アバウト・シュミット

About Schmidt

「アバウト・シュミット」パンフレット保険会社を定年退職したウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)の話。ニコルソンはこれでアカデミー主演男優賞にノミネートされた。シュミットが退職後に会社に行っても相手にされず、家ですることもなくボーっとしていたり、42年連れ添った妻を内心では苦々しく思っている(「なぜ、こんな婆さんが自分の家にいるのだろう」とシュミットは思う)とかの序盤の描写はまあ、よくあるパターンでそれほど新鮮ではない。ある日、テレビを見ていたシュミットは「チャイルドリーチ」というプログラムに関心を持つ。発展途上国の恵まれない子どもに毎月22ドルを寄付するボランティア事業。事業に参加すると、子どもの養父として認められ、金と同時に手紙も送ることになる。その手紙が映画ではナレーション代わりとなっている。アレクサンダー・ペイン監督の演出は真っ当だが、ニコルソンの演技はいつものようにアクが強く、しみじみほのぼのとした話になりそうでならなかった。良くも悪くもアバウト・ニコルソンの映画なのである。

シュミットが退職後しばらくして妻は掃除中に脳血栓で死ぬ。結婚を控えた娘(「アトランティスのこころ」の母親を演じたホープ・デイビス)が葬儀のために帰ってくる。しかしシュミットの世話をすることもなくさっさと帰ってしまう。シュミットは娘の婚約者(ダーモット・マルロニー。ウォーターベッドのセールスマン役でネズミ講まがいの投資話をシュミットにもちかける)を嫌っており、なんとか結婚を中止させようとして、娘の反発を買ってしまう。妻が買ったキャンピング・カーで思い出の地を訪ねたり(これも結局、さんざんなものになる)、娘の婚約者の家庭で騒動が持ち上がったりと、小さなエピソードがユーモラスに綴られていく。さまざまなエピソードで構成される映画だから話の決着の付け方は難しいのだが、クライマックスの結婚式の後、「チャイルドリーチ」のエピソードで終わらせてしまったために、なんだかこの事業のPRのようになってしまった。大いに笑えるし、全体として良くできた大衆小説のような味わいがあるけれど、このあたり、もう少し工夫が欲しいところだ。

初老の男性が主人公の映画というと、「ハリーとトント」などを思い出す。こういう作品でも商売になるのがアメリカ映画の幅の広さと言える。かつてこういうジャンルは日本映画でもあったが、今やすっかりなくなってしまった。客が呼べないのだろう(と、映画会社も考えているのだろう)。シュミットという男は独善的で、そばにはいてほしくないキャラクター。かつてならウォルター・マッソーあたりが得意としていた役柄か。マッソーやジャック・レモンなら、ペーソスも感じさせただろうが、ニコルソンの凄みのある顔つきはペーソスとは無縁のように思う。娘の婚約者の母親役でキャシー・ベイツが出演し、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。確かに怪演に近い演技だが、ノミネートされるほどのものではないのではないか。

【データ】2002年 アメリカ 2時間5分 配給:ギャガ=ヒューマックス
監督:アレクサンダー・ペイン 製作:ハリー・ギテス マイケル・ベスマン 原作:ルイス・ビグレー「アバウト・シュミット」(メディアファクトリー) 脚本:アレクサンダー・ペイン ジム・テイラー 撮影:ジェームズ・グレン 舞台監督:ジェーン・アン・スチュワート 音楽:ロルフ・ケント 衣装デザイン:ウェンディ・チャック
出演:ジャック・ニコルソン キャシー・ベイツ ダーモット・マルロニー ホープ・デイビス ハワード・ヘッセマン レン・キャリオー

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めぐりあう時間たち

The Hours

「めぐりあう時間たち」パンフレットアバウト・シュミット」が大衆文学なら、こちらは純文学の趣。ただし、感心したのは純文学的な趣向ではなく、終盤の驚嘆すべき展開にある。1923年のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)と1951年のローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)、2001年のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)の3人の女性の1日を描くこの映画、終盤のミステリー的な趣向で一挙に3つの時代が交錯してくる。その人間関係が明らかになった後の展開にいたく感心した。ムーアとストリープの緊張感のある演技(特にストリープ)がこの場面を支えている。主演女優賞を取ったのは付け鼻で本人の面影がまったくないキッドマンだったが、ストリープでもムーアでも良かったかもしれない。三者三様の質の異なる演技はこの映画の大きな見どころだ。傑作「リトル・ダンサー」に続いて監督2作目のスティーブン・ダルドリーの演出は知的で緊密な作業の積み重ねであり、デヴィッド・ヘアの脚本も見事。なぜこれが脚色賞を取らなかったのだろう。

原作はピュリッツアー賞とペン/フォークナー賞を受賞したマイケル・カニンガムの小説で、デヴィッド・ヘアは早い段階でナレーションに頼らない脚色を決めたという。だから、原作のこんなセリフもクラリッサの口から語られることになる。

まだまだ幸せの序の口だと思っていた。でも、あれから30年以上の時が流れ、クラリッサはときに愕然とすることがある。あれが幸せだったのだ。…今ならわかる。あれこそまさに至福の時だった。あのとき以外に幸せはなかった。

3人の女はそれぞれに苦悩を抱えている。ヴァージニアは精神を病み、ローラは日常に倦み、クラリッサはかつて恋人だったエイズの友人(エド・ハリス)に心を砕く。それぞれのエピソードが並列的に描かれる前半は、3人の演技と素晴らしい撮影とフィリップ・グラスのどこか「めまい」を思わせる音楽をもってしてもまあ、あまり心には響いてこない。他人の苦悩なんか知ったことか、という感じである。3つの時代のエピソードが絡まり合っていく過程で映画は輝き出す(1枚の写真でクラリッサとローラのつながりを見せるのがうまい)。と同時に前半の描写がじわりと効いてくる。苦悩する3人の女たちは、自分のそばにある幸せに気づかない女たちでもあるのだった。ヴァージニア・ウルフはそれに気づかないまま、入水自殺をとげてしまうが、あとの2人は現状の幸せに気づき、再生への思いを抱くに至る。

この映画のストーリーから言えば、「ダロウェイ夫人」を執筆中のヴァージニア・ウルフの姿はもっと遠景に引いても良かったのではないかと思う。しかし、いつも眉を寄せ、病んだ感じを漂わせるキッドマンはそれを中心に持ってこさせずにはおかない力を備えている。個人的にはこの演技は作りすぎの感じが否めないと思うし、ファンとしてはキッドマンにはいつも美人でいてほしいのだが、異様な迫力を持つ演技ではある。ムーアの中流家庭の満たされない主婦役も頑張っているけれど、僕が一番感心したのはストリープの自然な演技で、この映画の本当の主演もストリープなのだと思う。

【データ】2002年 アメリカ 1時間55分 配給:アスミック・エース 松竹
監督:スティーブン・ダルドリー 製作:スコット・ルーディン ロバート・フォックス 製作総指揮:マーク・ハッファム 原作:マイケル・カニンガム 脚本:デヴィッド・ヘア 撮影:シーマス・マクガーヴィ プロダクション・デザイン:マリア・ジャーコヴィク 衣装デザイン:アン・ロス
出演:ニコール・キッドマン メリル・ストリープ ジュリアン・ムーア スティーブン・ディレイン ミランダ・リチャードソン ジョージ・ロフタス チャーリィ・ラム ジョン・C・ライリー トニ・コレット ジャック・ロヴェロ マーティン・ゲイル コリン・スティントン エド・ハリス クレア・デインズ ジェフ・ダニエルズ アイリーン・アトキンズ

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8 Mile

8 Mile

「8 Mile」パンフレット「ゆりかごを揺らす手」「L.A.コンフィデンシャル」のカーティス・ハンソン監督の新作。というよりもヒップホップのエミネムの初主演映画といった方が通りがいいのか。今年のアカデミー賞ではラストに流れる「Lose Yourself」が主題歌賞を得た。映画はそのエミネムの半自伝的な作品といわれる。1995年のデトロイトを舞台にラップで成功して、みじめな生活を抜け出したいと願う主人公ラビットの姿を描く。冒頭にラップ・バトルのシーンがあり、歌おうとして言葉が出てこないラビットが描かれる。当然、クライマックスはこれに呼応したシーンが用意されている。ここで描かれるラップは昔のプロテスト・ソングのような存在で、他の現状打破の手段にも容易に置き換えられる。ハンソンはラップを描きつつ、普遍性のある青春映画に仕上げたかったのだろう。エミネムの演技も素直だし、全体として好感の持てる映画だが、主人公の歌の才能をもっと描くと良かったかもしれない。登場人物たちが皆、主人公の才能を認めているのが観客にも納得できるような描写が欲しいところなのである。

1995年のデトロイトが舞台。かつて工業都市として栄えたデトロイトは日本車の輸入攻勢で打撃を受け、街の中心部には黒人が8割を占めるようになった。街は荒廃し、ラビットの生活も貧しい。ピザ屋を解雇され、プレス工場で働く日々。トレーラーに住む母親(キム・ベイシンガー)は同居している若い男(ラビットの高校時代の上級生)の機嫌を取るのに汲々とし、幼い妹の面倒もろくに見ない。家賃を滞納して立ち退きを迫られる始末。ラビットはガールフレンドとも別れ、ラップだけが支えになっている。しかし、ラップといえば、黒人の音楽なのでラビットは仲間の黒人に励まされながらも、なかなかチャンスはつかめない。ラビットの作る歌はだから、世の中への恨みに満ちたものになる。八方ふさがりの現状への怒りと批判と復讐。それが分かるぐらいの描写をカーティス・ハンソンは十分に見せていく。過激なラップの歌詞とは対照的に演出は極めてオーソドックスだ。

ガールフレンドと別れたラビットが出会うアレックス(ブリタニー・マーフィー=リース・ウィザースプーンに似ている)も上昇志向のある女で、モデルになりニューヨークへ行くことを夢見ている。アレックスはラビットをプロモーターに紹介すると調子のいいことを言うウインク(ユージン・バード)に抱かれてしまうのだが、ハンソンの演出はアレックスを悪い女には描いていない。目的のために手段を選ばないことも時には肯定される。というよりは、そうした気概を持つ若者を、何もしないでウジウジとしている若者よりも肯定しているのだろう。

今年50歳のキム・ベイシンガーのダメ母親ぶりは、かつての美人女優としての演技とは質の異なるもので感心した。「L.A.コンフィデンシャル」でのアカデミー主演女優賞受賞はだてではなかったのである。

【データ】2002年 アメリカ 1時間50分 配給:UIP
監督:カーティス・ハンソン 製作:カーティス・ハンソン ブライアン・グレイザー ジミー・イオヴォン 製作総指揮:キャロル・フェネロン ジェームズ・ウィテカー グレゴリー・ウッドマン ポール・ローゼンバーグ 脚本:スコット・シルバー 撮影:ロドリゴ・プエリト 衣装:マーク・ブリッジス 音楽:エミネム
出演:エミネム キム・ベイシンガー ブリタニー・マーフィー メキー・ファイファー エヴァン・ジョーンズ オマー・ベンソン・ミラー ダンジェロ・ウィルソン ユージン・バード タリン・マニング クロエ・グリーンフィールド

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二重スパイ

「二重スパイ」パンフレット1980年代の韓国を舞台に北朝鮮の二重スパイを描く。このタイトルはネタを割っていてあまり良くないが、映画はハン・ソッキュ(「シュリ」)の熱演と緊密な展開でまず面白く仕上がっている。ただ、監督デビューのキム・ヒョンジョン(今年30歳)の演出は欧米のスパイ映画に影響されたようで、ラストのブラジルの場面などは、やっぱりそうなるかという感じである。観客に先が読めるこの場面、不要だったのではないか。ハン・ソッキュの必死な形相の演技は空回りはしていないし、コ・ソヨンの清楚さも良く、1980年代の韓国の緊迫した雰囲気を十分に伝える映画にはなっているけれど、物語はどうも細部に詰めの甘さが残る感じが拭いきれなかった。

1980年のベルリンで1人の男が西側に亡命する。この男、イム・ビョンホ(ハン・ソッキュ)は実は北朝鮮のスパイだった。韓国の国家安全企画部の拷問に耐えたイムは安企部の団長ペク・チョンヨル(チョン・ホジン)に身柄を預けられ、武装スパイの軍事訓練教官となる。2年後、安企部の正式要員となったイムに北から指令が下る。「DJに接触せよ」。そのDJ、ユン・スミ(コ・ソヨン)もまた北朝鮮のスパイだった。ペク団長の妻が2人を引き合わせたことから2人は恋人を装いつつ、情報交換していたが、本当に好意を抱き始めるようになる。

スミは愛したビョンホを失いたくないために北の指令を伝えない(これが少し唐突に感じる)。このためビョンホは北からも南からも狙われることになる。「一緒に逃げて。北でも南でもないところへ」というスミに対して、ビョンホは「反動的なことを言うな。俺たちは上から死ねと言われたら死ぬんだ」と答える。これが真意ならば、ラストにつながっていかないのである。そんなことを言いつつ、実はスミを深く愛していたという描写が少し欲しかった。

見ている間は気にならなかったが、このスパイたち、大きな事件には関わってこない。これはその後のストーリー展開にも関係してくるのでやはり何か大事件(大統領暗殺未遂とか)に関わらせた方が良かったと思う。韓国に住む北の大物スパイ“青川江”(ソン・ジェホ)の逮捕のエピソードは絡むものの、ラストへの説得力にはなっていないのである。これは「シュリ」との類似を避けた結果かもしれない。南北分断の悲劇を背景にしていることを除けば、話の展開に新しい部分は見当たらない。

【データ】2002年 韓国 2時間3分 配給:ギャガ=ヒューマックス 東映
監督:キム・ヒョンジョン 製作総指揮:パク・ムスン 製作:ク・ボンハン 共同製作:ハン・ソンギュ 脚本:シム・ヘウォン ペク・スンジェ キム・ジョンヘン キム・ヒョンジョン 撮影:キム・ソンボク 音楽:ミヒャエル・スタウダッハー プロダクション・デザイン:ノ・サンスン 衣装:イ・サンソプ
出演:ハン・ソッキュ コ・ソヨン チョン・ホジン ソン・ジェホ

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