大衆化したデヴィッド・リンチに興味はない。テレビシリーズの「ツイン・ピークス」後半を見ながらそう思っていた。このテレビシリーズはパイロット版(ビデオの序章)が最も出来が良く、以後、これを超えるインパクトは持ち得なかった。登場人物たちは相変わらず奇妙なのだが、それが一つのキャラクターに定まると、話が分かりやすくなってしまうのである。序章のラストで突然、赤いカーテンの部屋に場面が飛ぶような訳の分からなさの魅力(?)はなくなった。しかし映画版はそうした大衆性を拒否している。生前のローラ・パーマーに焦点を当てただけに話が単調なのが難だが、リンチらしいタッチが随所に溢れ、それなりに見ごたえがあった。
映画はオール・アバウト、ローラ・パーマー(シェリル・リー)の趣である。主人公はFBIのライル・クーパー(カイル・マクラクラン)ではなく、ツイン・ピークスという町自体でもなく、邦題そのままに、死に至るまでの7日間のローラ・パーマーなのである。ローラが清楚な外見とは異なり、ドラッグとセックスに溺れた少女であったことはテレビシリーズでも明らかになったのだが、映画ではそれが執拗に描かれる。テレビに比べれば、登場人物がずっと少なく、エドもネイディーンもブリッグス少佐も、もちろんジョシーもハリーもアンディもルーシーもオードリーさえ出てこない。登場するのはローラと親友のドナ、ローラの両親とボーイフレンドのボビーとジェームズ、そして本当の殺人犯人であるキラー・ボブと小人、申し訳程度にクーパー、アルバート、リンチ自身が演じるゴードン(最初に出てくる!)ぐらいなのである。だからこれがツインピークスという町の奇妙さを描きだす映画になるはずはなく、あくまでもローラの映画なのであった。
世界でいちばん美しい死体を演じ、ローラのいとこマティ役を演じたとは言っても、シェリル・リーのテレビ版「ツインピークス」での活躍の機会は極めて少なかったのだが、この映画では思う存分その魅力を発揮している。セックスとドラッグに溺れながらも、やはりローラは悪い少女ではなかったという常識的な結論には少しがっかりもするのだけれど、少なくともシェリル・リーの熱演に関する限り、この映画に文句をつける筋合いはまったくない。
逆に言えば、そこが大きな不満となる。テレビシリーズを補完する役目に終わってしまい、スケールが小さいのである。最初にあるテレサ・バンクス事件は単なる導入部に過ぎず、あってもなくてもいいエピソード。そこに登場する指輪というガジェットもほとんど意味を持たない。デヴィッド・ボウイやキーファー・サザーランド、ハリー・ディーン・スタントンなどは、いったい何をしに出てきたのか分からないくらいである。“すべての謎が明らかになる”というコピーとは裏腹に結局、映画ではボブの本当の正体も赤いカーテンの部屋の秘密もよく分からないままだ。
世の中には「なんだか良く分からないけど傑作」と感じさせる映画が確かにある。残念ながら、この映画はそこまで行っていない。ただ興味をそそられるのは、リンチの天使へのこだわりだ。前作「ワイルド・アット・ハート」でシェリル・リーは天使の役を演じたが、この映画でも天使は重要な役割を持っている。気恥ずかしいくらいに率直なメタファーで、普通の映画であれば、大笑いするような使い方なのだが、違和感がない。あっけにとられるほど能天気だった「ワイルド…」のラストと、その点では共通している。(1992年6月号)
【データ】1992年 アメリカ 2時間15分
監督:デヴィッド・リンチ 製作総指揮:マーク・フロスト 製作:グレッグ・フィンバーグ 脚本:デヴィッド・リンチ ロバート・エンゲルス 撮影:ロン・ガルシア 音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:カイル・マクラクラン シェリル・リー デヴィッド・ボウイ キーファー・サザーランド デヴィッド・リンチ モイラ・ケリー メッチェン・アミック ヘザー・グラハム
監督のクリス・コロンバスの映画というよりも製作・脚本のジョン・ヒューズらしさが色濃いクリスマスストーリーだ。真夏にクリスマスの映画を見るのは、興醒めの部分もあるが、映画自体はヒューズ独特のスラップスティックからぺーソスヘの転換がうまく、まずまずの作品に仕上がっている。しかし、これが「E.T.」「スター・ウォーズ」に次いで史上3位のヒットを記録したとは意外な感じがしないでもない。
フランス旅行に行く家族から置き忘れられた少年ケヴィン(マコーレー・カルキン)が泥棒2人組を撃退するというストーリーに家族の絆がしっかりと絡めてある。「家族なんか消えてしまえ」と思っていたケヴィンだが、“快適な独り暮らし"を続けているうちに、やはり家族の大切さが分かってくるという極めてまともな話の展開なのである。アホな監督が撮ったら、どうしようもなくつまらない映画になっていたのかもしれないが、ヒューズとコロンバスのコンビは映画の中に引用するフランク・キャプラの映画のように心温まる話に仕立てた。“シャベル殺人鬼"との噂が立っている隣の家の老人が、実は息子と不和が続いている孤独な老人だと分かる場面−ケヴィンと教会で語り合う場面−がそのテーマを浮き彫りにしており、「ダイ・ハード」並みの活躍をした後の大団円にうまくつながっていく。だからこそ、これはクリスマス・シーズンにふさわしい。家族で見に行った後、家でしみじみと「家族っていいなあ」などと思うに、ふさわしいファミリー・ムービーなのだろう。
ヒューズ監督の「大災難P・T・A」を見た時に不満だったのは、出だしの傑作なブラック・コメディが終盤ぺーソスに転化してしまうことだった。スティーブ・マーティンが疫病神のジョン・キャンディと旅をともにすることになり、さんざんな目に遭わされる。かといって決してキャンディに悪気があるのではなく、要するに不器用な人間なだけなのである。映画は終盤、その不器用さにマーティンが友情を感じ始めて一挙にしみじみの世界へと入っていくのだ。キャンディ主演の傑作「おじさんに気をつけろ!」(マコーレー・カルキンも出ている)も同じ展開であって、これを見て僕はヒューズの本質はしみじみの方にあると確信した。
ヒューズには「プリテイ・イン・ピンク」や「フェリスはある朝突然に」などティーンエイジャー向けの傑作もあるが、「大災難…」と「おじさん…」の2作を見ると、「ホーム・アローン」が集大成でも何でもなく、単なる延長線上にある作品であることがよく分かる。マコーレー少年とスーパーのレジ係との応酬は(役割は反対だが)「おじさんに気をつけろ!」でキャンディを質問攻めにする場面と同じだし、泥棒を撃退するのに使う残酷とも言える罠の数々は「大災難」のブラックな味わいと共通する。このブラックさはユーモア雑誌「ナショナル・ランプーン」出身であることが一因なのだろう。ちなみにジョン・キャンディはランプーンの映画「ホリデーロード4000キロ」(ヒューズ脚本で監督は何とハロルド・レイミスだ)に今回と同じようなチョイ役で出ていた。
ヒューズの方にばかり話が行ってしまったけれど、監督のコロンバスの手腕も侮れない。ヒューズ監督の諸作に引けを取らない演出だと思う。音楽のジョン・ウィリアムスも大作映画の時とは違って、小粒な作品によく合わせた好スコアを書いている。早々に製作が決まった続編も、このスタッフならまず間違いないのではあるまいか。(1991年8月号)
【データ】1990年 アメリカ 1時間43分
監督:クリス・コロンバス 製作総指揮:マーク・レヴィンソン スコット・M・ローゼンフェルト 製作・脚本:ジョン・ヒューズ 撮影:ジュリオ・マカット 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:マコーレー・カルキン ジョー・ペシ ダニエル・スターン ジョン・ハード キャサリン・オハラ アンジェラ・ゴーサルズ
阪本順治監督のデビュー作「どついたるねん」はストレートなボクシング映画だった。実際の試合で瀕死の重傷を負った赤井英和をモデルにして、赤井自身が元気が良すぎて乱暴な主人公を演じた。大阪弁が耳に心地よく、アップテンポな展開で一気に見せられた。独特のユーモアを自在に織リ込みながら、しかも再起にかける男の心情と周囲の人情を十分に描き切っており、新人離れした演出だったと思う。第2作の「鉄拳」もボクシング映画かと思ったら、話は意外な方に展開していく。一言で言うと、変な映画である。構成のミスだと思うのだが、それでもけっこう面白い。阪本監督の描写には力があるからだろう。
ボクシングの好きな中年男(中本誠治=菅原文太)が才能のある若者(後藤明夫=大和武士)を見付けてボクサーに育てていく、という序盤はまるで「あしたのジョー」である。中本は林業会社の社長だが、道楽でボクシングジムも経営している。明夫は少年院帰リの粗暴な若者。ボクサーとなり、連戦連勝するまでの描写が簡単すぎて、雑な映画だなと感じ始めたころ、明夫は恋人の君子(桐島かれん)とドライブ中に交通事故に遭い、右手と左足に再起不能の重傷を負う。そして、病院を抜け出して行方不明。中本はその間に母親を亡くし、会社も部下の筒井(ハナ肇)に乗っ取られる。やがて再会した二人は山の中にリングを作り、トレーニングを続けて再起戦にかける。明夫の右巻には鉄の義手が付けられた。試合の日は迫ってくる…。
これがストレートに描かれれば、ボクシング映画としてまずまずの作品にはなっただろう。しかし、阪本監督は「どついたるねん」の二番煎じになることを嫌ったためか、まったく別の展開を用意する。中盤から登場する謎の集団が大きくクローズアップしてくるのである。監督のことばを借りれば、この集団は“「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」に潜むウソを具現化した連中”である。身体障害者を“町を汚す者”として憎み、集団で襲撃する。義手を付けた明夫は襲われ、愛犬も殺された。明夫に義手の製作者(獣医というのがおかしい)を紹介した滝浦(原田芳雄)が殺されるにおよんで、中本は復讐を決意する。試合の当日、中本は集団の本拠に乗リ込み、明夫も試合を放棄して決闘の場へと駆け付ける。
クライマックスは砂が舞い、黄色い色調の画面。まるで異空間のような雰囲気の中で凄絶な戦いが続く。集団のリーダー平岡を演じるシーザー武志はシュートボクシングの創始者で現役の格闘技者、大和武士も現役ボクサー、このほかレスリングやテコンドーなどの選手が迫力のあるアクションを見せる。菅原文太も頑張っている。こうして「鉄拳」は「どついたるねん」のような再生の物語から破天荒な活劇へと変貌するのである。この収斂の仕方に評価は分かれるだろう。活劇を好きな人は支持するかもしれない。僕は意欲的な失敗作だと思う。ま、一口に失敗作といっても中身はいろいろあって、箸にも棒にもかからぬ失敗からこの映画のように非常に惜しい失敗もあるわけである。
それぞれのシーンの演出は本当にうまい。中本と明夫の再会や中本が復讐を決意する場面は大変ドラマティックに盛り上がる。硬軟合わせた阪本監督の力量は十分に発揮されていると思う。何より活劇シーンにサエがあり、だからこそ、この監督の第3作にも大きな期待が持てると確信するのである。こういう元気が出る映画をまた撮ってほしい。映画デビューの桐島かれんはそれほど重要な役ではないけれど、良かったです。(1991年1月号)
【データ】1990年 2時間8分 荒戸源治郎事務所
監督・脚本:阪本順治 製作:荒戸源治郎 撮影:笠松則通 美術:高橋章 音楽:梅林茂
出演:菅原文太 桐島かれん 大和武士 藤田敏八 原田芳雄 ハナ肇 萩原聖人 シーザー武志 大和田正春
「羊たちの沈黙」のアカデミー受賞は意外だった。僕は史上初めてアニメーションが作品賞にノミネートされたので、そのまま「美女と野獣」が受賞してもおかしくないと考えていた。「JFK」はオリバー・ストーン自身が過去に作品賞も監督賞も受賞していたから、可能性は少ないと思われた。しかし実際に見てみると、3時間を超える大作で問題作でもあり、これがいちばん作品質にふさわしかったように思う。受賞できなかったのは、やはり賛否両論あったこと、特にマスコミからの批判が影響したのだろう。
ま、僕も全面的にこの映画を称賛するわけではない。ケネディ暗殺事件がオズワルドの単独犯でありえないことは、これまでにも多くの説が出ており、背後に何らかの陰謀があったことは既に周知の事実と言っていい。問題はその多くの説の中のどれを取るかだが、ストーンはニューオリンズの地方検事ジム・ギャリソンのケースを前面に出した。もちろん自分の調査結果も入れているが、実際にあった裁判だから、映画化する場合、内容に説得力を持たせられる利点がある。
ギャリソン(ケヴィン・コスナー)が暗殺事件に疑問を持ったのは、事件から3年が経過してからである。飛行機の中での知人の一言が契機となった、それから仲間とともに捜査を開始する。そしてケネディ暗殺の背後に軍産複合体とCIAがいたことを突き止める。ケネディはベトナム戦争の拡大を中止し、撤退することを考えていた。撤退されては肥大化した軍需産業が困るから暗殺したというわけである。ギャリソンは黒幕と思われる貿易商のクレイ・バートランド(トミー・リー・ジョーンズ)を犯人として裁判に引っ張りだす。タイム社が保管していた8ミリフィルムが裁判で初めて紹介され、銃弾が背後の教科書ビルではなく、前方から来たものであることが明らかになる。ギャリソンが「魔法の銃弾」説を披露する場面は小気味いいくらいである。しかし、こうした状況証拠で暗殺がオズワルドの単独犯でないことは立証できたものの、証人が途中で証言を翻したり、殺されてしまい、事件とクレイとの関わりを証明することはできなかった。いくらなんでも、これでは公判を維持することは無理である。ギャリソンという検事はかなり無茶な人だったようだ。
ストーンは細かいカット割りと軽快なテンポで3時間余りを一気に見せる。この技術は相当なものである。話がベトナム戦争につながっていくのがいかにもストーンらしいとも言える。「プラトーン」といい、「7月4日に生まれて」といい、この監督はベトナム戦争に関連すると、作品に熱気がこもる。マスコミの批判は逆に言えば、それほどこの映画に真に迫った力があったからだろう。同じケネディ暗殺を扱った「ダラスの熱い日」が作品の評価とは別にほとんど論争を巻き起こさなかったのは、あくまでもフィクションと見られたからにほかならない。多少、強引なところが「JFK」の弱みだけれど、この作品のパワーは、単なる映画の枠を超えて社会現象になり得たことで十分に証明されている。イベント化した映画は強いのである。
ギャリソンの妻役を演じる久しぶりのシシー・スペイセクにあまり見せどころはないが、脇役は総じて豪華だった。ジャック・レモンやジョン・キャンディ、ジョー・ペシらが熱演している。ケヴィン・コスナーを駄目だと言う人もいるようだが、こういう正義感あふれる役はアメリカを代表する二枚目俳優としてはやらなくてはならない。裁判の最後の演説などは「スミス都へ行く」のジェームズ・スチュワートを思わせるではありませんか。(1992年5月号)
【データ】1991年 アメリカ 3時間8分
監督:オリバー・ストーン 製作総指揮:アーノン・ミルチャン 製作:A・キットマン・ホー 製作・脚本・オリバー・ストーン 脚本:ザカリー・スクラー 撮影:ロバート・リチャードソン 美術:アラン・R・トムキンス デレク・R・ヒル 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ケヴィン・コスナー シシー・スペイセク ジョー・ペシ トミー・リー・ジョーンズ ゲイリー・オールドマン ジャック・レモン ウォルター・マッソー