来ている。「小舟のように揺れる」家族がそれでも続いていくのを象徴しているのだろう。
ゴンチチの優しい音楽と阿部寛、夏川結衣の次男夫婦が素敵だ。キネマ旬報ベストテン5位。それだけではなく、海外の多くの映画祭で受賞している。こういう家族の問題は世界に共通するのだ。