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シネマ1987online

美しい夏キリシマ

「美しい夏キリシマ」謝恩上映会パンフレット

黒木和雄監督が故郷のえびの市で全編ロケした作品。1945年の8月を監督自身がモデルである15歳の少年の目を通して描く。根底にあるのは監督が学徒動員先の都城の工場で空襲を受け、友人を亡くした体験。黒木和雄は頭がざっくり割れた友人の姿を恐ろしく感じ、逃げてしまった。そのことによって約1年間ノイローゼ状態になったという。映画の主人公・康夫(柄本佑)はこれに加えて肺浸潤のため学徒動員を免除されている設定だが、それが物語の中心にあるにしても、ここで描かれるのは終戦間近の日本の田舎町の風景である。

高知の田舎町を舞台にした「祭りの準備」(1975年)や原爆投下1日前の長崎の人々を取り上げた「TOMORROW 明日」(1988年)がそうであったように、映画は全編、方言で語られる。描かれるのは霧島山のふもとにある霧野村という架空の村での人々の営みであり、この2作と共通する部分の多い内容でもある。しかし、中島丈博が脚本を書いた「祭りの準備」や井上光晴原作の「TOMORROW 明日」よりも重要なのは、これが黒木和雄の体験に基づく自分のストーリーだからで、えびのを舞台にした映画の製作を要請されて当初は「Kirisima 1945」というタイトルで映画を撮ろうとした(戦時下を取り上げた)のは、ここで描かれたことが黒木和雄の原体験であるからにほかならないだろう。

友人を亡くしたトラウマと権力への不信(兵隊への不信)の芽生えが主人公にもあり、主人公は終戦後、進駐してきた米兵に向かって竹槍で突進することになる。戦争中、神といわれた天皇への疑問を主人公が口にしたり、敗戦を嘆く兵士たちの中で一人「ケッ」という顔つきをしている一等兵の豊島(香川照之)などの描写を見ると、反戦と反権力をさりげなく散りばめた黒木和雄のスタンスがよく分かる。ただし、こちらの胸を打つのはそうした主人公の姿よりも普通の村の人々の姿である。主人公の裕福な家で働く女中のなつ(中島ひろ子)が家同士のつながりで結婚した相手・秀行(寺島進)は南方戦線で片足をなくしている。仕方なくといった感じで結婚したなつだったが、秀行から「自分はこんなぶざまな姿になってしまった。なつさんはここでしばらく母の手伝いでもして、この家からもっと素晴らしい人のところへお嫁に行けばいい」と言葉をかけられることになる。

あるいはやはり南方戦線で夫を亡くしたイネ(石田えり)の一見弱いながらもたくましい生き方などもそうだろう。「すんもはん、すんもはん」と言いながら最初に登場してくるイネは経済的に苦しい生活の中で脱出願望を秘めている。豊島と関係するのはその願望が根底にあったからだろうし、最後には家を焼いて古里を後にすることになる。「美しい夏キリシマ」というタイトルは多分に郷愁を誘う内容を思わせる。監督自身にもそうしたニュアンスがあったのかもしれないが、映画から受けるのは甘っちょろい郷愁よりも人々の切実な生き方に対する共感である。美しいのは古里の風景ではなく、そこに住む人々なのである。

えびの市での謝恩上映会のパンフレットに映画評論家の佐藤忠男が「これは日本映画史のうえで長く名作として語り継がれるべきすぐれた作品である」と書いている。僕は「祭りの準備」より完成度としては劣ると思う。これは題材が監督自身に近すぎたことが原因の一つだろう。複数のエピソードを収斂させていくべきラストが「祭りの準備」の旅立ちの場面(原田芳雄が「バンザイ、バンザイ」と叫びながら、主人公江藤潤の乗った列車を追う場面)より、ややインパクトに欠ける。ただ、今の邦画のレベルを軽く超えている作品であることは間違いない。僕の世代では題材そのものには何ら郷愁を持ちようがないが、映画のタッチは70年代の日本映画が持っていた切なさや、やるせなさを漂わせ、その意味での懐かしさを感じた。それは主人公の苦悩を表すのに効果的に作用している。

主人公を演じた柄本佑は柄本明の息子。監督はオーディションで「何を考えているか分からないところ」が気に入って起用したという。黒木和雄映画では常連の原田芳雄が主人公の祖父を演じて画面を引き締め、主人公と心を通わせる女中のはる役の小田エリカもいい。このほか左時枝や宮下順子、牧瀬里穂など特に女優陣の好演が光っている。

【データ】2002年 1時間58分
監督:黒木和雄 製作総指揮:深江今朝夫 プロデューサー:仙頭武則 脚本:松田正隆 黒木和雄 撮影:田村正毅 音楽:松村禎三 美術:磯見俊裕
出演:柄本佑 小田エリカ 石田えり 左時枝 香川照之 中島ひろ子 宮下順子 寺島進 入江若葉 平岩紙 倉貫匡弘 牧瀬里穂 原田芳雄

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