トム・クランシーの原作は5年前、発売と同時にだが、もうほとんど内容を覚えていない。潜水艦が出てくる話だったなというぐらいのものである。記憶力が悪いのではなく、好みの問題(と思いたい)。ヒー口ーが活躍する冒険小説(例えば、クレイグ・トーマスとか初期のアリステア・マクリーン)は好きなのだが、国際謀略小説(あるいは情報小説)にはあまリ興味がないのだ。原作はヒーローの影が非常に薄かった。クライブ・カッスラーのダーク・ピットシリーズと同じ傾向なのである。映画もこの傾向を払拭しているとは言いがたいけれど、ジョン・マクテイアナン監督のスピーディーな演出によって息をつかせぬ面白さだ。2時間15分の長さをまったく感じなかった。脚本が素晴らしい出来の「ダイ・ハード」では演出の力自体には疑問符を付けざるを得なかったが、これによってマクティアナンは一級の監督であることを証明したと言える。
話は映画向きにかなリ簡略化してある。磁気推進装置(キャタピラー)を備え、ソナーで捉えることのできない原子力潜水艦レッド・オクトーバーをソ連が開発した。これを使えば、防衛網をくぐり抜け、アメリカ大陸のそばまで行って核攻撃を仕掛けることができる。ソ連は軍事的に圧倒的な優位に立ったわけだ。レッド・オクトーバーの艦長マルコ・ラミウス(ショーン・コネリー)は第3次世界大戦の危機だとして潜水艦ごと亡命を図る。アメリカがソ連の最新鋭戦闘機を盗み出す「ファイヤーフォックス」とは逆の展開で、それを止めようとするソ連は大艦隊を繰リ出して必死の追撃を行う。ソ連の真意が分からないアメリカも警戒体制に入る。CIAアナリストのジャック・ライアン(アレック・ボールドウイン)はラミウスを知っていたこともあって、この動きを亡命が目的だと見抜いた。レッド・オクトーバーを巡って米ソの水面下での駆け引きが始まる…。
ラミウスの亡命の動機がちょっと弱いな、と感じたのは見終わってからのこと。映画は前半をグッと抑えた描写に終始し、後半にたたみかけるようなアクションを並べてある。米ソの潜水艦の追撃に加えて、艦内には破壊工作を行う裏切リ者がいる(実は裏切り者は亡命を意図したラミウスと士官の一部の方なのだが)。内外の障害をラミウスかどう乗り切るかが1つの焦点。これにレッド・オクトーバーに乗リ込もうとするライアンの奮闘が加わる。水中魚雷戦の緊迫感、場面転換のテンポの良さが心地よい。ショーン・コネリーがいつものように深みのある演技を見せ、これで大スターの仲間入りをしたというアレック・ボールドウィンもそれが納得できるだけの熱演をしている。アメリカの潜水艦ダラスの艦長マンキューソを演じるスコット・グレン、アメリカ海軍情報局長ジェームス・アール・ジョーンズ、「モンタナに住みたい」と漏らすレッド・オクトーバー副艦長のサム・ニールと出演者はほとんど男優ばかりだが、いい演技者がそろった。俳優の好演を引き出すのも監督の手腕だろう。
ジョン・マクテイアナンの作品は第1作の「ノーマッズ」を除くと、どれも男っぽい映画である。本人も写真を見る限りでは、精悍な感じの人だ。ジョン・フォードとまでは言わないが、少なくともジョン・スタージェスの作風を継ぐような監督になっていくのではないだろうか。アクション映画のファンとしては楽しみな監督である。(1990年7月号)
【データ】1990年 アメリカ 2時間15分
監督:ジョン・マクティアナン 製作総指揮:ラリー・デ・ウェイ ジェリー・シャーロック 製作:メイス・ニューフェルド 原作:トム・クランシー 脚本:ラリー・ファーガソン ドナルド・スチュワート 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:ベイジル・ボールドゥリス
出演:アレック・ボールドウィン ショーン・コネリー スコット・グレン サム・ニール ジェームズ・アール・ジョーンズ ステラン・スカルスゲールド
北野武監督の映画は、「その男、凶暴につき」「3-4×10月」のどちらにも未完成の感じを拭いきれずに不満を持った。3度目の正直の今回は、まず満足できる仕上がりだ。これはもう、ひとえに久石譲の音楽の功績である。主演の2人が聾唖者という設定でセリフが極端に少ないが、音楽が饒舌に語ってあまりある。音楽の効用をこれほど感じさせる映画も珍しい。
聾唖者で清掃作業員の青年茂(真木蔵人)が、ゴミ捨て場でサーフボードを拾ったことからサーフィンに熱中するようになる。それを恋人でやはり聾唖者の貴子(大島弘子)が見守る―という簡単なプロットを説明しても、この映画の場合には何も語ったことにはならないだろう。サーフィンの場面は多くても、サーフィン映画ではありえない(波の大きさの違いもあるけれど、これに比べれば「ハート・ブルー」の方がよほどサーフィンの魅力を伝えている)。確かにラブストーリーではあるけれども、言葉のやりとりは当然のことながらなく、手話もほとんど交わさない。途中ちょっとした誤解があるが、劇的な変化も恋の高まりも描かれないのである。青年の死による突然の破局もそれほどドラマティックとはいえず、淡々としている。だから普通であれば、最後の死など極めて安直な設定と思えるのに許してしまえるのだ。脚本は簡単なものだから、北野武はもとより話で観客を引き付けようなどとは思っていなかったはずだ。
強く引かれるのは主演の2人のひたむきさが表れる場面だ。サーフボードを2人で運ぶシーンと浜辺で茂の脱いだ洋服をたたむ弘子(3度目にはギャグになる)の描写が何度か繰り返されるが、どちらもとても微笑ましい。サーフボードをバスに積み込むのを断られ、貴子が乗ったバスを追い掛けて走る茂と終点からもと来た方向に向かって走りはじめる貴子のシーンはいつものように淡々としているが、情感があふれる。
この情感を説明するのに音楽を抜きにしては語れないだろう。久石譲の音楽はピアノ曲らしく、いつもよい意味で通俗的でセンチメンタルだが、この映画の場合はセリフがない分、純粋に感情の揺れ動きを表現することになった。前2作の未完成な感じは音楽がほとんどなかったことによるのを考えれば、久石譲の起用は当然のことだった。久石譲は期待を裏切らないスコアを提供している。逆に言えば、映画における音楽の役割はそれほど重要なのである。
音楽を除げば、技術的な進歩はあまりない、と僕は思う。映画としてのまとまリは「その男、凶暴につき」とは比較にならないほど向上しているが、過去2作同様に寡黙なことに変わりはない。時折、軽いユーモアを挿入するのも同じである。演出の方法は大きく変わってはいない。
枝葉末節の部分の豊かさが映画には必要である。北野武の映画に相変わらずそれは少なく、これを独特の演出スタイルと呼ぶのには反対である。このやり方は決して主流にはなりえないだろう。しかし、「あの夏、いちばん静かな海。」が、著しく落ちてしまった今の日本映画の水準を超えていることは否定しない。1作目から主役→脇役→出演せず、とビートたけしが消えていく過程で、映画の完成度が高まっていくというのは皮肉な結果ではある。(1991年12月号)
【データ】1991年 1時間41分 オフィス北野=東通
監督・脚本:北野武 製作:館幸雄 撮影:柳島克己 音楽:久石譲
出演:真木蔵人 大島弘子 河原さぶ 藤原稔三 小磯勝弥 松井俊雄 寺島進
ここ数年、日本映画のブームとなっている異業種新人監督の起用には大きな疑問を感じる。生み出される作品の9割がクズに過ぎず、ただでさえ低い邦画の水準を著しく落としているからだ。映画会社としては新人監督の話題だけで観客をある程度集めることができるという利点はあるが、こうした詐欺的な商法を取らざるを得ない現状はもはや末期的な症状と言うほかない。小田和正が企画・脚本・音楽・監督の4役を務めたこの映画も例外ではなく、ビデオ・クリップみたいな映像の寄せ集めで映画と呼べるシロモノではない。
原案の域を出ない脚本を無理に映像化したのが間違いのもとだ。むろん小田監督自身には脚本の欠陥など分かっていないだろう。リゾート開発会社・橘建設に務める時任三郎がライバル会社・新日本計画の藤原礼実を好きになる。両社は秋田県の開発予定地の設計コンペを競い合っている。藤原礼実は笑顔ひとつ見せない氷のような性格。居酒屋の料理を不潔と考えているとんでもない女である(居酒屋の主人が「あの女は良くないよ」と時任に忠告する)。言い寄る時任三部を初めは相手にしないが、上司の岡田真澄から橘建設の企画を知るため、時任を利用するよう指示されて接近していく。この種のラブストーリーの中心は氷のような女の心をいかに溶かしていくかの描写になるはずなのだが、そうした描写が映画にはすっぽりと抜け落ちてしまっている。
藤原の乗ったヘリが開発予定地に落ちたとのニュース速報を見た時任は秋田まで車で駆け付ける。病室に入ると、藤原にけがはなく、おまけに時任に向かってニッコリと微笑むのだ。観客を椅子から落とすような展開である。そこまで2人の関係に何ら進展はなく、藤原は氷のままだった。ヘリの事故から急速に進展させるのは分かるが、本来ならここから説得力のあるセリフと演技を見せてくれなければいけない。それを笑顔ひとつですませてしまうとはね。幼稚で短絡的で能天気な頭なのだな、小田和正は。こうなると、小田和正の本領であるはずの音楽もセリフをさえぎる雑音にしか聞こえない。冒頭からのギクシャクした画面のつなぎにも辟易した。
さて、このライバル会社にはもうひとつの恋人同士がいる(2組もいるとはちょっと信じられない設定だ)。宅麻伸と中村久美で、こちらはもっと軽い関係。中村は会社の計画案のコピーを宅麻に届けるが、それは偽物で上司が仕組んだ罠だった。時任は「藤原が疑われているから、そちらのコピーもよこせ」と要求されることになる。ま、最後に愛は勝つのだが、なんという薄っぺらな話だろうか。こんな話でも泣いている観客がいるのだから、映画だけでなく観客の質も確かに落ちているのだろう。描写ができないのは新人監督だから仕方ない(本当はこれができないと映画を撮る資格はない)。しかし、せめて映画の設計図となる脚本だけはプロに任せてきちんとしたものを用意するのが観客に対する最低限のマナーではないか。
アメリカでも新人監督は流行のようで、昨年はケヴィン・コスナー、ショーン・ペン、ジョディ・フォスターと俳優監督が続出した。それらの作品は日本の場合と違って、かなりレベルの高いものになっている。監督をフォローするしっかりしたスタッフがいるからだろう。異業種の人の感覚を取り入れるのは決して悪いことではないのだから、日本でもそうした体制を取ることが必要だと思う。いたずらに新人を起用するばかりでは、生産的な行為には成り得ない。(1992年3月号)
【データ】1992年 ファーイーストクラブ=ファンハウス=東宝
監督・脚本・音楽:小田和正 製作総指揮:横山征次 吉田雅道 撮影:西浦清
出演:時任三郎 宅間伸 藤原礼実 中村久美 小木茂光 なぎら健壱 岡田真澄 津川雅彦 八千草薫
黒人の巡査部長パウエル(レジナルド・ベルジョンソン)が主人公のニューヨークの警官ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)と無線で連絡を取っているうちに友情を感じるようになる。パウエルは暗がりでオモチャのピストルを本物と間違え、13歳の少年を撃って以来、拳銃を人に向けることができなくなった。だから、今はしがない事務屋である。マクレーンは妻に「愛している」とは言っても謝ったことがない。日本の商社ナカトミの有能な社員となった妻と離婚寸前の状態にあるのは、そうした小さな積み重ねが起因しているのかもしれない。二人とも言わばエリート・コースからドロップアウトした下積みの警官だが、ビルを乗っ取った13人のテロリストたちとの戦いを通してその負の部分を克服していく。これは冒険小説(映画)の定石である。「ダイ・ハード」は快感原則に裏打ちされたエスカレーションに次ぐエスカレーションの凄まじいアクションを展開する映画なのだが、こうした人間描写の押さえるべきところはきっちリ押さえてある。だから、傑作なのだ。
本当にこの映画の脚本(ジェブ・スチュアート、スティーブン・E・デ・スーザ)は、素晴らしいとしか言いようがない。巧妙に伏線が張リ巡らされ、一つひとつの描写がまるでモザイク模様のように組み合わさっていく。ほれぼれするようなうまさだ。例えば、ジョンの妻ホリー(ボニー・ベデリア)が映画の初めの方で、一家4人の写った写真を伏せたのが、ラスト近くで大きなサスペンスとなってくるうまさ。ジョンが飛行機酔いを治すために、部屋の中で足の指を丸めていたばかリに素足でビルの中を走り回る羽目になる設定。そしてそれに付け入り、ガラスの破片を巻き散らすテロリスト。あるいはまた、単なる脇役かと思われたテレビ局の連中が、バカな放送をしたために危機に陥るジョン…。どんなに小さなエピソードも必ず本筋に絡んでくる。
アイデアも豊富にある。テロリストたちが、金庫を管理するコンピューターの七つのロックを順番にクリアしていくくだりなどは、これだけで1本の映画になるアイデアである(「ジャガーノート」が同じような趣向でしたね)。最後の電磁ロックを開けるためにはロサンゼルスの一角をXXにしなければならないが、それは予めテロリストたちの計算に入っていて、何とFBIがやってくれるのだ。まったく用意周到なプロの集団で肉体派から知能派までそろって魅力的だ。ためらわずに拳銃を向けるのがいかにもプロらしい。中盤、ポスのハンスとジョンが偶然に出会ってしまう場面は、ディック・フランシスの傑作「奪回」を思わせる。
この脚本があったからこそ、あの「プレデター」のジョン・マクティアナンでもこんなに面白い映画にすることができたのだ。警察の装甲車をテロリストがロケット砲で攻撃し、その報復にジョンがビルの1つのフロアを起爆剤でぷっ飛ばすシーンは、マクティアナンの演出のダイナミズムによって極めて効果的で高揚感すらある。そうしたアクション・シーンを支える細部の数々はすべて脚本の力によるものなのだ。破壊に終始する映画はどんなに大掛かリなものであっても、それが必然性のないアクションから派生していては空しいものである。それを僕らは過去の多くの作品から知っている。この映画の場合、それを見事にクリアしているのだ。10年に1本の傑作、などとケチなことは言わない。「ダイ・ハード」は映画をどこまで面白くできるかを突き詰めた、希有な作品だ。アクション映画だ何だというジャンルをはるかに超えて、これはひとつの立派な作品なのである。(1989年3月号)
【データ】1988年 アメリカ 2時間12分
監督:ジョン・マクティアナン 製作:ローレンス・ゴードン ジョエル・シルバー 原作:ロデリック・ソープ 脚本:ジェブ・スチュアート スティーブン・デ・スーザ 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:マイケル・ケイメン
出演:ブルース・ウィリス ボニー・ベデリア レジナルド・ベルジョンソン アラン・リックマン アレクサンダー・ゴドノフ