かつて大映の夏興行の定番だった妖怪ものを、大映を買収した角川映画が製作。一見して類似性を感じたのは原口智生の快作「さくや妖怪伝」(2000年)で、同じ妖怪ものだし、剣を持った少年(少女)が悪に立ち向かうという基本プロットも同じである。ただ、「さくや」が1時間半足らずだったのに対して、この映画2時間3分もある。原作・脚本が荒俣宏なので話はしっかり作ってあるにしても、どうしても中だるみを感じてしまう。子ども向けの映画であると割り切り、導入部分をてきぱきとまとめて1時間半程度にした方が良かっただろう。全体として悪くない出来だけにそれだけが惜しい。
映画はプロデュースチーム「怪」の雑談が発端にあったそうだ。水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆきというメンバーで、それぞれゲスト出演もしている。加藤保憲を敵役にしようと発案したのは京極夏彦だそうで、映画は加藤が出ることによって「帝都物語」番外編みたいな雰囲気もある。残念なことに加藤を演じるのは嶋田久作ではなく、豊川悦司。豊川版加藤も悪くはないが、どうせなら嶋田久作に出て欲しかったところだ。監督の三池崇史は「ゼブラーマン」で意外にスーパーヒーローものに理解があることを示したが、今回も的を外していない。導入部分では妖怪の怖さを見せ、中盤からユーモアを散りばめている。おまけに出てくる女妖怪がどれもこれも色っぽい。鳥刺し妖女アギ役の栗山千明、川姫役の高橋真唯の2人が印象的で、個人的にはワルを演じる栗山千明がはまり役だと思った。ろくろ首役の三輪明日美もいい。
主人公のタダシ(神木隆之介)は両親の離婚で鳥取の祖父(菅原文太)の家に母親(南果歩)と住む。東京から来たために学校ではいじめられている。タダシは神社の祭りで麒麟送子(きりんそうし)に選ばれる。麒麟送子は悪と戦う定めで、選ばれた者は大天狗の聖剣を取りに行かなくてはならないとの伝説があった。大天狗の山に向かったタダシは妖怪の姿を見て逃げ出すが、途中、けがをした不思議な生き物と出会う。その生き物はスネコスリで、やはり妖怪の一種。再び大天狗の山に引き寄せられたタダシは猩猩(しょうじょう=近藤正臣)、川姫(高橋真唯)、川太郎(阿部サダヲ)と出会い、ついに大天狗のもとへたどり着く。聖剣を取ろうとしたところへ、鳥刺し妖女アギ(栗山千明)が機怪(人間に捨てられた機械と妖怪が合体した怪物)とともに現れる。アギは人間に復讐を誓う魔人・加藤保憲(豊川悦司)に賛同し、妖怪たちを狩り集めていた。タダシは聖剣で立ち向かうが、アギに剣を折られてしまう。スネコスリを連れ去られたタダシは妖怪たちの協力を得て、加藤に立ち向かう。
これで妖怪大戦争というわけだが、おかしいのは集まった妖怪たちが、加藤が敵と知って、「それでは…解散」と帰ってしまうこと。このあたりから映画はユーモアの度が強まってくる。妖怪のキャストが多彩でおかしい。油すまし=竹中直人、小豆洗い=岡村隆史、ぬらりひょん=忌野清志郎、大首=石橋蓮司、一本だたら=田口浩正、雪女=吉井怜、神ン野悪五郎=京極夏彦、魍魎=塩田時敏、山ン本五郎左衛門=荒俣宏、妖怪大翁=水木しげる、といった面々である。人間側も多彩で佐野史郎、津田寛治、大沢在昌、徳井優、永澤俊矢、田中要次、宮迫博之、柄本明といった顔ぶれ。宮部みゆきは学校の先生役で登場する。三池崇史の人徳なのか、ちょい役も含めてこんなにキャストがそろった映画も珍しいだろう。
加藤の復讐は物を使い捨てにする人間たちへの憎しみから来ている。そういう理由にはあまり必要性を感じないのだが、子供たちに見せるにはそうした部分があった方が良いのかもしれない。ただし、これを見た子供たち、特に男の子は高橋真唯の太ももや栗山千明の衣装にしびれるのではないか。そうした部分を入れているところに三池崇史らしさを感じた。「ゼブラーマン」のゼブラナース(鈴木京香)の衣装を彷彿させるのである。逆に女の子がしびれるのは神木隆之介のけなげな姿なのだろう。
パンフレットに収録された「怪」の4人による座談会(2002年12月収録)では3部作の構想が紹介されている。3年前の話だからどうなることかは分からないが、続編を作るなら、キュッと引き締まったコンパクトな映画を期待したい。
【データ】2005年 2時間4分 配給:松竹
監督:三池崇史 製作総指揮:角川歴彦 プロデュースチーム「怪」:水木しげる 荒俣宏 京極夏彦 宮部みゆき 製作:黒井和男 原作:荒俣宏 脚本:三池崇史 沢村光彦 板倉剛彦 撮影:山本英夫 美術:佐々木尚 音楽:遠藤浩二
出演:神木隆之介 宮迫博之 南果歩 成海璃子 佐野史郎 宮部みゆき 大沢在昌 徳井優 板尾創路 菅原文太 近藤正臣 阿部サダヲ 高橋真唯 田口浩正 遠藤憲一 根岸季衣 三輪明日美 吉井怜 蛍原徹 石橋蓮司 忌野清志郎 竹中直人 塩田時敏 岡村隆志 栗山千明 豊川悦司 荒俣宏 京極夏彦 水木しげる
ドリームワークスの3DCGアニメ。セントラルパークの動物園にいるシマウマ、ライオン、カバ、キリンの4頭がアフリカに送り返される途中、ひょんなことからマダガスカル島に流れ着き、大自然の魅力を知るという物語である。「シュレック」などとは違って明らかに子ども向けだが、「猿の惑星」や「アメリカン・ビューティー」「炎のランナー」など映画のパロディが所々にある。子どもにはたぶん分からないパロディだから、一緒に見に行った親を退屈させない工夫なのかもしれないが、どれもパロディにする必然性には乏しい。そういうことをするぐらいなら、もう少し話の密度を濃くしてはどうか。野生に帰って狩りに目覚めたライオンの扱いをどうするのかと見ていたら、極めて平凡な結論に落ち着かせている。こういうところを見ると、話を作る努力をほどほどにしてパロディに逃げているとしか思えないのである。とりあえず、きちんとまとまった映画だし、3DCGの技術も水準をクリアしているけれど、こういう製作姿勢で傑作を生むことは難しいだろう。
ニューヨーク、セントラルパークの動物園。シマウマのマーティはペンギンたちが動物園を脱走するのを見て、外の世界に興味を持つ。動物園の生活は安楽で悪くなかったが、人生の半分を動物園で過ごして外に出てみたくなったのだ。マーティはある夜、こっそり、動物園を抜け出してしまう。それに気づいた親友でライオンのアレックス、カバのグロリア、キリンのメルマはあとを追う。グランド・セントラル駅で4頭は人間に捕まるが、動物愛護団体の抗議によってアフリカに送り返されることになる。ところが、乗せられた船にはペンギンたちが潜んでいた。ペンギンは船を乗っ取り、南極に向かおうとする。4頭が詰められた木箱はこの騒動で海に放り出される。漂着したのはマダガスカル島。マーティは自然を満喫するが、残りの3頭は動物園に帰りたくてたまらない。しかし、出会ったキツネザルたちによって自然の魅力を教えられていく。同時にアレックスは肉食の本能、狩りの本能にも目覚め、マーティたちがえさに見えるようになってしまう。
動物園にいる時はピシッと整えられていたアレックスのたてがみが次第にボサボサになっていく。それは野生の本能を取り戻す過程を表してもいる。ディズニーの「ライオン・キング」ではライオンに虫を食べさせていた。この映画でも同じような趣向である。動物園の生活が動物にとって良いわけではないだろうが、かといって野生に完全に返ると、シマウマとの友情などは成立しなくなる。野生に返るというテーマを描くには、この設定に元々無理があるのである。ユーモアにくるめて楽しく見られる映画にすればいいというぐらいの考えなのだろう。だから内容の薄い映画にしかならないわけだ。動物が擬人化されすぎているのも気になった。
声の出演はライオンがベン・スティラー、シマウマがクリス・ロック、キリンがデヴィッド・シュウィンマー、カバがジェイダ・ピンケット・スミスというキャスティング。日本語吹き替え版ではそれぞれ玉木宏、柳沢慎吾、岡田義徳、高島礼子となっており、不自然な部分はなかった。
【データ】2005年 アメリカ 1時間26分 配給:アスミック・エース
監督:エリック・ダーネル トム・マクグラス 製作:ミレーユ・ソリア 共同製作:テレサ・チェン 脚本:マーク・バートン ビリー・フロリック エリック・ダーネル トム・マクグラス 音楽:ハンス・ジマー
声の出演(カッコ内は日本語吹き替え版):ベン・スティラー(玉木宏) クリス・ロック(柳沢慎吾) デヴィッド・シュウィンマー(岡田義徳) ジェイダ・ピンケット・スミス(高島礼子) サシャ・バロン・コーエン(小木博明) セドリック・ジ・エンタテイナー(矢作兼)
「8年前から漁がすたれて島民はみんな生活保護で暮らすようになった。生活保護で金はもらえるが、誇りも少しずつ失う」。
125人の人口しかいないカナダ・ケベック州のサントマリ・ラモデルヌ島。夜逃げした町長の代わりに町長になったジェルマン(レイモン・ブシャール)がクライマックス、都会から来た医師のルイス(デヴィッド・ブータン)に言う。生活保護から脱けるためには工場が必要で、その工場を誘致するには医師がいることが条件だったため、島民はみんなでルイスに対して理想的な島と装う嘘をついていたのだ。この直前にルイスは恋人と親友から3年間、嘘をつかれていたことを知り、ショックを受けているというのが絶妙のシチュエーションである。さて、ルイスはどうするというのが素晴らしい終盤になっている。高齢者ばかりがいる無医地区というのは日本の地方にもあることだろう。CM監督出身で長編映画デビューのジャン=フランソワ・プリオは、笑いの中に真実を込めたうまい映画を作ったと思う。
島には15年前から医師がいない。ジェルマンたちはケベック中の医師に島に来てくれるよう手紙を書くが、みんな無視されてしまう。ルイスが島に来た(来ざるを得なかった)のにもひねった理由があるのがうまいところ。ルイスは決してボランティア精神にあふれた医師ではないのである。本当はアイスホッケーが好きなのにルイスの趣味に合わせて男たちはクリケットの真似事をする。毎夜、お金をルイスに拾わせる。下手な釣りの腕前を見て、釣り針に魚を掛ける。ジャズなんて大嫌いなのに大音量のジャズをルイスと一緒に聞く。島に定住してもらおうと、ルイスの電話を盗聴して必死にあれやこれやをする島民たちの姿がユーモラスに温かく綴られていく。ここにある笑いは観客に媚びた下品なものではなく、登場人物のキャラクターからにじみ出る笑い。脚本のケン・スコットはスタンダップ・コメディアン出身という。笑いの本質を分かっている人なのだろう。
ルイスが来た翌朝からルイスの元には多数の患者が押し寄せる。なにしろ無医地区なので、実際に島民たちは困っていたのだ。そんな島の真実と、誇りを失って無為に暮らしたくないという島民たちの思いが映画からは伝わってくる。監督の言葉を借りれば、この島民たちは「生きる糧をなくして、それでも再度希望を持って立ち上がる人々」なのである。だから、終盤、映画はルイスに対して嘘をつき続けるか、真実を打ち明けるかの選択をジェルマンたちに取らせる。クライマックスが素敵なのは人間として当たり前のことが当たり前に受け止められるからだ。
ケベック州の島が舞台であるため、セリフはすべてフランス語。出てくる俳優も知らない顔ばかりだが、映画はとても面白かった。農村を舞台にしたミュージカルを作り続ける劇団「ふるさときゃらばん」の姿勢に通じるものがある映画だと思う。過疎地の実情は世界のどこでも共通するものなのだろう。
【データ】2003年 カナダ 1時間50分 配給:ハピネット・ピクチャーズ クレストインターナショナル
監督:ジャン=フランソワ・プリオ 製作:ロジェ・フラピエ リュック・ヴァンダル 脚本:ケン・スコット 撮影:アレン・スミス 衣装:ルイーズ・ガニエ 音楽:ジャン=マリー・ブノワ
出演:レイモン・ブシャール デヴィッド・ブータン ブノワ・ブリエール ピエール・コラン リュシー・ロリエ ブルーノ・ブランシェ リタ・ラフォンテーム クレモンス・デロシエ ドナルド・ピロン ケン・スコット マリ=フランス・ランベール