人に寄生するエイリアンがオハイオの小さな町を侵略するという「盗まれた街」や「人形使い」を彷彿させるストーリー。というか、この二つを参考にして作ったことは登場人物たちのセリフにも出てくるので、間違いない。エイリアンのボスが正体を現すクライマックスも「遊星からの物体X」の影響がありあり。それなのに、これが単なるパクリに終わっていないのは、ロバート・ロドリゲスの演出が手堅く、ケヴィン・ウィリアムソンの脚本もしっかりしているからだろう。限りなくB級映画の雰囲気が漂うSF学園侵略映画(?)の快作だ。
内気な高校生ケイシー(イライジャ・ウッド)はある日、グラウンドで奇妙なさなぎのような生物を発見する。それは水槽に入れると、突然変異を起こし、二つに分裂した。同じころ、学校内には奇妙な振る舞いをする教師が増えていた。大量の水を飲んだり、性格が一変したり、無表情になったり。それは生徒にも蔓延し始める。ケイシーと学校新聞の編集長デライラ(ジョーダナ・ブリュースター)、自分で作ったドラッグの密売をしているジーク(ジョシュ・ハートネット)、転校生してきたばかりのメアリーベス(ローラ・ハリス)、人嫌いのクレア(デュバル・ストークリー)、フットボール部のキャプテンを辞めたスタン(ショーン・ハトシー)の6人はあの生物がエイリアンで、人に寄生して増殖を繰り返していることを発見。このままでは地球全体が侵略されてしまう、とエイリアンのボスを探しだし、対決する事を決意する。しかし、6人も1人、また1人と寄生されていってしまう。
異変の発端を描くタイトル前が長い。「遊星からの物体X」を踏襲するなら、ここに地球外から訪れる宇宙船のショットでも入れるところだろうが、映画はそれをせず、フットボール部の監督と校長が寄生される場面を残虐描写とともに描く。ちょっと長すぎるし、残虐描写は苦手なので不安を覚えた。しかし、タイトル後に6人の性格をさらりと的確にスケッチしてからは快調。いったいだれが寄生されているか分からないというサスペンスをはらみながら、ぐいぐい引き込んでいく。
ケヴィン・ウィリアムソン(「スクリーム」「ラストサマー」)の脚本はエイリアンのボスがだれなのか、巧妙に隠しており、これが分かるクライマックスで「おっ」と思わされた。ミスディレクションがうまいのである。ウィリアムソンにはミステリの才能がありますね。ただSF的な新機軸はほとんどなく、「盗まれた街」のシチュエーションに「遊星からの…」で味付けした作り。それでもこんなに面白い映画に仕上げるロドリゲス(「フロム・ダスク・ティル・ドーン」)の手腕にも感心させられた。
SFXは予算はあまりかかっていないように見えるけれど、及第点だろう。若手出演者たちが総じて良く、この中から将来のスターが出てきそうな感じがする。特にジョーダナ・ブリュースターとジョシュ・ハートネットは注目でしょう。
【データ】1999年アメリカ映画 1時間44分
監督 ロバート・ロドリゲス 脚本 ケヴィン・ウィリアムソン 撮影:エンリケ・シャディアック 音楽 マルコ・ベルトラミ 視覚効果スーパーバイザー ブライアン・ジェニングス
出演 ジョシュ・ハートネット ジョーダナ・ブリュースター イライジャ・ウッド ローラ・ハリス ロバート・パトリック パイパー・ローリー クレア・デュバル
「フルメタル・ジャケット」以来12年ぶりにして最後のスタンリー・キューブリック監督作品。さんざん悪評を聞かされていたが、これは傑作ではないにしてもそんなに悪い出来の映画ではない。性的な妄想がモチーフの一つであるにせよ、中心になるのは主人公の苦悩と彷徨であり、日常と非日常の危ういバランスを描いた映画と言えると思う。安穏とした日常のすぐ隣には深い闇がある。これは闇に引き込まれそうになった男の話なのである。配給会社が言うように「巨匠最後のテーマはセックス」などと、勘違いしない方がいい。大作が多かった過去のキューブリック作品に比べれば小粒だし、冗長な描写もあるけれど、巨匠の遺作として恥じるところは少しもない。
ニューヨークに住む医師ウィリアム(トム・クルーズ)はある日、妻(ニコール・キッドマン)から意外な告白を聞かされる。去年、家族で出かけたケープコッドのホテルで、視線が合っただけの海軍士官に惹かれ、夫に抱かれながらもその海軍士官のことを考えていたというのだ。「もしあの人が私を欲しがったら、すべてを捨ててついていったわ。あなたも娘も捨てられると思ったの」。ウィリアムはこの言葉にショックを受け、深夜の街をさまよう。娼婦に声をかけられて、性行為の一歩手前まで行くが、妻からの電話で押しとどまる。学生時代の友人のピアニストに秘密の仮面パーティーがあることを聞かされたウィリアムはそこに侵入。中では仮面を付けた男女が黒ミサのような性の式典を演じていた。ウィリアムは正体を見破られ、危地に陥るが、一人の女性に助けられる。翌日、仮面パーティーの屋敷を探ろうとしたウィリアムは、これ以上詮索しないよう屋敷の人物から警告を受ける。そして何者かに尾行されるようになる。
妻の告白の場面は一つの見どころで、ニコール・キッドマンが下着姿で長い熱演を見せてくれる。この前にあるパーティーシーンは、後半への伏線にもなっている場面だが、いかんせん長すぎる。この映画、全体的に一つひとつのシークエンスが長いと思う。停滞と動き、停滞と動き、映画はそんなリズムで進行していき、構成としては極めて単調である。ただし、全体像が見えてきた後半になって僕は面白くなった。
監督自身はこの映画についてこう語っている。「幸福な結婚生活に存在するセックスについての矛盾した精神状態を探り、性的な妄想や実現しなかった夢を現実と同じくらい重要なものとして扱おうと試みた」。キューブリックは性そのものよりも主人公の精神状態の方に興味があったわけだ。だから、仮面の館で繰り広げられる性の式典も極めて観念的、即物的だ。そもそも官能的になど描くつもりはなかったのだろう。この描写に比べれば、ニコール・キッドマンの方がよほど官能的である。
ところどころに「シャイニング」など過去の作品の面影が見える。この作品、撮影に1年半、編集に1年かけたそうだ。キューブリックは3月7日に亡くなったが、完全主義者としては公開ぎりぎりまで編集したかったのではないか。
【データ】1999年アメリカ映画 2時間39分
監督・脚本 スタンリー・キューブリック 脚本 スタンリー・キューブリック フレデリック・ラファエル 原典 アーサー・シュニッツラー 撮影:ラリー・スミス 音楽:ジョスリン・プーク
出演 トム・クルーズ ニコール・キッドマン シドニー・ポラック マリー・リチャードソン
アメリカでも人気という「ポケットモンスター」の劇場版第2作。アニメーション監修に小田部羊一の名前があるので、「もしかしたら」というかすかな期待はあったのだが、間違いだった。CGを取り入れた作画はまあ水準に達しているけれど、とにかく脚本が弱すぎる。昨年の「ミュウツーの逆襲」から少しも進歩していない。こんなレベルではそれこそ子供だましといわれても仕方がないだろう。同じテレビシリーズでありながら、テレビとはかけ離れたSF冒険活劇に徹している「クレヨンしんちゃん」あたりを少しは見習って欲しいものだ。
謎のコレクター“ジラルダン”がオレンジ諸島にいる火の神といわれるポケモン、ファイヤーをゲットする。ジラルダンはほかに雷の神サンダーと氷の神フリーザーを狙う。この3匹は自然界を司っており、捕らわれたことで自然のバランスが崩れ、世界は天変地異に見まわれる。嵐に巻き込まれて偶然、オレンジ諸島にたどり着いたサトシとピカチュウは3匹を救うが、怒った3匹は壮絶なバトルを始めてしまう。そこに深海から、幻のポケモン、「海の神」ルギアが現れる。ルギアは自然界のバランスを取り戻そうと、3匹に戦いを挑む。
物語の設定自体は悪くない。脚本の詰めが甘いのである。謎のコレクターとはホントに謎のままで、なんの説明もありゃしない。よくいる典型的な悪役というだけである。3匹に敗れたルギアがすぐに復活するのも面白くない。地球の危機と大仰に構えながら、その実中身は限りなくありきたりで薄い。総じてオリジナリティーに乏しいし、ドラマ性も希薄だ。子供向けだから、筋を単純化したいのは分かるが、子どもはけっこう映画の善し悪しを見抜くものだ。甘く考えていると、ポケモンブームも怪しいと思う。
冒頭、ジラルダンが操る飛行宮(というらしい)が出たときにはなかなかいいCGだと思ったのだけれど、ただそれだけのこと。CGはこのほか、ポケモンの大群の場面や深海の描写に使われている。パンフレットによると、「動画枚数は昨年の2倍、CGは10倍」なのだそうだ。それだけ力をいれているのに、この脚本ではどうしようもない。映画は1にも2にも筋、という当たり前のことを改めて思い出させてくれる映画である。
同時上映の「ピカチュウたんけんたい」は、昨年の「ピカチュウの夏休み」に続いてさとう珠緒ちゃんがナレーションやってますが、完全なおまけですね。でも小さな子どもはこちらの方が喜ぶかもしれません。
【データ】1999年 東宝 1時間21分
監督:湯山邦彦 原案:田尻智 脚本:首藤剛志 アニメーション監修 小田部羊一
声の出演 松本梨香 大谷育江 石塚運昇 山寺宏一 鹿賀丈史 浜田雅功
旧約聖書「出エジプト記」のCGIを多用したアニメ化。クライマックスの海が割れるシーンをはじめ見応えのある部分が多く、ミュージカルタッチの場面も楽しい。声優の豪華さも売りなのだろうから、吹き替え版がないのは残念だが、家族そろって楽しめる映画ではある。ただ、セシル・B・デミル「十戒」と同じ話を1時間39分にまとめているので、いくらか駆け足になったり、ダイジェスト的になったことは否めない。
紀元前1300年、エジプト。ヘブライの民たちは奴隷として巨大建造物の作業にかり出され、苦しい毎日を送っていた。子どもにだけは自由を与えたいと、母親は生まれたばかりのモーセ(ヴァル・キルマー)をかごに入れてナイル川に流す。かごは宮殿に流れ着き、王女に気に入られたモーセは王子として成長する。王位を継ぐ兄ラメセス(レイフ・ファインズ)とともに、モーセは何不自由ない宮殿の生活を楽しんでいたが、ある日、村で偶然出会った実の姉ミリアム(サンドラ・ブロック)から出生の秘密を明かされる。奴隷の境遇に初めて目を向けたモーセは、その悲惨な境遇に耐えられなくなる。そして老人をむち打っていた監視役を殺してしまい、宮殿を脱出。たどり着いた砂漠の村で、羊飼いとして暮らすことになる。そこでモーセは神の啓示を受け、ヘブライの民を救い、伝説の約束の地に向かうことを決意する。
あまりにも有名な話だから、どうアニメ化するかが問題になる。ブレンダ・チャップマンら3人の監督は、ポイントを押さえて映像化に力を入れる方法を採ったようである。つまり丹念に筋を追っていたのでは「十戒」のように4時間の映画になってしまうから、ある程度承知の上でダイジェスト版的内容にし、スペクタクルに徹したのだろう。それでも、押さえるべきところはきちんと押さえてある。モーセが奴隷の本当の生活を知り、それまでの考えを一変する場面などは非常に納得できる描写である。
海が割れる場面以外にも技術的に感心する部分は多く、宮殿の壁画が動いてモーセが王の実体を知る場面やエジプトに火の雨が降る場面、ヘブライの大群衆がモーセに率いられてエジプトを脱出する場面などCGIを使用した場面はどれもレベルが高い。実写でも通用しそうな出来である。
「となりの山田くん」と見比べると、世界でも高水準といわれる日本のアニメ技術も危ういなという印象を持つ。残念なのはキャラクターデザインで、どうしてアメリカのアニメって、こういう感情移入を拒否するような顔しか描けないんでしょうかね。普通に美男美女を描けばいいのに、デフォルメが過ぎると思う。
【データ】1998年アメリカ映画 1時間39分
監督 ブレンダ・チャップマン スティーブ・ヒックナー サイモン・ウエルズ 音楽 ハンス・ジマー
声の出演 ヴァル・キルマー レイフ・ファインズ ミシェル・ファイファー サンドラ・ブロック ジェフ・ゴールドブラム ダニー・グローバー パトリック・スチュワート ヘレン・ミレン スティーブ・マーチン マーチン・ショート
アカデミー視覚効果賞受賞。あまり良い評判は聞いていなかったので、とりあえず、SFXだけを楽しみに見たが、ほとんど失望した。昨年のアメリカ映画の視覚効果って、この程度のものだったんでしょうかね。いや、これならば「スターシップ・トゥルーパーズ」の方が数段素晴らしい。なぜ受賞したのか不思議でしょうがない。ありきたりのイメージに、ありきたりのSFX。ストーリーにも見るべきところがない。そのうえ演出にもメリハリがないときてはどうしようもない。ロビン・ウィリアムスとアナベラ・シオラ。奇蹟も輝きもない映画のなかで精一杯頑張っている贔屓の俳優2人がひたすらかわいそうである。
ストーリーは簡単だ。2人の子どもを交通事故で亡くした医師(ロビン・ウィリアムス)が自らも交通事故に巻き込まれて死んでしまう。前半はこの主人公が歩く死後の世界の描写。2人の子どもの想い出を交えながら進行する。妻(アナベラ・シオラ)は子どもを亡くしたことに責任を感じて少しおかしくなっている。そして夫までもが死んでしまったことで、悲嘆のあまり、自殺してしまう。自殺したものは地獄に行くさだめ。後半は主人公が地獄に堕ちた妻を探しだし、助ける様子が描かれる。
ミステリマガジン7月号の「読ホリディ」によると、才人リチャード・マシスンの原作も今回は「どうもぱっとしない」出来という。都築道夫はこの中で「地獄で妻をさがすプロセスも地味な話になっていて、感情はよく書けているが、あまり動きはない。たいへん失礼な想像だが、マシスン氏はこれを、奥さんを亡くした時期に構想を得て書いたのではないだろうか。そうだとすれば、感傷の深さ、あふれる哀愁も、よくわかる」と喝破している。
これはそのまま映画にもあてはまる。原作がどうなっているか知らないが、後半の妻を助ける部分をもっと膨らませられれば、映画はもっと違った印象になったはずである。極めて新鮮みのない天国の描写に比べて、暗く恐ろしい地獄の描写(無数の人が顔だけ出して埋められている場面は気味が悪く、怖い)は悪くないのだから、ここでの主人公の活躍をもっと描いて欲しかった。主人公と妻の愛情の深さ、魂の結びつきの深さも十分には描き切れているとはいえないから、ラストの“奇蹟”(と呼べるほどではない)にも説得力がない。
ロン・バスの脚本も良くないが、それを単調に絵に置き換えることしかできなかったヴィンセント・ウォードの演出はもっと責められてしかるべきだろう。ロビン・ウィリアムスを起用しながら、「大霊界」を思い起こさせるような内容にしかならないのでは悲しくなる。地獄の案内役を務める老優マックス・フォン・シドウの渋い演技とマイケル・ケイメンの美しい音楽のみが凡庸な映画の中でかすかな輝きを放っていた。
【データ】1998年アメリカ映画 1時間54分
監督 ヴィンセント・ウォード 原作 リチャード・マシスン
脚本 ロン・バス 音楽 マイケル・カーメン
キャスト ロビン・ウイリアムス アナベラ・シオラ キューバ・グッディング.jr マックス・フォン・シドウ
「平成狸合戦ぽんぽこ」以来五年ぶりの高畑勲監督の新作。水彩画調の絵を使い、冒頭と最後の場面を除けば、いしいひさいち原作のエピソードをほぼ忠実にアニメ化している。しかし、困ったことにほとんど笑えない。ほほえましく、クスクス笑いを誘う場面はいくつかあるけれど、続かない。退屈。「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」というアニメの枠を超えた写実的な傑作を放った高畑監督、今回は題材の選定を誤ったとしかいいようがない。映画が終わって印象に残るのが、矢野顕子の歌「ひとりぼっちはやめた」だけなのでは悲しくなる。
高畑監督はパンフレットにこう書いている。「となりの山田くん」は“一見ギャグ漫画のようにも見えますが、じつは、家族とはなんだろう、ということについて、ひとつの(あくまでも<ひとつの>かもしれませんが)「真実」「ほんとうのこと」が描かれています。だから笑えるのだと思います。”
生真面目な高畑監督らしい言葉だけれど、ギャグの中にいくらかの真実があるのは、どんなギャグでも同じことだろう。だからといって、真実の方に力点を置くのはギャグ漫画の映画化として決して正しくはないと思う。しかもそのやり方が中途半端だ。原作のキャラクターだけを借りてまったく違う映画になっているなら、まだあきらめもつく。しかし、原作のエピソードをなぞりながら、ところどころに芭蕉や蕪村の俳句を入れて自分なりの解釈を示すこの映画のやり方は、ひどい言い方をすれば、野暮である。四コマ漫画のオチは人それぞれに感じ取ればいいのである。解説まがいのものを付け加える必要はない。
恐らく、高畑監督に観客を精いっぱい笑わせてやろうなどという意図は微塵もなかったに違いない。そこがそもそもの誤りなのではないだろうか。まず笑いが先、それから何らかのプラスアルファがあればいいのではないか(なくてもかまわないが)。高畑監督の良識が映画のじゃまをしている。冒頭のキャベツ畑やコウノトリ、桃太郎、かぐや姫などの描写は、なにを今さらという感じがするし、エピソードの羅列で構成が若干平板になった点も惜しまれる。
ただ、水彩画調の絵は悪くない。相当なデジタル技術を使って表現したとはとても思えず、単なる手抜きのような誤解を受けるほど簡単な絵だが、いしいひさいちの原作の雰囲気を損なわずにやるにはこれしかなかったと思う。この映画を写実的にやられたら、ますます笑えなかっただろう。映画の内容も、この絵のように単純にしておけば良かったのにと思う。
「ホーホケキョ」というまったく関係のない言葉がタイトルに付いた理由についてはパンフレットに書いてある。ヒットした高畑作品にはみんな「ほ」の字が入っているから、付けようということになったのだそうだ。「の」の字が入っている宮崎駿作品と同じ理屈で、ジンクスみたいなものだろうが、今回は通用しなかったようだ。
【データ】1999年日本映画 1時間44分
監督・脚本:高畑勲 原作:いしいひさいち 音楽 矢野顕子
声の出演 朝丘雪路 益岡徹 荒木雅子 五十畑迅人 宇野なおみ
柳家小三治 中村玉緒 ミヤコ蝶々 富田靖子
上映時間が少し長く、無駄な部分も目に付くけれど、F・ゲイリー・グレイ監督なかなか健闘している。基本的には地味な題材を、派手なアクションと主演男優2人、特にケヴィン・スペイシーの好演によって、まず飽きさせない映画に仕上げた。「ダイ・ハード」の裏返しのような制約の多い設定にもう少し工夫あれば、胸を張って傑作といえる作品になっていたと思う。その意味では惜しい映画だ。
シカゴ警察の東地区交渉人ダニー・ローマン(サミュエル・L・ジャクソン)の相棒ネイサンが何者かに殺される。ネイサンは警察の年金基金200万ドルが盗まれたことをローマンにうち明けたばかりだった。ポケベルで呼び出され、事件の現場に居合わせたローマンに容疑がかかる。さらに内務捜査局による家宅捜索でローマンの家から多額の海外口座が見つかり、横領の容疑までもかけられてしまう。ローマンは内務捜査局のニーバウム(J・T・ウォルシュ)が事件にかかわっているとにらみ、ニーバウムらを人質にとって連邦政府ビルに立てこもる。真犯人は署の内部にいるらしい。このためローマンは交渉役に西地区の交渉人クリス・セイビアン(ケヴィン・スペイシー)を指名する。セイビアンは犠牲者を一人も出さないことを条件に現場の指揮を取り、必死の駆け引きを続けるが、警察は強行突破を図る。
制約が多いというのは主人公が立てこもり犯となる設定。まさか主人公に人質や強行突破してくる警官を殺させるわけにもいかないから、インパクトが弱くなるのだ。これは例えば、「ターミネーター2」でアーノルド・シュワルツェネッガーが人を傷つけないよう命令されて、その後の展開に緊張感を欠いたのと同じ。ローマンが人質の警官を殺す場面があるが、ホントは生きているんだろうというのは容易に想像できる。かといって最初からセイビアンを主人公にしておくと、普通の映画になってしまう。苦しいところだ。途中で主人公が完全に入れ替わるという展開にすれば良かったのかもしれない。主人公と思っていた人物が徹底的な悪役に変わるという劇的な展開の方が面白い。ただし、この映画では他に真犯人がいるとの設定なので、無理だろう。画面が今ひとつ緊迫しないのはこうした制約が原因。脚本はセントルイスで実際に起きた事件をヒントにしているという。
ケヴィン・スペイシーは顔に凄みがあり、いかにもできる感じがする。沈着冷静なベテラン交渉人役にはピッタリ。サミュエル・L・ジャクソンは癖のある役の方が似合う。今回はストレートな役なので、少し弱かった。ゲイリー監督の演出はアクション場面のキレは悪くない。ローマンやセイビアンの私生活とか、無駄な部分を省いて全体で2時間弱の映画にまとめられれば、もっと良かったと思う。
パンフレットによると、シカゴ警察にはなんと75人の交渉人がいるそうだ。人質事件だけでなく、ろう城事件、テロリストにも対応するという。タイトルは原題を邦訳したまったくそのまんまだけど、「ネゴシエイター」とカタカナにしてしまうと、フレデリック・フォーサイスの小説と同じになってしまうから、仕方がなかったのだろう。
【データ】1998年アメリカ映画 2時間19分
監督:F・ゲイリー・グレイ 脚本:ジェイムズ・デ・モナコ ケヴィン・フォックス 音楽:グレイム・レベル
出演:サミュエル・L・ジャクソン ケヴィン・スペイシー J・T・ウォルシュ デイビッド・モース ロン・リフキン