It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

あふれる熱い涙

フィリピン人の農村花嫁を描いて社会派のセンを狙ったのはいい。しかし、商社の悪どいやり口とか、コンクリート詰め殺人とか、写真週刊誌の批判まで取り込んだことによって、映画は逆に焦点をぼかしてしまった。これらの事件にかかわった人々が偶然にも寄り集まってくるこの映画の人間関係は、あまりにもご都合主義といわれても仕方がないだろう。脚本の整理がついていないのである。題材は多いが、一つひとつの掘り下げが足りない。そして結局、タイトル通りの熱い涙に収斂させていくのでは、社会派路線も腰くだけだ。詰めが甘い。映画製作の姿勢は大いに認めるけれども、技術的に未熟な点もあり、惜しい作品だ。

フィリピン人のフェイ(ルビー・モレノ)は300万円の契約で岩手の農村の花嫁となった。夫の昭一(鈴木正幸)は農村の男らしく寡黙で、食事の時も話さえしない。そんな生活に嫌気がさして、フェイは家出して東京に行き、友人のマリアが勤めていた新大久保のラーメン屋に住み込みで働くようになる。このラーメン屋は外国人の客ばかりである。隣のアパートには大学講師の国分(佐野史郎)と麻美(戸川純)という、どこか奇妙なカップルが同棲している。田代廣孝監督は固定カメラの長回しを多用して、淡々とこうした背景を説明していく。地に足のついた描写といってよく、けれんはないが、好ましい撮り方である。

フェイはフィリピン人の母と、商社に勤める日本人の父との間に生まれた日比混血の娘だった。農村花嫁となったのも、父に一度会いたいという気持ちがあったからだ。しかし連絡を取っても、商社に出向いても父は会おうとしない。国分もフェイを父親に会わせようと協力するが、商社から相手にされない。実は国分はこの商社の悪どさを以前から告発し続けていた。商社の方でも国分を煙たがっており、週刊誌を使い、国分と麻美の秘密をバラそうとする。

農村花嫁の問題だけで1本、国分と麻美の関係だけで1本の映画ができそうである。商社の在り方やフィリピンでの日本人の乱行に的を絞ってもいい。しかし、それをすべて1本の映画にぶち込んでしまったら、底が浅くなるのは当然だ。この映画の場合、岩手の農村の場面をもっと増やし、他の問題は点景に抑えた方が良かったと思われる。

社会的な問題を映画に取り入れることが最近の日本映画には少なくなった。それは商社や大企業が映画製作に絡んできたことと無関係ではないだろう。とりあえず、一部の観客が喜ぶ出来の悪いエンタテインメントを作り、そこそこの金を儲けて終わり、という今の邦画の在り方には疑問を感じざるを得ない。だから、「あふれる熱い涙」のような社会性を盛り込んだ自主製作の映画は貴重なのだが、製作姿勢が良心的であることと、完成した映画の評価とは別物である。この映画を巡る論評を見ていると、ようやく処女作を撮った監督に対してホメ殺しの感がなくもない。

ルビー・モレノをはじめとする出演者は総じてよい。佐野史郎は“冬彦さん"のイメージとは違うが、やはりいくらか狂気をにじませていた。(1992年11月号)

【データ】1991年 シネバレエ 1時間44分
監督:・脚本:田代広孝 製作:川上秀次郎 田代広孝 撮影:佐久間公一 美術:南雅之 平井敏哉 音楽:橋本仁
出演:佐野史郎 戸川純 ルビー・モレノ 鈴木正幸 梅津栄 吉沢健 川上泳 石川律雄 伊藤知則

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