アバウト・ア・ボーイ

About a Boy

「アバウト・ア・ボーイ」一度も働いたことがない独身男を主人公にしたコメディ。「ブリジット・ジョーンズの日記」を製作したワーキング・タイトルが、今度は30代の男の本音を語る、というのが売りである。だが、モノローグが多いのが似ているのを除けば、「ブリジット…」との共通点はあまりない。「ブリジット…」が等身大の独身女性を主人公にしていたのに対して、ウィルのような生活を送(れ)る男はほとんどいないだろう。ニック・ホーンビィの原作はイギリスでベストセラーとなったそうだが、これは男の本音を語った映画というよりも、軽妙な展開を楽しむ映画。イギリスらしいユーモアがあふれ、出来の良いシチュエーションコメディとなっている。もちろん、そこにちょっぴり本音も混ぜてある。

「シングル・マザーは手つかずの金鉱」。シングル・マザーと付き合ってきれいに別れたことに味を占め、ウィル・フリーマン(ヒュー・グラント)は子どもはおろか結婚さえしていないのに、SPAT(シングル・ペアレントの会)に出かけていく。ウィルは38歳の独身男。父親がヒットさせたクリスマス・ソングの印税で生活し、働いたことがない。女との付き合いは長くて2カ月。他人が自分の生活に入ってくるのを嫌い、後腐れのない付き合いを求めているわけだ。なんともうらやましいご身分だが、SPAT(あまり若い美人がいないのが笑える。そうそう都合良くはいかないのである)で知り合ったスージー(ビクトリア・スマーフィット)が連れてきた友人の息子マーカス(ニコラス・ホルト)に出会ったことで、気ままだがどこか物足りなかった人生から脱却することになる。マーカスはウィルとは正反対に厳しい現実と向き合っている。奇抜なファッションの母親(トニ・コレット)は自殺未遂騒ぎを起こすし、パンを焼けば、石のように硬い。そのうえ学校ではいじめられている。マーカスは母親には誰か頼れる男が必要だと考え、ウィルに白羽の矢を立てる。放課後、ウィルの家に毎日通うようになる。

話として面白いのは普通ならマーカス意図通り、母親とのウィルのロマンスを展開させるところなのに、そうはならず、ウィルは別のシングル・マザーのレイチェル(レイチェル・ワイズ)に一目惚れする。それが中心になるかと思えば、これはあくまでエピソードの一つで映画はウィルとマーカスの関係に焦点を絞っていく。つまりこれは“ボーイ・ミーツ・ボーイ”によって起きる話なのである。ウィルとマーカスが互いに影響しあって、マーカスのいじめからの脱却とウィルの生き方の見直しをクロスさせていくのがうまい展開である。タイトルが少年のように気ままなウィルも指しているのは明らかで、ヒュー・グラントにぴったりな役柄だ(来日記者会見でニコラス・ホルトは「ウィルという人物はライフスタイルから女性関係まで、ヒューそのものだよ」と話したそうだ)。監督は「アメリカン・パイ」のポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ兄弟。ワイズとスマーフィットがシングル・マザーの魅力を見せて良かった。

【データ】2002年 イギリス 1時間42分 配給:UIP
監督:ポール・ウェイツ クリス・ウェイツ 製作総指揮:ニック・ホーンビィ リン・ハリス 製作:ジェーン・ローゼンタール ロバート・デ・ニーロ ブラッド・エプスタイン ティム・ベバン エリック・フェルナー 原作・ニック・ホーンビィ 脚本:ピーター・ヘッジス ポール・ウェイツ 撮影:レミ・アデファラシン 衣装:ジョアナ・ジョンストン プロダクション・デザイン:ジム・クレイ
出演:ヒュー・グラント トニ・コレット レイチェル・ワイズ ニコラス・ホルト ビクトリア・スマーフィット シャロン・スモール ナット・ガスティアン・ティナ イザベル・ブロック アウグストゥス・プリュー

[HOME]

サイン

Signs

「サイン」パンフレットシックス・センス」「アンブレイカブル」のM・ナイト・シャマランの新作。ラストでがっかりする人が多いようだが、その理由、よく分かる。結局、そういうありきたりのことが言いたかったのか、シャマランは。ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽はヒッチコック映画のバーナード・ハーマンを思わせて、シャマランもヒッチコックを意識したのかもしれない。しかし、ヒッチコックは間違ってもこんな教条主義的なことは映画に持ち込まなかった。決定的に脚本がまずい。シャマランに必要なのは(普通の出来なのに評価されすぎた)「シックス・センス」はフロックで、自分の脚本は三流なのだという認識と、もっと面白い話を書ける(シャマランのアホな話の展開を修正できる)脚本家なのだと思う。こんな脚本に8ケタのギャラを払う映画会社もバカだ。

例によって、ストーリーは詳しく書けないたぐいの映画である。ペンシルバニア州バックス郡のグラハム・ヘス(メル・ギブソン)のトウモロコシ畑にミステリー・サークルが出現する。同時に飼い犬のフーディニが凶暴化し、幼い兄妹を襲う。街でもおかしなことが起こり始める。やがてミステリー・サークルは世界各地に出現していることが分かる。短時間で大量に出現したことをみると、いたずらではあり得ない。これは何かの兆候(サイン)なのか。と、書けるのは予告編で描かれたここまでである。映画は表面上、50年代SF映画風に進行する。古くさい手法だが、これでもまともに撮れば、それなりの映画にはなっただろう。事実、シャマランの演出は決して悪いわけではない。小さな街の一家族に焦点を絞り、世界各地の異常現象の恐怖とサスペンスを集約させている。「光る眼」や「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」が成功したのは舞台を広げすぎなかったからで、シャマラン、その点では過去のSFを踏襲しているのである。

グラハムは弟(ホアキン・フェニックス)と2人の子どもとともに家の窓を塞ぎ、地下室に逃げる。この描写は外で何が起こっているか分からず(テレビやラジオで間接的に示唆される)、なかなかのサスペンス。ただ、子どもが喘息にかかっているという設定は「パニック・ルーム」に似てしまった。先行する映画があるのだから、変えたいところだが、ここを変えると、終盤の主人公の心境の変化が描きにくくなるし、少なくとも、単にサスペンスの一要素に過ぎなかった「パニック・ルーム」よりは必然性がある。

困るのはこの50年代SF風の話にシャマランがちっとも興味を持ってないらしいこと。SFを愛していないと言ってもいい。ここで語られるのはすべて主人公の変化を語るための材料なのである。これはどこかの団体の宣伝映画かと思えるほど。アメリカではどうだか知らないが、日本ではこんな結論、受けないだろうと思う。「アンブレイカブル」の批評で「シャマランはSF映画の中心的存在になるのではないかと思う」と書いたが、撤回しておく。シャマランはSFを分かっていない。興味があるのは謎や神秘というたぐいのものだろう。この映画のアプローチに科学的なものは皆無だし、SF的なアイデアの発展はかけらもない。終盤に分かる敵の弱点は唖然とするほどのばかばかしさである。これを本気で作ったとしたら、シャマランに深く同情するほかない。

【データ】2002年 アメリカ 1時間47分 配給:ブエナビスタ インターナショナル
監督:M・ナイト・シャマラン 製作:M・ナイト・シャマラン フランク・マーシャル サム・マーサー 製作総指揮:キャスリーン・ケネディ 脚本:M・ナイト・シャマラン 撮影:タク・フジモト プロダクション・デザイン:ラリー・フルトン 衣装デザイン:アン・ロス 視覚効果監修:エリック・ブレビック ステファン・ファングメイヤー 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:メル・ギブソン ホアキン・フェニックス ローリー・カルキン アビゲイル・ブレスリン M・ナイト・シャマラン パトリシア・カレンバー

[HOME]

ジャスティス

Hart's War

「ジャスティス」パンフレット第2次大戦中のドイツの捕虜収容所を舞台にした映画。こういう舞台設定の映画も久しぶりに見た。監督は「オーロラの彼方へ」「悪魔を憐れむ歌」などのグレゴリー・ホブリットで、「オーロラ…」同様、詰めが甘い。いやそれ以前に話がさっぱり面白くない。話の中心になってくるのは捕虜収容所内で起きた殺人事件で、冤罪の黒人士官を救おうとする主人公ハート中尉(コリン・ファレル)を描くのだが、事件が発生するまでになんと1時間近くもかかる。ハート中尉が捕虜になるまでの描写などは、ばっさり切り捨てて、黒人士官が収容所に来る場面から始めるとか、もっと焦点を絞るべきだっただろう。一つ一つの場面は悪くないのに、全体の構成がまずく、深みに欠ける映画になってしまった。コリン・ファレルが主人公として魅力があれば、もう少しましだったのかもしれないが、どう見てもブルース・ウィリスに負けているし、おいしい役回りもウィリスに取られている。

原題はHart's Warで、ジョン・カッツェンバック原作の映画化。ハート中尉はエール大学で法律を学び、上院議員の息子であるため前線には出たことがなかったが、上官を車で送る途中、MPを装ったドイツ兵に捕らえられる。拷問を受けて、味方の燃料庫の場所を教えたハートは捕虜収容所に送られる。収容所はマクナマラ大佐(ブルース・ウィリス)が米兵をまとめていた。ハートの嘘を見抜いたマクナマラ大佐は「士官宿舎は満員」との理由で、ハートを一般兵の宿舎に入れる。そこはベッドフォード(コール・ハウザー)という二等軍曹が仕切っていた。不自由な収容所生活の中でタバコや靴も巧みに用意するベッドフォードは黒人への人種差別意識があり、収容所に来た黒人士官2人を上官にもかかわらず迫害する。黒人士官の1人はベッドフォードの罠で冤罪を着せられ、処刑される。そしてベッドフォードが何者かに殺される事件が起きる。容疑はもう一人の黒人士官にかかった。マクナマラ大佐は収容所を統括するドイツ軍のビッサー大佐(マーセル・ユーレス)に軍法会議を開くよう要求。ハートに黒人士官の弁護を命じる。

「大脱走」と「ア・フュー・グッドメン」を組み合わせたような映画といえば、聞こえはいいが、先に書いたように焦点が絞れず、どちらも中途半端に終わっている。主人公が拷問で口を割ったことを偽った前半の描写がその後の展開に絡んでこないのはどう見ても脚本と演出のミスだろう。凡作という表現がぴったりの作品である。「オーロラの彼方へ」もそうだったが、前半と後半で話が分裂してしまうのはホブリット監督がテレビ出身で、1時間程度のドラマ作りが染みついてしまったからかもしれない。だいたい、「ジャスティス」というあまり良くもないタイトルの映画は過去にアル・パチーノ主演の法廷もの(ノーマン・ジュイソン監督)があるのだから、日本の配給会社ももう少し他に考えるべきだった。

【データ】 2002年 アメリカ 2時間5分 配給:ギャガ=フーマックス
監督:グレゴリー・ホブリット 製作:デヴィッド・ラッド デヴィッド・フォスター グレゴリー・ホブリット アーノルド・リフキン 製作総指揮:ウォルフガング・グラッツ 原作:ジョン・カッツェンバック 脚本:ビリー・レイ テリー・ジョージ 撮影:アラー・キヴィロ 美術:リリー・キルバート 衣装:エリザベータ・ベラルド 音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ブルース・ウィリス コリン・ファレル テレンス・ハワード コール・ハウザー マーセル・ユーレス ライナス・ローチ ヴィセラス・シャノン

[HOME]

ロード・トゥ・パーディション

Road to Perdition

「ロード・トゥ・パーディション」パンフレットアイルランド系マフィアのボスの息子と父親の殺人の場面を目撃したために、マフィアに追われ、「破滅への道」を歩むことになる父と息子の物語。妻と次男は殺され、父親は復讐を誓い、長男とともに逃亡生活をしながら反撃に出る…。「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス監督は実にオーソドックスな物語をオーソドックスかつ映画的技法を駆使して、立派な作品に仕上げた。言うまでもなく、「アメリカン・ビューティー」より完成度は上であり、話の行く末は分かっていながらも、深い感銘がある。特に感心したのは映画的な技術を過不足なく使っていることで、例えば、殺し屋のジュード・ロウが登場する場面の逆ズーム(トラックバックしながらのズームアップ)とか、ここぞという場面のアクセントとして実によく決まっている。あるいはジュード・ロウとダイナーで対峙するトム・ハンクスのこめかみをゆっくりと流れる一筋の汗、長い逃亡生活を反映したワイシャツのえりの汚れなど、映画でなければ表現し得ない緻密な見せ方をメンデスは各所に駆使している。メンデスは演劇出身だが、映画的な技法を十分に身につけており、今やこういうオーソドックスな監督の方が少なくなってしまったから、とてもとても貴重な存在である。

映画のノベライゼーションが多い作家マックス・アラン・コリンズの原作(グラフィック・ノベル)は「子連れ狼」にインスパイアされたそうで、あの傑作劇画と同じような設定、展開である。拝一刀ならぬマイケル・サリヴァン(トム・ハンクス)は家庭では寡黙な父親だが、ロック・アイランドの街を牛耳るジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)の信頼が厚い凄腕の殺し屋だった。父親の仕事を知らない息子のマイケル・サリヴァン・ジュニア(タイラー・ホークリン)は車に隠れて父の仕事を目撃する。ルーニーの息子コナー(ダニエル・クレイグ)が話し合いの途中で突然男を射殺したため、父親はマシンガンで男の部下を皆殺しにする。コナーはルーニーから射殺をとがめられ、さらに事件が発覚するのを恐れてマイケルと息子を殺そうと図る。マイケルは難を逃れたが、妻と次男は自宅で殺される。マイケルは息子とともに逃亡し、復讐の機会をうかがうが、コナーが差し向けた殺し屋マグワイア(ジュード・ロウ)が親子に迫ってくる。

話はシンプルだし、ありふれてもいるのだが、デヴィッド・セルフ(「ホーンティング」「13デイズ」)の脚本はルーニーとコナー、マイケルと息子という2組の親子を対比させながら、父と息子の愛情の深さを描き出す。コナーのマイケルへの殺意はルーニーとマイケルの親子のような信頼関係への嫉妬が多分にあり、カインとアベルの物語も下敷きにしているのだろう。さらにこれはマイケルと2人の息子の関係にも投影されており、物語はシンプルながらも陰影に富んだものとなっている。アメリカの田舎の農家の夫婦を出してきて、殺伐とした雰囲気の中で古き良きアメリカを感じさせたり(この老夫婦が再び顔を出すラストは絶対そうなると分かっていながらも涙、涙である)、自分と同じ道を歩んで欲しくないと願う父親の愛情の深さをクライマックスの前に十分に描き出すなど大変うまい。しかし、脚本以上にメンデスの演出は緩急自在かつ間然とするところがない。緻密な描写で物語を組み立て、無駄を一切廃している。格調高く、ほぼ完璧な演出と言えるだろう。

トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウの演技も充実している。二枚目のジュード・ロウはよくぞここまでという感じの怪演で、儲けどころの役柄をきっちりと演じきった。息子役のタイラー・ホークリンも繊細な感じがよく、トーマス・ニューマンの音楽も素晴らしく、1930年代を表現した美術、撮影、衣装も高い水準にある。父親と息子の関係を核にもってきたことで、大衆性までも備えており、これはもう“ロード・トゥ・オスカー”は間違いないのではないかと思える。「アメリカン・ビューティー」でのアカデミー受賞はフロックではなかった。メンデスはこの映画で本当に一流監督の仲間入りをしたと思う。

【データ】2002年 アメリカ 1時間59分 配給:20世紀フォックス
監督:サム・メンデス 製作:リチャード・D・ザナック ディーン・ザナック サム・メンデス 製作総指揮:ウォルター・F・パークス ジョーン・ブラッドショー 原作:マックス・アラン・コリンズ(ストーリー) リチャード・ピアーズ・レイナー(イラスト) 脚本:デヴィッド・セルフ 撮影:コンラッド・L・ホール 美術:デニス・ガスナー 衣装:アルバート・ウォルスキー 音楽:トーマス・ニューマン
出演:トム・ハンクス ポール・ニューマン ジュード・ロウ ジェニファー・ジェイソン・リー タイラー・ホークリン ダニエル・クレイグ キアラン・ハインズ クレイグ・スパイドル イアン・バーフォード ステファン・ダン ポール・ターナー デヴィッド・ダーロウ ディラン・ベイカー ケヴィン・チェンバリン ダク・スピヌッザ 

[HOME]