ターザン

TARZAN

「ターザン」 例えば、子ども時代のターザンが茂みの中から現れる場面。背後の草がゆらゆらゆらゆらいつまでも揺れている。恐らくCGを使っているのだろうけれど、その徐々に小さくなる揺れ方の自然さ、緻密な描写にうなってしまう。全編にわたって、この緻密な描写は続く。そして描写のスピード感。大人になったターザンがジャングルの木の枝をスケートボードのように滑り、蔓から蔓へと渡り飛ぶ場面の速いこと速いこと。描写に圧倒されるとはこのことだ。ディズニーはアニメ映画の最先端の技術を駆使して前例のないターザン映画を作り上げた。「スタジオ・ジブリなんかじゃない、自分たちがナンバーワンなんだよ」と高らかに宣言するかのような傑作アニメだ。

映画を製作する前にスタッフはアフリカへ取材旅行に出かけたという。スタッフの言葉によれば、アフリカの取材は人生を変えてしまうような経験だったそうだ。リアルなジャングルやマウンテン・ゴリラの描写にその成果は表れているが、それ以上にストーリーにも反映されたようだ。船の火事で父母とともにジャングルに移り住むことになった赤ん坊のターザンはヒョウのサボーから父母を殺される。危機一髪のところで、マウンテン・ゴリラのカーラに助けられ、ゴリラの群れの中で育てられることになる。成長するにつれてターザンは自分の姿形がまったく他のゴリラと違うことに悩む。リーダーのカーチャクはターザンを仲間とは認めない。いわばターザンは“みにくいアヒルの子”なのである。

アヒルの子が白鳥へと変化する契機を映画は2つ用意している。一つ目はサボーを道具を使って倒すこと。カーチャクを傷つけたサボーとの必死の戦いに勝って初めてターザンはあの「アーア、アーアアー」との雄叫びをあげる。もう一つはジェーンとの出会いである。マウンテン・ゴリラの生態を観察するために父親とともにジャングルを訪れたジェーンはマントヒヒの群れから襲われたところを危うくターザンから助けられる。ターザンはそこでジェーンと手と手を合わせ、自分がゴリラとは違う何者であるかを悟るのだ。同時にターザンは自分が本来所属する人間世界の悪を見せつけられる。ジェーンらと同行してきたクライトンがゴリラを金目当てに捕獲しようとするのだ。ターザンはジャングルの仲間とともにクライトン一味を撃退し、再びジャングルで暮らす決意をする。

これはパンフレットにあるように自分探しの物語であると同時に大きな父親(カーチャク)を超えていく話でもある。ディズニーのスタッフはこのシンプルだが奥の深いストーリーを豊かな表現力で描いた。ターザンの表情、動き、おなじみのミュージカル的シーン、マーク・マンシーナとフィル・コリンズのキャッチャーな音楽、そのどれもに感心させられた。「グレイストーク」をも超えてこれはターザン映画の決定版といっていいのではないか。

僕が見たのは日本語吹き替え版で残念ながら、フィル・コリンズの歌は聴けなかった(日本語で主題歌を歌っているのはV6の坂本昌行)。ディズニーは小さな子どもへの配慮もあって、歌もすべて日本語にする方針を取っているのだろうが、これだけは大いに不満。「ターザン」の音楽はこれを抜きにしては語れないほどストーリーと密接なのだから、ぜひともオリジナルを使用してほしかった。

【データ】1999年 アメリカ映画 1時間28分 ウォルトディズニー・ピクチャーズ提供 ブエナビスタインターナショナル配給 製作:ボニー・アーノルド
監督:ケヴィン・リマ クリス・バック 原作:エドガー・ライス・バロウズ「類猿人ターザン」 脚本:タブ・マーフィー ボブ・ツディカー ノニ・ホワイト 音楽:マーク・マンシーナ 主題歌:フィル・コリンズ 
声の出演:トニー・ゴールドウィン ミニー・ドライバー グレン・クローズ ロージー・オドネル ブライアン・ブレスト ナイジェル・ホーソーン ランス・ヘンリクセン ウェイン・ナイト
日本語吹き替え版:金城武 すずきまゆみ 藤田淑子 土居裕子 銀河万丈 大木民夫 内海賢二 玄田哲章

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ジャンヌ・ダルク

The Messenger : The Story of Joan of Arc

「ジャンヌ・ダルク」 わずか2カ月間の栄光の日々と1年8カ月に及ぶ苦難の日々。17歳で世に出たジャンヌ・ダルクの以後の生涯はこの2つに分けられる。映画的に面白いのは最初の2カ月の方だから、リュック・ベッソンもここの描写に力を入れている。オルレアンの解放からフランス国王の戴冠式までは戦闘シーンのリアルな描写や兵士を鼓舞するジャンヌの高揚感を克明に描いて、映画は間然するところがない。しかし、ジャンヌが捕らえられ、裁判に掛けられる後半、ダスティン・ホフマン扮する良心との対話などは観念的で退屈だ。ベッソンはジャンヌを神の啓示を受けた特別な少女ではなく、一人の普通の少女として描きたかったという。神の啓示と思えたものは、実は自分の内面の声だった、という解釈だ。それを明らかにするために映画は後半、ジャンヌの内面に入って行かざるを得なくなる。「ニキータ」や「レオン」を見て分かるように、ベッソンはアクションシーンに冴えを見せる監督。人間の内面描写は苦手らしい。力作ではあるけれど、傑作にはなり損ねたな、という印象だ。

百年戦争下のフランス。隠れ場所をジャンヌ・ダルク(ミラ・ジョヴォヴィッチ)に譲った直後、ジャンヌの姉は襲ってきたイギリス兵から殺される。自分のために姉が殺された、と悩むジャンヌに対して教会の牧師は「それは神があなたを選ばれたのだ」と話す。何のために神は自分を選んだのか。1日に何度も告解をする敬虔なクリスチャンのジャンヌはその命題を抱えることになる。ここから映画は数年後に飛ぶ。ジャンヌは神の啓示を受けた“ロレーヌの少女”として有名になっていた。ジャンヌは王太子シャルル(ジョン・マルコヴィッチ)にオルレアンを解放するため自分に軍勢を与えるよう直訴する。ジャンヌの不思議な資質を認めたシャルルと義母ヨランド(フェイ・ダナウェイ)はジャンヌに軍を率いることを許す。ジャンヌの登場で兵士は勇気と希望を得て、次々にイギリス軍に勝利。オルレアンを解放し、シャルルは国王に座に就く。

映画は戴冠式の華やかな場面から一転して、雨の中にたたずむジャンヌを映す。ジャンヌの軍はパリ攻撃で援軍を得られずに惨敗。以後、戦いを継続しようとするジャンヌと資金の拠出に不満な王室の溝は深まっていく。ジャンヌはコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ派に捕らわれ、イギリス軍に引き渡される。そして異端審問が始まり、ジャンヌは有罪を宣告されて火刑に処せられる。

軍を連戦連勝に導くジャンヌの行動は史実に少しのアレンジを加えればいいのだから映画化はしやすい。後半、幽閉されたジャンヌについては異端審問での発言などから推測するしかない。いったん悔い改めたジャンヌは男装したことで再び有罪となるが、その間の心の揺れ動きはどうだったのか、本当のところは分からないだろう。ベッソンは良心(というか心の声)を登場させることで、この間の説明を試みた。普通の少女として描くことが狙いなのだから、ここでジャンヌは神の啓示などなかった、との結論にたどり着くほかないのである。ベッソンは神の啓示の場面を直接的には描かず、前半を周到に演出しているが、それでもジャンヌが神の声を聴く場面はあり、描写に中途半端さを感じた。そうしたものをすべて幻想と結論づける演出が前半から必要だったのかも知れない。

美術、衣装、アクションシーンは素晴らしいレベルにある。ミラ・ジョヴォヴィッチの、ものに取り憑かれたような熱演も僕は支持する。

【データ】1999年 アメリカ・フランス 2時間37分 コロンビア映画作品 ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント配給
監督:リュック・ベッソン 製作:パトリス・ルドゥー 脚本:アンドリュー・バーキン 撮影:ティエリー・アルボガスト 美術:ユーグ・ティサンディエ 衣装:カトリーヌ・レトリエ 音楽:エリック・セラ
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ ジョン・マルコヴィッチ フェイ・ダナウェイ ダスティン・ホフマン パステル・グレゴリー ヴァンサン・カッセル チェッキー・カリョ リチャード・ライディングス デズモンド・ハリントン

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ブレア・ウィッチ・プロジェクト

THE BLAIR WITCH PROJECT

「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」状況が怖い。森から抜け出られなくなったという状況だけでも十分に怖い。主人公たちは迷宮の森に歩き疲れ、空腹で神経がまいってくる。それでも同じところをぐるぐる回るだけで出口は分からない。夜には怪異が襲ってくる。逃げ場はない。そんな極限状況だけを描いて、これは真っ当なホラーだ。普通のホラーなら観客サービスとして用意する怪異の正体を描かなかった(予算的に描けなかった?)のは正解と思う。怪異が正体を現した瞬間、怖さは消え失せてしまうのが常なのだから。何も明らかにされないまま映画は終わるので、それを補完するウェブサイトや本があるけれど、ほとんど不要なものと言うべきだろう。映画としてはこれで完結しているのである。ドキュメンタリー的手法に話題が集まりがちだが、僕はこの不安な極限状況を設定したことが映画の成功のポイントと思う。製作者たちに予算はなかったが、アイデアは豊富にあった。

1994年10月、メリーランド州パーキッツヴィルの森近辺でドキュメンタリーを撮影していた映画学科の生徒3人が行方を絶った。1年後、彼らの残したフィルムとビデオだけが発見された。映画はこのフィルムとビデオを再構成して時系列に並べたものという設定で、8日間の出来事が描かれる。3人の目的はこの町に伝わるブレア・ウィッチ(ブレアの魔女)伝説を映画にすること。町の人々をインタビューした後、3人は森の中に入る。テントで一夜を明かした翌日、カメラマンのジョシュアが「夜中に音がした。そのうち一つは人の笑い声だった」と話す。この音は夜毎に大きくなり、5日目の夜には激しくテントを揺さぶられる。恐怖を覚えた3人は森から帰ろうとするが、地図がなくなっており、完全に道に迷ってしまう。パニックに陥る3人。森の中には木の枝で作った不気味なオブジェクトや積み上げた石が散見する。何時間歩き続けても結局、元の場所に帰ってしまう。そして7日目の朝、起きるとジョシュアの姿が見えなくなっていた。その夜、ジョシュアの声が聞こえる。次の日、2人はジョシュアを探して森の中をさまよい、1軒の廃屋を発見する。

俳優の生身の反応を撮影するため、映画は実際に3人にカメラを持たせ、森の中をさまよわせたという。GPS(グローバル・ポジショニング・システム)で位置を確認し、決められたポイントからポイントへ移動させた。台本はなく、俳優たちには簡単なプロットのみが伝えられた。食料をわざと減らし、いらいらが募るようにした。その結果、16ミリ白黒の画質の荒い画面とビデオ(フィルムに転換してある)のリアルな撮影ができた。当初は森のシーンの前後にブレア・ウィッチを巡る話や捜索の様子を付け加える予定だったが、森のシーンがリアルで他のエピソードとかみ合わないため、これだけで公開したのだという。

確かにインターネットやテレビ、雑誌、書籍など映画以外のメディアを絡めた宣伝法がアメリカでの成功の一因にはなっているだろう(映画の最後には“for more www.blairwitch.com”と出る)。しかし映画自体に力がなければ、この方法は成功しなかったと思う。森の様子が迷宮には見えないなどの瑕瑾はあるにしても、この映画、じわりじわりと恐怖を盛り上げていく演出が大変うまい。登場人物たちの視点だけで構成し、説明調の場面を一切排除したことが効果を上げている。

【データ】1999年 アメリカ 1時間21分 アスミック・エース/クロックワークス/松竹配給
監督・脚本・編集:ダニエル・マイリック エドゥアルド・サンチェス 製作総指揮:ボブ・アイク ケヴィン・J・フォックス 撮影:ニール・フレデリクス 音楽:トニー・コーラ プロダクション・デザイン:ベン・ロック アートディレクション:リカルド・モレノ
出演:ヘザー・ドナヒュー ジョシュア・レナード マイケル・C・ウィリアムズ

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海の上のピアニスト

THE LEGEND OF 1900

「海の上のピアニスト」 客船の中で生まれ、一生船を下りなかった天才ピアニストの話。あり得ない設定をどう見せるかがポイントになるが、ジュゼッペ・トルナトーレ、途中までは大変うまい。主役を演じるティム・ロスの素晴らしい好演もあるけれど、トルナトーレの演出は大嘘を信じ込ませる力業と繊細さを併せ持っている。しかし、ラストに至ってそこまでのウエルメイドな作りがガタガタと崩れていく。このラストでは到底、納得できない。原作がどうなっているか知らないが、主人公がなぜあの選択をしたのか、観客にあまり伝わらないのである。確かに言葉では説明があるが、説得力に欠ける。船を降りようとした主人公が途中で心変わりする場面からラストまではもっと丁寧な演出が必要だった。ファンタスティックな映画にはファンタスティックなラストが不可欠と思う。トルナトーレ、後半を急ぎすぎたようだ。

1900年、ヨーロッパとアメリカを往復する豪華客船ヴァージニアン号の中で黒人機関士ダニー(ビル・ナン)がピアノの上に置き去りにされた赤ん坊を見つける。ダニーは1900年にちなんでその子をナインティーン・ハンドレッドと名付け、育てることを決意する。移民局に見つかれば、子どもは孤児院に入れられてしまう。ダニーは船底に隠すようにナインティーンを育てる。8歳になったナインティーンはピアノに隠れた才能を発揮。船のピアニストとして成長していく。ナインティーンは楽譜を読まず、人の表情を見て即興でメロディーを奏でる希有なピアニストになっていくのである。映画はナインティーンと友情を深めたトランペット奏者マックス(プルート・テイラー・ヴィンス)の回想で、現在(1946年)と過去を交互に描く。現在、ヴァージニアン号は廃船寸前。爆破の時間が迫っている。マックスは船にまだナインティーンがいると信じて船内を探し回るのだ。

ナインティーンの人生で大きなドラマは2つあった。一つはジャズの創始者といわれるピアニスト・ジェリー(クラレンス・ウィリアムズ三世)とのピアノ対決。ここは全編を通じての最大の見せ場で、ピアノの魅力、迫力を堪能させられる。もう一つは美しい少女(メラニー・ティエリー)との出会い。ピアノ演奏の録音中、窓の外の少女を見たナインティーンは最高に美しいメロディーを奏でる。そして少女に恋をしてしまうのだ。少女はアメリカで船を下りる。数ヶ月後、ナインティーンも生まれて初めて船を下りることを決意するが…。

手法もややセンチメンタル過多な部分も「ニューシネマ・パラダイス」によく似ている。原作は一人芝居らしい。エンニオ・モリコーネの美しい音楽に助けられている部分があるにせよ、それをここまで豊かな映画にしたトルナトーレの力は僕も認める。それだけに決着の付け方を誤った脚本の甘さが惜しいのだ。

ティム・ロスの表情を押し殺した演技はバスター・キートンを思わせ、貧しい移民が乗る船の様子はチャップリンの映画を思わせる。吹き替えなしにピアノ演奏場面を見せるティム・ロスはエキセントリックな役柄に現実感を持たせる好演だ。

【データ】1998年 アメリカ・イタリア 2時間5分 ファイン・ライン・フィーチャーズ提供 メデューサ・フィルムプロダクション作品 配給:アスミック・エンタテインメント/日本ビクター/テレビ東京
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 製作総指揮:ローラ・ファットーリ 原作:アレッサンドロ・バリッコ「海の上のピアニスト」 撮影:ラコシュ・コルタイ 音楽:エンニオ・モリコーネ プロダクション・デザイン:フランチェスコ・フリジェリ 衣装:マウリツィオ・ミレノッティ
出演:ティム・ロス プルート・テイラー・ヴィンス メラニー・ティエリー クラレンス・ウィリアムズ三世 ビル・ナン ピーター・ヴォーン ナイオール・オブライアン ガブリエレ・ラヴィア アルベルト・ヴァスケス イートン・ゲイジ コリー・バック

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雨あがる

「雨あがる」 「大切なことは、主人が、何をしたかではなく、何の為にしたか、と云うことではございませんか。あなた達のような木偶坊にはおわかりいただけないでしょうが」。宮崎美子扮するたよがラスト近くで啖呵を切る。宮崎美子の優しい口調と木偶坊(でくのぼう)という言葉がアンバランスで何だかほほえましくなってしまう。夫の三沢伊兵衛(寺尾聰)は雨に降り込められた貧しい人たちに夕飯を奢るため賭け試合をした。そのことが仕官しようとした殿様に知れて仕官できなくなった。それを伝えに来た城の家老ら2人に対して、たよは啖呵を切って、精いっぱい夫を弁護するのである。黒沢明の遺稿を映画化した「雨あがる」の全編に流れるのはこうしたほほえましさだ。人の良さ、つつましさ、貧者に対する温かい視線が感じられ、見終わって優しい気分になれる映画である。

もちろん黒沢明が演出していたら、もっと違う映画になっていただろう。前半の安宿の描写にはもっとメリハリをつけるべきだったし、殺陣にも迫力を持たせるべきだった。登場人物たちの描き分けももっと明確にするべきだった。最初から最後までやや一本調子の映画になってしまった点は惜しまれる。何より、映像の力というものが不足している。黒沢だったら、ここはこうして撮っただろうなと思われる場面は多い。ただし、そんな技術的な数々の傷を持ちながらも、これは愛すべき小品佳作に仕上がっている。きっと小泉堯史監督をはじめとしたスタッフの黒沢監督に対する思いが結実したのだろう。

パンフレットによると、この映画の企画は黒沢監督の通夜の席で始まったそうだ。黒沢作品で長い間助監督を務めた小泉監督は自分の生活を顧みず、3年間、黒沢監督を看護し、話し相手となった。その恩返しの意味もあって黒沢監督の長男久雄が監督を依頼したそうだ。監督補の野上照代、美術の村木与四郎、これが遺作となった音楽の佐藤勝などスタッフは黒沢組の人ばかり。出演者も檀ふみを除いて、みんな黒沢監督の映画に縁のある人ばかりである。映画は冒頭に黒沢監督の写真を3枚映し出すが、これがなくても、黒沢監督追悼の意味が込められているのは明らかだ。

製作費4億円は時代劇として決して十分な額ではない。安宿のセットや衣装などにその影響は見て取れる。剣の腕は抜群だが、相手を思いやる気持ちが強すぎて仕官に失敗してばかりいる浪人夫婦の数日間の出来事を描く原作はもともと短編ではあるけれど、予算が十分にあれば、映画として大作にもできるのである。小品にならざるを得ない事情があったのだろう。しかし、これでいいのではないかという気がする。あまりにも出来のヒドイ作品なら話は別だが、映画製作の裏の事情を知ってしまうと、出来上がった映画に対する批判をする気にならなくなる。まして「雨あがる」は登場人物も映画のスタッフも好意の固まりのような人たちである。黒沢監督の遺志を継いだ作品が完成し、それが黒沢監督の名を汚していないのなら、それでいいと思う。

出演者の中では28年ぶりの映画出演という三船史郎がいい。セリフ回しはやはり硬いが、父三船敏郎を彷彿させる豪快さが感じられる。出番は少ないが、原田美枝子の存在も映画のアクセントになっていると思う。

【データ】2000年 1時間31分 「雨あがる」製作委員会 配給:東宝
監督:小泉堯史 監督補:野上照代 原作:山本周五郎 脚本:黒沢明 撮影:上田正治 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎 衣装:黒沢和子
出演:寺尾聰 宮崎美子 三船史郎 檀ふみ 井川比佐志 吉岡秀隆 加藤隆之 原田美枝子 松村達雄 仲代達矢

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