エミリー・ローズ

「エミリー・ローズ」パンフレット京極堂の力がいるな、と思う。憑物を落とすには京極堂が一番である。日本の狐憑きと同じように西欧の悪魔憑きも精神的な病の一つだろう。昔の人は病名が分からなかったので、狐憑きとか悪魔憑きとか言ったにすぎないのだと思う。この映画は旧西ドイツで1970年代にあった実際の事件をモデルにしている。神父から悪魔祓い(エクソシズム)を受けた女子大生が衰弱死する。その神父が罪に問われ、裁判でまともに悪魔憑きを論じるというのがもう、言うべき言葉をなくす。悪魔がいるとかいないとかの議論は日本人(というか非キリスト教徒)には関係ない世界の話のように思う。精神病の薬をやめさせたことで症状が悪化したという検察側の主張の方にいちいち納得させられるのだが、それでは映画として面白くないと思ったのか、神父の弁護士(ローラ・リニー)の身辺にも奇怪な現象が起きる。これが極めて控えめな怪異なので、ホラーにはなっていない。ホラーなら徹底的にホラー、裁判劇なら裁判劇に徹した方が良かったのではないか。この映画の結論はどっちつかずで面白みに欠けるのだ。映画自体は丁寧な作りだし、弁護士役のローラ・リニーも颯爽としていていいのだけれど、地味な印象は拭えず、平凡な出来に終わっている。題材へのアプローチの仕方が凡庸なのである。

奨学金を受けて大学に行くことになったエミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)はある晩、午前3時に焦げ臭いにおいで目が覚める。エミリーは激しい痙攣と幻覚に襲われる。その症状は次第に悪化し、クラスメートの目が黒く溶けたり、通行人の顔が恐ろしい形相に変わったりする。入院しても症状はひどくなるばかり。自宅で静養することになったエミリーと家族はムーア神父(トム・ウィルキンソン)に悪魔祓いを依頼する。しかし、それは失敗。エミリーは変わり果てた姿で死んでしまう。自然死ではなかったことから、ムーア神父は逮捕され、その弁護を女性弁護士のエリン・ブルナー(ローラ・リニー)が担当することになる。

エリンが弁護を引き受けたのは名声と事務所の肩書きが欲しかったからだ。たとえ有罪であっても無罪を勝ち取る戦略なので、最初は神父に証言させないつもりだったが、「この裁判には闇の力が働いている」という神父の言葉通りにエリンの周囲にも奇怪な出来事が起こるようになり、エリンは考えを改め、神父に証言させることにする。そこからエミリーの悪魔祓いの実際が明らかになっていく。

証言によって事件のさまざまな様相が明らかになる構成について監督のスコット・デリクソンは黒沢明「羅生門」の影響と語っている。それならば、「羅生門」で死んだキャラクターを霊媒が呼び出して証言させたようにエミリー自身の証言も欲しかったところではある。エミリーに証言させるつもりが実は悪魔を呼び出してしまって、とかいう展開にすると、大きくホラーの方に傾くことになっただろう。そういう破天荒な展開を脚本に盛り込めなかったのは想像力の限界ということか。あるいは監督が本気で悪魔が存在するかどうかを議論したかったのか。いずれにしても、もう少しスーパーナチュラルな要素を増やした方が映画は面白くなったと思う。

ちなみにエミリーが霧の中を歩くシーンも同じく黒沢の「蜘蛛巣城」を参考にしたそうだ。映像の作りについては不備なところは見あたらないが、際だってうまいわけでもない。裁判の判事役で久しぶりのメアリー・ベス・ハートが出ていた。

【データ】2005年 アメリカ 2時間 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
監督:スコット・デリクソン 製作:ポール・ハリス・ボードマン トリップ・ヴィンソン ボー・フリントム・ローゼンバーグ ゲイリー・ルチェッシ 脚本:スコット・デリクソン ポール・ハリス・ボードマン 撮影:トム・スターン 美術:デヴィッド・ブリスビン 音楽:クリストファー・ヤング 衣装デザイン:ティシュ・モナガン
出演:ローラ・リニー トム・ウィルキンソン キャンベル・スコット コルム・フィオール ジェニファー・カーペンター メアリー・ベス・ハート ショーレ・アグダシュルー ジョシュア・クローズ ケネス・ウォルシュ ダンカン・フレイザー JRボーン ヘンリー・ツェーニー

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タイフーン

Typhoon

「タイフーン」パンフレット復讐の鬼と化したシンをもっと詳細に描くべきだったのだと思う。北からも南からも見捨てられ、家族を殺されたシン(チャン・ドンゴン)の恨みは一応描かれるのだけれど、それが南北朝鮮に核廃棄物を降らせるテロにまで説得力を持たせているかというと、そうはなっていない。激しいアクションを納得させる動機付けの部分が弱い。はっきり言って、前半はどんなに激しいアクションがあろうとも退屈。中盤、姉の口からシンの身の上が明らかになってエモーション的に盛り上がるのだけれども、以降はまたも激しいアクションだけで退屈。ドラマとアクションの融合がうまくいっていない。韓国の国家機関の人間から描くのではなく、これはシンの立場から描くべき話だったのだと思う。クァク・キョンテク監督はアクション場面の撮り方は合格点だけれども、ドラマの描き方に課題を残している。

アメリカ船籍の貨物船が海賊に襲われ、乗員を皆殺しにされて積み荷を奪われる。奪われたのは核ミサイル用の衛星誘導装置。日米両国は韓国に黙認を要請するが、韓国国家情報院は独自の捜査を始める。捜査に当たるのはアメリカで特殊訓練を受けたカン・セジョン(イ・ジョンジェ)。カンは海賊のリーダーがシンという男であることを突き止める。シンは誘導装置と引き替えにロシアから30トンの核廃棄物を手に入れようとしていた。シンは20年前に家族とともに北朝鮮から亡命しようとしたが、韓国政府は受け入れず、両親は北朝鮮兵士の手で殺された。シンと中国ではぐれ、今は娼婦となった姉のミョンジュン(イ・ミヨン)からその詳細を聞いたカンはミョンジュンと会わせることを条件にシンから誘導装置を取り戻そうとする。しかし、ロシアに既に誘導装置が渡ったと知った韓国政府は作戦の中止を命じ、シンを殺そうとする。

シンの意図は台風を利用して核廃棄物を積んだ多数の風船を朝鮮半島に運び、そこで爆発させることだった。クライマックスは史上最大級の台風が2個接近する中で、シンの船に乗り込み、テロ行為をやめさせようとするカンとその部隊の活躍が描かれる。アクション場面には別に何の文句もない。オリジナリティがそれほどあるわけではないけれども、日本のアクション映画に比べれば、はるかに迫力があり、よくできている。ただし、アクション映画の魅力というのは単なるアクションだけにあるのではない。登場人物の心情がいかに激しいアクションにシンクロしていくかにかかっているのだ。そこがこの映画は弱いと思う。「ブラザーフッド」の時にも思ったのだが、アクションの割に細部の作り込みが雑に感じるのだ。

カンの上司役で阪本順治「KT」のキム・ガプスが出演。相変わらず凄みのある顔つきをしていて良い感じである。チャン・ドンゴンもイ・ジョンジェも顔つきだけはアクション映画にぴったりな感じ。脚本をもっとうまく作ってさえいれば、傑作になっていたのにと思う。それにしても南北分断の悲劇が描かれるあたりで映画の雰囲気がきりっと引き締まるのは日本映画にはない長所だなと思う。こうした政治的材料がないのが日本のアクション映画の弱いところなのだろう。

【データ】2005年 韓国 2時間5分 配給:東映
監督:クァク・キョンテク プロデューサー:ソン・セフン 脚本:クァク・キョンテク 撮影:ホン・ギョンピョ 水中撮影:キム・ジェミン 音楽:キム・ヒョンスク
出演:チャン・ドンゴン イ・ミヨン イ・ジョンジェ キム・ガプス デヴィッド・リー・マキニス シン・ソンイル イ・ファン チェ・ジウン

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ニュー・ワールド

The New World

「ニュー・ワールド」パンフレットテレンス・マリック監督7年ぶりの作品。前作の「シン・レッド・ライン」はビデオで見たので、マリック作品を劇場で見るのは「天国の日々」以来20数年ぶり。アメリカ先住民の少女ポカホンタスとイギリス人入植者ジョン・スミスの愛がいつものように美しい映像で綴られる。映像の美しさなど普段の僕ならあまり気にもとめないところ(映画はスジだと思うのだ)だが、マリック作品の映像は重要なファクターになっている。モノローグと少ないセリフ。それを補うのが雄弁な映像なのである。前半、異文化同士がおずおずと接触し、ファーストコンタクトがワーストコンタクトに発展していく様子はとても面白く、一般的な侵略戦争と共通するものがあるように思う。自然とともに生きる先住民の生活の素晴らしさに対して入植者たちは飢えに苦しむ。マリックの狙いはそんなところを描くことにあったのではないか。だから、後半、ポカホンタスが中心になり、舞台がイギリスに移ると、映画の輝きに陰りが見えてくる。新大陸だけで完結した方が良かった話なのだと思う。

1607年、北アメリカのヴァージニアに3隻の船でイギリス人入植者たちがやってくる。それを遠巻きに先住民たちが見つめる。反乱罪で監禁されていたジョン・スミス(コリン・ファレル)は処刑されそうになるが、ニューポート船長(クリストファー・プラマー)は罪を許し、先住民との交渉役に任命する。川の上流には強大な王ポウハタン(オーガスト・シェレンバーグ)が治めるコミュニティがあるらしい。先住民の一人に案内させて川をさかのぼったスミスはそこで捕らえられる。ポウハタンが処刑を命じた時、末娘のポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)が命乞いをする。スミスは先住民たちと暮らすことになり、ポカホンタスと愛が芽生える。夢のような生活。しかし王は娘がよそ者と愛し合うのを快く思わず、スミスは入植地に帰される。そこには砦が築かれていたが、食糧は乏しく、中は惨憺たるありさまだった。やがて入植者と先住民の間で争いが起こる。

という前半が素晴らしく良い。入植者たちが飢えに苦しむ描写は「北の零年」前半の北海道開拓者たちの苦闘を思わせる。あの映画でアイヌと開拓者の間に戦争はなかったが、入植者は侵略者であり、土地を守ろうとする先住民との間で争いが起きるのは必然だっただろう。自然とともに生きる先住民の様子は川の流れ、風の揺らぎ、柔らかな光を十分に捉えて撮影され、映画の魅力になっている。撮影は実際のヴァージニアにあるチカホミニー川上流で行われた。ここの風景を撮影監督のエマニュエル・ルベツキ(アカデミー撮影賞ノミネート)が余すところなく伝えている。だからポカホンタスが入植地に人質にされ、先住民の衣服から洋服に着替え、レベッカという洗礼名を与えられるに従って映画は失速してくる。マリックの映画には自然が欠かせないようだ。

ポカホンタスはイギリス国王に謁見した記録が残っている実在の人物だが、アメリカでの物語は伝説であり、映画で描かれたこともフィクションが多いのだろう。16歳のクオリアンカ・キルヒャーの素朴な風貌が映画の内容に実に合っていたと思う。

【データ】2005年 アメリカ 2時間26分 配給:松竹
監督:テレンス・マリック 製作総指揮:ビル・メカニック トビー・エメリッチ マーク・オーデスキー トリッシュ・ホフマン ロルフ・ミットウエッグ 脚本:テレンス・マリック 撮影:アマニュエル・ルベツキ プロダクション・デザイン:ジャック・フィスク 衣装デザイン:ジャクリーン・ウェスト 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:コリン・ファレル クリスチャン・ベール クオリアンカ・キルヒャー クリストファー・プラマー オーガスト・シェレンバーグ ウェス・ステューディ デヴィッド・シューリス

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カーズ

Cars

「カーズ」パンフレットピクサーの3DCGアニメだが、ジョン・ラセターの監督・脚本作としては「トイ・ストーリー2」以来7年ぶり。新人レースカーのライトニング・マックイーンがラジエーター・スプリングスという寂れた町で人間的な成長を果たす姿を描く。もう端的にスピード重視、最短距離重視ではなく、ちょっと寄り道してもいいじゃないか、という映画。自分の勝利よりも人間的な在り方が大事という当たり前のことを当たり前に描いた映画である。

脚本もきちんと定跡をふまえた展開になっている。そういうストレートな映画は最近少ないし、「俺、お前を選んで良かったよ」「何に?」「親友!」という人のいいレッカー車のメーターとライトニング・マックイーンの会話などはアニメでなければもはや成立しないのではないかと思う。子供を連れて見に行った大人も楽しめる作品で、大人の方が作品の深い部分には共感できるだろう。驚くのはCGの技術で、最近のピクサーアニメの中でもピカイチの出来。車のスピード感あふれる走りや光沢、動きに加えて、レース場の観客席の大量の車の細かい描写に感心した。音響効果もエンジン音、走行音なども細かい。丁寧に作られたファミリー映画の手本みたいな作品と思う。

自動車レースのピストン・カップでライトニング・マックイーンは新人初のチャンピオンとなることを目指していた。ライバルは今シーズン限りでの引退を決めているキングと万年2位のチック・ヒックス。マックイーンはトップに躍り出るが、ピットインで時間節約のためガソリン補給だけでタイヤ交換をしなかったため、タイヤが破裂。ゴール直前でキングとヒックスに追いつかれ、3台が同時にゴールして、あらためてカリフォルニアで再レースをすることになる。運搬用トラックのマックでカリフォルニアに向かったマックイーンは居眠りしたマックから落ちてはぐれてしまう。マックイーンはラジエーター・スプリングスという寂れた町にたどり着くが、ひょんなことから道路を壊してしまい、警察に捕まり、道路補修を命じられる。

ラジエーター・スプリングスはかつては栄えた町だが、近くに高速道路ができたために訪れる人もなくなり、地図からも名前が消えてしまった。都会での弁護士生活に疲れ、ラジエーター・スプリングスに来たサリーは言う。「かつての道路は今のように地形を無視したまっすぐなものじゃなくて、地形に沿って走っていた。最短距離を移動するものじゃなくて、移動を楽しむものだったのよ」。急いで生きる人生を見つめ直す。効率よりも人間性。そういうニュアンスの言葉が映画には散りばめられていて、シンプルな主張になっている。擬人化した車たちによって語られる寓話と言えようか。ラセターはそれを無理なく語っている。

僕が見たのは日本語吹き替え版。かつての名レーサーで、心に傷を持つドック・ハドソンの声をポール・ニューマンが演じているそうで、これはどうしても字幕版が見たくなる。

【データ】2006年 アメリカ 2時間2分 配給:ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)
監督:ジョン・ラセター 共同監督:ジョー・ランフト 製作:ダーラ・K・アンダーソン 製作補:トム・ポーター 脚本:ジョン・ラセター 音楽:ランディ・ニューマン
声の出演:オーウェン・ウィルソン ポール・ニューマン ボニー・ハント ラリー・ザ・ケーブル・ガイ ジョージ・カーリン ポール・ドゥーリイ チーチ・マリン ジェニファー・ルイス トニー・シャループ キャサリン・ヘルモンド マイケル・ウォリス リチャード・ペティ マイケル・キートン ジョン・ラッツェンバーガー

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