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タイトルが出るまでに58分27秒。「ちゃんと伝える」で20分以上かかったのは「愛のむきだし」と同様の趣向だったのか。序盤は盗撮、中盤はちょっとエッチなラブコメ、終盤は新興宗教から愛する人を奪取する主人公の姿を描く。中盤のスラップスティックなラブコメの部分が一番溌剌としていて面白い。

タイトルが出た後に全編を貫くのはヨーコ(満島ひかり)に対するユウ(西島隆裕)の一途な愛。これに新興宗教ゼロ教会の幹部コイケ(安藤サクラ)が絡むという三角関係的な男女の愛が描かれる。これだけなら普通は4時間(正確には3時間57分)もかからないのだけれど、園子音監督としては一度、興行的制限を度外視して4時間の映画を作ってみたかったのだろう。ひたすら大衆的、通俗的に元気よく4時間を突っ走る。4時間ならテレビドラマ4回でもいいかと思えるが、テレビではこんな描写できないだろうというシーンがたくさんある。それが映画のエネルギッシュさにつながっている。

パンチラなんて平気の満島ひかりの大熱演と西島隆裕のひ弱な真っ直ぐさ、安藤サクラのねじ曲がり具合がそれぞれに面白く、このほとんど新人の3人を使って、面白くてユニークで弾けた作品に仕上げたのは立派。というか、3人ともとても良かった。

普通、盗撮というと、陰湿なものを感じるが、ユウは求道者のように盗撮の道を突き進むので、いやらしさがない。盗撮、変態が記号化されているのである。同時にキャラクターはカリカチュアライズされ、リアクションはデフォルメ化されていて、まるで漫画のよう。リアリティと離れたところで、一途な愛を描く手法が特に漫画好きには受けるのではないかと思う。ラブコメの部分などは弓月光を思い出した。

海で溺れた子供を助けようとして命を落とした長男順平の15回忌に集まった家族の1日を描く。亡くなった長男というと、まるでロバート・レッドフォード「普通の人々」のようなシチュエーションだが、あの映画ほどギスギスした厳しい展開はなく、何も起こらないのが逆に良い。普通の家庭の普通の人々がその心の中には何らかのわだかまりを持っている。それが会話の中に時折ふっと意図しないのに浮上して、それを聞いて心を少し痛める人がいる。ちょっとぎくしゃくしながらも家族は続いていく。そうした日常の光景を丹念に描いて是枝裕和、うまいと思う。血肉の通ったユーモアと優しい視点が映画に溢れている。かつての日本映画は小津安二郎をはじめ、こういうホームドラマが多かったが、今は極端に少ないだけに貴重な作品だ。

優秀な兄が死んで出来の悪い弟が生き残る。家族の中には死んだ長男の影が重く横たわっているという設定は「普通の人々」に限らず、過去の映画や物語に例がある。そういう作品の場合、クライマックスには何らかの感情の爆発があり、それが収束していくというパターンが多い。この映画のそれは黄色いチョウチョになるのだろうが、ずっと穏やかだ。「黄色いチョウは白いチョウが死なずに1年たって帰って来たもの」という母親の言葉は死んだ長男と重なっている。墓地で見つけたその夜、家の中に入ってきたチョウを母親が、「順平が帰ってきた」と言って追いかける。「逃がしなさい」という父親。母親がおかしくなったんじゃないかと思う次男。さざ波は立つけれども、破壊的にはならず、やがて収まる。いかにもありそうな描写だ。

父親と息子の関係、その息子と義理の息子との関係、母親と嫁の関係、姉夫婦と両親の関係が日常会話の中で見事に浮き彫りになっていく。「歩いても歩いても」のタイトルは母親が好きないしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」から来ている。「小舟のように揺れる」家族がそれでも続いていくのを象徴しているのだろう。

ゴンチチの優しい音楽と阿部寛、夏川結衣の次男夫婦が素敵だ。キネマ旬報ベストテン5位。それだけではなく、海外の多くの映画祭で受賞している。こういう家族の問題は世界に共通するのだ。

「接吻」

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昨年のキネ旬ベストテン9位の小池栄子主演作。ようやく見た。殺人犯人に共感し、獄中結婚するヒロインを緊密なタッチで描く。「究極の愛が行き着いた、衝撃の結末」というのが映画のコピーで、僕は途中からこの話にどういう決着を付けるのかという興味で見た。ラストの一言によって、劇中に描かれてきたヒロインのこれまでの境遇や考え方がくっきりと浮き彫りになるのが見事。このヒロインの造型はルース・レンデルの気持ちの悪いヒロインが登場する小説を思わせる。レンデルの小説に登場するヒロインは世間の常識が通用しない異質の存在として描かれるのに対して、万田邦敏・珠実コンビの脚本はヒロインに寄り添っている。そこが大きな違い。ヒロインを突き放していず、ヒロインが殺人犯に抱いたような共感と理解が脚本の根底にもあるのだ。リアリティを重視する立場から見れば、小池栄子のようなスタイル抜群の女性を男が放っておくはずはなく、ヒロインのような境遇にはたぶんならないと思う。それでも小林信彦が「神がかり」と書いていた小池栄子の演技は十分な評価に値する。

これは何も知らずに見た方が良い映画で、ネタは割っていないが、未見の人は以下の文章も読まない方がいい。

白昼の住宅街で男が一家3人を金槌で殴り殺す。男の名前は坂口秋生(豊川悦司)。坂口は警察とマスコミに自分の犯行であることを告げ、逮捕される。その際に浮かべた笑みをテレビで見て、遠藤京子(小池栄子)は坂口の記事のスクラップを始める。坂口の生い立ちをノートに記録し、裁判を傍聴し、「あの人の声が聞きたい」と思うようになる。京子は坂口の国選弁護人・長谷川(仲村トオル)に接近し、坂口に差し入れし、手紙を書く。「あなたともっと早く知り合っていれば」。坂口は不遇な生き方をしてきたが、京子もまた家族とは疎遠で、職場では同僚から都合良く使われるだけの存在だった。京子は坂口の笑みを見て、自分と同類の存在であることを知ったのだ。

坂口と結婚した京子がそれを取材に来たマスコミに対して向ける笑みは坂口の笑みより怖い。それは京子自身が説明するように、自分をつまはじきにしてきた世間に対する宣戦布告を意味するからだ。京子の一途な考え方からすれば、ラストがこうなるのは当然と思える。このラストから浮かび上がるのは深い絶望感と疎外感の果てに行き着いた現在の京子の姿だ。万田邦敏のデビュー作のタイトルを借りれば、これは「UNLOVED」に生きてきた京子が思いを通した結末なのだ。一般常識から見れば京子の在り方は異質だが、そう仕向けたのは世間の方であり、京子にとっては世間の方が異質なのである。そしてその在り方は京子との交流を通じて人間性を取り戻す坂口よりも絶望的に凝り固まったものだ。

これがオリジナル脚本であることを高く評価したい。「UNLOVED」が見たくなったが、DVDは出ていない。その代わり、「UNLOVED」のホームページではパンフレットに収録されたという小説『愛されざる者』が公開されている。

「つみきのいえ」DVD アカデミー短編アニメーション賞ノミネート作品で、アヌシー国際アニメーションフェスティバルのグランプリも受賞した。amazonから届いたので見る。ナレーション入りバージョンとなしバージョンが入っていて、最初にナレーションなしで見た。

だんだん水面が上がってくる土地に一人の老人が住んでいる。老人は水面の上昇に対応するため、レンガを積み木のように積み重ねて家を高くしてきた。水面が上がったら、新たに作った上の部屋に移動する。そうやって家は随分高くなっている。ある日、上の部屋に引っ越す際に大事にしていたパイプを落としてしまう。代わりのパイプも持っているが、老人は潜水服を着て水面下の階下に潜っていく。そこは死んだ妻と暮らしたころの部屋。老人は子供の結婚や子供が小さかったころ、妻と知り合ったころを回想することになる。

町にはかつて大勢の人が住んでいたが、水面の上昇とともに他の人たちはよそへ引っ越していった。老人が引っ越さないのはこの家に思い出が詰まっているからだ。老人は一人で住んでいるのではない。死んだ妻の思い出とともに幸福な日々を暮らしているのだ。

優しく淡い絵柄でそういうストーリーを描いてしんみりした気分にさせる。水面下に降りていくことは自分の記憶を掘り下げていく行為の比喩となっている。しかし、これは小さな子供には理解しにくいかもしれない。そういう人生の機微が子どもには分かりにくいと思う。ナレーション入りバージョンを見ると、物語の細部の説明があって分かりやすかった。amazonのレビューにはナレーションなしの方がいいという意見があるけれど、ナレーション入りを勧めたい。ナレーション入りだと、小5の次女にも理解できたようだ。ちなみにナレーションは長澤まさみ。これは絵本にもなっているそうだ。絵本の文章もこのナレーションが元になっているのだろう。

次女の感想は「おじいさん、かわいそうだねえ」。そう、かわいそうだけど、おじいさんはたくさんの幸福な思い出があるから不幸じゃないんだ。物質はいつか消えるけど、幸福な思い出はいつまでも残るからね。

監督の加藤久仁生は1977年生まれだそうである。

「海角七号」

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mixiの日記を外部ブログ(つまり、ここ)に設定してみた。こうすると、自分でも過去のmixi日記にアクセスできなくなるわけですね。なるほど。過去の日記はbackup_mixiですべてダウンロードしてあるので別に困らないが、自分だけでもアクセスできるようにならないものかな。まあ、いいか。

「海角七号」DVD  「海角七号」(英語タイトルはCape No.7)は台湾で昨年8月に公開され、「タイタニック」に次ぐ歴代興収2位のヒットとなった映画。出張で台湾に行った家内がDVDを買ってきた。中国語なんて全然分からないのにDVD買ってどうする、と言ったら、日本語が3割ぐらい入ってるとのこと。日本人が出てくるのである。とりあえず英語字幕を出しながら見た。

「太陽がすっかり海に沈んだ。これで本当に台湾島が見えなくなってしまった。君はまだ、あそこに立っているのかい?」。1945年12月25日、台湾から日本へ向かう日本人教師の手紙で映画は始まる。タイトルの後、時代は飛んで現代、海沿いの町恒春。主人公のアガ(范逸臣=ファン・イーチェン)は台北で歌手を夢見て挫折し、故郷に帰ってきた。義父である議長の世話で郵便配達の仕事をするようになったが、仕事は投げやりである。アガは日本から出され、宛先不明だった手紙の住所を探し当てようとするが、その住所「海角七号」は日本統治時代の住所で分からなかった。

この町では日本人歌手の中孝介(本人)のコンサートを海岸で開くことになった。議長は前座に地元のバンドをと提案、オーディションをすることになる。バンドのコーディネーターに選ばれたのが中国語が話せるモデルの友子(田中千絵)。オーディションに集まったのは小学生や警察官など6人で、アガも加わって練習が始まるが、メンバーの意思はバラバラ。練習も思うようにいかない。怒った友子はいったんは「もう辞める」と言い出すが、反発し合っていたアガと次第に親しくなっていく。

映画はバンドに参加したメンバーを描きながら、時折、60年以上前の手紙のナレーションを流す。教師は敗戦で恋人の台湾人小島友子(日本語名)を残して日本へ帰ることになったのだった。手紙は教師の遺族が押し入れの中から見つけて、出したものだった。

英語字幕を見慣れていないので最初の1時間は意味がつかみにくかった。後半、バンドが軌道に乗り始めて面白くなった。60年以上前の手紙のエピソードに気を取られるけれど、映画の本筋は凸凹バンドがコンサートを成功させるまでの方にあり、「フラガール」や「ブラス!」みたいな内容と言える。「マーラーサン」という新製品の酒を必死に売り込もうとする青年やバンドに参加することになる80歳の郵便配達などバンドにかかわる人間たちを笑わせて泣かせる演出で描いている。

終戦直後の教師と友子の関係はもちろん、現代のアガと友子に重なっており、これが映画に奥行きを与えている。しかし、このエピソードがなくても映画は成立するだろう。凸凹バンドの奮闘が面白いのである。流れる音楽の数々もいい。

監督は魏徳聖(ウェイ・ダーション)。映画は昨年の台北映画祭でグランプリ、アジア海洋映画祭イン幕張でも最優秀作品に選ばれた。侯孝賢監督が絶賛したというこの映画、日本で一般公開予定があるのかどうか分からないが、日本語字幕で見直してみたいものだ。

「ターミネーター サラ・コナー クロニクルズ」 「ターミネーター サラ・コナー クロニクルズ」の1話と2話が届いたので見る。思った通り、いかにもテレビシリーズという作り。無理に続けて見る必要もないような気がする。そう感じるのは出演者がテレビ級の俳優ばかりだからか。シュワルツェネッガー不在の穴は大きいし、その代わりとなる強烈なキャラクターがいないのも弱い。テレビシリーズの常で話の密度が薄いのが最大の欠点だろう。

「序章」は1999年が舞台。サラ・コナー(レナ・ヘディ)とジョン・コナー(トーマス・デッカー)は救急救命士の男と暮らしていたが、長く滞在するのは危険と判断して逃げ出す。別の町でジョンは高校に通うが、男の教師が突然、太ももから銃を取り出してジョンを撃ち始める。教師はターミネーターだった。それを救ったのはクラスメートのキャメロン・フィリップス(サマー・グロー)。キャメロンは2027年のジョンが送り込んだロボットで、コナー親子を守るため行動を共にすることになる。

スカイネットが生まれる原因となったダイソン博士は死に、研究も廃棄したはずなのに、未来社会ではスカイネットとの戦争が続いていた。誰かがダイソンの研究を引き継いだらしい。サラはこのまま逃げ続けていてもいつかは殺されるとして、未来を再び変えるためにスカイネットを今度こそ断とうと決意。銀行の貸金庫に用意されていたタイムマシンで2007年へと旅立つ。

第2話は2007年の社会で偽造IDを作るサラと、この時代にもいたターミネーターとの戦いが描かれる。

VFXは大したことはなく、このテレビシリーズの出来は25年前の映画に完璧に負けている。出てくるターミネーターがT-800型ばかりなのも、予算がないのは分かるんだけど、スケール感を小さくしている。せめて話を工夫してほしいところだが、感心できる部分は皆無だった。しっかりした脚本家が付かないと、面白くなる見込みはないような気がする。アメリカでは既に第2シーズンが放映されているが、これでは視聴率も取れないのだろうな。

物語を見て、おっと思ったのはスカイネットが起動するのが2011年という設定。映画の第1作が公開された1984年には2011年なんてまだまだ未来の話と思っていたが、もはや2年後に迫っているのだった。

変格SF青春映画。そんな感じの作品である。クライマックス、宇宙の危機を救うのが「歓喜の歌」と寿司というのは普通では考えられない展開なのだが、三池崇史の映画なら納得するし、見ている限りはそれで良いのだと思えてくる(脚本はNAKA雅MURA=なかむら・まさる)。主演の市原隼人がロックを愛する落ちこぼれの寿司職人で、「ROOKIES」を彷彿させる役柄なのが良い。この映画、市原隼人のむちゃくちゃな元気の良さと谷村美月の魅力で持ってると思う。

前半は「宇宙を作れるか」のディベート、後半はパニックスペクタクル。CGもまず良くできていて、これは後半、本格的なSFに突入するのかと思ったら、「歓喜の歌」と寿司なのである。それでもがっくりする感じにならないのが、面白いところ。なぜ、あの場所にマイクがあったのかという細部はこの際、無視して良い。市原隼人と三池崇史のパワーで見せられるのである。もっとSFっぽくなると、良かったとは思うけれど、これはこれで悪くないと思う。

人工授精で生まれた天才少女穂瑞沙羅華(ほみずさらか)役の谷村美月はいつもジャージを着ていて、スラリと伸びた足とふっくらした胸が印象的。まったく笑顔を見せない演技を見て、ああそうか、「おろち」にも出たんだったなと思い出した。「エコエコアザラク」の黒井ミサも演じられそうだ。その谷村美月の笑顔を最後に見せるのがこの映画の主題でもあったろう。

機本伸司の原作は第3回小松左京賞を受賞したそうだ。ライトノベルっぽい表紙だが、小松左京賞ということなら、ハードSFの要素もあるのだろう。ハルキ文庫に入っているそうなので、読んでみたいと思う。

「ターミネーター4」は「3」の話をなかったことにして話が作られているらしい。その代わりに「2」と「4」をつなぐのがアメリカで1月から始まった「ターミネーター サラ・コナー クロニクルズ」。予告編は以下。

サラ・コナー役は「300」のレナ・ヘディ。ジョン・コナーはトーマス・デッカー。この親子を守る少女のターミネーターが出てくる。ファーストシーズンのDVDは1月に発売される。amazonを見たら、1、2話が880円ぐらい。3?9話が6000円弱。amazonには「24」を上回る視聴率とあるが、Wikipediaには「視聴率は良くない」とある。アメリカのテレビシリーズの常で、出だしは面白くてもそのうちに失速するパターンなのかもしれない。

でも、まあ「ターミネーター4」の見る前の予習を兼ねて注文。1、2話が届くのは1月8、9日ごろか。

amazonと言えば、ミステリマガジンのレビューで「恐怖の足跡 ビギニング」が紹介されていて、興味を持ったので買ってしまった(980 円)。「怪奇映画マニアの間で幻の怪作」と言われている1961年の作品。引用すると、「暑苦しい夜を過ごす女性の悪夢?殺人、ドラッグ、デブ男の恐怖、幼い日のトラウマ?を一夜の出来事として描く中編映画で、全編スタイリッシュというか不可思議な映像と音楽で構成されている」とのこと。

ゴールデングローブ賞のノミネート作品が発表された。 作品賞は
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」
「スラムドッグ・ミリオネア(原題)」
「Frost/Nixon」
「The Reader」

の5本。この「The Reader」は「朗読者」の映画化。ベルンハルト・シュリンクの原作は数年前に読んだ。amazonからあらすじを引くと、「15歳の少年ミヒャエル・バーグは、謎めいた年上の女性ハンナとの激しい恋の虜になる。だが彼女の身の上についてはほとんど知らないうちに、ある日ハンナはミヒャエルの前から姿を消してしまう。…二度と彼女に会うことはないと思っていた彼だったが、戦慄(せんりつ)の再会が実現する」。ナチスのホロコーストが絡んでくる話で、監督がスティーブン・ダルドリーなので期待できそうだ。

ノミネートの詳細は以下。
http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d00000guwox.html

Colossus 1970年のアメリカ映画。さすがにコンピュータの描写などは古くなっているが、テーマは現代に通じるものがある。

スーパーコンピュータのコロッサスにアメリカの防衛を任せたら、ソ連にも同じ規模のコンピュータ・ガーディアンがあることが分かり、コロッサスはガーディアンとの接続を要求する。接続しなければ、ミサイルを撃ち込むと脅迫。アメリカは間に合うが、ソ連は間に合わずに石油コンビナートを爆破されてしまう。仕方なく接続すると、2台のコンピュータは結託して人類を支配下に置こうとする。コロッサスを開発したフォービン博士(エリック・ブレーデン)は何とかそれを回避しようとするが…。というストーリー。1時間39分、緊迫したタッチがよろしい。監督はジョセフ・サージェント。

これ以前に「2001年宇宙の旅」があるので、コンピュータの反乱は珍しくはない。コンピュータとしては人類を支配下に置くことで戦争を回避する意図があるのだが、自由のない社会がいいかどうか。ということを考えると、共産主義の脅威も反映しているのかもしれない。時代はまだ冷戦の頃だったのだ。

細部で面白かったのは主人公がマティーニを飲む場面。主人公はベルモットをグラスについだ後、こぼしてジンを入れる。思い切りドライなマティーニというわけ。マティーニはジンとベルモットを4:1の割合で混ぜるのが普通だが、通はドライにしたがる。映画だったか、何かのエッセイだったかで、ドライなマティーニの作り方として、ベルモットの栓のコルクをグラスの底に押し付けた後にジンを注ぐというのがあった。最もドライなマティーニはチャーチルが作ったもので、「ベルモットを口に含んだ執事に息を吐き掛けさせ」てジンを飲むというのと、ベルモットの瓶をそばに置いてジンを飲むというのがあるらしい。そんなことするぐらいなら、ジンだけ飲めばいいじゃんと思うが、それだとマティーニにはならない。

DVDにはテレビ放映時の日本語吹き替え版が収録されている。主人公の声は今は亡き山田康雄。テレビ放映時のものなので、当然カットされている部分もあり、そこだけは字幕になる。どこがカットされているのか調べたら、ほぼ予想通り、ベッドシーンだった。主人公は終始コロッサスに監視されているので、恋人とベッドインするところだけ、監視から外すよう頼む。恋人を同僚の女性博士(スーザン・クラーク)ということにして監視を離れたところで情報を交換しようとする計画だったが、そのうちに本当にベッドインしてしまう。

こういう息をつけるシーンがあるのは微笑ましい。ベッドルームに行く前に居間で全裸にならなければならないが、そこは1970年の映画らしく慎ましい表現の仕方だった。これも好ましい。

スコットランドの警官ハウイー(エドワード・ウッドワード)が行方不明の少女ローワンを捜してサマーアイルという島に行く。その島は大地豊穰と男根崇拝が基本の原始宗教が信仰されていた。島民たちはローワンのことを知らないという。ローワンの墓を見つけ出したハウイーは島の領主サマーアイル卿(クリストファー・リー)から墓を掘り返す許可を取ったが、埋葬されていたのはウサギだった。果たしてローワンはどうなったのか。

1973年製作のイギリス映画で監督はロビン・ハーディ。カルトとなったのは120分のフィルムを87分に縮めて公開されたためもあるだろう。 DVDも長い間発売されていなかった。その後、監督によって99分版が編集されたそうだが、1998年の日本公開時には87分版だった。今回のDVDも 87分版。原始宗教が支配する村という設定から深作健太「エクスクロス 魔境伝説」を思い出したが、まあよくある設定ではある。脚本は「フレンジー」「探偵 スルース」のアンソニー・シェーファーなので、ミステリ的な仕掛けがある。面白いけれども、傑作と呼べるほどではない。もう一ひねり欲しいところだ。ただし、これはキリスト教徒からすれば、衝撃的な内容ではある。

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