エイプリルの七面鳥

Pieces of April

「エイプリルの七面鳥」パンフレット「ギルバート・グレイプ」「アバウト・ア・ボーイ」の脚本家ピーター・ヘッジズの監督デビュー作。癌の母親のために七面鳥を焼こうとするエイプリルの奮闘を描く。アパートの住人たちの協力を得ながら感謝祭の七面鳥を焼くエイプリルと、エイプリルのいるニューヨークに向かう家族の様子を交互に描きながら、ヘッジスは徐々にドラマのシチュエーションを明らかにしていく。エイプリルが親にとってまったくよい子ではなかったこと、母親が癌で余命幾ばくもないこと(母親がかつらであることが途中分かるが、あれは抗ガン剤のためなのだろう)。終盤、家族はエイプリルのアパートの前まで行きながら、結局、立ち寄らずにレストランへ向かう。そこのトイレで母親はある少女とその母親の諍いを見て、気持ちを翻す。そして幸福感あふれるラストシーンへとつながる。ナレーションが多かった「アバウト・ア・ボーイ」とは違って、淡々とした描写の積み重ねで内面描写は一切ない。エイプリルが七面鳥を焼こうと思った気持ちも説明されないが、行動を通して登場人物たちの思いを描き出そうとするヘッジスの狙いはうまくいっていると思う。だめ押し的な演出をしないことに好感が持てる。

「アバウト・ア・ボーイ」同様、クスクス笑える作りである。エイプリル(ケイティ・ホームズ)は黒人のボビー(デレク・ルーク)とニューヨークの小汚いアパートに住んでいる。七面鳥を焼こうと準備していたら、オーブンが故障しているのが分かる。ボビーは既にどこかへ出かけ、修理もできず大家もいない。仕方なくエイプリルはアパートの住人たちの部屋を訪ね、オーブンを貸してくれるよう頼む。その頃、エイプリルに招待された家族4人は祖母を拾ってニューヨークに向かう途中。祖母は半分ぼけかかっている。車の中での家族の会話からエイプリルが家族に迷惑ばかりかけた存在だったことが分かる。招待されたけれども、いやいや向かっているというのがありあり。しかし、父親だけは違う。いい思い出がないという妻が車を降りたのを追って、「だからいい思い出を作りに行くんだ」と話す。癌が進行している妻と娘が理解し合えるのはこれが最後のチャンスなのである。

エイプリルが苦労しながら七面鳥を焼く姿は壊れた家族の絆を取り戻したいという気持ちと容易に重ねることができるけれども、それを映画は力を込めて言っているわけではない。そこがスマートだ。ことさらドラマティックな演出をしないことが洗練につながっている。

アパートに住む優しい黒人夫婦やピンチの時に助けてくれた親切な中国人家族の描写に対して、高級オーブンを持っている独身の白人男は嫌なやつに描かれる。そこにヘッジスのスタンスが感じ取れる。絶賛はしないが、いい作品だと思う。母親を演じたパトリシア・クラークソンは昨年のアカデミー賞で助演女優賞にノミネートされた。

【データ】2003年 アメリカ 1時間20分 配給:ギャガ・コミュニケーションズ
監督:ピーター・ヘッジズ プロデューサー:ジョン・ライオンズ ゲアリー・ウィニック アレクシス・アレグザニアン 製作総指揮:ジョナサン・ゼリング キャロライン・キャプラン ジョン・スロス 脚本:ピーター・ヘッジズ 撮影:タミ・レイカー プロ策ション・デザイン:リック・バトラー 衣装:ローラ・バウアー 音楽:ステフィン・メリット
出演:ケイティ・ホームズ パトリシア・クラークソン デレク・ルーク アリソン・ビル ジョン・ギャラガー・ジュニア アリス・ドルモンド リリアス・ホワイト イザイア・ウィットロック・ジュニア シスコ ショーン・ヘイズ オリバー・プラット アーマンド・リエスコ

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バタフライ・エフェクト

The Butterfly Effect

「バタフライ・エフェクト」パンフレット冒頭に出る説明によれば、バタフライ・エフェクトとは一匹のチョウの羽ばたきが地球の反対側で台風を引き起こすかもしれないというカオス理論に基づく。レイ・ブラッドベリは太古のチョウを踏みつぶしたことで現代が異様に変化するという短編「雷のとどろくような声」(「雷のような音」、A Sound of Thunder)を書いたが、この映画もそういう趣向である。パンフレットでSF作家の梶尾真治は「時間SFの傑作として私は記憶にとどめようと思っている」と書いている。確かに時間テーマのSFではあるのだが、これは人生をやり直せたらというifの世界を描いた映画と言った方が近い。主人公の今の体が過去に帰るのではなく、過去の自分に戻るからだ。愛する女性の悲惨な状況を変えるために何度も過去にさかのぼる主人公は、やがて不幸の要因となった決定的な出来事を知る。その出来事がとても皮肉である。同時に主人公にとって苦しく切ないものであり、映画は深い余韻を残して終わる。

個人的な好みから言えば、最後の処理はもっと情感を高めてくれると良かったと思うが、よくできた物語だと思う。序盤にある少年時代のエピソードの描写がしっかりしており、その後の展開に無理がない。ラブストーリー一辺倒ではなく、スリラー、サスペンス風味も強いのが独特なところ。脚本・監督のエリック・ブレス、J・マッキー・グラバーのコンビは「デッドコースター」(「ファイナル・デスティネーション」の続編で、これは第1作よりも面白かった)の脚本も担当したそうで、なるほどと思う。

「この街で(私が)腐る前になぜ帰ってこなかったの」。主人公のエヴァン(アシュトン・カッチャー)は小学生時代、引っ越しの際に“I'll come back for you.”と書いた紙を幼なじみのケイリー(エイミー・スマート)に見せて街を出る。大学生になって街に帰った時にはケイリーは食堂のウエートレスになり、やつれた様子をしていた。ひどい父親(エリック・ストルツ)と粗暴な兄(ウィリアム・リー・スコット)が一緒では、その生活が荒んでいることは容易に想像がつく。ケイリーはこの言葉をエヴァンに投げつけて、自殺してしまう。エヴァンは子どものころから時折記憶をなくすことがあり、それが過去に帰れる能力と結びついていることを最近知った。精神を病み、入院させられた父親から受け継いだものらしい。エヴァンは過去に戻ってケイリーの不幸の原因を取り除くが、過去を変えたことで現在に別の重大な変化が訪れる。エヴァンは再び過去にさかのぼらざるを得なくなる。そしてそれもまた別の重大な変化を引き起こす。そうやってエヴァンは何度も過去にさかのぼることになる。

少年時代のエピソードが残酷だ。離婚したケイリーの父親にはロリコン趣味があり、ロビン・フッドの映画と撮るといって、地下室でケイリーとエヴァンを裸にする。これは幼児虐待を暗示した描写であり、ケイリーのトラウマになるのももっともだと思わされる。こういう父親に育てられたケイリーの兄は凶暴な性格になり、映画館で年上の男を痛めつけ、ダイナマイトを使った事故で近所の母子を犠牲にし、エヴァンの犬を焼き殺す。これがエヴァンの親友でぜんそくのレニー(エルデン・ヘンソン)を引きこもりの性格にしてしまう。こうした少年時代の悲痛なエピソードは映画のトーンに暗い影を落としている。過去を変えることで現在がころころ変わる描写は一歩間違えればコメディみたいになるところなのだが、この暗さが逆に幸いしていると思う。

この映画、続編の製作が発表されている。容易に続けることができる話ではあるが、ブレスとグラバーは脚本のみの担当らしい。

【データ】2003年 アメリカ 1時間54分 配給:アートポート
監督:エリック・ブレス J・マッキー・グラバー プロデューサー:クリス・ベンダー A・J・ディックス アンソニー・ルーレン JC・スピンク 脚本:エリック・ブレス J・マッキー・グラバー 撮影:マシュー・F・レオネッティ プロダクション・デザイン:ダグラス・ヒギンズ 衣装デザイン:カーラ・ヘットランド 音楽:マイケル・サビー エンディング曲:オアシス「ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト」
出演:アシュトン・カッチャー エイミー・スマート エルデン・ヘンソン ウィリアム・リー・スコット ジョン・パトリック・アメドリン アイリーン・ゴロヴァイア ケヴィン・G・シュミット ジェシー・ジェームズ ローガン・ラーマン サラ・ウィドウズ ジェイク・ケーゼ キャメロン・ブライト メローラ・ウォルターズ エリック・ストルツ カラム・キース・レニー ロレーナ・ゲイル イーサン・サプリー ケヴィン・デュランド

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オープン・ウォーター

Open Water

「オープン・ウォーター」パンフレットスキューバ・ダイビングに来た男女が海の真ん中に取り残されるサスペンス。1998年、オーストラリアのグレート・バリア・リーフで起きた実際の事件を元にしている。取り残された男女は最初は助け合い、慰め合うが、そのうちにひどい状況に置かれたことに怒りを覚え、相手の責任とののしり合う。さらに周囲にはサメの群れが来て絶望的な状況に陥る。果たして2人は助かるのか。

設定は事実に基づいていても、内容はフィクション。どうやって助かるのか、生き残るためにどうするのかという興味で見ていくと、ラストで肩すかしを食う。インディペンデントの映画で、予算は50万ドル以下。デジタルビデオカメラで撮影し、上映時間79分。CGは使わず、撒き餌をして本物のサメを引き寄せて撮影したそうだ。まずメジャーでは許されない撮影方法だろう。サンダンス映画祭で評判を取り、全米公開された話題作だが、怖いシチュエーションのみ優れているという印象を持った。低予算映画でもまずまず面白い作品は作れるという好例ではあるが、話の展開にもう一工夫欲しかったと思う。シチュエーションを超えるアイデアがないのである。

パンフレットによると、実際の事件では2人がいなくなったことが分かったのは2日後という。捜索しても死体は発見されず、遺留品のみ見つかった。事件から半年後、「だれか助けて」と書かれたスレートが漁船によって発見された。映画はこの題材を元にしていても、スレートに文字を書く場面などはないし、設定だけを借りて自由に創作されている。監督のクリス・ケンティスの興味は極限状況に置かれた男女の心理を描くことにあったという。クラゲやバラクーダー、サメに襲われ、何時間も水中にいることで体は冷えてくる。脱水症状も起こる。想像したくもないシチュエーションの中で人はどうなるのか。映画はそういう描写については健闘している。ケンティスは「ジョーズ」の中でロバート・ショーが語った軍艦インディアナポリスの乗組員についてもリサーチして話を組み立てていったという。けれども、まだまだ物足りない。話の動かしようがないシチュエーションなのは分かるが、2人の背景を含めて描いていけば、もっと映画的にもっと面白くできたのではないか。どうせなら、事実に迫る姿勢が欲しかったと思う。事実の方が面白そうなのだ。設定を借りただけというのなら、明確にフィクションとして発展させていった方が良かっただろう。

それができなかったのは低予算のためもあったかもしれない。デジタルビデオカメラの映像は粒子が粗く、序盤では特に気になった。こういう映像ならば、素人でも撮れるなという感じなのである(監督も言っているが、デジタルビデオカメラならば、自宅のパソコンでも編集できる)。ただ、やはり本物の役者を使っているのは強みで、主演のブランチャード・ライアンとダニエル・トラヴィスはなかなか好演している。特にブランチャード、序盤にほとんど観客サービスだけが目的としか思えないヌードシーンがある。そういうシーンを入れているのを見ると、ケンティス監督、けっこう計算高い商業主義の監督ではないかと思えてくる。

【データ】2004年 アメリカ 1時間19分 配給:ムービーアイエンタテインメント
監督:クリス・ケンティス プロデューサー:ローラ・ラウ 共同プロデューサー:エステル・ラウ 脚本:クリス・ケンティス 撮影:クリス・ケンティス ローラ・ラウ 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ブランチャード・ライアン ダニエル・トラヴィス ソウル・スタイン エステル・ラウ マイケル・E・ウィリアムソン クリスティーナ・ゼナーロ ジョン・チャールズ

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ヒトラー 最期の12日間

Der Untergang

「ヒトラー 最期の12日間」パンフレットタイトルの意味よりもベルリン陥落か第三帝国の崩壊という感じの内容だなと思ったら、原題はDer Untergang(没落、破滅という意味とのこと)。その通りで特にヒトラーに焦点を絞った映画ではない。だからパンフレットにある「戦後初めてヒトラーを注視した映画」というニューヨークタイムズの批評には疑問を感じる。これまでの映画の中で描かれた悪の象徴としてのヒトラーよりは人間性が描かれているのだろうが、映画の中のヒトラーはベルリン陥落を前に錯乱した人物としか思えないぐらいの描き方である。ヒトラーは戦争を無用に長引かせることによるベルリン市民の犠牲など何とも思っていず、人間性を肯定的に描いた映画では全然ない。第一、ヒトラーがエヴァ・ブラウンとともに自殺した後も映画は延々と続くのだ。とはいっても、日本では昭和天皇をこのヒトラーのように描いた映画などこれまでまったくないことを考えれば、まだまだドイツはえらいと言うべきか。

映画はヒトラーの秘書となり、その最期まで身近にいたトラウドゥル・ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)の視点が中心になっている。実は映画で最も心を揺さぶられたのは物語が終わった後に実在の年老いたユンゲが登場するラストである。ここでユンゲはニュールンベルク裁判までユダヤ人が600万人も虐殺されたことを知らなかった、と話す。しかし、自分がヒトラーの秘書になったのと同じ年で虐殺されたユダヤ人女性のことを知り、後悔の念を語るのだ。「もし、私が目を見開いていれば、気づけたはずです」。それはユンゲだけではない。ドイツ国民の多くは目を見開いていなかった。いや、見開いているのに自分が見たものの意味が分からなかった。分かったのにそれを自分に隠していた。隠さずに間違いを主張すれば、殺されるのだから仕方がないとも言えるのだが、映画で描かれたことは60年前に終わったことではないという思いを強くする。そういう状況はいつの時代でもあり得ることだろう。ユンゲの言葉はだからこそ重い。

映画を見て強く印象に残るのはバカな独裁者の妄想を信じた人々とそれに疑問を呈する人々が同じように戦争の犠牲になっていく姿である。砲撃で犠牲になる市民、ヒトラーの自殺の後を追うように自殺する側近たち、裏切り者として親衛隊から殺される男たち、軍を盲目的に信じてソ連兵に銃を向ける少年たち、寝ている間に母親から毒殺されるゲッベルスの子どもたち。この映画、反戦のスタンスを少しも崩していない。同時にドイツも戦争末期は日本と同じような状況だったのだなと思わされる。どこの国も崩壊する時の状況は同じようなことになるのだ。

監督は「es[エス]」のオリバー・ヒルシュビーゲル。刑務所内で役割を固定されたことによる人間性の崩壊を描いた「es」はこの映画に通じるものがあると思う。ヒトラーを演じるのは「ベルリン 天使の詩」のブルーノ・ガンツ。

【データ】2004年 ドイツ 2時間35分 配給:ギャガ・コミュニケーションズ
監督:オリバー・ヒルシュビーゲル 製作:ベルント・アイヒンガー 原作:ヨアヒム・フェスト「ヒトラー 最期の12日間」 トラウドゥル・ユンゲ メリッサ・ミュラー「私はヒトラーの秘書だった」 脚本:ベルント・アイヒンガー 撮影:ライナー・クラウスマン 音楽:ステファンツ・ツァハリアス 美術:ベルント・ルベル
出演:ブルーノ・ガンツ アレクサンドラ・マリア・ララ コリンナ・ハルフォース ウルリッヒ・マテス ユリアーネ・ケーラー ハイノ・フェルヒ クリスチャン・ベルケル トーマス・クレッチマン

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