酒場で意気投合したセルビー(クリスティーナ・リッチ)に「一緒に逃げて」と言うアイリーン(シャーリーズ・セロン)の寂寥感が胸を打つ。いや、セルビーにしか希望を見いだせなかった孤独が可哀想すぎる。父親の親友に8歳でレイプされ、弟と妹のために13歳から客を取り始めたアイリーンはそれを家族の前で公にされ、家族から家を追い出されてしまう。金が必要だったから取った選択だが、家族はそんなことを考慮しなかった。アイリーンはヒッチハイクしながら売春するようになり、男から虐げられる毎日を送ることになる。
本当にこの映画に出てくるのはカスのような男ばかりである。だからレズビアンのセルビーとの出会いはアイリーンにとってかけがえのないものになる。「男も嫌い、女も嫌い。あんただけが好き」。自身はレズビアンでもないのに、暗がりで激しく求め合うのはアイリーンにとって、セルビーが初めて心が触れあえた(と思えた)相手だったからだ。しかし、セルビーと暮らす金のために取った客がひどい男で、森の中でアイリーンは殴られ、あわや殺されそうになる。やむなく男を銃で撃ったアイリーンは約束の時間に待ち合わせ場所に行くことはできず、待ちきれずに帰ったセルビーの部屋の窓をたたく。そして「一緒に逃げて」と懇願し、悲惨な生活の中で初めて(一時的に)ハッピーな逃避行が始まるのだ。
7人の男を殺した実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスを監督デビューのパティ・ジェンキンスが映画化。連続殺人といっても、よくあるサイコキラーではなく、アイリーンの場合には単純に金を得るための殺しだった。ジェンキンスがイメージしたのは「『タクシードライバー』や『地獄の逃避行』のような70年代型のキャラクター映画」だったという。「『モンスター』と『レイジング・ブル』が比べられるのは、私にとっては最大級の賛辞よ」。映画は女性の連続殺人犯=モンスターが生まれた理由をこれでもかと見せつける。精神に異常を来した連続殺人犯ではなく、社会から受け入れられず、追いつめられた結果、生まれた殺人者。アイリーンの存在が重いのは特殊な事例として遠ざけることができないからだ。弟や妹のために始めた売春のように、アイリーンはセルビーとの生活を守るために殺人を続けねばならなくなる。アイリーンにとって、自分を買うような男は殺されて当然の存在だったのだろう。裁判でセルビーからも見捨てられ、死刑判決を受けたアイリーンの最後のセリフは「勝手にほざけ」。アイリーンの孤独と絶望感はあまりにも深い。
セロンが目を大きく見開いて顔が引きつったような表情をたびたび見せるのはメイクのせいもあるだろう。僕はアカデミー主演女優賞を取ったセロンの演技を必ずしもうまいとは思わない。13キロ体重を増やし、美形を跡形もなく消し去った(パンフレットにある実際のアイリーンよりも美しくない)女優根性には頭が下がるけれども、やはり美人女優は美人のままで女優賞を取ってほしいと思う。しかし、この映画のいくつかの場面でセロンが絶望的な寂寥感を体現していることは否定しようがない。そして、セロンが美しい外見のままでは演技が評価されなかったことと、アイリーンが娼婦になったこととの間にはそんなに大きな隔たりはないように思える。
【データ】2003年 アメリカ 1時間49分 配給:ギャガ・コミュニケーションズ Gシネマグループ
監督:パティ・ジェンキンス プロデューサー:シャーリーズ・セロン マーク・デーモン クラーク・ピーターソン ドナルド・クシュナー ブラッド・ワイマン 脚本:パティ・ジェンキンス 撮影:スティーブン・バーンスタイン プロダクション・デザイン:エドワード・T・マカヴォイ 音楽:BT スティーブ・ベリー「ドント・ストップ・ビリービン」 衣装:ローナ・メイヤーズ アート・ディレクション:オーヴィス・リグスビー
出演:シャーリーズ・セロン クリスティーナ・リッチ ブルース・ダーン リー・ターゲセン アニー・コーレイ ブルイット・テイラー・ジーン
クラシックなスタイルの巨大ロボットがニューヨークの街中を地響きを立てながら行進する。そういうビジュアルな面では申し分ない。いや、良くできていると思う。羽ばたきながら飛ぶ飛行機とか、空中に浮かぶ巨大基地とか、後半に登場する恐竜のいる島の描写も優れている(キングコングが出てくれば、もっと良かった)。監督デビューのケリー・コンラン、かつてのSF映画や1930年代から40年代の映画に強く影響を受けているという。その通り、これはマニアが作ったことが一目で分かるビジュアルである。紗のかかった映像がレトロ感を煽るし、主演のジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウのファッションもキャラクターも設定した時代によく合っている。しかし、話もクラシックにすることはなかった。古いSF映画そのままのストーリーでは、最新のVFXを使っているのにもったいない。こういう描写の映画として当然行き着くところの話に終わっていて、よくまとまっているけれども、新鮮さや驚きがなく、物足りないのである。ビジュアルが満点とすれば、話の方は60点程度。外見だけでなく中身にも凝ってほしかったところだ。
1939年のニューヨークが舞台。突然、巨大なロボットが多数、飛来してくる。科学者失踪事件の取材をしていたクロニクル紙の記者ポリー・パーキンス(グウィネス・パルトロウ)はロボットに遭遇し、必死に写真を撮る。空軍はエースパイロットであるスカイキャプテンことジョー・サリバンに助けを求める。現場に急行したジョーは巧みな操縦技術でロボットを食い止め、街の危機を救う。科学者失踪事件と巨大ロボットの間には関連があるらしい。かつて恋人だったジョーとポリーは事件を捜査し、背後にドイツ人の科学者トーテンコフ博士がいることが分かってくる。ロボットによって空軍基地が襲われ、ジョーの助手で天才技師のデックス(ジョヴァンニ・リビシ)が連れ去られる。デックスの残した地図からトーテンコフ博士がネパールにいることが分かり、ジョーとポリーはネパールに向かう。そしてトーテンコフ博士が「明日の世界計画」と呼ばれるプロジェクトを進行させていることを知る。
ジュード・ロウはハンサムなのでこうした冒険活劇にぴったりのように思えるのだが、この人、陰を引きずった部分があるので、ユーモアの部分が弾けにくい。グウィネス・パルトロウは活発な美人記者役に徹していて悪くない。ゲスト出演的なアンジェリーナ・ジョリーも空の要塞を指揮する隻眼の女艦長を好演。監督も出演者も映画を楽しんで作った感じがあり、それが好感度につながっている。
映画の元になったのはコンランが1人で4年かけてパソコンで作った6分間の短編という。コンラン、オタクな人なのだと思う。そうしたオタクがまず外観を真似ることから始めるように、この映画の外観もかつての映画のイメージで組み立てられている。急いで付け加えると、外観は似ていても、そのアレンジはオリジナリティにあふれており、コンランが作るイメージには一見の価値がある。コンランの次作はエドガー・ライス・バロウズの「火星のプリンセス」。これまたコンランにぴったりのクラシックな題材に思えるが、脚本まで1人で担当するのではなく、強力な助っ人を頼んだ方がいいのではないかと思う。
【データ】2004年 アメリカ 1時間46分 配給:ギャガ=ヒューマックス共同配給
監督:ケリー・コンラン 製作総指揮:オーレリオ・デ・ラウレンティス 製作:ジョン・アヴネット ジュード・ロウ サディ・フロスト マーシャ・オグレズビー 脚本:ケリー・コンラン 撮影:エリック・アドキンス 美術:ケヴィン・コンラン VFX監督:スコット・E・アンダーソン 音楽:エドワード・シェアマー 衣装:ステラ・マッカートニー
出演:ジュード・ロウ グウィネス・パルトロウ アンジェリーナ・ジョリー ジョヴァンニ・リビシ マイケル・ガンボン パイ・リン
ダン・オバノンが最初にエイリアンの設定をした時、エイリアンは凶暴であると同時に高い知性を持つ異星人だった。これは基になったA・E・ヴァン・ヴォクト「宇宙船ビーグル号の冒険」の猫型宇宙人にしてもそうなのだから、当然と言えば当然の設定だった。リドリー・スコットの映画にそのあたりの描写はなかったから、その後エイリアンは凶暴なだけの異星人として描かれ続け、この映画では“宇宙トカゲ”とまで言われる始末。知性があるとも思えない本能だけの生物みたいになってしまった。どう考えてもこれでは人類の味方にはなり得ない。その点、プレデターは戦闘を好む異星人で、優秀な戦士には地球人であっても敬意を払う。だからこの映画でプレデターが人間寄りの存在に描かれることもまた当然なのだった。
2大人気キャラクターを一緒に登場させての映画化は昨年の「フレディVS.ジェイソン」のように珍しいことではない。問題はどうストーリーを作るかなのだが、この映画、そのあたりに手を抜いている。両者を戦わせる設定だけを作って、それ以上のものを用意していないので、物足りないのだ。監督・脚本は「バイオハザード」のポール・W・S・アンダーソン。どこまでいってもB級の人なので、この映画もこちらの予想の範囲を超える部分は1ミリたりともなかった。凡庸な映画なのである。加えてヒロイン役のサナ・レイサンがこういう映画のヒロインとしては機能していない。それこそ「バイオハザード」のミラ・ジョヴォヴィッチ級の美人女優でなければ、こういう映画は成り立たないと思う。
ウェイランド社の探査衛星が南極の地下600メートルにあるピラミッドを発見する。社長のチャールズ・ビショップ・ウェイランド(ランス・ヘンリクセン)は調査隊を組織し、南極へ向かう。調査隊に加わったのは冒険家で調査ガイドのレックス(サナ・ネイサン)、考古学者のセバスチャン(ラウル・ボヴァ)、化学工学者のミラー(ユエン・ブレムナー)など。調査隊はピラミッドの真上にある捕鯨基地からピラミッドまで続く円形にえぐり取られた穴があるのを見つける。穴は一夜にして掘られたらしい。調査隊は穴からピラミッドの中に入り、そこで“生け贄の間”を発見。その真下の部屋の棺から3丁の武器らしいものを取り出すと、ピラミッドは封鎖され、一行は中に閉じこめられてしまう。そして生け贄の間ではエイリアンの卵からフェイス・ハガー(幼虫)のエイリアンが飛び出し、3人が犠牲になる。さらに多数のエイリアンがピラミッドの中にはいるらしい。そこへ宇宙船から降り立ったプレデターもやってくる。このピラミッドはプレデターがエイリアンの狩りをするために作ったものだった。
調査隊のメンバーは次々に殺されて、あっという間にレックスだけになってしまう。有名俳優はランス・ヘンリクセンを除けば出ていないのであっさり殺されるのも仕方がない。ヘンリクセンの役は「エイリアン2」に登場したアンドロイド、ビショップの基になった人物らしく、映画の序盤にそれをイメージした場面を用意している。主演女優だけでなく、役者の弱さが映画の弱さにそのままつながっている。エイリアンとプレデターが主役には違いないが、人間側にもそれに対抗する強烈なキャラクターが必要だったのだと思う。
パンフレットに雨宮慶太が書いているが、「プレデター2」にはプレデターの戦利品としてエイリアンの頭蓋骨が登場した。だからこういう映画の企画も分かるのだが、どうせ作るなら、もう少し面白い話で映画化してほしかったところ。エイリアン・クイーンなどのVFXは良い出来なのにもったいない。
【データ】2004年 アメリカ 1時間40分 配給:20世紀フォックス
監督:ポール・W・Sアンダーソン 製作:ジョン・デイヴィス ゴードン・キャロル デヴィッド・ガイラー ウォルター・ヒル 製作総指揮:ウィック・ゴッドフリー トーマス・M・ハンメル マイク・リチャードソン スクリーン・ストーリー:ポール・W・Sアンダーソン ダン・オバノン ロナルド・シュセット 脚本:ポール・W・Sアンダーソン 撮影:デヴィッド・ジョンソン プロダクション・デザイナー:リチャード・ブリッジランド VFXスーパーバイザー:ジョン・ブルーノ クリーチャー・エフェクツ・デザイン&クリエイト:アレック・ギリス トム・ウッドラフ・Jr 音楽:ハラルド・クロサー 衣装デザイン:マガーリ・ギダッシ
出演:サナ・レイサン ラウル・ボヴァ ランス・ヘンリクセン ユエン・ブレムナー コリン・サーモン トミー・フラナガン ジョセフ・ライ アガート・デ・ラ・ブレイユ カースデン・ノルガード サム・トルートン
傑作「少林サッカー」以来2年ぶりの周星馳(チャウ・シンチー)の新作。序盤に、「大いなる力には責任が伴う」という「スパイダーマン」のようなセリフがある。カンフーの達人3人がナンバー2の殺し屋に負けて瀕死の重傷を負った際、大家夫婦に言うセリフ。この大家夫婦(ユン・ワーとユン・チウ)は世俗的な外見とは裏腹に凄腕のカンフーの達人であり、殺し屋2人を超人的な技で簡単にやっつけてしまう。そして主人公シン(チャウ・シンチー)にはどんな傷からも回復する力があり、やがて自分の本当の能力に覚醒していく。これを見ると、この映画がカンフー映画であると同時に超人映画であることが分かる(シンチーは「ドラゴンボール」のファンでもあるらしい)。序盤から徐々にエスカレーションし、デフォルメされていくアクション描写には快感があり、ドラマよりもカンフーアクションを見せることに徹した映画になっている。「少林サッカー」にあった泣きや浪花節的な場面はないけれど、この映画もしっかりと大衆に軸足を置いた作りであり、シンチーは今回も期待を裏切らなかった。ブラックで乾いた笑いと大がかりなアクションが融合したエンタテインメントの快作だと思う。
時代は文化大革命前の中国。警察も手を出せない悪がはびこり、斧を武器にした斧頭会(ふとうかい)が凶暴さでのし上がってくる。斧頭会は貧困地区には目もくれなかったが、豚小屋砦と呼ばれる集合住宅にチンピラ2人が訪れたことで豚小屋砦は斧頭会に目を付けられることになる。チンピラ2人はシンと相棒(ラム・ジーチョン)。シンが放った花火で頭を火傷した斧頭会のメンバーの怒りを買い、豚小屋砦に攻撃を仕掛けるのだ。しかし、砦には3人のカンフーの達人がいた。手下をボコボコにされた斧頭会の組長サム(チャン・クォックワン)は怒り、殺し屋ナンバー2を砦に差し向ける。
映画は善よりも悪の方が儲かるとして、斧頭会に入った主人公がやがて自分の力に目覚めていくという展開をたどる。中盤、シンが大家夫婦を倒そうとしてナイフを投げると、壁にぶつかって跳ね返ったナイフがシンの肩に突き刺さる。後を引き継いだ相棒がナイフを投げると、それがシンのもう片方の肩に突き刺さり、さらにもう1本投げようとして振りかぶると、それもシンに刺さってしまう(これは北野武「座頭市」の影響か)。このブラックなユーモアがとてもおかしい。さらにここにはだめ押しのギャグがあるのだが、この場面を見て思うのはシンチーの笑いがとても乾いているということ。キートンやロイドやマルクス兄弟の乾いた笑いよりも、チャップリンのペーソスの方が日本では人気があるけれど、ペーソスなどとは無縁のシンチーのギャグの才能は貴重だと思う。幼いころに助けた少女との交流も映画は描いているけれど、ここが物語の主軸に絡む場面なのにあまり効果を上げていないのは、シンチー、こういう描写が得意ではないからなのかもしれない。いや、それ以上にこの映画ではカンフーアクションそのものを描きたかったからなのだろう。
チャウ・シンチー映画の良さは貧しい庶民と正義に軸足を置いていることで、それを笑いにくるめながらも本気なのがよく分かる。「少林サッカー」でさえ渡ったCGはここでも存分に発揮され、クライマックスの悪の集団およびナンバーワンの殺し屋(ブルース・リャン)と主人公の対決は、「マトリックス」を凌駕していると言っていい(アクション監督は最初、サモ・ハンで途中から「マトリックス」のユエン・ウーピンに代わった)。シンチーは卑屈でいい加減なチンピラの役もよく似合うが、飛び切り強いカンフーの達人の役にも違和感がない。ジェット・リーともジャッキー・チェンとも違った庶民的なカンフースターなのだなと思う。
【データ】2004年 中国=アメリカ 1時間43分 配給:ソニー・ピクチャーズ
監督:チャウ・シンチー 製作:チャウ・シンチー チュイ・ポーチュウ ジェフ・ラウ 製作総指揮:ビル・ボーデン ジャオ・ハイチュン デヴィッド・ハン 脚本:チャウ・シンチー ツァン・カンチョン チャン・マンキョン 共同脚本:ローラ・フォ メイン・アクション・コレオグラファー:ユエン・ウーピン アクション・コレオグラファー:サモ・ハン・キン・ポー 撮影:プーン・ハンサン 美術:オリバー・ウォン 視覚効果スーパーバイザー:フランキー・チャン 衣装デザイン:シャーリー・チャン:音楽:レイモンド・ウォン
出演:チャウ・シンチー ユン・ワー ユン・チウ ブルース・リャン ドン・ジーホウ チウ・チーリン シン・ユー チャン・クォックワン ラム・シュー ティン・カイマン ラム・ジーチョン ジア・カンシー フォン・ハックオン フェン・シャンイー