ミート・ザ・ペアレンツ

Meet the Parents

「ミート・ザ・ペアレンツ」 結婚を決めた彼女の両親に会いに行って騒動が巻き起こるという小粒なホーム・コメディ。彼女の父親は元CIAで、とても厳格。親戚一同もエリートばかり。場違いとも思える看護士の主人公は両親に気に入られようと努力するが、すべて裏目に出てしまうという展開である。笑える場面も多いし、主演のベン・スティラーも彼女役のテリー・ポロも父親役のロバート・デ・ニーロもいいのだけれど、脚本は細かい部分に気遣いが足りず、発想も幼稚と思う。必要に迫られて仕方ないとはいえ、嘘をつく主人公はいかがなものか。あれだけひどい目に遭っても父親が結婚を許すなんて、ちょっと理解しがたい。おまけに最後の最後でやはり主人公は嘘をついていたことが分かってしまう。監督は「オースティン・パワーズ」のジェイ・ローチ。その場その場の笑いを取ることはできるが、ドラマを組み立てる力には欠けるようだ。最近のアメリカのコメディによくあるような下品な場面がないのは救い。

看護士のグレッグ(ベン・スティラー)は恋人で小学校教師のパム(テリー・ポロ)とつき合って10カ月。そろそろ結婚をと思っていたところで、パムの妹の結婚式に出席することになる。行きの飛行機でパムに贈るはずの指輪を入れたカバンを紛失され、着替えもないままパムの両親の家へ。母親のディーナは優しい感じだが、父親のジャック(ロバート・デ・ニーロ)は厳しい雰囲気。しかもどこか怪しげなところがある。猫嫌いのグレッグは猫を溺愛するジャックと初対面から気まずくなるが、それは手始めだった。グレッグは夕食時にシャンペンのふたを開けようとして、ジャックの母親の遺灰が入った壺を割ってしまう(猫が灰の上で糞をするおまけがつく)。その後も妹の顔にアザを作ったり、庭を下水だらけにしたり、家を火事にしそうになったりと、最悪の運に見舞われることになる。

デ・ニーロはさすがという感じで一癖もふたクセもありそうな父親を演じている。元CIAという設定はこれまでのキャリアから見てもリアリティがあり、同時にパロディみたいな感じを受ける。脚本にはギャグが詰め込まれているけれど、どうもそちらにばかり力を入れたようで、ストーリー展開は極めて単純。テレビのホーム・コメディと大差ない出来である。だからギャグはそれぞれ面白いのに、映画としての完成度には疑問がつくことになる。ベン・スティラーは基本的に表情が暗いものを引きずっており、マイク・マイヤーズなどのように底抜けの明るさはない。根が善人に見えないのはマイナスだが、真剣な演技もコメディもできる俳優なのだろう。もっとスティラーの個性を生かした演技のしがいのある脚本にしたいところだった。

【データ】2000年 アメリカ 1時間48分 UIP配給
監督:ジェイ・ローチ 製作:ナンシー・テネンボーム ジェーン・ローゼンタール 原案:グレッグ・グリーナ メアリー・ラス・クラーク 脚本 ジム・ハーツフェルド ジョン・ハンブルグ 撮影:ピーター・ジェームズ プロダクション・デザイナー:ラスティー・ジェームズ 衣装:ダニエル・オーランディ 音楽:ランディ・ニューマン
出演:ロバート・デ・ニーロ ベン・スティラー テリー・ポロ ブライス・ダナー ジェームズ・レブホーン ジョン・エイブラハムズ オーウェン・ウィルソン

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ハンニバル

HANNIBAL

「ハンニバル」 クラリスの終盤の設定を除けば、原作にほぼ忠実な映画化となっている。もちろん映画の常で、原作のすべてを映像化しているわけではない。レクターの少年時代の回想(なぜカニバリズムに傾倒したのかが分かる)などはカットしてあるし、その他多くの部分の枝葉末節を取り払ってある。だから原作を読んだ人にとっては、これは小説のダイジェストにしか過ぎない。原作に比べて描写不足、説明不足の場面があり、ストーリーはこれでも分かるけれども、物語を語る上で効果的かどうかは極めて疑問。これほど原作のストーリーを踏襲した展開だと、よく言う“小説と映画は別物”という言い方も当てはまらないだろう。タイトルバックに明らかなように今回、リドリー・スコットはヨーロッパ映画のタッチを取り入れている。例によって映像の面では申し分ないし、レクターを演じるアンソニー・ホプキンス、ジョディ・フォスターに代わってクラリスを演じるジュリアン・ムーア、久しぶりのジャンカルロ・ジャンニーニなど出演者も悪くないのだけれど、物足りなさは残ってしまう。原作自体「羊たちの沈黙」よりは劣るから、映画もまた前作を超えることはできなかった。

映画はハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)に復讐心を燃やす富豪メイスン・ヴァージャー(タイトルクレジットには出てこないが、ゲイリー・オールドマン)の場面から始まる。ヴァージャーはレクターの手にかかった10人の犠牲者の中でただ一人の生き残り。薬を呑まされ自分で顔の皮を剥がして犬に食わせられたため、まぶたが閉じないひどい顔になっている(このメイクは凄い)。レクターの居場所を突き止めたヴァージャーが復讐の準備を進めるところでタイトル。これも含めて導入部のタッチはヨーロッパ映画調で心地よい。バッファロー・ビル事件で名を挙げたクラリス・スターリング(ジュリアン・ムーア)は麻薬売人の捜査中に赤ん坊を抱いた女を撃ち殺し、非難の的にさらされる。上司のポール・クレンドラー(レイ・リオッタ)は些細なことでクラリスにいいがかりを付けてくる。

そのころ、フィレンツェにいるレクターはフェル博士と名乗り、カッポーニ宮の司書を務めていた。前任者が不審な失踪を遂げたことから刑事リナルド・パッツィ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)はフェル博士に会い、手配中のレクターではないかとの疑いを抱く。ヴァージャーが多額の懸賞金をかけていることを知り、レクターの身柄を拘束しようとする。

原作との一番の違いはクラリスで、原作では一般的な言い方をすれば、クラリスはダークサイドに引き込まれてしまう。メジャーなヒットを狙うハリウッド映画としてはここは当然変えざるを得ないのだが、それによってキャラクターと物語の整合性は取れなくなった感がある。原作の第6部「長いスプーン」に当たる場面、言うまでもなく晩餐の場面は映像的にはSFXを使い、ほぼ想像通りの出来に仕上がっているが、必然性があまり感じられないのである。クレンドラーがああいう運命に遭うほどひどい人物に描けていないし、クラリスの反応もまた普通のものになってしまった。残るは猟奇性のみということになる。また、ヴァージャーが裏切られる場面もそこまでの裏切る人物のキャラが希薄なので唐突なものに思える。原作以上の驚きもなく、映画ならではのシーンも見あたらないのでは、映画としてのメリットはないと思う。

【データ】2001年 アメリカ 2時間11分
監督:リドリー・スコット 原作:トマス・ハリス 脚本:デヴィッド・マメット スティーブン・ザイリアン 製作:ディノ・デ・ラウレンティス 撮影:ジョン・マシソン 音楽:ハンス・ジマー 
出演:アンソニー・ホプキンス ジュリアン・ムーア ジャンカルロ・ジャンニーニ レイ・リオッタ フランキー・R・フェイゾン フランチェスカ・ネリ ヘイゼル・グッドマン ゲイリー・オールドマン

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ザ・メキシカン

THE MEXICAN

「ザ・メキシカン」 ブラッド・ピットとジュリア・ロバーツの“夢の競演”が売りだが、実際の共演場面が少なすぎる。2時間3分の映画の中で2人が同じ場面に収まるのは15分に満たないのに、共演と言っていいのかどうか。ピットのエピソードとロバーツのエピソードが噛み合うようでほとんど噛み合わず、不要な場面も多すぎる。単に2人のスケジュール調整ができなかったのだろうが、結果としてそれぞれが主演の2本の映画を見るような印象を与えることになった。そもそもの企画に無理があったのだろう。脚本はそういう苦しい状況を反映して工夫の跡は見られるけれど、やはり苦しいことに変わりはない。演出もそれに輪をかけてまずい。「マウス・ハント」のゴア・ヴァービンスキー、ユーモアを絡めた場面を見事に失敗している。ことごとく頬が引きつるようなつまらなさである。例外はクレジットされていないジーン・ハックマンの出演シーンで、画面がきりっと引き締まった。俳優の貫禄というべきか。

ケチなチンピラのジェリー・ウェルバック(ブラッド・ピット)が組織からメキシコの伝説的な拳銃“メキシカン”をアメリカまで運ぶよう命じられたのが発端。これに成功したら組織から抜けられるとの約束だが、ジェリーと同棲しているサマンサ(ジュリア・ロバーツ)はそんなジェリーに嫌気が差して単身、ラスベガスに向かう。メキシコに到着したジェリーは拳銃を持つベック(デビッド・クラムホルツ)に会い、銃を受け取るが、ベックは祭りの流れ弾に当たって事故死してしまう。ベックは組織のボス、マルゴリースの孫。ジェリーは5年前、マルゴリースの車に追突し、トランクに拉致された男がいたことからマルゴリースを刑務所送りにした過去がある。しかもベックの死体と拳銃を乗せた車を誰かに盗まれてしまった。絶体絶命のジェリーは仕方なく1人で拳銃を探し始める。一方、サマンサはラスベガスで2人の殺し屋に狙われる。そのうちの1人リロイ(ジェームズ・ガンドルフィーニ)はサマンサを拉致し、メキシカンを手に入れようとする。

主演の2人がメキシコとラスベガスに向かってからはまったく別の映画。サマンサとリロイの交流などは本筋から離れたどうでもいいような場面である。これが延々と続くのでうんざりする。メキシコの場面も手際が悪く、お宝を巡る争奪戦ならば、同じピット主演の「スナッチ」の方がよほど良くできている。2時間3分は長すぎる。この内容ならば、1時間30分程度で十分だった。また、伝説の銃を巡るエピソードをヴァービンスキーはセピア調の色彩でサイレント映画のように演出しているが、これも映画の調子を狂わせている。監督の構想としてはユーモア・ラブロマンスのセンを狙ったのかもしれないけれど、技術が伴わず、洗練とも無縁の映画である。ピットとロバーツもこの脚本、演出ではどうしようもなかっただろう。

【データ】2001年 アメリカ 2時間3分 ギャガ=ヒューマックス共同配給
監督:ゴア・ヴァービンスキー 製作:ローレンス・ベンダー ジョン・バルデッチ 製作総指揮:ウィリアム・タイラー クリス・J・ポール アーロン・ライダー J・H・ワイマン 脚本:J・H・ワイマン 撮影:ダリウス・ウォルスキー プロダクション・デザイナー:セシリア・モンティエル 編集:クレイグ・ウッド 衣装デザイン:コリーン・アトウッド 音楽:アラン・シルベストリ
出演:ブラッド・ピット ジュリア・ロバーツ ジェームズ・ガンドルフィーニ ボブ・バラバン J・Kシモンズ デヴィッド・クラムホルツ マイケル・セルベリス シャーマン・オーガスタ カストゥーロ・ゲッラ ジーン・ハックマン(クレジットなし)

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トラフィック

Traffic

「トラフィック」 「お前たちは敗戦を知らずに孤島に残った日本兵だ」。逮捕された麻薬密売組織の幹部ルイス(ミゲル・フェラー)が刑事たちをあざ笑いながら言う。アメリカはとっくに麻薬戦争に敗れているのに、それを知らずに戦いを続けているというわけだ。映画はこの麻薬戦争の実体を描きながら、それに立ち向かう刑事や判事の姿を真摯に希望を込めて描き出す。しかし、単純な夢物語にあるような希望ではない。ここでは根本的な解決策は何も示されない。メキシコのティファナ、ワシントンD.C.、サンディエゴ、オハイオを舞台に繰り広げられる3つの物語の中で描かれるのは麻薬汚染の深刻さであり、それを許す社会構造であり、事態の複雑さである。それにもかかわらず、映画はラストにそれぞれの希望を用意している。それは子供を非行から救う野球場の照明であり、悪に対する刑事の執念であり、家庭の犠牲者に敵対することよりも支援することを選んだ父親の姿なのである。「トラフィック」は極めて焦点深度の深い作品だ。知的なスティーブン・ソダーバーグの演出は細部を語ることで全体を語り、場面を的確に作り上げることで物語に説得力を持たせている。一瞬たりとも無駄な描写はなく、密度が濃い。リサーチが十分に行き届いており、ジャーナリスティックな側面を持つ傑作と思う。

1980年代に放映されたイギリスのテレビシリーズが基になっているという。「TRAFFIK トラフィック!ザ・シリーズ」というこの番組、パキスタンからヨーロッパ経由でイギリスに入ってくる麻薬を扱ったらしい。プロデューサーのローラ・ピックフォードはこれをアメリカに当てはめ、脚本のスティーブン・ギャガンがさらに綿密なリサーチを重ねた。そしてソダーバーグが“「ナッシュビル」と「フレンチ・コネクション」を組み合わせたような映画”に仕上げた。「ナッシュビル」の部分に相当するのはセリフのある人物が150人に及ぶという多さである。これだけの登場人物を少しも混乱させることなく、ソダーバーグは明確に描き分けている。3つの物語をそれぞれ色調を変えて撮影したことも効果を挙げているが、基本的な演出がしっかりしているのだと思う。「フレンチ・コネクション」に相当するのはアメリカの刑事2人組(ドン・チードルとレイ・カストロ)が麻薬密売組織を捜査するエピソード。ルイスを逮捕し、裁判で証言させようとする2人に、組織の幹部の妻(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が妨害を仕掛けてくる。ゼタ=ジョーンズは夫が逮捕されたことで今までの優雅な生活が崩れていくのを止めようと、ルイス抹殺を図るのである。最初は夫の仕事も知らない善良な人妻として登場するが、それが徐々に変わっていくのが面白い。刑事の描写も含め、ここは一般的な刑事アクションのタッチである。

主人公である連邦麻薬取締最高責任者の判事マイケル・ダグラスの娘が麻薬に溺れていく場面を描きつつ、映画はもう一つの重要なエピソード、メキシコの警官ベニチオ・デル・トロのエピソードをじっくりと描く。デル・トロは相棒の刑事とともに大量の麻薬を押収したことで、連邦警察のサラサール将軍(トーマス・ミリアン)から目をかけられる。メキシコには大きな麻薬組織が2つあり、将軍はそのうちの一つを壊滅させようとしている。実はサラサール将軍は一方の組織を後押ししていた。賄賂も受け取る警官のデル・トロは決して正義感が強いわけではないが、相棒が組織に殺されたことで、アメリカのDEA(麻薬取締局)に協力することを決意する。ざらざらした黄色っぽい映像で描かれるメキシコの場面はこの映画の中で最も出来が良く、デル・トロの絶妙の演技は賞賛にあたいする。アカデミー賞では助演男優賞だったが、主演賞でも良かっただろう。

アメリカでの捜査、メキシコの実体、そして麻薬に蝕まれる若者たち、それを救おうとする父親などなどがハイテンポで綴られていき、画面の情報量に圧倒される。3つの物語はそれぞれで1本の映画にできるぐらいの内容があるのである。しかも、一人のスーパーマンが事件を解決するような安易な物語ではもちろんなく、ギャガンの脚本は実体に則しつつ、見事な結末を用意する。「麻薬戦争を徹底させるためには家庭の犠牲者にも敵対しなければならない。私にはそんなことはできない」。こう言って、マイケル・ダグラスは麻薬取締の最高責任者としての演説を途中で放り出し、娘の支援に回る。証人となるはずのルイスを殺されたドン・チードルはゼタ=ジョーンズ宅に抗議に押し掛けたと見せかけて、しっかり捜査の続きを仕掛ける。デル・トロはDEAに協力する条件として持ち出した野球場への照明(それはメキシコの闇を照らす明かりのメタファーでもあるのだろう)の中で、ひとときの安らぎを得る。事件は解決しない、しかし、戦うことを諦めてはいけない、との主張が伝わるラストである。手持ちカメラを自ら回したソダーバーグはこうした映画のテーマをしっかりと訴えている。演出も俳優の演技も、こぶしを振り上げたタッチになっていないことが洗練を感じさせる。

【データ】2000年 アメリカ 2時間28分 イニシャル・エンターテインメントグループ作品
監督:スティーブン・ソダーバーグ 脚本:スティーブン・ギャガン 製作:エドワード・ズウィック マーシャル・ハースコヴィッツ ローラ・ビックフォード 製作総指揮:リチャード・ソロモン マイク・ニューエル キャメロン・ジョーンズ グラハム・キング アンドレアス・クライン 撮影:ピーター・アンドリュース(スティーブン・ソダーバーグ) プロダクション・デザイン:フィリップ・メッシーナ コスチューム・デザイン:ルイーズ・フロッグレー 音楽:クリフ・マルチネス
出演:マイケル・ダグラス ドン・チードル ベニチオ・デル・トロ ルイス・ガスマン デニス・クエイド キャサリン・ゼタ=ジョーンズ スティーブン・バウアー ヤコブ・バーガス クリフトン・コリンズJr. ミゲル・フェラー トファー・グレイス エイミー・アーヴィング トーマス・ミリアン マリソル・パディーヤ・サンチェス レイ・カストロ ベンジャミン・ブラッド アルバート・フィニー セス・アブラハムス エリカ・クリステンセン ジェームズ・ブローリン

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