「秘密と嘘」のマイク・リー監督作品。今回も家族の再生の話である。登場するのは同じ集合住宅に住む3家族。このうちタクシー運転手フィル(ティモシー・スポール)の家族が中心になる。フィルは妻ベニー(レスリー・マンヴィル)、娘レイチェル(アリソン・ガーランド)、息子ローリー(ジェームズ・コーデン)の4人家族。妻以外は3人とも太っている。食卓では気の入らない会話が細々とあるだけ。4人それぞれに苦悩を抱え、家族とはいっても心はバラバラだ。映画は前半、この家族の崩壊寸前の様子を執拗に描く。フィルは仕事はぐうたらで、稼ぎも少ない。ベニーはスーパーのレジで黙々と働く。レイチェルは老人ホームの掃除婦で恋人もいない。ローリーは仕事にも就かず、ぶらぶらしている。生活はカツカツで、何をやってもうまくいかない焦りと苛立ちと諦めがこの家族には充満している。そんな時、ローリーが心臓発作に倒れる。ちょうどそのころ、フィルは携帯電話も無線も切って、海を見に行っていた。夫に連絡がつかなかったことに腹を立てるベニーにフィルは「何もかもが嫌になった」と話す。
ここからのフィルとベニーの会話が全編のハイライト。「カス呼ばわりされることに耐えられなかった」と言うフィルにベニーは「カス呼ばわりなんてしていない」と否定する。しかし、夫婦の会話を聞いていたレイチェルは母親にそうしていたと指摘する。涙を流しながら夫婦は本音を語り合い、お互いを理解し、恐らく数年ぶりにキスを交わすことになる。
撮影前に脚本を作らないのがマイク・リーの流儀で、他の2家族の苦悩が置き去りにされているところなどにその欠点は垣間見えるのだが、フィルの家族の話に限っては、現場で脚本を作っていたとは思えないほど充実した会話と議論と描写がある。セリフの一つひとつが重たく、描写も深刻だが、細部には人間を徹底的に描くことによるほのかなユーモアもにじみ出る。マイク・リーはうまいな、と思う。映画の技術を超えて、人間を真摯に見つめる視線がこういう中身の濃い映画を生み出すことにつながっているのだろう。
フィルの家庭ほど極端ではないにしても、ここで描かれたことは多かれ少なかれ、どこの家庭にも当てはまることがあるだろう。「秘密と嘘」ほどの出来ではないし、話の行く末も見えているのだが、その描写の充実ぶりは大いに評価できる。
【データ】2002年 イギリス=フランス 2時間8分 配給:アミューズ・ピクチャーズ
監督:マイク・リー 製作:サイモン・チャニング・ウィリアムズ アラン・サルド ライン・プロデューサー:ジョージナ・ロウ 製作総指揮:ピエール・エデルマン 撮影:ディック・ポープ 音楽:アンドリュー・ディクソン 衣装:ジャクリーン・デュラン プロダクション・デザイン:イヴ・スチュアート
出演:ティモシー・スポール レスリー・マンヴィル アリソン・ガーランド ジェームス・コーデン ルース・シーン ヘレン・コーカー ポール・ジェッソン マリオン・ベイリー サリー・ホーキンス ダニエル・メイズ ベン・クロンプトン
タイトルロゴから50年代の映画風。セットもファッションも当たり前のことだが、50年代を細部まで再現している。しかし、内容的には現在の視点から50年代の保守的な町の様子を鋭く浮き彫りにしていく。異質のもの、ルールを破ったものを排除する町の人々の冷たい視線には息が詰まる。50年代のアメリカの片田舎にはどこにも本当の自由などなかったのだ。いや、これは同性愛や黒人差別を違うものに置き換えれば、今の時代、他のコミュニティにも通用することだ。トッド・ヘインズ監督の脚本・演出は硬派で的確で、揺るぎがない。ジュリアン・ムーアの正確な演技がそれにこたえている。見知らぬ黒人が庭を通っただけで過敏に反応していた上流家庭の主婦が自我に目覚めるまでの変化を見事に表現している。アカデミー主演女優賞はムーアに贈るのが順当だったのではないか。少なくとも「めぐりあう時間たち」との合わせ技ではニコール・キッドマンを超えている。
1957年のコネチカット州の町ハートフォードが舞台。郊外の家に住むキャシー(ジュリアン・ムーア)は一流企業の重役を務める夫フランク(デニス・クエイド)と2人の子供とともに幸福な家庭を築いている。会社のPRにも登場し、雑誌の取材では理想的な妻として紹介される。人種差別が当然だった時代だが、キャシーは死んだ父親の代わりに庭師としてやってきたレイモンド(デニス・ヘイスバート)とも打ち解ける。しかし、幸福は一瞬にして崩れる。ある夜、帰りの遅いフランクに夕食を届けようと会社に行ったキャシーはフランクの秘密を見てしまうのだ。
これに加えて、レイモンドとの交流も町の人々の口の端に上るようになる。楽園(エデン)と思っていた家庭や町が、キャシーにとっては苦悩に満ちたものに変わる。というより現状は嘘っぱちの楽園だったのだ。一時は修復も図ろうとするキャシーだが、状況は変わらず、自然と考え方に変化が訪れる。映画はキャシーがどうなるのか明確にしないまま終わるけれど、自我に目覚めたキャシーの将来は明るいのだと思う。現在の目から見れば、キャシーだけがまともで、他がおかしいのである。
脚本が優れているのは白人社会だけでなく、黒人社会にも白人と黒人の男女が付き合うことを良くない風潮とする描写があること。といっても映画が目指しているのは人種差別問題だけではなく、息苦しく欺瞞に満ちたコミュニティそのものに対する批判だろう。無駄な描写は一切ない1時間47分。見終わって満足度が高かった。
【データ】2002年 アメリカ 1時間47分 配給:ギャガ・コミュニケーションズ Gシネマグループ
監督:トッド・ヘインズ 製作:クリスティーヌ・バション 製作総指揮:スティーブン・ソダーバーグ ジョージ・クルーニー 脚本:トッド・ヘインズ 撮影:エドワード・ラックマン プロダクション・デザイン:マーク・hリードバーグ 衣装:サンディ・パウエル 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ジュリアン・ムーア デニス・クエイド デニス・ヘイスバート パトリシア・クラークソン ヴァイオラ・デイビス ジェームズ・レブホーン ベット・ヘンリッツ マイケル・ガストン