It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

あの夏、いちばん静かな海。

北野武監督の映画は、「その男、凶暴につき」「3-4×10月」のどちらにも未完成の感じを拭いきれずに不満を持った。3度目の正直の今回は、まず満足できる仕上がりだ。これはもう、ひとえに久石譲の音楽の功績である。主演の2人が聾唖者という設定でセリフが極端に少ないが、音楽が饒舌に語ってあまりある。音楽の効用をこれほど感じさせる映画も珍しい。

聾唖者で清掃作業員の青年茂(真木蔵人)が、ゴミ捨て場でサーフボードを拾ったことからサーフィンに熱中するようになる。それを恋人でやはり聾唖者の貴子(大島弘子)が見守る—という簡単なプロットを説明しても、この映画の場合には何も語ったことにはならないだろう。サーフィンの場面は多くても、サーフィン映画ではありえない(波の大きさの違いもあるけれど、これに比べれば「ハート・ブルー」の方がよほどサーフィンの魅力を伝えている)。確かにラブストーリーではあるけれども、言葉のやりとりは当然のことながらなく、手話もほとんど交わさない。途中ちょっとした誤解があるが、劇的な変化も恋の高まりも描かれないのである。青年の死による突然の破局もそれほどドラマティックとはいえず、淡々としている。だから普通であれば、最後の死など極めて安直な設定と思えるのに許してしまえるのだ。脚本は簡単なものだから、北野武はもとより話で観客を引き付けようなどとは思っていなかったはずだ。

強く引かれるのは主演の2人のひたむきさが表れる場面だ。サーフボードを2人で運ぶシーンと浜辺で茂の脱いだ洋服をたたむ弘子(3度目にはギャグになる)の描写が何度か繰り返されるが、どちらもとても微笑ましい。サーフボードをバスに積み込むのを断られ、貴子が乗ったバスを追い掛けて走る茂と終点からもと来た方向に向かって走りはじめる貴子のシーンはいつものように淡々としているが、情感があふれる。

この情感を説明するのに音楽を抜きにしては語れないだろう。久石譲の音楽はピアノ曲らしく、いつもよい意味で通俗的でセンチメンタルだが、この映画の場合はセリフがない分、純粋に感情の揺れ動きを表現することになった。前2作の未完成な感じは音楽がほとんどなかったことによるのを考えれば、久石譲の起用は当然のことだった。久石譲は期待を裏切らないスコアを提供している。逆に言えば、映画における音楽の役割はそれほど重要なのである。

音楽を除げば、技術的な進歩はあまりない、と僕は思う。映画としてのまとまリは「その男、凶暴につき」とは比較にならないほど向上しているが、過去2作同様に寡黙なことに変わりはない。時折、軽いユーモアを挿入するのも同じである。演出の方法は大きく変わってはいない。

枝葉末節の部分の豊かさが映画には必要である。北野武の映画に相変わらずそれは少なく、これを独特の演出スタイルと呼ぶのには反対である。このやり方は決して主流にはなりえないだろう。しかし、「あの夏、いちばん静かな海。」が、著しく落ちてしまった今の日本映画の水準を超えていることは否定しない。1作目から主役→脇役→出演せず、とビートたけしが消えていく過程で、映画の完成度が高まっていくというのは皮肉な結果ではある。(1991年12月号)

【データ】1991年 1時間41分 オフィス北野=東通
監督・脚本:北野武 製作:館幸雄 撮影:柳島克己 音楽:久石譲
出演:真木蔵人 大島弘子 河原さぶ 藤原稔三 小磯勝弥 松井俊雄 寺島進

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