48歳の中年プレイボーイと22歳の難病女性の恋。取り立てて新しいわけでもない題材をジョアン・チェン監督はじっくりと見せる。紅葉のセントラル・パークから、街を白一色に染めた雪のクリスマスまで、短い期間に本当の愛に目覚めた男女を切なくロマンティックに描いている。ウィノナ・ライダーが素晴らしく良い。輝くばかりの美しさとともに、少女のような純粋さと聡明さ、生に対するひたむきな思い、愛に揺れ動く心情を細やかに表現している。この映画、ことウィノナ・ライダーに関しては満足度が高い。しかし、難病もののパターンに入っていく後半の展開にはがっかりさせられる。脚本のアリソン・バーネットは細部に工夫を凝らしてはいるのだが、結局、従来のパターンを乗り越えられないのなら、そうした工夫にはあまり意味がない。監督2作目のジョアン・チェンの演出に目立った不備はなく、リチャード・ギアをはじめ脇役に至るまで好演しているだけにこのありふれたパターンと結末は残念だ。
ウィル・キーン(リチャード・ギア)はニューヨークのレストランのオーナー。1人の女だけを真剣に愛することができず、つき合いはいつも数週間で終わる。女を次々に“断頭台に送っている”男である。ウィルのレストランである夜、シャーロット(ウィノナ・ライダー)の22歳のバースデーパーティーが開かれた。シャーロットは幼い頃両親を亡くし、祖母ドロレス(エレイン・ストレッチ)に育てられた。今は帽子のデザインをしているユニークな女。ドロレスから声をかけられたウィルはシャーロットがかつて自分が愛した女性リン(ジル・ヘネシー)の娘だったことを知る。翌日、ウィルはシャーロットに電話で、パーティーに連れて行く女性のために帽子を作って欲しいと依頼する。これをきっかけに26歳の年の差を超えて二人の交際が始まる。もちろん、ウィルはいつものように数週間でなくなる関係と思っていたが、一夜をともにした翌朝、シャーロットは自分が重い心臓病であることを告げる。乳幼児に多い神経芽腫という大人には珍しい病気だった。発作で倒れたシャーロットとともに病院を訪れたウィルは担当医(メアリー・ベス・ハート)から1年の命と告げられる。
映画はこの2人の関係のサイドストーリーとしてウィルと娘リサ(ヴェラ・ファミーガ)との関係を描く。幼いころに母親とともにウィルから棄てられたリサは自分が結婚し、妊娠したのを機会に父親を捜していた。雑誌の表紙になったウィルを見て、会いに来るのである。最初は冷たい態度を取るが、父親がシャーロットとの愛に苦しむ姿を見て、理解するようになる。このサイドストーリーがうまく本筋に絡んでこないのが惜しい。シャーロットとリサはウィルにとってどちらもかつて自分が愛した女の娘である。この設定で脚本家は何を言いたかったのか、十分にこちらに伝わってこない。多分、アリソン・バーネットの技術的な問題なのだと思う。
それともう一つ。冒頭にセントラルパークの橋の上でウィルが数週間つき合った女を振る場面がある。橋の下にはボートに乗ったシャーロットがいる。この場面を見て、これは回想で、シャーロットのために女と別れる設定なのかと思ったら、そうではなかった。それなら、最初に二人がすれ違った場面のはずなのだが、その後いっこうにこの場面に関するセリフは出てこない。ちょっと理解に苦しむ。編集段階で切ったのかもしれないけれど、切り方に問題があると思う。
【データ】2000年 アメリカ 1時間47分 レイクショア作品 配給:日本ヘラルド映画
監督:ジョアン・チェン 製作総指揮:テッド・タンネバウム ロン・ボズマン 製作:エイミー・ロビンソン ゲイリー・ルケーシ トム・ローゼンバーグ 脚本:アリソン・バーネット 撮影:クー・チャンウェイ 音楽監修:ピーター・アフターマン 音楽:ガブリエル・ヤレド 衣装:キャロル・オーディッツ
出演:リチャード・ギア ウィノナ・ライダー エレイン・ストリッチ アンソニー・パラグリア ヴェラ・ファミーガ ジル・ヘネシー シェリー・ストリングフィールド
ポール・バーホーベン監督の透明人間もの。皮膚が裂け、筋肉や骨があらわになりながら人体が徐々に消えていくSFXは見応えがある。ここで激痛を伴うというのが描写とぴったりな感じである。SFXに関しては非常にレベルが高く、十分楽しませてもらった。もともと邪悪で傲慢だった天才科学者が透明になったことでさらに邪悪になり、仲間の科学者を殺戮するというストーリーだから、一種のマッド・サイエンティストものなのだが、SFマインドには乏しく、ホラーとしての仕上がり。バーホーベンらしいエネルギッシュでセクシーな場面もあるけれど、脚本に工夫がなく、後半の展開はよくあるスラッシャー映画である。SFに理解のある脚本家を起用し、クライマックスの展開を一ひねりすると、良かったかもしれない。ケヴィン・ベーコン、エリザベス・シューはともに好演している。
天才的な科学者セバスチャン・ケイン(ケヴィン・ベーコン)はペンタゴンの地下にある透明人間研究チームのリーダー。動物実験で透明化はすぐにできたが、それを元に戻す方法が見つかっていなかった。ある日、ついにケインは復元の方法を発見。ゴリラの実験でも成功した。ケインは上層部には秘密にしたまま、自分を人体実験にして透明人間になる。3日間で元に戻る予定だったが、復元の血清を注射しても元に戻れない。人間ではうまくいかなかったのだ。透明となったままのケインは徐々にその力に酔い、横暴な振る舞いを始める。ケインの元恋人で科学者のリンダ(エリザベス・シュー)と同僚のマシュー(ジョシュ・ブローリン)は上司のクレイマー博士(ウィリアム・ディベイン)に報告するが、ケインは博士を殺し、秘密を守ろうとする。そして仲間の科学者を地下の研究室に閉じこめ、一人一人惨殺していく。
H・G・ウエルズの「透明人間」は科学者の悲劇的な側面も含んでいたように思う。この映画では単なる化け物としての扱いである。透明になったケインが隣のビルに住む憧れの女の部屋に侵入したり、女子トイレに入ったりする描写はいかにもバーホーベンらしい下品さ。クライマックスの惨殺シーンも火と水と血糊べったりの描写が展開される。エンタテインメントだから別にこれでもいいのだが、バーホーベンのオランダ時代の作品(「危険な愛」や「4番目の男」「女王陛下の戦士」など)に比べると、いかにも軽い。見終わって印象に残るのはSFXだけである。ハリウッドに移って2作目の「ロボコップ」が成功を収めたため、バーホーベンが撮る映画はSFが多くなった。しかし、本質は別のところにあるだろう。バーホーベンの演出が僕は好きだし、その力も大いに認めている。もっと自分に合った題材を撮って欲しいものである。
【データ】2000年 アメリカ 1時間52分 コロンビア映画提供 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント配給
監督:ポール・バーホーベン 製作総指揮:マリオン・ローゼンバーグ 製作:ダグラス・ウィック アラン・マーシャル 脚本:アンドリュー・W・マーロウ 撮影:ジョスト・バカーノ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 衣装:エレン・ミロジェニック プロダクション・デザイン:アラン・キャメロン 特殊効果:ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス ティペット・スタジオ アマルガメイテッド・ダイナミクス CG&ビデオ・ディスプレイ:バンド・フロム・ザ・ランチ・エンタテインメント
出演:エリザベス・シュー ケヴィン・ベーコン ジョシュ・ブローリン キム・ディケンズ グレッグ・グランバーグ ジョーイ・スロトニック メアリー・ランドル ウィリアム・ディベイン ロナ・トミラ
傑作になりうる題材だった。クールな遮那王(浅野忠信)とがむしゃらな弁慶(隆大介)の対決に加え、遮那王を狙う平家、弁慶に遺恨を持つ湛塊(舟木誠勝)が入り乱れて、アクションが展開されるのに、肝心のアクション(殺陣)の描写が弱すぎる。これは単に技術的な問題で、殺陣そのものではなく見せ方(撮り方)がなっていないのである。手持ちカメラで画面をがたがた動かしては見にくいだけである。暗く陰気なトーンやメリハリのない演出など至る所に不備な点はあるが、一番大きな弱点はこのアクションにあると思う。伝奇時代劇、あるいは“剣と魔法”の映画としての魅力を最優先に成立させるべきだったのだ。アクションを主眼に置いていない大島渚「御法度」や市川崑「どら平太」に比べても、この映画の殺陣の弱さははっきりするだろう。石井聰亙、もっと頑張って欲しい。
平安時代末期、平家は源氏に勝ち、世を支配したが、京の町では夜な夜な平家武者が襲われ、鬼の仕業と恐れられていた、というのが発端。鬼の正体は源氏の生き残りで後の源義経である遮那王で、源氏の再興を目指し、殺戮を繰り返していたのだ。その頃、武蔵坊弁慶は夢の中で不動明王から「鬼を斬って光明を得よ」とお告げを受けた。弁慶はかつて女子どもさえ殺す悪党だったが、高僧の阿闍梨(勅使河原三郎)に命を助けられて心を入れ替え、仏の道を歩んでいる。阿闍梨は「斬ることで光明は得られない」と止めるが、弁慶は耳を貸さず京へ向かう。これにかつての宿敵湛塊の一味と平家の軍団が絡み、4つどもえの争いを展開する。
弁慶が刀鍛冶の鉄吉(永瀬正敏)とともに、遮那王が潜む逢魔ケ森に入る場面が霊戦記の“霊”を象徴する場面となる。遮那王と弁慶の気の対決なのだが、ここにはSFXはまったく使われず、雰囲気のみ。これがちょっと残念。気を表現する効果は何か出来なかったのかと思う。SFXと言わずとも、もっとおどろおどろしい雰囲気が欲しかった。また、安時代末期を忠実に再現したためか、セット、衣装とも極めて薄汚い。京の町というよりどこかの山奥の村である。リアルもいいが、こういうアクションの場合、スタイリッシュさも欲しいところだ。
弁慶と遮那王の設定など史実を超えていく物語の展開は極めて魅力的なのである。なのに出来上がった映画からはその魅力が欠落している。映画を製作する上で細かい部分に計算違いがあったのではないか。2時間17分の上映時間も長すぎる。ただし出演者は頑張っている。弁慶役の隆大介、遮那王役の浅野忠信とも好演。それ以上に格闘家の舟木誠勝と舞踏家の勅使河原三郎の雰囲気のある演技に感心した。この2人は演技者としても十分やっていけるだろう。物語を見届ける役柄の永瀬正敏にはもう少し息抜き的な軽さが欲しかったが、これは演出上の問題で本人に非はない。
【データ】2000年 2時間17分 製作:サンセントシネマワークス WOWOW 配給:東宝
監督:石井聰亙 プロデューサー:仙頭武則 脚本:石井聰亙 中島吾郎 原案:石井聰亙 大崎裕伸 諏訪敦彦 撮影:渡部眞 美術:磯見俊裕 音楽:小野川浩幸 衣装:二宮義夫 殺陣:中瀬博文 ビジュアルエフェクトスーパーバイザー:古賀信明
出演:隆大介 浅野忠信 永瀬正敏 岸部一徳 國村隼 勅使河原三郎 光石研 舟木誠勝 城明男 鄭義信 成田浬 細山田隆人 栗田麗 美加理 内藤武敏 高橋隆大 浅田修生 張春祥
天才的な頭脳を持つが、内気でデブでちょっと間抜けなクランプ教授が巻き起こすスラップスティックの第2弾。描写が下品、下ネタばかり、志が低い。結論を言えば、そんな映画である。1人9役も演じるエディ・マーフィーにもゲップが出るほどうんざりする。芸達者なのは良く分かっているが、必ずしもこんなに演じる必要があったのか、極めて疑問だ。もっとうまい役者に普通に演じさせた方が良かったのではないか。はっきり言ってエディ・マーフィーの中年女性やお婆ちゃん役は醜悪で気持ち悪いだけである。しかも同じパターンの演技なので飽きてしまうのだ。こういうのがアメリカ映画の普通のユーモアであったなら、僕は失望する。もともと最近のアメリカ映画はコメディの質が著しく低下しているのだけれど、それにしてもセンスの良さがまったく感じられない映画である。9役も演じるのは大変だっただろうが、それが少しも実を結んでいないのはエディ・マーフィーの不幸と言うべきか。
プロットそのものは悪くない。痩せ薬を扱った前作に対して今回は若返りの薬。クランプ教授の大学はこれを製薬会社に売り込もうとしている。クランプは同僚のデニース(ジャネット・ジャクソン)に思いを寄せ、デニースの方も憎からず思っているらしい。しかし、デニースの家に招かれた際、クランプの邪悪な人格バディ・ラブが出現し、デニースの両親の前で失態を演じてしまう。常々、バディの人格を消したがっていたクランプは自分の遺伝子からバディの部分を抽出(こんなことはできません)。フラスコに入った遺伝子抽出液を犬が落とし、その中に犬の毛が混じったことからバディが肉体を得て出現してしまう。しかも抽出の副作用でクランプの頭脳は徐々に低下していく。これと並行して若返りの薬をめぐり、クランプ家の面々が右往左往する。
独自のアイデアが少ないとはいえ、SF的な設定だから好意的に見たいのだが、アイデアの発展のさせ方が不十分である。徐々に知能が低下していくのを知ったクランプはネズミと迷路競争をして何度も負ける。「アルジャーノンに花束を」を意識したのがありありと分かる場面だが、所詮、パロディにしか過ぎない。このほか「アルマゲドン」などのパロディもあるけれど、その場の(下品な)おかしさで終わっている。映画全体から見れば、不要としか思えない場面が多すぎるのだ。思いつきのおかしさで、とりあえず場面を書いてみました、といったレベル。脚本に4人も名を連ねながら、どうしてこんなレベルのものしか書けないのか。それに輪をかけてピーター・シーガル(「裸の銃を持つ男33 1/3 最後の侮辱」)の演出も凡庸過ぎる。救いはジャネット・ジャクソンと彼女の歌う「ダズント・リアリー・マター」のみだった。
基本的にクランプ教授の役柄は人の良いタイプでないと成立しない。エディ・マーフィーの場合、どう見ても単純に人の良いキャラクターにはならない。クランプの分身、バディ・ラブの方が本来の持ち味であると思う。自分に向いていないことをはっきり認識した方がいいし、お願いだから第3作は作らないで欲しい。
【データ】2000年 アメリカ 1時間47分 ユニバーサル映画 UIP配給
監督:ピーター・シーガル 脚本:バリー・W・ブロウスタイン デヴィッド・シェフィールド ポール・ワイツ クリス・ワイツ 原案:スティーブ・オーデカーク バリー・W・ブロウスタイン デヴィッド・シェフィールド 製作:ブライアン・グレイザー 製作総指揮:ジェリー・ルイス エディ・マーフィー トム・シャドヤック カレン・ケヘラ ジェームズ・D・ブルベイカー 撮影:ディーン・セムラー プロダクション・デザイナー:ウィリアム・エリオット 視覚効果スーパーバイザー:ジョン・ファーハット 特殊メイクアップ:リック・ベイカー 衣装デザイン:シャレン・デイビス 音楽:デヴィッド・ニューマン
出演:エディ・マーフィー ジャネット・ジャクソン ラリー・ミラー ジョン・エルス リチャード・ギャント アンナ・マリア・ホースフォード メリンダ・マックグロウ ジェイマル・ミクソン