スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス

STAR WARS EPISODE1 PHANTOM MENACE

アメリカでの公開直後の批評がネガティブなものばかりだったので心配したが、これなら大丈夫。あまりの幼稚さにがっかりした「ジェダイの復讐」よりも数段面白い。驚くほどスピード感のあるSFXはやはり最高水準だし、その圧倒的な量の多さは他に例を見ない。難を言えば、「シス」や「ミディクロリアン」など初めて聞く言葉が頻発することで、詳しい説明もないから意味を追うのに苦労する。それが冒頭のノリの悪さにもつながっているようだ。

いつも通りのタイトルの後、話はジェダイ騎士2人が通商連合の宇宙船に向かう場面から始まる。2人はジェダイマスターのクワイ=ガン・ジン(リーアム・ニーソン)と弟子のオビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)。惑星ナブーを武力封鎖した通商連合との交渉役としてジェダイ評議会から派遣されたのである。しかし通商連合は2人の抹殺を図る。背後には暗黒面のフォースを操るシスのダース・シディアスがいるらしい。船を脱出した2人は惑星ナブーでグンガン族のジャージャー・ビンクスとクイーン・アミダラ(ナタリー・ポートマン)を救い、通商連合の追っ手から逃れるために惑星タトゥーインへ向かう。そこで奴隷のアナキン・スカイウォーカー(ジェイク・ロイド)と出会うのだ。ガン・ジンはアナキンの素質を見抜き、ジェダイ騎士に育てようと決意する。

ガン=ジンらが逃亡に使う船にはR2-D2と同タイプのロボット3体がいる。宇宙船が敵の攻撃で被弾すると、R2は外に出て、修理に当たる。ああ、これはダグラス・トランブル「サイレント・ランニング」ではありませんか。R2はあの映画に登場するロボットと酷似しているが、もともとはこういう用途に使われていたのですね。

さて、話が面白くなるのはタトゥーインに舞台が移ってからだ。敵ながらあっぱれというほどかっこいいダース・モール(レイ・パーク=今回最大の儲け役なのに、ビリングはキャストの16番目。パンフレットでも紹介されていない。かわいそうに)とのライトセイバーでの対決、迫力満点のポッド・レース(これはジェットコースター感覚)など見せ場が連続する。クライマックスは通商連合のバトルドロイド軍団とグンガン族との戦い、再びダース・モールとの対決、連合の宇宙船を攻撃するアナキンをはじめとしたナブー軍の3場面が交互に描かれ、スクリーンから目が離せない。

ユアン・マクレガーのルークに似たコスチュームから、僕は今回の主役はオビ=ワン・ケノービなのではないかと思っていたが、あまり活躍の場がなかった。ルーカスは「エピソード2」で本当の活躍をさせる−と明言している。しかし、それはどうだろう。旧3部作が結局のところ、ルークの話であったように、新3部作はアナキンの話に収斂していくような気がする。エピソード2は成長したジェダイ騎士のアナキン、エピソード3ではダース・ベイダーとなるアナキンの姿が描かれるはずである。

旧3部作との比較で言えば、今回の話にはルークとレイア、ベン、チューバッカに相当する役はあっても、ハン・ソロ役が見あたらない。そこが少し残念。脚本全体をもう少しすっきり整理する必要もあっただろう。僕は思うのだが、黒沢明の晩年がそうであったように、ルーカスにはしっかりした脚本家が付いた方がいい。「帝国の逆襲」のリイ・ブラケットのような人が理想的なんですけどね。

「シス」についてパンフレットには「ジェダイの教えに反し、フォースの暗黒面に身を投じた狂信者集団」とある。シスは2000年前に生まれたそうで、ジェダイとの戦いで滅んだのだそうだ。この話の前段があるわけだが、そんなことはいっさいこの映画では描かれない。「エピソード1」が描いたのは、官僚的で機能しなくなった元老院をはじめ徐々にほころびつつある銀河共和国の姿。今後、話は共和国の崩壊、帝国の誕生、反乱軍の蜂起へとつながっていくのだろう。そしてジェダイ評議会にいながら、ほとんど見せ場がなかったメイス・ウインドゥ(サミュエル・L・ジャクソン)にも今後、活躍の場が与えられるはずである。

しかし、このペースで大丈夫なのか。なにせ、C-3POがまだあの状態ですからね。2002年まで待ちきれない思いだ。

【データ】1999年 アメリカ 2時間12分49秒 ルーカス・フィルム作品 20世紀フォックス配給
監督・脚本 ジョージ・ルーカス 撮影:デヴィッド・タッターソル 音楽 ジョン・ウィリアムス
出演:リーアム・ニーソン ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン  ジェイク・ロイド テレンス・スタンプ ベルニラ・アウグスト

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ハムナプトラ 失われた砂漠の都

THE MUMMY

1932年のアメリカ映画「ミイラ再生」のリメイク。といっても見ていないし、映画会社もそのことにこだわってはいないようなので、知らなくても別にかまわない。双葉十三郎さんの「ぼくの採点評 戦前篇」によると、ボリス・カーロフ主演、カール・フロイント監督で、「出来ばえは怪奇ものの水準作というにとどまる」らしい。基本的なストーリーは同じようだが、67年前の作品だからSFXは比べようもないだろう。

今回の映画は邦題からして「レイダース 失われたアーク」のセンを狙っているようだけど、魔物が愛する人をよみがえらせるために美女を狙うというプロットから、僕はなんとなくジョン・カーペンターの「ゴースト・ハンターズ」を思い出した。ノリが軽いことも共通しているが、面白さは「ゴースト・ハンターズ」の方が上である。

紀元前のエジプトで、王の愛人を愛するようになったために、高僧イムホテップ(アーノルド・ボスルー)は生きたままミイラにされる。愛人は自ら命を絶ち、イムホテップは怨念を抱えながら、石棺の中に横たわる。3000年後の1920年代、博物館の司書エヴリン(レイチェル・ワイズ)は幻の都ハムナプトラを探し求め、兄ジョナサン(ジョン・ハナ)と元傭兵リック(ブレンダン・フレイザー)とともに砂漠に向かう。リックは数年前、偶然ハムナプトラの場所を知ったのだ。これに財宝を狙うアメリカ人のならず者たちと、ハムナプトラを守る秘密結社が絡んでくる。

ハムナプトラに着いたならず者たちは墓所から、死者を蘇らせる呪文を記した「死者の書」を発掘。エヴリンたちは石棺のミイラ、つまりイムホテップを発見する。イムホテップは、エヴリンが不用意に死者の書を読んだことで復活してしまう。強大な魔力を持つイムホテップは腐った体を元に戻すためにならず者たちを襲い、さらに愛人を蘇らせようと、エヴリンを狙う…。

大仰なナレーションから始まって、ユーモアを交えながら映画は進行するが、どうも演出が緩い。監督のスティーブン・ソマーズはこれが4作目。昨年、「ザ・グリード」が一部SFファンの間で話題になったが、まだB級から抜け切れていないようだ。冒頭の古代エジプトを再現した場面をはじめSFXは多く、まずまず充実もしているけれど、こちらがこの程度では驚かなくなっていますからね。スペクタクルなシーンにも今ひとつ迫力が伴っていない。

最大の欠点は主役の2人、フレイザーとワイズが魅力に欠けること。ワイズは最初に眼鏡をかけて登場するという、こうした冒険もののヒロインの常套的キャラを踏襲している。しかし、この人の場合、眼鏡をはずしても驚くような美人にはならないのね。「ロマンシング・ストーン 秘宝の谷」のキャスリーン・ターナーとは大違いである。「頭は弱いが勇気だけはある」フレイザーも8000万ドルの大作(普通?)映画を引っ張る風格はなかった。

「ハムナプトラ」という、内容を想像しにくいうえにカッコ悪い邦題もマイナス。もう少し何とかならなかったのでしょうかね。

【データ】1998年アメリカ映画 2時間5分 UIP配給
監督・脚本 スティーブン・ソマーズ 原案:スティーブン・ソマーズ ロイド・フォンビール ケヴィン・ジャール 撮影:エイドリアン・ビドル 音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演:ブレンダン・フレイザー レイチェル・ワイズ ジョン・ハナ  ケヴィン・J・オコナー アーノルド・ボスルー

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恋におちたシェイクスピア

SHAKESPEARE IN LOVE

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」はどのように生まれたのか。それを面白おかしく、ロマンティックに描いてアカデミー7部門(作品、主演女優、助演女優、オリジナル脚本、美術、衣装デザイン、作曲)を受賞した。パロディとかパスティーシュとかいうと少しニュアンスが違ってくるが、そうした側面も持った楽しい映画だ。しかも楽しさだけに終わらせず、芝居がいかに人を引きつけるかなんて部分もしっかり描いてある。シャイロックを思わせる金貸しのフェニマン(トム・ウィルキンソン)が徐々に芝居にのめり込んでいく過程などは微笑ましい。

16世紀のロンドンが舞台。2つの劇場のうち、ローズ座は疾病の流行で閉鎖され、所有者のヘンズロー(ジェフリー・ラッシュ)は金貸しのフェニマンから借金の返済を迫られている。頼みの綱は、新進気鋭の劇作家ウィル・シェークスピア(ジョセフ・ファインズ=「シンドラーのリスト」で凶悪な軍人を演じたレイフ・ファインズの末弟)が執筆中のコメディ「ロミオと海賊の娘エセル」。しかし、執筆は遅々として進まない。シェークスピアはスランプなのである。

ある日、シェークスピアは資産家の娘ヴァイオラ(グウィネス・パルトロウ)に出会って一目惚れする。ヴァイオラは芝居好きで、実はシェークスピアの新作のオーディション(!)で男装して現れ(この時代、女性は舞台に立つことができないのである)、その才能をシェークスピアに買われたのだが、シェークスピアは2人が同一人物とは気づいていない。

正体が分かったところで、2人は相思相愛となるが、資産家の娘と貧乏劇作家では結婚などできるわけがない。ヴァイオラの親は結婚相手に貴族のウェセックス卿(コリン・ファース)を決めてしまった。2人の仲を知ったウェセックス卿は怒り、シェークスピアの命を狙う。裏から手を回して劇場も再び閉鎖される。居酒屋でかき集めた素人集団が稽古によって徐々に役者らしくなってきたところだったのに、公演への道は険しくなった。シェークスピアの新作はそうした現実世界を取り入れ、コメディから徐々に悲劇へと変わっていく。タイトルも「ロミオとジュリエット」へ…。

物語はフィクションだけれど、シェークスピアは実在の人物だから、基本的な部分で事実を改変するわけにはいかない。つまりヴァイオラとは結ばれない運命なのである。映画の脚本家たち(マーク・ノーマンとトム・ストッパード)はそこを乗り越えるためにラストに工夫を凝らしている。アンハッピーエンドをハッピーエンドに切り替える夢のような手法で、ま、こういう処理の仕方は悪くない。ラストに広がりが出たと思う。

スティーブン・ウォーベックの流麗な音楽に彩られて映画が進むうちに、それほどの美人とは思えないグウィネス・パルトロウが光り輝いて見えてくる。ファインズも颯爽としていてよい。ジェフリー・ラッシュはあの「シャイン」の主人公と同一人物とは思えないほどのメーク。総じて役者たちの演技が素晴らしく、これは役者の演技を楽しむ映画でもあった。

パンフレットによると、監督のジョン・マッデンは元々、舞台の演出家なのだそうだ。映画全体に、舞台への愛情が感じられるのも当然なのである。

【データ】1998年 イギリス 2時間3分 UIP配給
監督:ジョン・マッデン 脚本:マーク・ノーマン トム・ストッパード 撮影:リチャード・グレトリックス 音楽:スティーブン・ウォーベック
出演:ジョセフ・ファインズ グウィネス・パルトロウ ジュディ・デンチ ジェフリー・ラッシュ

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ガメラ3 邪神<イリス>覚醒

「ガメラ3 邪神覚醒」 ものが違う。レベルが違う。「ガメラ3 邪神覚醒」を見た印象はそんな感じである。冒頭、フィリピンの山村にギャオスの調査に出かけた長峰(中山忍)のシーンから映像に力が満ちている。深海探査艇があの無数のガメラの骸を見つけるシーンにも、心が震えた。「これは傑作だぞ」そんな思いが駆けめぐった。その期待は途中で少し裏切られるのだけれど、脚本、演出、SFXのどれをとっても「ガメラ3」は日本映画のレベルをはるかに超えている。

渋谷壊滅のシーンがとにかくもの凄い。「ガメラ3」はこのシーンだけで後世に残る。ギャオスを追って飛来したガメラはプラズマ火球でビルを破壊し、逃げまどう通行人を踏みつぶす。さらにギャオスの燃える体が落下して多くの通行人が犠牲になる。金子修介と樋口慎嗣は圧倒的な迫力と重厚感でこの場面を描ききった。「プライベート・ライアン」のノルマンジー上陸の場面に匹敵するインパクトがある。

この災害で12,000人が犠牲になる。「ガメラ2 レギオン襲来」で明らかになったようにガメラは地球生態系の守護神。決して人間の味方などというアホな怪獣ではない。生態系を破壊するギャオスを倒すためなら、人間の犠牲など取るに足りないし、人間が生態系を破壊するなら人間の敵にだってなるのである。映画はこのガメラとは何なのかという謎とガメラ災害によって両親を殺された殺された少女綾奈(前田愛)の物語を軸に緊迫と緊張の展開をしていく。

誰もが指摘するように、山崎千里と手塚とおるの役はよく分からない。これは単純に描写不足のためで、ここをじっくり描けば、映画は2時間を越えていただろう。2人とも、伊藤和典脚本の映画にはよく出てくるタイプのキャラクターなので、瑕瑾と割り切りたい。飛翔するイリスの姿は、合評会では「鳳凰」という意見があったが、僕は「エヴァンゲリオン」だと思う。樋口慎嗣はエヴァの絵コンテもかいている。ともあれ、“怪獣映画を超えた怪獣映画”という紋切り型の表現がこれほど似合う映画はなく、方法論でこれを上回ることは難しいだろう。「ガメラ3」は新次元に踏み込んだ怪獣映画なのである。

【データ】1999年 1時間43分 製作:大映 徳間書店 日本テレビ放送網 博報堂 日本出版販売 配給:東宝
監督:金子修介 脚本:伊藤和典 金子修介 特技監督:樋口真嗣 撮影:戸沢潤一 音楽:大谷幸
出演:前田愛 中山忍 藤谷文子 福沢博文 螢雪次朗 山崎千里 手塚とおる 本田博太郎 川津祐介 田口トモロウ 根岸季衣 小松みゆき 安藤希 小山優 津川雅彦 渡辺裕之 かとうかずこ 石橋保 三輪明日美 仲間由紀恵 伊集院光 大橋明 清川虹子

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1998年日本映画ベストテン総評

お待ちかね、なあんて誰が待っていたのか。ま、僕の知っているだけでも数人は待ってくれているみたいなので、その人達、お待たせしました。宮崎が誇る映画サークル「シネマ1987」の98年度の最強のベストテン、日本映画編である。初めての人ははじめまして。これを見てビデオ観賞の参考にして下さい。

98年は北野武の1、2フィニッシュとなった。1位はヴェネツィア映画祭を制覇した『HANA−Bl』である。まるでサイレント映画のごとく手法で進む物諾の中に、死にゆく存在としての人問の諦念と葛藤が描かれる。けど音楽がちょっと邪魔だったかな。勿論、そんな不満を吹き飛ばす程の傑作で、北野武の到達点として記憶されるべきなのかもしれない。

2位は宮崎の劇場初公開、同じく北野武『Kids Return』。『HANA−Bl』とは対称的に人の生に対する執着が描き出される。人の気配のない運動場の中を走る自転車の運動感の素晴らしさ。ラストシーンで主人公の一人が言う「バカ、まだ始まってもないぜ」の一言に勇気づけられる渾身の一作である。もし、未見の人がいるならぱ、すぐビデオ屋に走ること。その値打ち、十分十二分である。

3位は意外だったなあ、金子修介の『F(エフ)』。タ方一回の上映にもかかわらず、しかも宮崎では他県より上映が遅かったにもかかわらず、この支持の大きさ。金子タッチともいえる軽妙さが羽田美智子のベストを引き出したほのぼの系の恋愛映画。まあ、羽田さんはこれからが大変だろうけど、頑張ってね。

4位は2本。黒沢清の『CURE』は96年度製作の邦画最凶の恐怖映画で、中田秀夫の『リング』は97年度製作の邦画最凶の恐怖映画である。前者を見て水が流れるのが怖くなった人は数知れず、後者を見てビデオが見るのが怖くなった人もまた数知れない。え、何のことか判らない? そういう人は是非ビデオでこれらの作品を見て下さい。ただし、見た後の自分行動が制御できるがどうがについては保証の限りではありません。知らんで、人、殺しても。

6位はモントリオール国際映画祭グランプリ受賞の『愛を乞うひと』である。原田美枝子の熱演のみが評判になる映画であるが、「なぜ母親は娘を虐待するのか」ということを説明しない事の凄さ、つまりは映画作劇の凄さをもうちょっと誰が言及しても良かったんではないかい。ラストにおける母と娘の再会というよりは、自分の過去との対決といってもいいシーンの凄さは理屈を越えた理解をスクリーンに刻み込んだ凄さのはずである。ただし、まだこれ、ビデオになってません。

7位は宮崎、初劇場お目見えの『ビリケン』、阪本順治監督作品である。人間以上に人間らしい神様“ビリケン”が巻き起こす珍騒動。ただ、ただ面白いとしか言い様のない傑作。

8位は竹中直人監督、主演というよりは中山美穂の恐るべき存在感がスクリーンを席巻する『東京日和』。アラーキーとかいう写真家の原作らしいが、そーんなことはどうでも宜しい。その昔、何とかいうフランスの映画監督がいったように、スクリーンに美しい女性がクロースアップになるだけで、映画というのは十分に成り立つのである。映画とはなにより女性のものなのだ。ある意味、この作品は中山美穂の肉体のドキュメンタリイなのである。

9位は98年、日本映画最大のヒット映画『踊る大捜査線THE MOVlE』である。ザラリーマンから転職した織田裕二演じる新米刑事と個性豊かな同僚刑事の活躍を描くテレビシリーズの映画化。警察官僚の誘拐事件と猟奇殺人事件の顛末が本作品では語られる。小泉今日子の“サイコ”も話題の一つ。おそるべしフジテレビ。

10位には市川準の『東京夜曲』。桃井かおり、倍賞美津子、長塚京三などの大べテランが紡ぎ出す大人のラブストーリー。良くも悪くも市川準らしいタッチで描き出す濃密な大人の時問を十分に味わって下さい。  最後にクイズ。以上10本、さて全部見たら何時間何分になるでしょう?(うすい)(1998年ベストテン号)

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1998年外国映画ベストテン総評

「投票前はどうせ今年の1位はあの沈没パニック映画か、あの戦争映画もどきだろう」って言われていた98年度「シネマ1987」外国映画ベストテン。意外な結末があなたを襲います。今年は筆者の個々の作品の好き嫌いをあえて書きましたので、文句のある人の文句の持っていき場があるようになっています。かかってこい!

ということで98年度の1位は『ブラス!』である。廃坑寸前のイギリスのある町が舞台。生活の困窮に陥りながらも、音楽に身を投じる人々の群像劇。数々の音楽に彩られながら写し出される労働争議に敗北する組合側の姿は涙を誘うが、そんな時だがらこそ人には音楽が必要なのである。生きる勇気を訴えるマイク・ハーマン監督の傑作。人間、金じゃない!好きだなあ、こういう映画。

2位は『L.A.コンフィデンシャル』。98年度キネマ旬報第1位に輝いた傑作である。原作はジェームズ・工ルロイ、ロサンゼルス暗黒4部作の第3作である。この作品は複雑なミステリイで、ここでストーリーの要約なんて出来るわけがなーい。が警察の暗部を描いた迫真の作品どだけはいっておこう。映画はハッキリいってキム・ベイジンガー以外は没個性釣な役者を柔軟、十分に使いこなし、その事がプラスに転化している。僕はあんまり好きじやないんだけど。

『タイタニック』は第3位である。もう言うことなんもないでしょ、この映画に関しては。船舶史上最大の惨事が起こった時間と空間を舞台にした古典的ラブストーリ一。この作品の主人公を演じたレオナルド・ディカプリオは一気に大ブレイク。世の女性ファンの心を鷲掴みにする。余談だけど「やっぱり私は彼みたいな恋人を捜すわ」なんて馬鹿な事を言われた男も数知れない。ビカデリーのバイトのT君とかねえ、ワハハ。だからという訳じやないけど、これもあんまり好きじやない。

4位はジャック・ニコルソン、ヘレン・ハントの好演がクスクス笑わせる『恋愛小説家』。人嫌いな恋愛小説家と喫茶店のウエイトレスの不器用な、不器用なラブストーリー。二人の間にゲイが入って、話はややこしくなっていく…。今年の大好きな映画の一本です。

5位、『プライベート・ライアン』。訳あってライアンニ等兵を帰国させるよう命令された数名の兵士たち。しかし彼らの心の中には一人の兵士の命の為に、数名の命が犠牲になる事の矛盾に対する疑問が生まれていた…。冒頭のノルマンディ上陸作戦のリアルさが賛否両論のスティーブン・スピルバーグの今世紀最後の傑作。どいうのは僕の社交辞令。大嫌いです。

6位は『フル・モンティ』。『ブラス!』と同じく不況が主人公たちの生活を直撃するが、違うのはこの主人公たちには音楽がなかったということ。ではどうすれぱいいのか。そう、文宇通り裸一貫になって出直すしかない、という事で男性ストリップに挑む主人公たち。もっと馬鹿らしい映画かと思えば、なかなか演出の呼吸を心得た作品。まあ、そこが欠点ともいえるけれども、僕は好きなのです。

7位はこれぞ真の傑作『桜桃の味』。自殺志願の男がそれを手伝ってくれる人を捜すというそれだけの峡画。説明不要、見て驚いて下さい。これが映画です。

8位は『ラブソング』。レオン・ライ、マギー・チャンの二人が織りなす十数年に及ぷ愛の物語。田舎者の男と夢を追い続ける女、二人の挫折と別れ、そして再会。映画的な話をすれば、個々のバストショットには映画らしい何かを感じるのだが、フレームに二人が入った途端に映画が面白くなくなる。つまり徹底的に片思いの物語ということで、これが僕には引っ掛かる。

以下、『モンタナの風に抱かれて』が9位、『ジャッキー・ブラウン』が10位である。前者は事故に遭った馬と子供の再生の物語で、後者はさえない人生を送っているスチュワーデスの完全犯罪の物語。双方ともに不愉快な映画ではないけれども、作品の時問が長過ぎる。良心作で悪口は言いたくないんだけど。  以上今年のペストテンです。全部見た人はどれだけいるのかな?(うすい)(1998年ベストテン号)

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98年この映画が楽しめた

上陸用舟艇の扉が開いた途端に銃弾が雨霰と降り注ぐ。気構える間もなく、米兵たちはバタバタと倒れていく。周囲を駆けめぐる凄い音響と地をはうようなカメラワーク。「プライベート・ライアン」は冒頭30分近く、ブラッディ・ビーチともいわれたオマハ・ビーチへの上陸作戦を革新的な迫力で描ききった。 この映像だけで十分に映画史に残ってしまう。 戦争をヒロイックに描くのではなく、観客に戦場体験させることが、スピルバーグの狙いだったことは間違いないだろう。

残念なのはそこから先の展開が極めて凡庸なハリウッド映画調に成り下がってしまうことだ。登場する戦場シーン(敵の狙撃兵に部隊が攻撃されるシーンはキューブリック「フルメタル・ジャケット」の影響がうかがえる)はいずれも異様な迫力に満ちているのだが、いったんトム・ハンクス以下のライアン二等兵救出部隊が結成されると、ドキュメンタリー的なタッチは失われてしまい、これはどう見ても普通の戦争映画のパターンだ。仲間を殺したドイツ兵を助けたばかりに後悔することになるというドラマトゥルギーのお約束事は映画を安っぽくするだけの余計なものに思えるし、クライマックス、危機に陥った部隊のところに援軍の戦闘機がやってくる場面などは西部劇の騎兵隊を思い起こさせられた。

思えば、冒頭シーンの凄さは登場人物たちの無名性があったからこそ成立したのだろう。もちろん、ここにもトム・ハンクスは既に登場しているけれども、そしてこんなに早く死ぬことはないだろうと予想できるけれども、そのほかのあまりにも多い無名の米兵たちの死が矮小なドラマを圧倒していた。ゴールデン・グローブ賞の受賞はまあ、冒頭だけの評価と見た方がいい。

さて、宇宙の二等兵たちの活躍を描いたのが「スターシップ・トゥルーパーズ」だ。ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」をポール・バーホーベンがX指定すれすれの残虐描写で映像化した。原作はハインラインをタカ派として有名にした作品だけれど、バーホーベンにそんな視点はない。パワード・スーツ(強化防護服)は予算の関係で削られたそうだが、昆虫形態の敵バグズのSFXが凄かった。1匹だけでもかなり強い敵なのに、それが地平線を埋め尽くすほど大量に攻めてくる。兵士たちはバグズに串刺しにされたり、まっぷたつに引き裂かれたり…。バグスの動きや種類も豊富でスタン・ウィンストンのSFXに隙はなかった。 最後に登場するバグズ・クイーン(というのかね)が生きた人間の脳ミソをずるずると吸う場面はしっかりバーホーベンしてました。続編にはパワード・スーツも出す方針とのことなので、期待しよう。この映画が参考にしたと思われる「エイリアン」シリーズの最新作「エイリアン4」も公開されたが、未見。

SFで話をつなぐなら、「ダークシティ」がある。これまた昆虫のようなエイリアンが登場する。バグズよりずっと小さく、「ヒドゥン」に出てきたような奴だ。昼間がなく、夜中の12時になると、すべてが停止する街が舞台。ここはエイリアンが支配する街なのだが、住民は気づいていない。エイリアンは自分たちにはない個性を求めて、すべてが停止する12時から人間にある実験を加えている。記憶をなくした主人公はやがてこの街のおかしさに気づき、エイリアンと対決することになる。B級かと思ったら、ウィリアム・ハートやジェニファー・コネリー、キーファー・サザーランドなどキャストは豪華。ビルがにょきにょきと伸びていくSFXも面白く、クライマックスには「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」のようなスケールの大きいイメージが登場する(ここであっと、驚く)。ストーリーに工夫を凝らしたまともなSFでした。

驚いたといえば、「L.A.コンフィデンシャル」。ジェームズ・エルロイの原作(「ブラック・ダリア」に始まるL.A.四部作の第3作)を読んでいなかったので、犯人が明らかになる場面には驚かされた。まさか主役級のケヴィン・スペイシーがあそこで××××とは…。原作をかなりコンパクトにまとめて脚本化してあるようで(アカデミー脚色賞受賞)、エルロイ独特の暗い情念はないが、スピード感にあふれ、画面が緊迫している。暴力と悪がはびこる50年代のロサンゼルスの見事な映像化と言えよう。主役の好対照の2人エド・エクスリー(ガイ・ピアース)とバド・ホワイト(ラッセル・クロウ)も良く、特にクロウはこの映画でブレイクした観がある。監督は「ゆりかごを揺らす手」のカーティス・ハンソン。これまでのベストだろう。悪女を演じたキム・ベイシンガーもそれなりに良かったけれど、アカデミー主演女優賞を取るほどではないと思う。(1998年ベストテン号)

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