「ターミネーター2」から12年ぶりの第3作。ジェームズ・キャメロンは降り、ジョナサン・モストウ(「U-571」)が監督した。そして驚くほど手堅く、真っ当なSFアクション映画になった。モストウはシリーズのセルフパロディ的な描写でユーモアを挟みつつ、ハードなアクションを徹底的に見せる。ストーリーもよく考えられていて、人類を支配するスカイネットの正体や、成長したジョン・コナー(ニック・スタール)とケイト・ブリュースター(クレア・デーンズ)の関係、衝撃的ラストまで過不足なく描かれてある。未来から現代へ殺人マシーンが送られてくるという基本プロットを踏襲しながら、新たな話を作り上げたと言ってよく、ここから始まる人間対機械の戦いの続きを見たくて仕方がなくなる。時間テーマSFの常でパラドックスじゃないかと思える部分もあるのだが、見ている間はそれを感じさせないタイトでスピーディーな演出は見事。モストウの起用は大成功だったと思う。
パンフレットでも触れられているが、ラストは「猿の惑星」シリーズを思わせるものである。「猿の惑星」は2作目で地球が核兵器によって消滅し、それでジ・エンドになるはずだったが、製作者たちは地球の爆発によって宇宙船が過去にタイムスリップし、2匹の猿が現代に現れるという凝った設定の第3作を用意した。「ターミネーター」シリーズも2作目でスカイネットの誕生を阻止したのだから、本当は3作目は作りようがない。シリーズを続けるための設定が「猿の惑星」ほど考えられてはいないのは少し残念だが、とにかくスカイネットは未来に現れることになる。そして新しいターミネーターT-Xを現代(時代は明示されないが、前作から10年たっている設定だから2004年のはずだ)に送り込んでくる。同時にシュワルツェネッガー型のT-850も再びジョン・コナーの元に送り込まれる。前半はなぜターミネーターが現れたのかの理由を説明しないまま、新旧のターミネーターの壮絶な戦いが描かれる。クレーン車を使ったカーアクションにまず圧倒される。通りの建物を次々にぶち壊しながら繰り広げられる凄まじいカーチェイス。こんなの見たことがなかった。ここを見るだけでもこの映画には価値がある。
ストーリーの詳細を書くのは避けるが、後半はスカイネットの稼働を阻止しようとするコナーとケイト、T-850を執拗にT-Xが追いかけてくる。ターミネーターの原型となるロボットT-1や空飛ぶ破壊兵器のプロトタイプも登場してくる。なぜ、送られてきたターミネーターが古いタイプのシュワルツェネッガー型なのかという説明も後半にあり、そこがまたSF的でいい。スカイネットによる核ミサイル発射まで3時間という設定が緊迫感を盛り上げる。
僕は前作「T2」のVFXの充実ぶりには感心したが、ターミネーターが人間を傷つけないという制約があったためか、アクションシーンのインパクトはそれほどでもないなと思った。ストーリー的にもロマンティシズムとSF的アイデアが見事に融合した第1作の方がまとまりが良かったと思う。今回は両方のいいとこ取りをした感じである。モストウは前2作をよく研究している。T-Xは金属の骨格にT-1000の液体金属の表皮を付けたような感じ。演じるクリスタナ・ローケンの硬質な表情が良く、この映画の成功に貢献している。
ニック・スタールは外見が冴えないのだが、演技力はあり、次第に人類のリーダーになるコナーらしくなってくる。クレア・デーンズはリンダ・ハミルトンの代わりを十分に果たした。この2人の関係は第1作のカイル・リースとサラ・コナーを彷彿させるものである。シュワルツェネッガーも前作の人間らしさを排してロボットらしさを前面に出しており、最近の映画の中ではベストの演技ではないか。
続編を意識したようなラストで、こちらとしても話の続きがどうしても見たくなるけれど、作るのはなかなか難しいだろう。話がここまで進んだ以上、未来からターミネーターが送られてくるというパターンはもう使いにくいからだ。そして、この映画の続きにシュワルツェネッガーが登場するとすれば、それはスカイネットが作ったターミネーターになるはずで、ということは第1作のような悪役のターミネーターとして登場せざるを得ないだろう。
【データ】2003年 アメリカ 1時間50分 配給:東宝東和
監督:ジョナサン・モストウ 製作:マリオ・F・カサール アンドリュー・G・バイナ ジョエル・G・マイケルズ ハル・リーバーマン コリン・ウィルソン 製作総指揮:モリッツ・バーマン ガイ・イースト ナイジェル・シンクレア ゲイル・アン・ハード 脚本:ジョン・ブランカート マイケル・フェリス ストーリー:ジョン・ブランカート マイケル・フェリス テディ・サラフィアン 撮影:ドン・バージェス プロダクション・デザイン:ジェフ・マン 衣装デザイン:エイプリル・フェリー 音楽:マルコ・ベルトラミ VFX:ILM
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー ニック・スタール クレア・デーンズ クリスタナ・ローケン デヴィッド・アンドリュース マーク・ファミグレッティ アール・ボーエン
フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の作品で、2002年カンヌ映画祭でパルムドールに次ぐグランプリを受賞した(この年のパルムドールは「戦場のピアニスト」)。暴漢に襲われて頭を強打され、記憶をなくした男の生き方を淡々と見せる。描写は淡々としているのだが、にじみ出るユーモアと小さな幸福感が心地よい。言葉で語らず描写で見せるのが映画の本質なら、カウリスマキのこの映画はその王道を行っている。
ヘルシンキの駅で降りた男(マルック・ペルトラ)がベンチで休んでいると、暴漢3人が男に殴りかかる。バットで頭を強打されて気を失った男から財布や鞄の中身を盗む。男は血だらけで病院に担ぎ込まれるが、心電図が停止し、医師は死亡を宣告。しかし、医師と看護婦がいなくなると、男は起きあがり、包帯だらけの格好でベッドを抜け出す。川のそばで倒れていたところを2人の少年が見つけ、父親に告げて、男はこの一家の世話になることになる。この一家はコンテナに住み、貧しい暮らしをしている。傷が癒えた男は自分でもコンテナを借り、救世軍で働き始め、救世軍の女イルマ(カティ・オウティネン)を愛するようになる。
記憶を失った男が過去を追い求めず、現状に順応して生きていく様子がコミカルに綴られていく。男の過去はやがて明らかになる。男は家を訪ねる。家は立派だし、妻はイルマよりも美人だが、かつては喧嘩が絶えなかったという。妻が別の男と同棲している姿を見て、男は何の感慨も見せずに過去と決別し、現在の暮らしに帰っていく。
病院での心電図停止の描写は過去をリセットして新しい人生を歩む男の姿を象徴しているのだろう。フィンランドの失業率の高さとか、役人のえらそうな態度とか、人々の貧しい暮らしを挟みつつ、過去は関係ない、現在が大事という当たり前のことを当たり前に描いていく。声高に訴えるわけでもなく、さまざまな描写を積み重ねていくカウリスマキの手法は好ましい。ゴミ箱をノックすると、中からそこに住んでいる男が出てきたり、口座を作りに行った銀行で強盗(といっても取引停止された中小企業の社長が自分の金を引き出しにきただけである)から金庫に閉じこめられたり、細部が微妙なおかしさに満ちていて、クスクス笑いながら見た。カティ・オウティネンはカンヌ映画祭の主演女優賞を受賞したが、マルック・ペルトラの飄々とした演技も捨てがたい味わいがある。
【データ】2002年 フィンランド 1時間37分 配給:ユーロスペース
製作・監督・脚本:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン 衣装:オウティ・ハルユパタナ 美術:マルック・ペティレ
出演:マルック・ペルトラ カティ・オウティネン ユハニ・ニエメラ カイヤ・パカリネン サカリ・クオスマネン アンニッキ・タハティ エリナ・サロ
映画を見て最初に連想したのはマーティン・スコセッシ(「グッドフェローズ」)であり、ガイ・リッチーだった。ギャングという題材、時間軸と視点を自在に操るタッチ。フェルナンド・メイレレス監督は重たく深刻な題材を解体し、再構成して絶妙の映画に仕上げた。このうまさには恐れ入る。後に凶悪なギャングに成長する少年リトル・ダイスの人を撃ち殺すのが楽しくて仕方がないといった表情や、「(撃たれたいのは)どちらか選べ。手か足か」とガキ軍団の幼い2人が迫られて泣き叫ぶ場面などはショッキングなのだが、全体として軽快にテンポよく進む作りにはもう絶賛を惜しまない。モーテル襲撃事件の真相のミステリ的な描き方であるとか、「二枚目マネ」が死に至る原因となった意外な人間関係であるとか、そういう部分をサラリと描いているのがまた憎い。
逆に言えば、そうした技術的な圧倒的なうまさがテーマの深刻さを減じるベクトルともなっていて、これは社会派のテーマを持つ映画でありながら、恐ろしく出来の良いエンタテインメントとして機能することになる。だから、人の命の軽さが点景として多数描かれること、銃やドラッグの本質的な怖さを感じにくいことなどに、かすかな違和感もある。つまりテーマよりも技術の方が目立つ映画なのであり、あまりにも面白いので、そういう微妙なケチの付け方をしたくなる作品なのである。多数の映画賞にノミネートされながら、受賞が少ないのはそういう部分があるためではないかと思う。時代背景に合わせた効果的な音楽の使い方を含めて(意外なことに)心地よい映像になったのはメイレレスがCM監督出身であることと無関係ではないだろう。あらゆる技術を駆使して商品(題材)を一流のパッケージにくるんで見せているわけだ。いずれにしても、今年のmust seeの1本であることは確かで、メイレレスの他の作品も見たくなってくる。
物語の語り手は“神の街”と呼ばれるスラムに住むブスカペ(アレシャンドレ・ロドリゲス)。逃げたニワトリを追いかけるギャングの一団と警察官の間に挟まったブスカペの回りをカメラがグルリと回り、ブスカペの回想で映画は60年代後半にジャンプする。冒頭からここまでの軽快な映像のつなぎが見事だ。リオデジャネイロ郊外にある公営住宅シティ・オブ・ゴッドは貧乏な人々が住むスラムで、ブスカペは写真家になってここから出る夢を抱いている。兄のマヘクはケチなチンピラで友人2人と強盗を繰り返しているが、ある日、少年リトル・ダイスの発案で3人はモーテルを襲撃。泊まり客から金品を奪い、逃走する。後には惨殺死体が残っており、3人は警察から追われることになる。以上が「優しき3人組の物語」。映画はこの後、リトル・ダイスからリトル・ゼへと名前を変えた「リトル・ゼの物語」、ドラッグの浸透を描く「アパートの物語」、ブスカペの青春を描く「マヌケ野郎・悪事の試み」、街一番の人気者の悪党ベネを描く「ベネの送別会」、恋人をレイプされ家族を殺されてリトル・ゼへの復讐心に燃える「二枚目マネの物語」、リトル・ゼの最後を描く「終焉のはじまり」とエピソードをつなぎながら、80年代までの街のギャングの変遷を活写する。
3人組の物語では脇役として登場したリトル・ダイスがギャングの中心にのし上がっていくのがうまい構成。街はリトル・ゼとドラッグの扱いで対立するセヌーラの二大勢力によって分断され、全面的な抗争が起こり、名前とは裏腹の地獄の街と化していく。多数の登場人物を明確に描き分け、小さなエピソードの連続で見せていくメイレレスの手腕は賞賛に値するものだ。実際のスラムでオーディションで選んだという出演者たちのリアルな演技がドキュメント的なタッチを増している。
【データ】2002年 ブラジル 2時間10分 配給:アスミック・エース
監督:フェルナンド・メイレレス 共同監督:カチア・ルンヂ 製作:アルドレア・バルタ・ヒベイロ マウリツィオ・アンドラーデ・ラモス 製作総指揮:ヴァルテル・サレス ドナルド・K・ランヴァウド 原作:パウロ・リンス 脚本:ブラウリオ・マントヴァーニ 撮影:セザール・シャローン 美術:ツレ・ペアケ 音楽:アントニオ・ピント エヂ・コルチス
出演:アレシャンドレ・ロドリゲス レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ セウ・ジョルジ ジョナタン・ハーゲンセン ドグラス・シルヴァ ダニエル・ゼッテル マテウス・ナッチェルガリ
劇中で流れるのは「ボレロ」かと思ったら、「ボレロみたいな曲」を監督の求めに応じて坂本龍一が書いたのだそうだ。いや、ほとんど「ボレロ」ですね、これは。これ以外の曲は「めまい」みたいである。ブライアン・デ・パルマはヒッチコック作品の中では「めまい」が一番好きなのだそうだ。これも坂本龍一に「めまい」みたいな曲(あるいはバーナード・ハーマンが作ったような曲)を要求した結果なのだろうか。デ・パルマ作品としては「ミッション・トゥ・マーズ」(2000年)以来になるのだが、もっと初期の「キャリー」「愛のメモリー」「フューリー」「殺しのドレス」「ミッドナイトクロス」「ボディ・ダブル」あたりを彷彿させるタッチだ。クライマックスのスローモーションの使い方などは、もろ「フューリー」。脚本が弱いので全体として成功しているとは言い難いのだが、映像と音楽で語るデ・パルマの技術は一級品である。もうほれぼれするほど官能的でサスペンスフルなシーンがいくつかある。デ・パルマは大作よりもこういう小さなサスペンスを撮らせた方が本領を発揮する。サスペンスの語り方を一番よく知っているのである。
カンヌ映画祭の会場でモデルのベロニカ(リエ・ラスムッセン)から1000万ドル宝石を散りばめたビスチェを強奪しようと、3人の男女が映画祭に潜入する。カメラマンとして潜入したロール(レベッカ・ローミン=ステイモス)は、ブラック・タイ(エリック・エブアニー)と組んでトイレにベロニカを誘い、ビスチェを脱がせてすり替える。盗みに成功したかに見えたが、あと一歩のところで警備員が気づき、ブラック・タイは撃たれてしまう。ロールは仲間を裏切り、アクセサリーをバッグに入れて一人で会場を後にする。
と、ストーリーが書けるのは冒頭のこの部分だけ。ここから映画は別の展開に突入する。音楽同様、「めまい」にインスパイアされたような話で、パンフレットではネタをほとんど割っているが、まあ仕方がないだろう。過去のデ・パルマ映画にもあったようなネタで、これを見て怒るようでは映画ファンとして修業が足りない。脚本がいかにいい加減であっても、映像で何とでもしてやるという感じがデ・パルマにはあって、トイレの中のラブシーンとか、アパートのシーンとか、酒場のシーンとかは見せる見せる。映像の力がそこらの新米監督とは格段に違う。
主演のレベッカ・ローミン=ステイモスは「X-メン」のミスティーク役とは違って、素顔で悪女役を好演。相手役のアントニオ・バンデラスは従来のデ・パルマ映画なら、もっと若い俳優が演じていただろう。傑作とは言えないけれど、デ・パルマ復活の印象が強く、どうかこの路線で今後も映画を作り続けてほしいと思う。
【データ】2002年 アメリカ 1時間55分 配給:日本ヘラルド映画
監督:ブライアン・デ・パルマ 製作:タラク・ベン・アマール マリナ・ゲフター 製作総指揮:マーク・ロンバード クリス・ソルド 脚本:ブライアン・デ・パルマ 音楽:坂本龍一 撮影:ティエリー・アルボガスト 美術:アン・プリチャード 衣裳:オリヴィエ・ベリオ
出演:レベッカ・ローミン=ステイモス アントニオ・バンデラス ピーター・コヨーテ エリック・エブアニー エドゥアルド・モントート リエ・ラスムッセン ティエリー・フレモン グレッグ・ヘンリー ダニエル・ミルグラム