It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

いつかギラギラする日

画面を貫く疾走感が心地よい。ロックのリズムに彩られ、最後までノンストップのアクションが繰り広げられて、息つく暇もない。邦画のアクションはここ数年、北野武の2本ぐらいしかなく、寂しい思いをさせられていただけに、深作欣二のアクションヘの回帰を素直に喜ぶべきだろう。こういう元気のいい映画こそが沈滞しきった邦画の起爆剤になりうるのである…。と、持ち上げておいて少しケチをつけるなら、この映画、アクション映画になくてはならない核の部分が少し弱い。そのためにアクションのつるべ打ちが終盤、スラップスティックまがいになってしまう。本当に惜しいところで傑作になり損ねたな、というのが正直な感想だ。

その核とは何かと言えば、最後までアクションの意味(必然性)を持続させうる主人公なり登場人物なりの心情である。言い換えれば、登場人物たちをアクションに駆り立てる理由づけがアクション映画には不可欠なのだ。アクションに意味などいるか、という人はアクション映画の何たるかがまるで分かっていない。必然性のないアクションというのはスラップスティックと何ら変わらないのである。例えば、「マッドマックス」の核は妻子を殺された主人公の復讐であり、「ダイ・ハード」のそれは卑劣なテロリストたちへの怒りと人質にされた妻への愛情である。サム・ペキンパーやドン・シーゲルや黒沢明などアクション映画の巨匠と言われる人たちはみんなそれを心得ている。

もちろん深作欣二だってその程度のことは分かっているはずだ。ところが、主人公の萩原健一の心情にはそれがない。強盗を重ねてある程度、金の余裕はありそうだから、5000万円に執着する必要はないし、殺された仲間の復讐のため、というのも説得力がないのである。あの激烈すぎるアクションを続ける必然性にはなり得ていない。アクションの必然性を体現しているのは、開店のためにどうしても5000万円が必要な木村一八でもなく、コミカルなヤクザたちではさらさらなく、木村一八と行動を共にする荻野目慶子なのである。

“いつかギラギラする”ことを夢見ているのは荻野目慶子演じる麻衣という、いささか頭の軽い女だ。それは「もっと私を見てよ!」というセリフに端的に現れている。しかし、残念なことに荻野目慶子はミスキャスト。あの軽薄さとけたたましさは、映画の中で萩原健一が嫌うのが分かるくらいに、まったく大人の雰囲気を壊してしまっている。

この映画の話は昨年の日向映画祭で、脚本の丸山昇一さんに聞いた。「深作監督は厳しいいんだけど、やりがいがあるよ」と語っていたが、多岐川裕美や樹々木林などのハードボイルドさとラストの明るさは丸山さんの資質によるものだ(実を言うと、丸山さんの本質はハードボイルドとは別の部分にある、と僕は思う。だいたい、あんなに明るい人がハードボイルドに向くはずがない)。一方で、木村一八とヤクザの面々は「仁義なき戦い」のようながむしゃらなキャラクター。主人公の萩原健一はその両方を兼ね備えていて、監督と脚本家のせめぎ合いが現れたものと思われる。

いろいろとケチをつけたけれども、総じて僕はこの映画には好意的である。カッコばかりつけているヤク中の殺し屋原田芳雄にもっと見せ場が欲しかったとか、八名信夫の親分には真剣さが足りないとか、ほかにも不満はあるが、志は決して低くない。映画の冒頭のピンと張り詰めたアクションの持続を次作には期待したい。(1992年11月号)

【データ】1992年 松竹第一興業=バンダイ 1時間48分
監督:深作欣二 製作:奥山和由 脚本:丸山昇一 撮影:浜田毅 美術:今村力 音楽:菱田吉美
出演:萩原健一 木村一八 荻野目慶子 多岐川裕美 石橋蓮司 八名信夫 安岡力也 原田芳雄 千葉真一 樹木希林

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