日本の黒い夏 冤罪

「日本の黒い夏 冤罪」 松本サリン事件の被害者・河野義行さんの冤罪・報道被害を描く社会派のドラマ。熊井啓監督は正直な作風の監督だから、この映画も問題がどこにあったのかを真正面から検証している。予断に満ち、メンツにこだわった警察の捜査と警察情報を鵜呑みにして十分な裏も取らずに一斉に報道するマスコミの姿を、長野のローカル局の事件報道を高校生が取材する形で浮かび上がらせている。「15ミニッツ」などよりは、はるかに真摯に作られた映画で、その意味では敬意を表するが、映画の手法としては古いと言わねばならない。登場人物のセリフ回しや効果音、出演者の熱演の在り方も含めて古さを感じるのである。この古さというのは題材の咀嚼の不十分さと優等生的視点からの脚本化から来ているように思える。説明調の生硬な描写や取り上げ方が表面的に流れた部分もあり、警察内部の描写や取材過程の問題点をさらに鋭くえぐって欲しかった思いが残る。見応えのある映画で問題提起の姿勢には感心するが、傑作というにはためらいがある。

1995年の初夏、高校の放送部員のエミ(遠野凪子)とヒロがローカルテレビ局を訪ねる。11カ月前に起きた松本サリン事件で、被害者の神戸俊夫(寺尾聡)が冤罪に問われた理由を探るドキュメンタリービデオを作るためだ。報道部長の笹野(中井貴一)は快く応対し、記者やキャスターとともに事件とその報道を振り返る。松本サリン事件は発端から警察捜査には問題があった。被疑者不詳のまま殺人容疑で第一通報者宅を家宅捜索したことは当時でさえ違和感を覚えたが、ここが一番のポイントだろう。ガスの発生場所と目されたこと、庭の樹木にガスの被害があったことなどがその要因になったらしい。断定はできないが、とりあえず怪しい男はいる。という程度の判断で、証拠を挙げようと家宅捜索した疑いが濃厚である。多数の薬品を持っていたという状況が拍車をかけ、その怪しい男しか視野になかったため、マスコミもそれに追随し、疑惑を増幅してしまった。2時間の取り調べの約束が7時間に及ぶ描写は、いったん疑いをもたれたら、警察はどこまでもやるという見本で怖さを感じずにはいられない。使われたガスがサリンというそれまで日本では一般的ではなかったガスであったことが分かった段階で第一通報者の疑いは晴れるべきところなのだが、「サリンはバケツで調合して作れる」などと発言するいい加減な学者が登場し、それをそのまま報道したことで疑惑は残されることになる。前代未聞の事件に対応することが警察にもマスコミにもできなかったわけだ。

映画はこのように事件を振り返り、警察とマスコミ批判をするのだが、どうも高校生を出し、その視点からの批判というのが青臭い。いや言っていることは真っ当だし、事件の経過も良く分かるのだけれど、いちいち高校生に反応させなくてもいいのではないか。これは遠野凪子の演技の未熟さともかかわっているのだが、しらけるのである。テレビ局のセットや記者の夜回り、通信社から入ったニュースを「はいしーん」と読み上げるなどリアリティーに欠ける描写も気になる。熊井啓、こういう部分の取材が十分ではなかったようだ。中井貴一は基本的にはあまりうまくない人と思うが、この映画ではまずまずの演技。記者を演じる北村有起哉はまだ勉強が足りない。

【データ】2001年 日活 1時間59分 配給:日活
監督:熊井啓 製作総指揮:中村雅哉 企画:猿川直人 製作:豊忠雄 原作:平石耕一「NEWS NEWS」 製作協力:河野義行 永田恒治 脚本:熊井啓 撮影:奥原一男 美術:木村威夫 音楽:松村禎三
出演:中井貴一 細川直美 遠野凪子 北村有起哉 加藤隆之 藤村俊二 梅野泰靖 平田満 岩崎加根子 二木てるみ 根岸季衣 石橋蓮司 北村和夫 寺尾聡

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ハムナプトラ2 黄金のピラミッド

The Mummy Returns

「ハムナプトラ2 黄金のピラミッド」ハムナプトラ 失われた砂漠の都」の2年ぶりの続編。SFXを強化し、笑いと冒険を詰め込んだ超大作として帰ってきた。犬の頭をしたアヌビス軍団が地の果てまで埋め尽くすような大群で攻めてくる場面はCGと分かっていても圧倒的なスペクタクル。ロンドンの町中を走り回るミイラやナイル川の水を使った攻撃などSFXのレベルはどれも高い。ただし、前半はやや退屈。エモーションと結びついていないSFXやアクションは単なる見せ物に過ぎず、最初の驚きがなくなると、面白くなくなるものなのである。後半、主人公のリック(ブレンダン・フレイザー)とエヴリン(レイチェル・ワイズ)の意外な前世や、邪悪なミイラ・イムホテップ(アーノルド・ヴォスルー)とその恋人アナクスナムン(パトリシア・ヴェラスケス)の因縁に満ちたカップルとの対決が絡まってエモーショナルな展開になると、ぐっと面白みを増す。前作ではB級キャストとしか思えなかったフレイザーとワイズのコンビが2人のキャリアアップによってスターとなったことで映画に風格も備わった。脚本・監督のスティーブン・ソマーズは前作に続いての当番だが、見せ場ばかりをつなぐジェットコースター・ムービーとしてうまくまとめている。主人公のキャラクターからして軽さが身上の映画で、クスクス、ゲラゲラ笑いながら見られる肩の凝らない良質のエンタテインメント。

紀元前3500年のエジプト。世界制覇を企む男(ドゥエイン・“ザ・ロック・ジョンソン)がアヌビスの神に魂を売り、スコーピオン・キングとして強大な力を得る。アヌビスの軍隊を駆使して世界を滅ぼした後、スコーピオン・キングは眠りにつく、というのがオープニング。時代変わって1933年。前作の冒険から8年後、リック(ブレンダン・フレイザー)とエヴリン(レイチェル・ワイズ)は結婚し、8歳の息子アレックス(フレディ・ボース)とともにエジプトで秘宝探しをしていた。そこでスコーピオン・キングの腕輪を発見。襲ってきた謎の男3人から逃れ、ロンドンに帰る。一方、大英博物館の館長(アラン・アームストロング)はミイラ・イムホテップの発掘に成功。死者の書を使い、イムホテップを甦らせる。館長はイムホテップを崇拝し、スコーピオン・キングの力を与えて世界制覇を企んでいた。謎の男たちも館長の手先だった。リックの家を襲撃し、腕輪をしたアレックスをさらい、スコーピオン・キングのオアシスに向かう。リックとエヴリン、それに聖地ハムナプトラを守る秘密結社のリーダー、アーデス・ベイ(オデッド・フェール)、エヴリンの兄のジョナサン(ジョン・ハナ)はアレックスを取り戻そうとイムホテップの一行を追跡する。

このプロットにエヴリンの前世の秘密が絡む。エヴリンはエジプトの王の娘ネフェルティティの生まれ変わりだった。アナクスナムンとはライバル関係で、剣の力も相当なもの。という設定は前作にはなく、ご都合主義といえばそうなのだが、スティーブン・ソマーズはエヴリンが最近幻覚を見るという伏線を用意しており、あまり気にならない。それとリックの前世もまたエジプトに絡んだもので、戦士としての能力があるため前作以上にヒーローらしいヒーローになっている。クライマックスはスコーピオン・キングのピラミッドでリックとイムホテップ、アナクスナムンとエヴリン、砂漠でアーデスの率いる一団とアヌビス神の軍隊の一団との戦いを交互に描いていく。レイチェル・ワイズのアクションがさまになっているのでびっくり。さらにアヌビス神に魂を売り渡したスコーピオン・キングの姿(その名の通りの姿)にまたびっくり。アヌビス神の軍隊の様子は「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」のクライマックスを彷彿させるが、あれよりも迫力があり、精緻を極めたSFXである。

前作は「インディ・ジョーンズ」シリーズのパロディ的側面があったが、今回は「ハムナプトラ」シリーズとして自信を持って映画化している様子がうかがえる。このラストなら第3作も可能だろう。ソマーズ演出で唯一気になるのはストーリーテリングがちょっと荒っぽいこと。スコーピオン・キングを倒す杖にもう少し伏線が欲しいし、リックの能力も覚醒させてほしかったし、映画の細部にはさまざまな傷が見える。見せ場ばかりをつないでいく展開は単調になる。緩急を付けた演出も必要だろう。B級の感覚が抜けきれないのは決して欠点ともいえないし、エネルギッシュなソマーズらしい演出ではあるのだが、ここにもう少し気を配れば、ハムナプトラシリーズは冒険SF活劇として本当に一流のシリーズになると思う。

【データ】2001年 アメリカ 2時間10分 配給:UIP
監督:スティーブン・ソマーズ 製作:ジム・ジャックス ショーン・ダニエル 製作総指揮:ボブ・ダクセイ ドン・ゼッフェル 脚本:スティーブン・ソマーズ 撮影:エイドリアン・ビドル 音楽:アラン・シルベストリ プロダクション・デザイン:アラン・キャメロン 衣装デザイン:ジョン・ブルームフィールド 特殊効果スーパーバイザー:ニール・コーボールド 視覚効果スーパーバイザー:ジョン・バートン クリーチャー効果スーパーバイザー:ニック・ダドマン
出演:ブレンダン・フレイザー レイチェル・ワイズ ジョン・ハナ フレディ・ボース アーノルド・ヴォスルー オデッド・フェール パトリシア・ヴェラスケス ドゥエイン・“ザ・ロック”・ジョンソン アドウェール ショーン・パークス アラン・アームストロング ジョー・ディクソン ブルース・バイロン トム・フィッシャー アーロン・イパール

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みんなのいえ

「みんなのいえ」 本格的な映画出演は初めての田中直樹と八木亜希子が扮する夫婦を中心に据えて、家を完成させるまでの設計士(唐沢寿明)と大工の棟梁(田中邦衛)の対立と和解を描くコメディ。「ラヂオの時間」で評価を集めた三谷幸喜の第2作で、ギャグは散りばめられているし、出演者も脚本も悪いところはあまり見あたらない。なのにそこそこの面白さでしかない。恐らく、家を造るということのドラマの希薄性が原因の一端なのではないかなと思う。むろん、個人としては多額の予算がかかる人生の一大事業なのではあるが、別に失敗したからといって、他人の同情は引かないし、ちょっと我慢して住めばいいわけである。脚本は三谷幸喜の個人的経験が基になっているそうだが、もう少し細部を膨らませて何か別のエピソードを絡ませると良かったと思う。例えば、伊丹十三は「お葬式」の中で家族・親戚が集う葬式の中に、異物としての夫の愛人のエピソードを挟み、作品のアクセントにしていた。しかし、それよりも何よりもコメディとしてくすぐりはあっても爆笑の場面がないことが致命的ではないか。こういう言い方は嫌いだけれど、テレビドラマで十分の内容である。

映画は実際の家造りと同じように地鎮祭や棟上げ、完成・お披露目などの字幕とともに描かれる。夫婦が頼んだ設計士は大学の後輩・唐沢寿明で、アメリカナイズされたアーチスト的資質である。ただし喫茶店などの店舗が中心で一般の家造りの経験はあまりない。田中邦衛は昔気質の大工で恐らくこれが最後の家造りとなり、娘からの依頼を秘かに喜んでいる(それにしてもなぜ八木亜希子は父親のことを長一郎と呼び捨てにするのか)。こちらは現場経験だけは豊富という設定である。で、この2人の対立は玄関のドアが外開きか内開きかに始まって、和室の広さ(6畳の予定が完成してみれば20畳になる)、タイルの種類、トイレの場所(南か北か)、壁の色など細部にわたる。実際の家造りにおいても、こうしたことは多かれ少なかれあるようだ。映画では田中邦衛の主張の方がやや理屈が通っているように思えるのは演技の説得力の違いによるものか。この2人、あるエピソードを通じて互いに理解をするのだが、その描き方にはあまり工夫がないように思える。

数年前、実際に家造りの経験をした者としてはこの映画で描かれることには何も目新しいものがない。ストーリー展開も完成するまでの先が見えているので意外性が何もない。中心となる夫婦を差し置いて大工と設計士の関係に焦点を絞った脚本の意図は間違ってはいないのだけれど、もう少しドラマを盛り上げる工夫が必要だった。三谷幸喜はビリー・ワイルダーを敬愛しているという。しかし、ビリー・ワイルダーだったら、家造りなどという退屈な題材には決して手を出さなかっただろうし、もし手を出したにしてもアイデアを湯水のように詰め込んだことだろう。家造りは実際に経験すると楽しいし、同時に大変なことも多い。ただし、それをそのまま脚本化しても面白い作品にはならない。個人の経験を普遍的なものに移し替えるにはそれなりの技術とアイデアが必要で、今回、三谷幸喜にはそれが足りなかったのだと思う。本筋に絡まないギャグはいくら詰め込んでも無駄である。

【データ】2001年 1時間55分 配給:東宝
監督:三谷幸喜 製作:宮内正喜 高井英幸 脚本:三谷幸喜 撮影:高間賢治 美術:小川富美夫
出演:唐沢寿明 田中邦衛 田中直樹 八木亜希子 伊原剛志 白井晃 八名信夫 江幡高志 井上昭文 榎木兵衛 松山照夫 松本幸次郎 野際陽子 吉村実子 清水ミチコ 山寺宏一 中井貴一 布施明 近藤芳正 松重豊 佐藤仁美 エリカ・アッシュ 明石家さんま 和田誠

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マレーナ

Malena

「マレーナ」

戦時中のイタリア、シチリア島。村一番の美女マレーナ(モニカ・ベルッチ)に少年レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)が狂おしい恋心を抱く。マレーナは結婚して2週間で夫が出征。海岸近くの家に一人で暮らしていた。その美貌と豊満なスタイルは村中の男たちの憧れの的。ただし、女たちからは憎しみの的となっている。という設定の下、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は少年の目から見たマレーナの生き方を浮き彫りにしていく。途中まではイタリア映画によくある思春期の少年の性の目覚めを描く映画なのだが、焦点はその美しさのために数奇な運命をたどることになったマレーナにある。

「ニュー・シネマ・パラダイス」以降、高い評価を得ているトルナトーレを、僕はそれほど買っていない。技術的に大したことはない監督で、主に分かり易い大衆性で支持を集めているのだと思う。この映画もほとんどの場面はなんということもない出来である。ただ、今回、マレーナの出奔と帰還を描くくだりのドラマティックな展開には感心した。原作があるので、これがトルナトーレの演出の力かどうかは分からないのだが、少なくともこの描写でマレーナは少年にとって永遠の憧れの女性になったのだと思う。モニカ・ベルッチが伏し目がちに歩く寡黙なマレーナを好演しており、これはベルッチの魅力を堪能するための映画である。そしてトルナトーレは少年の憧れに共感するようにベルッチを美しく撮っている。

トルナトーレは回想の好きな監督のようで、この映画も回想で幕を開ける。レナートは12歳。初めて自転車を買ってもらった日に友人たちに教えられてマレーナの存在を知る。一目でマレーナに惹かれたレナートはその後、マレーナの私生活を見つめるようになる。伏し目がちに歩くマレーナにうっとりとし、マレーナの下着を盗み、幻想の映画の中でマレーナと愛し合う。その感情はエスカレートする一方だ。ある日、マレーナに夫の戦死の知らせが届く。悲しみに打ちひしがれるマレーナに対して、村の男たちはチャンスとばかりに次々にマレーナに言い寄る。生活に困ったマレーナはその中の一人、強引で中年の醜い歯医者の愛人になってしまう。しかしその関係も間もなく破れ、自分から娼婦になる道を選ぶ。髪を染め、厚い化粧を施し、ドイツ軍の相手もするようになるのだ。そして終戦。日頃からマレーナの存在を疎ましく思っていた村の女たちは「ふしだらな女」と非難してマレーナに集団でリンチを加え、村から出ていくよう命じる。傷ついたマレーナは半裸の姿で逃げるように村を出ていくことになる。

マレーナが村を出ていく場面まではそれほど際だった描写はなく、普通の映画である。ここがロバート・マリガン「おもいでの夏」ぐらいの出来なら、映画の評価はもっと高まっていたことだろう。しかし、この後に映画はドラマティックな展開を用意する。戦死したと思われたマレーナの夫は生きていた。戦争で片腕をなくしたうえに家に帰ってみれば、妻はいず、見知らぬ者たちが住んでいる。傷心の夫に対してレナートはマレーナがいなくなった経緯を伝え、夫はマレーナを捜して村を出ていく。そして1年後、村の大通りを夫に腕を絡ませてうつむき加減で歩きながら清楚なマレーナは帰ってくる。村人たちが次々に振り返るこの場面は素晴らしい。村の女たちは「少し目尻にしわができた」などと陰口をたたくのだが、ひどいことをした負い目もあってか、マレーナをようやく受け入れるようになる。さまざまな悲惨な運命にもまれたことを表面に出さず、楚々として存在するマレーナはとても魅力的だ。モニカ・ベルッチはイザベル・アジャーニを思わせる美貌で、演技的にはあまりうまくないようだが、セリフが少ないのが幸いしてか、独特の雰囲気で映画を支えている。

【データ】2000年 アメリカ=イタリア 1時間32分 配給:ギャガ=ヒューマックス
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 製作総指揮:ボブ・ウェインスタイン テレサ・モネオ ファブリツィオ・ロンバルド マリオ・スペダレッティ 原作:ルチアーノ・ヴィンセンツォーニ 脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 撮影:ラホス・コルタイ 美術:フランチェスコ・フリジェリ 衣装:マウリツィオ・ミレノッティ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:モニカ・ベルッチ ジュゼッペ・スルファーロ マティルナ・ピアナ ピエトロ・イタリアーニ ガエタノ・アロニカ

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