いのちの食べかた

Unser taglich Brot

クライマックスは牛の解体。それまでに鶏や豚の解体を見ているので、なんてことはないと思っていたが、やはり屠殺の仕方から牛の場合は違う。「ノーカントリー」でハビエル・バルデムが使っていたような屠殺銃を額に押し当てられて牛は一瞬で殺される(と思ったが、あの段階ではまだ死んでいず、失神しているだけらしい)。その直前にガタガタ体を震わせるのは自分の運命を知っているからだろう。その後の流れ作業は鶏や豚の場合とあまり変わらない。皮を剥ぎ、内臓を取り出し、切断していく過程がてきぱきと行われていく。

豚の場合は電気棒のようなもので、屠殺機の中へ追い立てられ、出て来た時には死んでいる。牛でこういう屠殺の仕方ができないのは体が大きいからなのだろうか。屠殺の過程さえ、自動化してしまえば、牛の解体に感じた残酷さは感じなくなるのかもしれない。実際、死んでワイヤーに吊されたシーンから豚も鶏もおいしそうに見えてくる。

食肉過程に残酷さを感じないのはすべてが流れ作業で機械化されているからだろう。豚は腹を切り裂く過程さえ、機械で行われている。豚で残酷さを少し感じたのは大きなハサミで足をパチンパチンと切断していくシーンのみ。作業の多くの場面で女性が参加しているのも面白いが、牛の解体に女性がいなかったのはやはり豚や鶏に比べて残酷さを感じる過程が残っているからだろう。

原題は「Unser taglich Brot」(Our Daily Bread=私たちの日々の糧)。食肉の製造過程だけでなく、野菜や果物、魚などがどう生産され、加工されていくかをランダムに見せる。音楽もセリフもなく、生産過程をそのまま見せることがニコラウス・ゲイハルター監督の意図だったという。豚から野菜に行き、豚に戻り、魚に行くといったランダムな見せ方が映画のポイントで、余計な説明がないのは潔いが、最小限の字幕ぐらいはあっても良かったのではないかとも思う。ひよこに予防注射をしている場面とか子豚の去勢のシーンなどは説明されないと分かりにくいのではないか。

ゲイハルターは「僕が特に興味を持つのは、『なんでもかんでも機械で出来る』という感覚や、そういった機械を発明しようという精神、それを後押しする組織です。それは、とても怖い感覚で、無神経でもあると思います」と語っている。機械化・自動化によって命を感じさせないことへの批判と受け取れるが、実際に毎日働いている人に命を断つことの重みを感じさせていたら、作業は成り立たないだろう。部分的に作業をやっているからできるのであって、あの過程に参加する数の人間がそれぞれ屠殺から解体まですべて一人でやることは不可能に近い。

牛の解体をクライマックスに持ってきたのは命を最も感じさせる処理であるからにほかならない。これに比べれば、野菜の生産現場の描写などは付け足しとも思え、牛の人工授精から解体までを詳細に描くだけでも映画として成立するだろう。監督の意図を実現するには牛の解体だけで事足りるのである。ただし、そうなったら重すぎる映画になるのかもしれない。野菜や果物のシーンにも農薬の問題などは含まれているけれども息抜き的な効果の配慮もあるのだろう。

【データ】2005年 ドイツ・オーストリア 1時間32分 配給:エスパース・サロウ
監督:ニコラウス・ゲイハルター 脚本:ニコラウス・ゲイハルター ウォルフガング・ヴィダーホーファー 撮影:ニコラウス・ゲイハルター

[UP]

チェ 28歳の革命

Che Part 1 The Argentine

「チェ 28歳の革命」パンフレット

後半、サンタクララ市の市街戦を見ていて、なんとなくスタンリー・キューブリック「フルメタル・ジャケット」を思い出した。市街戦の場面に関しては感情を廃した平板な作りが逆に効果的だ。というか、ここでの戦いは目標がはっきりしているから面白いのだろう。スティーブン・ソダーバーグ監督がエルネスト・チェ・ゲバラの半生を描く2部作の第一弾。映画が描くのは1956年から59年にかけてのキューバ革命に伴う戦いと1964年の国連でのゲバラの演説およびインタビュー。これを交互に描く構成は決してうまいとは言えず、前半の森の中の戦いはやや退屈だった。ベニチオ・デル・トロはいつものようにゲバラにリアリティを与える好演をしているのだけれど、どうもドラマの作りが弱い。ソダーバーグは徹底的にゲバラをリサーチして、映画で描かれることにフィクションは入っていないそうだが、それをドラマ化するところでうまくいかなかったようだ。

ソダーバーグはパンフレットのインタビューでウォルター・サレス「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)について、この2部作の第一章のようなものだ、と語っている。1本の映画として見るならば、青春映画として見事に完結していた「モーターサイクル・ダイアリーズ」の方が上だ。

映画が始まる前にゲバラがその「モーターサイクル・ダイアリーズ」時代に南米の各国を見て影響を受け、その後にもう一度南米を旅行してフィデル・カストロに出会い、キューバ革命に参加したことが説明される。アルゼンチン出身のゲバラは南米の圧政に苦しむ人々を見て、革命を目指すのだ。ゲバラが未だに支持されるのはキューバ革命だけにこだわった人ではなかったからだろう。映画の前半、ゲバラは医者としての能力を生かして負傷兵や村人を助け、兵士に読み書きを教える。そうしたエピソードはあってもゲバラという人間を十分に描いたとは言い難い。この映画で分かるのはキューバ革命はどのように進んだかということだけである。実在の人物を描いたからといって、ドキュメンタリーのように撮る必要はない。感情を揺さぶるものが欲しくなるのである。

デル・トロに対抗しうる役者がいないのも弱いところ。カストロ役のデミアン・ビチルはほとんど目立たないし、カリスマ性もない。ゲバラの将来の結婚相手アレイダ役のカタリーナ・サンディノ・モレノにも見せ場がない。いくらゲバラ中心の映画とはいっても周囲の人物をしっかり描かないと、映画は面白くはならないだろう。

もちろん、当初は1本の映画として作られた作品を2本に分けたのだから、第2部の「39歳別れの手紙」を見なければ、判断を下すのは早すぎる。第一部がシネマスコープサイズで撮られたのは戦闘シーンのスペクタクルも意識したからだろう。これに対して第2部はビスタサイズを採用しているという。ボリビアでどのようにゲバラが戦い、処刑されたか、それをソダーバーグはどのように描いているのだろうか。ゲバラの人間性がより深く描かれることを期待してやまないが、この作りではあまり期待できない気もする。

【データ】2008年 2時間12分 スペイン=フランス=アメリカ 配給:ギャガ・コミュニケーションズ 日活
監督:スティーブン・ソダーバーグ プロデューサー:ローラ・ピックフォード ベニチオ・デル・トロ 脚本:ピーター・バックマン 撮影:ピーター・アンドリュース(スティーブン・ソダーバーグ) 美術:アンチョン・ゴメス 衣装:サビーヌ・デグレ 音楽:アルベルト・イグレシアス
出演:ベニチオ・デル・トロ デミアン・ビチル サンティアゴ・カブレラ エルビラ・ミンゲス カタリーナ・サンディノ・モレノ ロドリゴ・サントロ ジュリア・オーモンド

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