某ラジオ局は試写会のお知らせで、この映画のタイトルを「4アルファ対3 10月」と読んでいたが、チラシによると「3対4エックス10月」が正しい。野球の最終回のサヨナラ勝ちを意味するらしい。日本の野球で使う×は、もともと「プラスα」のαだから、「4アルファ対3」という読み方もあながち間違っているわけではない。でも普通×はスコアに記入するだけで読まないし、勝ったチームの得点を先に言って、単に「4−3」としますよね。読み方からして分からないというタイトルはこれが初めてではなかろうか。内容の方は北野武監督の前作「その男、凶暴につき」と同様、暴力に重点が置かれている。というよりも暴力そのものがテーマである。構成に難はあるものの、現実味に欠ける場面はなくなり、前作よリまとまリはよかった。
暗やみにぼんやりと男の顔が浮かび上がって、映画は幕を開ける。と、一転して草野球の風景。スナック「イーグル」の常連客で作った(らしい)チーム「イーグルス」が対戦している。暗やみの男は、このチームの補欠で主人公の雅樹(小野昌彦=柳ユーレイ)だった。イーグルスは連戦連敗の弱小チーム。この日も9回裏に代打に出た雅樹が見逃しの三球三振に終わり負けてしまう。タイトル通りの野球の場面だが、映画にはこの後、もう一度試合の場面があるだけで(この時は4-3で負ける)、もちろん野球映画ではない。雅樹は喜怒哀楽を表面に出さない寡黙な男で、ガソリンスタンドに勤めている。試合が終わって仕事に駆け付けると、客として来たヤクザが店に言いがかりを付け始めた。怒りに駆られた雅樹はヤクザの腕を殴ってしまう。「骨折した」と声を荒げるヤクザ。組も脅しにかかわってきて騒ぎは大きくなる。イーグルスの監督隆志(井口薫仁=ガダルカナル・タカ)は元この組に属していたため、収拾に乗り出し、かつての弟分を痛め付けるが、仕返しされて大けがをする。「沖縄で拳銃を手に入れてさらに仕返しを」というわけで、雅樹とチームメイトの和男(飯塚実=ダンカン)は沖縄に向かうのだ。
構成に難がある、と書いたのはこの沖縄の場面が長すぎるためだ。雅樹たちはここで組の金を使い込んで、オトシマエを付けざるを得なくなった地元のヤクザ二人(ビートたけし、渡嘉敷勝男)に出会う。ヤクザたちが米兵から機関銃を手に入れて、組の幹部を殺すまでが延々と描かれ、途中でこちらが本筋なのではと思ってしまう。たけしの演技にはさすがに迫力があり、前作よりユーモラス(オカマ風のヤクザなのだ)。渡嘉敷勝男も意外に好演しているが、構成上のバランスを欠いたことは否めないだろう。 描写には相変わらずカがこもっている。人を殴りつける時のガツンという擬音の凶暴さや極めて淡々と進行し、細部に膨らみがないことも前作で慣れているから気にならなかった。好意的に見るならば、一人のさえない男が暴力団に立ち向かう姿を少しずつ定石を外して(外れて?)描いたと納得することもできる。ラストに再び暗やみに浮かび上がる雅樹の顔を出したことで、すべての話が雅樹の想像だったのではないか、との効果も出た。自分の理想の姿を雅樹が夢見ただけののかもしれない、との解釈もできるのである(夢オチというのは、あまり褒められたものではないが)。ユーモアを加えたことで前作より映画に幅ができたともいえるだろう。たけし軍団に僕はほとんど興味がないが、それぞれ良い味を出しており、それを引き出した監督の手腕は認められて良い。
ただ、前作同様、どうしても未完成感がつきまとうのだ。技術的にはあらゆる部分で確実に進歩してきてはいるが、今一歩というのが正直な感想である。別の題材の映画を見なければ、たけし監督の真価を見極めるのは難しい。(1990年10月号)
【データ】1990年 1時間36分 松竹=バンダイ
監督・脚本:北野武 製作:奥山和由 撮影:柳島克己 音楽:佐々木修
出演:小野昌彦 石田ゆり子 井口薫仁 渡嘉敷勝男 芦川誠 ジョニー大倉 井川比佐志 ビートたけし ベンガル
タイトル前の空撮がいい。風に乗ったカメラが野山を駆けめぐり、稲穂の上をかすめ、かかしの麦藁帽子を吹き飛ばす。山の中腹にあるサーカス小屋の中に入った風はオルガンを鳴らし、再ぴ空高く舞い上がっていく。爽快感があり、いかにも「風の又三郎」にふさわしい幕開けである。しかし、タイトルが出たあとに繰り広げられる物語からは、ついに何のときめきも感じることができないままに映画は終わってしまった。わずか数分のシーンに、その後の1時間半以上のドラマが負けているのである。
脚本は筒井ともみと、監督でもある伊藤俊也の共作。クレジットに“作品集よリ"とあるように、「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」など宮沢賢治の他の作品からのエピソードも取リ入れてある。東北の山村の分校を舞台に、原作には登場しない少女かりんの目から見た不思議な少年又三郎と子供たちの交流、大自然の美しさがファンタスティックに、あるいはノスタルジックに生き生きと描かれる、はずであった。確かに、脚本のストーリーだけを追ってみれぱそうなるのだが、完成した映画からは“生き生きと"の部分がすっぽりと抜け落ちている。子役の演技がまるでできていないのが、その大きな原因ではないかと思う。又三郎役の子供は完全にミスキャスト。ただのおとなしいだけの子供であって、神秘性などは皆無である。かリんはかわいい女の子だけれども、それだけのことだ。ほかの少年たちも素材としてはいいのだろうが、演技となると駄目。監督の指導もまずいのだろう。脚本自体も決して良い出来ではなく、例えば中途半端なまま終わる、かりんと母親のエピソードなどはないほうがいい。要するにこれは宮沢賢治の世界を詰め込みすぎて、1本の映画の脚本としてまとめきれていないわけだ。
とりあえず、製作者たちの一生懸命さは伝わってくるものがある。一生懸命やったのだけれども、それが実を結ばなかった不幸な例なのだ。それを「さそり」とか「誘拐報道」とか「花いちもんめ」とかの、一流になりきれない(必ずどこかに欠陥のある)伊藤俊也監督のせいぱかりとは言えないだろう。僕も何となく悪口を言いたくない気分なのだが、この程度の出来ではやっぱりまずいのではないか。見ていて思わず笑ってしまう幼稚な演 出もいくつかあった。「自然がきれいだ」とか「子役がいい」とかの肯定的な意見を言う目の不自由な観客も中にはいる(僕はそれすらも間違いだと思う)。そのレベルでどうこう言うのは、情けないではないか。少なくとも、映画であるならば、総体としてそれを上回る何かが必要だ。一つひとつの要素が組み合わさって相乗効果を上げていくのが本当なのに、この映画にはそんな部分が全くない。
にもかかわらず、“少年・青年・成人・家庭”の4部門で文部省特選。別に文部省のオススメがあったからといって映画が傑作であるとは限らない。むしろ、その反対の例が何と多いことか。この映画には青少年に有害な部分はないが、有益な部分があるとも思えもない。無害無益のこんな映画が文部省には好ましいのだろうかね。(1989年3月号)
【データ】1989年 1時間47分 朝日新聞社=東急エージェンシー=日本ヘラルド
監督:伊藤俊也 製作:一柳東一郎 前野徹 吉川為之 原作:宮沢賢治 脚本:筒井ともみ 撮影:高間賢治 美術:村木忍 音楽:富田勲
出演:早勢美里 小林悠 檀ふみ 草刈正雄 樹木希林 内田朝雄 岸部一徳 すまけい
昭和20年9月21日夜、僕は死んだ−。神戸三宮駅構内で、14歳の浮浪者清太が死ぬ。映画はこの清太の幽霊が回想する形で、4歳の妹・節子と清太自身が力尽きて死ぬまでを痛切に描く。幽霊の回想とは珍しい。映画を見た後に原作を読んだが、幽霊など出てこない。高畑勲はなぜこんな手法を用いたのか。それは物語が終わったあとに挿入されるラスト・ショットで明らかになる。清太と節子の幽霊が小高い丘の上からから、現在の神戸の街、ビルのネオンに光り輝く街を見下ろすショット。高畑勲はこの映画を単なる“お涙ちょうだいもの”にしたくなかったのだ。戦後生まれの世代に、この物語がはるか昔の、自分たちには関係のない話と受け取ってもらいたくなかったのだと思う。現代に通じる話であることを強調するために、どうしてもこのラスト・ショットは必要だった。だから原作にはない手法を取り入れたのである。
原作は、実際に1歳4カ月の妹を栄養失調で亡くした野坂昭如の体験を基にしている。ただし、これは30数ページしかない。高畑勲は原作を忠実にたどりながら、それを膨らませ、細部を情感たっぷりに、そして丹念に描き込んでいる。特に何度も登場する食事の場面が秀逸である。白いご飯、雑炊、サクマのドロップ、カルピス、梅干し、バター、乾パン、トマト、大豆入り雑炊、タニシ…。「いろんな味がするわあ」と言って、ドロップの缶に水を入れて飲む節子。家族にだけ白米の弁当を持たせるおば。機銃掃射を避けて、もぐりこんだ植え込みにトマトを見つけてかじりつく清太…。そのどれもが物語と密接につながっている。空襲で家と母親を亡くし、遠縁のおばから冷たい仕打ちを受けて、2人で生きてていかねばならなかった兄妹にとって、とにかく食べることが何よりも切実な問題であったことが、これで実感できる。
僕はこれほど豊穣な描写のある作品を、最近の日本映画でほかに知らない。実写の映画がどこかに忘れている細部の描写がここにはあり、それが十分な効果を上げている。アニメ、実写の枠を超えた傑作だと思う。戦争中に少年少女時代を送った世代にとって、これはたまらない映画だろう。きっと高畑勲にも原作に対してそういう切実な思いがあったのに違いない。作画、構成、声優(特に子役)、アニメーティングなどすべてにわたって恐ろしく完成度が高い。
しかし、とここで言っておかなければならない。しかし、なぜ今、「火垂るの墓」なのか。ラスト・ショットで現代につなげようとする意図は分かるのだが、この悲惨な話と現代の日本とがどのようにつながるのか、僕にはよく分からない。戦争が2人を死に追いやったとはいえ、反戦を訴えているわけではない。現代日本の繁栄の陰にこうしたかわいそうなエピソードがあった、などという安易なことが言いたかったのでもあるまい。ホタルのようにはかない命の灯を散らした兄妹の話は、あまりにもあの時代で完結しすぎている。
キネ句983号の「『火垂るの墓』と現代の子供たち」と題する高畑勲の文章は、そうした疑問に対するひとつの回答になるかもしれない。「清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子どもたちとどこか似てはいないだろうか。…家族の絆がゆるみ、二重三重の社会的保護ないし管理の枠にまもられている現代。…戦争でなくてもいい、もし大災害が襲いかかり、相互扶助や協調に人を向かわせる理念もないまま、この社会的なタガが外れてしまったら、裸同然の人間関係のなかで終戦直後以上に人は人に対し狼となるに違いない。…戦後40年を通じて、現代ほど清太の生き方死にざまを人ごととは思えず、共感しうる時代はない」
しかし、僕にはこうした悲しすぎる結末は耐えられない。その救いの意味も込めて、高畑監督は2人の幽霊を登場させ、ファンタスティックな効果を持たせたのだろうが、これは基本的には逃げではないだろうか。幽霊を出したことによって、原作にある、一種の潔さを映画はなくしている。それは個的な体験を基にした小説を、現代と強引に結びつけたことによって生じた破綻と言えはしまいか。
映画を見ながら、僕は何となく小栗康平の「泥の河」を思い浮かべていた。あの映画もハッピーエンドではなかったが、悲しさだけではないプラス・アルファの部分があった。それは主人公の成長であったと思う。宿舟の親子に出会い、別れたことで、主人公は確実に大人への階段を踏み出した。人生の厳しさも学んだ…。広がりのあるラストだったと思う。 「火垂るの墓」は聞違いなく、今年これまでに公開された日本映画のベストだと確信するが、僕にはどうしてもわだかまりが残る。この映画が悲しい話だとだけ受け取られてしまっては、結局“お涙ちょうだいもの”としての機能しか果たさないことになるのではないか。あのラスト・ショットに説得力を持たせる何かが必要だったのではないだろうか。(1988年5月号)
【データ】1988年 1時間30分 新潮社
監督・脚本:高畑勲 原作:野坂昭如 キャラクターデザイン・作画監督:近藤喜文 美術:山本二三 音楽:間宮芳生
声の出演:辰巳努 白石綾乃 志之原良子 山口朱美 端田宏三 酒井雅代 野崎佳積 松岡与志雄
主人公の溥儀が戦犯収容所でニュース映画を見るシーンを、配給会社が勝手にカットしたとかしないとかで話題を呼んだこともあって、この映画ヒットしているらしい。南京大虐殺は日本人に反発を買うとの心配から、配給会社が自主規制しようとしたということだが、結果的にはニュース報道が抜群のPR効果を持ったようで、ご同慶の至りである。問題のシーンは別に珍しいものではなく、これまでの映画でもたびたび目にしてきたニュースフィルムの一部。この程度のものをカットしようとは、噴飯ものだ。観客をなめているとしか思えない。もっとも、この国には「南京大虐殺はなかった」と、バカのひとつ覚えのように繰り返す右翼文化人もいるし、教科書からさえもその種の記述は消されているのだから仕方のないことかもしれない。そのニュース映画は日本軍による残虐シーンを延々と見せたあと、広島への原爆投下シーンで終わる。この構成は、アジアの映画ではまったく普通のものらしい。日本軍に蹂躙された国々にとって、広島の原爆とは極悪人に対する天罰でしかない、との記述が本多勝一の著作にあったと記憶する。
さて、ベルナルド・ベルトルッチの8年ぶりの大作「ラストエンペラー」は、しかし、そのような些末な部分をカットされようとも、その偉大な芸術的価値をいささかも損なうことはなかっただろう。セルジオ・レオーネが自作の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について「これこそが映画だ」と自負を持って語ったのと同じ意味で、これこそが本当に素晴らしい映画なのだと僕は思う。
映画を見る前に目にしていたいくつかの批判は、残念ながら当たってはいた。後半、溥儀が満州国の皇帝となってから描写が駆け足になるとか、東洋に対するエキゾチズムが作品の基調であるとかいった点は、確かに否めない。僕も中国入が英語をしゃべるのには違和感を持った。だが、そうしたことが、わずかな傷としか思えないほど、この映画には大作らしい風格と内容が備わっている。日本を悪く描いているから"日本たたき"の材料になるなどというのは、映画の本質を理解できない人のタワゴトだろう。
映像で言えば、前半の紫禁城内部の宮廷絵巻が興味を引く。名手ビットリオ・ストラーロのカメラは、華麗な衣装や当時の風俗を陰影豊かに写し撮っている。映画は戦犯収容所に入れられた溥儀の回想で語られるのだが、収容所内部の冷たい色調と豪華絢燗の紫禁城との対比が際立っている。セットから衣装まで、どれもリアルで重厚感がある。ベルトルッチはこうした、ヴィスコンティの映画を思わせるぜいたくな作りで、清朝最後の皇帝が庭師にまで落ちていく過程を描ききっている。安易なセンチメンタリズムに流されることもなく、悲劇を強調するのでもなく、その手法はきわめて客観的である。こういうのをプロの仕事と言うのだろう。僕は映画の作り自体、技術そのものに強い感動を覚えた。スタンリー・キューブリック「パリー・リンドン」にあるような、完成度の高い映像がここにはある。
しかし、本当の感動はラストシーンにやって来た。この場面は実話として進行した映画が唯一フィクションヘと転化する場面であり、ベルトルッチの作家としての意思表明である。映画史上に残る名シーン、と言いきってしまおう。
10年間の収容所生活を終えた溥儀は、庭師として平穏な生活を送っている。1967年、かつて自分に思想教育を施した収容所の総監が文化大革命によって犯罪者とされ、見せしめのパレードにいるのを目にする。駆け寄って、「この入は立派な入です」と弁護するが、少年紅衛兵たちには相手にされない。呆然とする溥儀は観光用として公開されている紫禁城に向かう。立入禁止の札を越えて、即位の階段を上ろうとした時に、一人の少年が溥儀を呼び止める。
「守衛の父親と一結にここに住んでいる」と胸を張る少年に、薄儀は「私もかつてはここに住んでいた」と答える。その証拠として、階段の上にある椅子の後ろから缶を取り出す。3歳で即位した時に、一人の兵士がくれたコオロギを入れた缶である。手渡された少年が缶のふたを開けると、中からあのコオロギが出てくる。あたりを見回すと、溥儀の姿は既に消えている…。
もちろん、一匹のコオロギが60年以上も缶の中で生き続けるわけがない。ベルトルッチは、長いあいだ閉じ込められたコオロギが外に出る姿に、溥儀の本当の解放を重ね合わせたのである。紫禁城から天津の租界地、満州、収容所と、溥儀は半生を幽閉されたまま過ごした。収容所から出たあとも、思想想教育で無理に考え方を変えさせられたのだから、本当の解放感はなかっただろう。かつての総監の変わり果てた姿を目にした時に、初めて溥儀はすべての束縛から自由になったのである。コオロギはその比喩にほかならない。
大作を締めくくるに,ふさわしい余韻のあるラストだ。まさに夢のようなシーン。僕は胸が熱くなった。ベルトルッチは、単に溥儀の一生を再現しただけではない。その一生に対する自分の解答を最後に付け加えた。そこに僕は、ベルトルッチの作家性を強く感じる。今さら言うまでもなく、ベルナルド・ベルトルッチは一流の映画作家なのである。(1988年3月号)
【データ】1987年 2時間43分 イタリア=イギリス=中国
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:ベルナルド・ベルトルッチ マーク・ペプロー 撮影:ビットリオ・ストラーロ 音楽:坂本龍一 デヴィッド・バーン スー・ソン
出演:ジョン・ローン ジョアン・チェン ピーター・オトゥール 坂本龍一 ヴィヴィアン・ウー