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雨あがる

「雨あがる」

「大切なことは、主人が、何をしたかではなく、何の為にしたか、と云うことではございませんか。あなた達のような木偶坊にはおわかりいただけないでしょうが」。宮崎美子扮するたよがラスト近くで啖呵を切る。宮崎美子の優しい口調と木偶坊(でくのぼう)という言葉がアンバランスで何だかほほえましくなってしまう。夫の三沢伊兵衛(寺尾聰)は雨に降り込められた貧しい人たちに夕飯を奢るため賭け試合をした。そのことが仕官しようとした殿様に知れて仕官できなくなった。それを伝えに来た城の家老ら2人に対して、たよは啖呵を切って、精いっぱい夫を弁護するのである。黒沢明の遺稿を映画化した「雨あがる」の全編に流れるのはこうしたほほえましさだ。人の良さ、つつましさ、貧者に対する温かい視線が感じられ、見終わって優しい気分になれる映画である。

もちろん黒沢明が演出していたら、もっと違う映画になっていただろう。前半の安宿の描写にはもっとメリハリをつけるべきだったし、殺陣にも迫力を持たせるべきだった。登場人物たちの描き分けももっと明確にするべきだった。最初から最後までやや一本調子の映画になってしまった点は惜しまれる。何より、映像の力というものが不足している。黒沢だったら、ここはこうして撮っただろうなと思われる場面は多い。ただし、そんな技術的な数々の傷を持ちながらも、これは愛すべき小品佳作に仕上がっている。きっと小泉堯史監督をはじめとしたスタッフの黒沢監督に対する思いが結実したのだろう。

パンフレットによると、この映画の企画は黒沢監督の通夜の席で始まったそうだ。黒沢作品で長い間助監督を務めた小泉監督は自分の生活を顧みず、3年間、黒沢監督を看護し、話し相手となった。その恩返しの意味もあって黒沢監督の長男久雄が監督を依頼したそうだ。監督補の野上照代、美術の村木与四郎、これが遺作となった音楽の佐藤勝などスタッフは黒沢組の人ばかり。出演者も檀ふみを除いて、みんな黒沢監督の映画に縁のある人ばかりである。映画は冒頭に黒沢監督の写真を3枚映し出すが、これがなくても、黒沢監督追悼の意味が込められているのは明らかだ。

製作費4億円は時代劇として決して十分な額ではない。安宿のセットや衣装などにその影響は見て取れる。剣の腕は抜群だが、相手を思いやる気持ちが強すぎて仕官に失敗してばかりいる浪人夫婦の数日間の出来事を描く原作はもともと短編ではあるけれど、予算が十分にあれば、映画として大作にもできるのである。小品にならざるを得ない事情があったのだろう。しかし、これでいいのではないかという気がする。あまりにも出来のヒドイ作品なら話は別だが、映画製作の裏の事情を知ってしまうと、出来上がった映画に対する批判をする気にならなくなる。まして「雨あがる」は登場人物も映画のスタッフも好意の固まりのような人たちである。黒沢監督の遺志を継いだ作品が完成し、それが黒沢監督の名を汚していないのなら、それでいいと思う。

出演者の中では28年ぶりの映画出演という三船史郎がいい。セリフ回しはやはり硬いが、父三船敏郎を彷彿させる豪快さが感じられる。出番は少ないが、原田美枝子の存在も映画のアクセントになっていると思う。

【データ】2000年 1時間31分 「雨あがる」製作委員会 配給:東宝
監督:小泉堯史 監督補:野上照代 原作:山本周五郎 脚本:黒沢明 撮影:上田正治 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎 衣装:黒沢和子
出演:寺尾聰 宮崎美子 三船史郎 檀ふみ 井川比佐志 吉岡秀隆 加藤隆之 原田美枝子 松村達雄 仲代達矢

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