悪いことしましョ!

BEDAZZLED

「悪いことしましョ!」 ハロルド・ライミスは俳優としてはあまりキャリアに恵まれていないが、コメディの監督・脚本家としての才能は個人的に注目している。監督として8作目となる今回の映画は主演に今絶好調のブレンダン・フレイザーを起用したことで成功を約束されたようなものだ。さえない青年が悪魔に7つの願いをかなえてもらう代わりに魂を売り渡す契約をする。かなえられた願いはことごとくどこかに欠陥があるというパターン。麻薬王になったり、世界一繊細な男になったり、バスケットボールの選手になったりで、ほとんどフレイザーのワンマンショー的趣向である。メイクアップも絶妙だが、フレイザーはすべての役回りで爆笑の演技を見せる。悪魔を演じるエリザベス・ハーレーも抜群のスタイルとお色気がよろしい。ライミスのコメディは、くだらない“しみじみ”とは無縁のカラリとしたところが良く、楽しめる映画に仕上がっている。

スタンリー・ドーネン監督が1967年に製作した同名作のリメイク。旧作では有名になる前のダドリー・ムーアが青年を演じ、悪魔をピーター・クックが演じたそうだが、僕は見ていない。双葉十三郎さんは「笑いがカラまわりしており、スタンリー・ドーネン監督にしては感心しない出来栄え」と評している。エリオット・リチャーズ(ブレンダン・フレイザー)は会社の同僚からも相手にされないさえない男。憧れのアリソン(フランシス・オコナー)に見事に振られ、「ああ、神様、アリソンと付き合えるなら僕は何でも捧げます」とつぶやいたところへ絶世の美女(エリザベス・ハーレー)が現れる。美女は自分を悪魔といい、願いをかなえるかわりに魂を売り渡す契約を迫る。思いあまっていたエリオットは分厚い契約書にサインしてしまう。最初の願いは“大金持ちでアリソンと結婚している権力者”。ところが、エリオットがなったのは南米の麻薬王だったうえにアリソンは部下と親密でエリオットを毛嫌い。その部下がエリオットの組織も乗っ取ろうと命を狙ってくる。悪魔からもらったポケベルで連絡し、エリオットは命からがら逃げ出す。

アリソンの好みが繊細な男と分かったため、エリオットは次にアリソンに愛される世界一繊細な男になる(このメイクが絶妙)。夕日を見ても涙ぐむ繊細さ。砂浜でエリオットは愛の歌をささやくが、アリソンはあまりの繊細さにあきれ、「もっと強い男がいいの」と他の男の元へ。しょうがない。今度は強くてたくましい身長2メートル以上のバスケットの選手になる。汗を滝のように滴らせながらインタビューに同じことしか答えない場面がいかにもありそうで笑わせる。アリソンは記者として現れ、体の割にあまりにも小さいエリオットの下半身を見て逃げる。という具合に願いはかなうけれど、必ずうまくいかないパターンが繰り返される。こういう脚本の場合、オチをどうするか難しいところ。7つの願いがかなってしまえば、エリオットは魂を失ってしまうのだ。脚本はまあ、常識的な手法でこれを乗り切っている。その後に続くハッピーエンドは個人的には「それはないだろう」と思うが、気楽な映画なので目くじらたてるほどではない。

オムニバス的な構成が楽しく、どのエピソードも軽く軽く作ってある。リチャード・エドランドが担当したSFXもよくできている。アリソン役のフランシス・オコナーがエリザベス・ハーレーよりも美的に劣るのは計算違いかもしれない。でもハーレーは完璧な美貌の底に、気の強さと意地の悪さが透けて見え、悪魔役にはピッタリな感じ。キャスティングで成功した部分が大きい映画だと思う。

【データ】2000年 アメリカ 1時間33分 20世紀フォックス映画配給
監督:ハロルド・ライミス 脚本:ラリー・ギルバート ハロルド・ライミス ピーター・トラン 製作:トレバー・アルバート ハロルド・ライミス 製作総指揮:ニール・マクリス 撮影:ビル・ホープ プロダクション・デザイナー:リック・ハインリックス 衣装デザイナー:ディーナ・アペル視覚効果スーパーバイザー:リチャード・エドランド 音楽:デイヴィッド・ニューマン 音楽スーパーバイザー:ドーン・ソーラ
出演:ブレンダン・フレイザー エリザベス・ハーレー フランシス・オコナー ミリアム・ショア オルランド・ジョーンズ ポール・アデルスタイン トビー・ハス

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ボーイズ・ドント・クライ

BOYS DOn'T CRY

「ボーイズ・ドント・クライ」 性同一性障害の女性を主人公にした力作。主演のヒラリー・スワンクが今年のアカデミー主演女優賞を受賞した。といっても、この問題を大上段に振りかざしているわけではなく、実際の殺人事件を映画化したものである。保守的なアメリカ中西部の息の詰まるような閉塞感と絶望感が充満しており、後半の展開は極めてショッキングだ。そしてここに至って性同一性障害に対する無知・偏見・差別がくっきりと浮かび上がる。これは被害者の立場から描いた犯罪ドキュメントとも言えるだろう。監督・脚本のキンバリー・ピアースは主人公への共感をこめて事件の経過を組み立て、ヒラリー・スワンクが熱のこもった演技でそれにこたえている。ただ、主人公の生い立ちや家庭環境はセリフで語られるだけなので、主人公がなぜ故郷を飛び出し、乱暴な男たちと行動を共にしなければならなかったのか、やや説得力に欠けるきらいはある。主人公の切実な生き方は十分伝わるのだが、映画の意図が見えにくい前半にこういう部分を描いておくと、もっと良かったと思う。

ネブラスカ州リンカーン。髪をショートカットにしたティーナ・ブランドン(ヒラリー・スワンク)が酒場に出かけるシーンから映画は始まる。酒場で知り合った女との騒動がさらりと描かれ、ブランドンはどうやら性転換を望んでいるらしい女であることが分かる。胸をさらしで巻き、股間には詰め物を入れ、ブランドン・ティーナと名乗って男のように振る舞っている。別の日、別の女キャンディス(アリシア・ゴランソン)を酔漢から助けたブランドンはキャンディスの仲間ジョン(ピーター・サースガード)、トム(ブレンダン・セクストン三世)とともに保守的な田舎町フォールズ・シティに向かう。すぐに町を離れるつもりだったが、ジョンの恋人(ジャネッタ・アーネット)の娘ラナ(クロエ・セヴィニー)に出会い、一目惚れしてしまう。ジョンは元詐欺師で定職もなく、暴力的な男。映画は前半、このグループに入るブランドンの様子をじっくりと描く。グループは自堕落な日々を送り、ラナの母親もまたアル中のような状態。誰もが明日への希望もなく、毎日を宛てもなく過ごしている。この前半の描写がやや単調である。

ブランドンはラナと徐々に親密となる。しかし、過去の盗みでリンカーンの裁判所に召喚された日に出廷しなかったため、フォールズシティの警察から女性用留置場に収監されてしまう。面会に来たラナにブランドンは「僕は両性なんだ」と打ち明ける。ラナのブランドンに対する思いはそれでも変わらなかったが、ラナの母親とジョンはそうではなかった。そして悲劇が始まる。

「男の子は泣かない」というタイトルはブランドンの「男はこうあらねばならない」という考えを現しているようだ。それはブランドンを「化け物」となじるラナの母親やジョンの考え方とも通じるものである。これは固定観念が生んだ悲劇なのだろう。ブランドンを受け入れるラナだけが柔軟な考え方の持ち主であり、悲惨な物語の中で唯一の救いとなっているが、そのラナでさえもブランドンと一緒に町を出ることには躊躇いを見せる。キンバリー・ピアース(いかにも才媛といった感じの33歳)は事件の当事者たちに取材し、物語を構成していったという。映画の作りで決して際だった技術があるわけではないけれど、テーマに対する真摯な姿勢は結実していると思う。何よりもヒラリー・スワンクの熱演は体の性と精神の性のギャップに悩むブランドンの葛藤を十分に伝えている。

【データ】1999年 アメリカ 1時間59分 20世紀フォックス映画配給
監督:キンバリー・ピアース 脚本:キンバリー・ピアース アンディ・ビーネン 製作:ジェフリー・シャープ ジョン・ハート エバ・コロドナー クリスティーン・ヴァッション 製作総指揮:パメラ・コフラー ジョナサン・セリング キャロライン・カプラン ジョン・スロス プロダクション・デザイナー:マイケル・ショウ 衣装デザイナー:ビクトリア・ファレル 音楽スーパーバイザー:ランドール・ポスター 音楽:ネーサン・ラーソン
出演:ヒラリー・スワンク クロエ・セヴィニー ピーター・サースガード ブレンダン・セクストン三世 アリソン・フォーランド アリシア・ゴランソン マット・マクグラス ロブ・キャンベル ジャネッタ・アーネット

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「顔」乱暴な比較をしてしまえば、「ボーイズ・ドント・クライ」のキンパリー・ピアースよりも阪本順治の方が演出の力は上である。なぜ、こんな比較をするのかと言えば、「ボーイズ・ドント・クライ」が上に書いたように男という性の固定観念に縛られた人たちの悲劇を描く映画だったのに対して、「顔」は自分に対する固定観念を打ち破っていく話だからである。そして阪本順治はこの過程を実に気持ちよく、分かり易く演出している。阪本順治の強みはこの分かり易さ、つまりいい意味での大衆性にあるのだと改めて思う。

藤山直美演じる主人公の正子は、意地の悪い妹(牧瀬里穂)を発作的に殺してしまったために引きこもり同然の生活からの脱却を余儀なくされる。警察からの逃走は当然のことながら日常からの逃走でもあり、そのことによって自分の可能性に目覚めていくわけである。離島からの脱出を図って海を必死に泳ぐ主人公をとらえたラストショットはいかにもこのヒロインにふさわしい力強さとたくましさに満ちており、こうならなければならないラストと言える。たとえ、その後に警察に捕まることが明白なシチュエーションであったにしても、ここで終わったことで映画は心地よい気分を残す。

加えて、この映画、出演者たちの演技が見事に充実している。本格的な映画は初めての藤山直美がうまいのは舞台の経験があるのだから納得はできるのだが、この肉体的にも図太い主人公がいなかったら、映画の魅力は半減したことだろう。主人公とレイプ同然に性交渉する酔っぱらいの中村勘九郎のいやらしさ、主人公を理解し、別府のスナックで雇う大楠道代の優しさをはじめ、その弟で元ヤクザの豊川悦司、スナックの常連客の國村準、主人公が思いを寄せる佐藤浩市、主人公の母親の渡辺美佐子、ラブホテルの支配人岸部一徳など、脇を固める人々もすべて好演している。特に手首に傷を持つ大楠道代は生活感と人生への疲れをにじませた、さすがというべき演技。自分が傷ついて生きてきただけに他人の痛みが分かる人間であり、主人公は大楠道代に出会ったことで決定的な変化を遂げる。こういう演技を引き出すのも監督の手腕なのだろう。

ヒロイン像とテーマは今村昌平「赤い殺意」に通じるものがある。そして「赤い殺意」同様、この映画も人間をまず丁寧に描くことに気を配っているようだ。リストラされた会社の資料を持ち出して「俺、間違ったことをしてしまった」と言う佐藤浩市に対して「私、間違ったことをする人好きです」と答える藤山直美の言葉は、みなそれぞれに弱さを抱えたこの映画の登場人物に対する監督の視点でもある。警察の手が迫り、スナックから逃げ出した主人公が別れの電話をかける場面で、大楠道代が「サヨナラなんて言わずにまたいつか会おうよ」と引き止める場面の切実さ、あるいは主人公が佐藤浩市に向かって「もういっぺん生まれ変わって、また私と会ったら、一緒になるって約束してください。うん、って言ってください」としつこく迫る場面の真剣さ、思いを告白した後で「さらばじゃ」と快活に別れを告げる場面など、どれもおかしさと哀しさが入り交じり、心に残る。細部の具体的な描写が映画に深みを与えているのである。

題材自体は明るくはないのだが、デビュー作「どついたるねん」同様、なんだか元気の出る映画となったのは阪本順治の資質というべきか。ほのかなユーモアがにじみ出た映画であり、豊かな映画だと思う。逃げて逃げて逃げることをあきらめない主人公のアクティブな姿は、決して恵まれてはいなかったというこの映画の製作過程における監督の姿勢を思わせる。低予算にもかかわらず、豪華キャストとなったのは監督の思いを理解し、技術を信頼する映画人が多かったからなのだろう。

【データ】2000年 2時間3分 配給:東京テアトル
監督:阪本順治 企画:KИHO 製作:宮島秀司 石川富康 寺西厚史 中沢敏明 椎井友紀子 原案:宇野イサム 脚本:宇野イサム 阪本順治 撮影:笠松則通 音楽:coba 衣裳:宮本まさ江
出演:藤山直美 豊川悦司 國村準 大楠道代 佐藤浩市 中村勘九郎 岸部一徳 内田春菊 渡辺美佐子 牧瀬里穂 早乙女愛

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ダイナソー

DINOSAUR

「ダイナソー」 確かにCGの恐竜は良くできており、実写の背景の中に自然に溶け込んでいる。「ジュラシック・パーク」の前にこの映画を見ていたら、その技術に驚いたことだろう。もちろん映画の技術は7年前の「ジュラシック・パーク」よりも進んでいるのだが、最初にCGの恐竜を見たときのあのショックには到底及ばない。それに意外に重量感が欠けた部分がある。恐竜の巨大さ、体重の重さといったものが表現しきれていないのだ。加えてストーリーがあまりにも子供向けである。いや子供向けが悪いのではない。「トイ・ストーリー」シリーズを見れば、子どもにも理解できる脚本で大人の観客をも楽しませているのだから、結局は脚本の問題ということになるだろう。CGに時間をかけるのと同じぐらいにストーリーにも時間をかけるべきだった。ヒネリもなにもなく、観客の予想通りに進行していくこの脚本、映画の進んだ技術をぶちこわしにするに十分である。ディズニーがこれまで作ってきた動物が主人公のアニメ映画と同じ感覚で作ったことにそもそもの間違いがあるのだろう。

6500万年前、イグアノドンが生んだ1個のふ化寸前の卵が小型恐竜のオヴィオラプトルに取られ、それがプテラノドンに渡り、メガネザルの元に落ち着く。生まれた恐竜の赤ちゃんをメガネザルが育て始める、という導入部分はなんだか昨年の「ターザン」(傑作)を思わせる展開。アラダーと名付けられたイグアノドンはサルたちと平和に暮らしていたが、ある日、巨大隕石が落下、大地は荒れ果てる。パンフレットによると、この隕石は恐竜を絶滅させたといわれるものらしい。それならば、爆発の噴煙が地上を覆って地球は気温の急激な低下に見まわれるはずだが、そんな描写はない。すみかを逃れたアラダーとサルたちは新天地を求めて移動する草食恐竜の群れに出会い、行動を共にすることになる。群れのリーダーはやはりイグアノドンのクローン。群れには年老いたブラキオサウルスやスティラコサウルス、幼い子どもの恐竜もいるが、クローンは力のないものは死ねといった主義の持ち主。群れの後からは肉食のカルノタウルスやヴェロキラプトルが追いかけてきており、群れから取り残されれば死を意味する。過酷な道のりの中、優しいアラダーの行動は次第に恐竜たちから信望を集めるようになる。

恐竜に名前を付けたり、言葉をしゃべったりといった擬人化はディズニーお得意の手法ではあるし、「トイ・ストーリー」では効果的だったのだが、恐竜を描く映画としてはほとんど逆効果。おもちゃがしゃべれば夢のあるファンタジーだけれど、恐竜がしゃべると幻滅なのである。子どもは満足しても大人は苦笑せざるを得ない。メガネザルと恐竜が同じ時代にいるという設定にも疑問符が付く。恐竜の動きや描写のリアルさとこうした物語の安易さは相容れないものだ。もう少し何とかならなかったものか。せっかくのCG技術なのにアニメでも描けるようなストーリーではもったいなさすぎる。

【データ】2000年 アメリカ 1時間22分 ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ提供 配給:ブエナ・ビスタ・インターナショナルジャパン
監督:ラルフ・ゾンダッグ エリック・レイトン 製作:パム・マースデン 共同製作:ベイカー・ブラッドワース 脚本:ジョン・ハリソン ロバート・ネイソン・ジェイコブス 原案:ウォロン・グリーン 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード プロダクション・デザイナー:ウォルター・P・マーティシアス ビジュアルエフェクト監修:ニール・クレペラ デジタル・エフェクト監修:ニール・エスクーリ ストーリー:ソーム・エンリケス ジョン・ハリソン ロバート・ネルソン・ジェイコブス ラルフ・ゾンダッグ
声の出演(かっこ内は日本語吹き替え版):D・B・スウィーニー(袴田吉彦) アルフル・ウッダード(高島雅羅) オジー・デイビス(渡部猛) マックス・カセーラ(中尾隆聖) ヘイデン・パネティエーリ(須藤祐実) サミュエル・E・ライト(中田穣治) ジュリアナ・マルグリース(江角マキコ) ピーター・シラグサ(玄田哲章) ジョアン・プローライト(島美弥子) デラ・リース(磯部万沙子)

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