前半はまるでアメリカン・ニューシネマのようだと思った。文明や物質的な価値を拒否してアラスカへと向かう主人公は破滅へ向かう「バニシング・ポイント」の主人公と重なった。主人公を突き動かしたのは両親の偽りの姿で、だから人間を拒否して一人で荒野の中で暮らすことになる。そして死の直前に主人公は「幸福はそれを人と分かち合った時に実現する」という結論に達する。その時に想起したのは両親との和解であり、旅の過程で知り合った人々との交流だった。一人では幸福にはなれない。そんな当たり前のことを過酷で孤独な生活の中で知ることになるわけだ。
一般的に見れば、主人公は若さと純粋さで誤った道を取ったことになるかもしれないが、監督のショーン・ペンはそれを肯定的にとらえた。放浪の旅に出ることを「誕生」にたとえ、悩み多き「思春期」を経て悟りの境地に至るという構成。主人公は再生を果たした後に死んでいくのだ。2時間28分の上映時間は少し長く、主人公の生き方に全面的に賛成もできないが、これは「モーターサイクル・ダイアリーズ」のようにロードムービーの形を取った青春映画と言える。役のために18キロ減量したエミール・ハーシュが実在した青年に確かなリアリティーを与えている。
クリストファー・マッカンドレス(エミール・ハーシュ)はエモリー大学を優秀な成績で卒業した後、両親(ウィリアム・ハート、マーシャ・ゲイ・ハーデン)に黙って放浪の旅に出る。一見、幸福そうに見える家庭は、実は両親の諍いが絶えなかった。両親は離婚はしなかったが、虚飾に満ちた生活にクリスは嫌気がさしたのだ。余った学資の2万4000ドルを寄付し、バックパックを背負って一文無しで行う旅。時折、アルバイトをしながら、アラスカを目指す。この映画で心に残るのはこの旅の過程で主人公が出会うさまざまな人たちとの交流の方にある。
クリスと同じ年頃の息子を持ち、2年間連絡が取れていない夫婦、農場の経営者、主人公に思いを寄せる少女、そして孤独な老人。夫婦と老人とクリスは疑似家族のような関係になり、心を通わせる。クリスはなぜこの過程で、一人では生きられないことに気づかなかったのだろう、という思いを強くする。きっと人間は幸福の中にいるときはそれに気づかないものなのだろう。ショーン・ペンはこの交流と、アラスカの荒野に廃棄された小さなバス(魔法のバスとクリスは名付ける)の中で孤独に暮らすクリスを交互に描き、クリスに寄り添ってその生き方と考え方をくっきりと浮かび上がらせている。それでもこれがハッピーエンドだったら、と思わずにはいられない。実際にあった話だから仕方がないが、主人公が死ななかったら映画の印象は随分違ったものになっていただろう。
孤独感をにじませた老人役のハル・ホルブルックは昨年のアカデミー賞で助演男優賞にノミネートされた。主人公に思いを寄せる美少女役のクリステン・スチュワートは「パニック・ルーム」でジョディ・フォスターの娘役を演じ、「ジャンパー」にも出ていたそうだ。
原作の「荒野へ」(集英社文庫)を読んでみたくなったが、amazonでは品切れのようだ。書店で探してみよう。