奇跡のような実話である。人種差別のひどさに改めて驚き、決してファイティングポーズを捨てない主人公の不屈の意志に感銘を受け、正義を達成しようとする普通の人々のあくなき執念に強く強く心を揺さぶられる。権力の横暴に対して知で武装することの重要さ、1冊の書物が持つ大きな影響力に加えて、エンタテインメントとしての法廷サスペンス的面白さも併せ持つ。ノーマン・ジュイソン監督にとってはテーマ的に「夜の大捜査線」の延長であり集大成、主演のデンゼル・ワシントンにとっても「マルコムX」の延長であり集大成だろう。部分的に小さな傷はあるけれど、この映画の力強さの前ではかすんで見える。ボクサー役を演じるために1年かけて27キロ減量したというワシントンが圧倒的な好演を見せる。
黒人ボクサーのルービン・カーター(デンゼル・ワシントン)が冤罪に陥れられる前半と、1人の少年とその支援グループがカーターを助けようと奔走する後半にはっきり分かれる構成だ。これは2冊の原作を基にしているためだろう。カーターは11歳のころ、町の有力者を刺したとして少年院に送られる。実際はカーターの正当防衛的な意味があったのだが、黒人を敵視する刑事デラ・ペスカ(ダン・ヘダヤ)は強引にカーターに罪を着せてしまう。8年後、少年院を脱走したカーターは軍に入り、そこでボクシングを身につけるが、故郷のニュージャージーに帰ったところで再びデラ・ペスカに逮捕され、残りの刑期を務めさせられる。出所後、カーターはボクサーへの道を歩み、そのパンチの破壊力から“ハリケーン”と呼ばれるようになる。しかし、1963年、キャリアの絶頂期でデラ・ペスカによって殺人事件の犯人に仕立てられ、終身刑となる。カーターは刑務所で囚人服も作業も拒否。事件の経過を綴った自伝を書き続ける。その自伝(「ザ・シックスティーンス・ラウンド」、つまり16ラウンド目の戦い)は世論を動かし、釈放運動が盛り上がるが、再審請求は却下され、運動も下火になっていく。
カーターはデラ・ペスカの個人的感情から罪を着せられた。それを許した警察の横暴な捜査と州裁判所のいい加減な公判(陪審員はすべて白人で占められていた)には怒りを通り越してあきれるほかない。しかしここから奇跡的な話が始まる。自伝を読んだ黒人少年レズラ(ヴィセラス・レオン・シャノン)と、レズラの保護者代わりのカナダ人リサ(デボラ・カーラ・アンガー)、テリー(ジョン・ハンナ)、サム(リーブ・シュレイバー)はカーターに面会して無実を確信し、交流を深めていく。再審請求は再び却下され、カーターは絶望。いったんは交流を断つが、「もう耐えられない」とのカーターからの切迫した電話で4人はカナダからニュージャージーに引っ越し、事件の再調査を独自に進めることにする。カーターに面会したリサの「あなたを絶対に連れて帰るわ」との言葉は感動的だ。4人は判決を覆す決定的な新証拠を発見するが、それを州裁判所に提出しても、裁判所にはカーターに罪を着せて昇進した連中がいて、これまでと同じ結果になる恐れがある。不利を承知で連邦裁判所に新証拠を提出し、再審に賭ける。ノーマン・ジュイソンの映画ではおなじみのロッド・スタイガーが連邦裁判所の判事に扮し、貫禄の演技を見せている。
カーターは白人の横暴に対して当初は腕力を身につけるが、刑務所に収監されてからは知識で対抗しようとする。これが実を結ぶ。人生を諦観した哲学者的風貌がなかったら、カナダ人たちの助力を得られたかどうか分からなかっただろう。70年代初期に起こったカーターの釈放運動にはモハメド・アリやボブ・ディランも参加した。特にディランの歌う「ハリケーン」は運動に大きな貢献をしたらしい。そうした大きなうねりにもかかわらず運動は失敗する。4人が地道な努力を続けて、絶望的な状況を覆したことには大きな意味がある。映画は「決してファイティング・ポーズを捨てるな」と呼びかけているかのようだ。
小さな傷というのはカナダ人男女3人の描写が不足していること。レズラをなぜ引き取ったのか、どういう生計を立てているのか、3人がどういう間柄なのかが良く分からない。上映時間の関係でジュイソンが編集段階で切ったのかもしれないと思い、原作(「ザ・ハリケーン」角川文庫)を手にしてみたら、カナダ人はなんと8人なのである。“グループのメンバーのほとんどは、60年代、彼らがまだトロント大学の学生だったころ、その世代特有の体制への不満を共有し、意気投合した仲間だった”とある。なるほど、と思う。8人を描けば、話が複雑になるので3人にして簡略化したのだろう。そういう事情は分かるけれど、実話を強調するなら、この部分も事実に即して描いた方が良かったと思う。
【データ】1999年 アメリカ 2時間25分 ユニバーサル映画 配給:ギャガ・ヒューマックス、東宝東和
監督:ノーマン・ジュイソン 原作:ルービン・“ハリケーン”・カーター「ザ・シックスティーンス・ラウンド」 サム・チェイトン テリー・スウェイトン「ザ・ハリケーン」 脚本:アーミアン・バーンスタイン ダン・ゴードン 製作:アーミアン・バーンスタイン ジョン・ケッチャム ノーマン・ジュイソン 製作総指揮:アーヴィング・アゾフ トム・ローゼンバーグ ルディ・ラングレス トーマス・A・ブリス マーク・エイブラハム ウィリアム・テトラー 撮影:ロジャー・ディーキンス 美術:フィリップ・ローゼンバーグ 協同製作:スーザン・エリス マイケル・ジュイソン ジョン・ジャスニ 衣装:アギー・ジェラルド・ロジャース 音楽:クリストファー・ヤング
出演:デンゼル・ワシントン ヴィセラス・レオン・シャノン デボラ・カーラ・アンガー リーブ・シュライバー ジョン・ハンナ ダン・ヘダヤ デビ・モーガン クランシー・ブラウン デヴィッド・ペイマー ハリス・ユーリン ロッド・スタイガー
悪魔を呼び出すとされる古書をめぐるオカルト・ミステリ。最近の流行から言えば、クライマックスには派手なSFXを使うところだが、ロマン・ポランスキー監督はそんな安易でありふれた方法を採らず、じっくりストーリーを語って好感が持てる。ポランスキーの作品としては「吸血鬼」「ローズマリーの赤ちゃん」に連なる映画で、悪魔崇拝では「ローズマリーの赤ちゃん」、ユーモアで「吸血鬼」と共通している。ジョン・ダニング「死の蔵書」の主人公のような古書探偵を演じるジョニー・デップは「スリーピー・ホロウ」に続いて好調と言うほかなく、映画の随所にあるユーモアもデップの存在が大きい。本筋が始まる前に描かれる「ドン・キホーテ」の稀覯本を詐欺のような方法で手に入れる場面のおかしさがこの映画と主人公の性格を象徴している。デップは二枚目半の役柄がピッタリになってきた。
ニューヨークの古書探偵ディーン・コルソ(ジョニー・デップ)が、悪魔関係の古書収集家ボリス・バルカン(フランク・ランジェラ)から依頼を受ける。バルカンが所有する1666年発行の悪魔祈祷書「影の王国への九つの扉」の真贋を見極めて欲しいというのだ。この本は世界に3冊しかなく、残る2冊はスペインとフランスにあった。コルソは本を預かり、まずバルカンが本を入手したテルファーの家を訪ねるが、テルファーは既に自殺。未亡人のリアナ(レナ・オリン)には怪しいところがあった。スペイン、パリと調査を進めるうちに、本の持ち主2人は何者かに殺される。コルソの調査には謎の女(エマニュエル・セイナー)がつきまとう。リアナも悪魔崇拝者らしくコルソから執拗に本を取り戻そうとする。そしてこの本の意外な事実が明らかになる。果たしてこの本は本当に悪魔を呼び出せるのか。
パンフレットにあるインタビューでポランスキーは「ジャンル映画の戯画化」とはっきり言っている。「私は宗教的な人間ではないから、悪魔なんて信じていない。だからこの手の映画を作ると、どうしてもアイロニーが入り込んでしまうんだ」。ただし、映画の作りは冗談ではなく、本物志向。自在な語り口と奥行きのある映像でダークな世界を現出している。言うまでもないことだが、凡百のB級ホラーとは異なり、基本的な技術がしっかりしているのである。エンタテインメントでもポランスキー、手を抜いてはいない。本質的にこういう映画が好きなのだろう。
フランク・ランジェラは見せ場は少ないが、ドスのある声で好演。女優のセンスも良く、「フランティック」「赤い航路」に続くポランスキー作品となるエマニュエル・セイナー、相変わらず悪女が似合うレナ・オリンが魅力的だ。ポランスキーには悪魔崇拝はなくとも、悪女崇拝の傾向はあるのではないか、と思う。
【データ】1999年 スペイン・フランス 2時間13分 アルチザン・ピクチャーズ 配給:ギャガ・ヒューマックス
製作・監督:ロマン・ポランスキー 原作:アルトゥーロ・ペレス・レベルデ「呪のデュマ倶楽部」 脚本:アンリック・ユルズビー ジョン・ブラウンジョン ロマン・ポランスキー ライン・プロデューサー:スザンヌ・ワイセンフェルド 製作総指揮:ウォルフガング・グラッテス マイケル・チェイコ 共同プロデューサー:イナキ・ヌュナズ アントニオ・カーディナル アレイン・ヴェニエ 撮影:ダリウス・コンディ 美術:ディーン・タヴラリス 音楽:ヴォイチェック・キラール 衣装:アンソニー・パウエル
出演:ジョニー・デップ フランク・ランジェラ レナ・オリン エマニュエル・セイナー バーバラ・ジェフォード ジャック・テイラー トニー・アモーニ ジェームズ・ルッソ ホセ・ロペス・ロデロ
メイン州にある孤児院とそこで育った少年の自立を描く。膨大な原作を脚色するにあたって、原作者のジョン・アーヴィングは少年が大人になる上で必要な通過儀礼と、“父と子”の関係に重点を置いたようだ。主人公は父親のような存在の院長に対する反発から孤児院を出るが、人生経験を積んで院長の歩む道を理解する。その中心となるのが堕胎に関する考え方だ。しかし、そういう風に理屈をどうこう言うより、素直に青春映画と受け取ってしまった方がいいのだろう。孤児院の子どもたちや主人公のロマンスの描写が実に素直で新鮮で、心に響くのだ。ラッセ・ハルストレムの演出に狂いはなく、院長役のマイケル・ケイン、ロマンスの相手シャーリーズ・セロンをはじめ脇役に至るまで好演している。
孤児院で産み落とされた主人公ホーマー・ウェルズ(トビー・マグワイア)が里親に気に入られず2度も孤児院に戻されるという出だしから、いかにもアーヴィングらしい設定。院長のウィルバー・ラーチ(マイケル・ケイン)はホーマーを特別な子と見なし、本当の父親のような愛情を注ぐ。医学の知識を教え、自分の助手として出産の手伝いをさせるようになる。時代は1940年代。アメリカでは当時、堕胎は法律で禁止されていたが、ラーチは望まれない不幸な子どもを宿した女性を救うため、秘かに堕胎手術を引き受けていた。ホーマーは生命を奪う堕胎を嫌悪している。堕胎が普通に行われていたら、自分もこの世に生まれなかったかもしれないという考えがあるのだ。ある日、軍人のウォリー・ワージントン(ポール・ラッド)と恋人キャンディ・ケンドール(シャーリーズ・セロン)が孤児院にやってくる。妊娠したキャンディの堕胎をするためだった。退院の日、ホーマーは突然、2人とともに孤児院を出ていくことを決意。ウォリーの誘いで実家のリンゴ園の収穫作業を手伝うことになる。
リンゴ園には黒人の季節労働者たちがおり、ミスター・ローズ(デルロイ・リンド)が作業を取り仕切っていた。ホーマーは“サイダーハウス”と呼ばれる小屋で黒人たちと寝起きを共にして作業に汗を流す。この小屋の壁に貼ってあった「ベッドではたばこ禁止」「酒を飲んだら機械を操作しない」など五つのルールが題名の由来。「そんなのは他人が作ったルールだ。ここに住む俺たちが作ったものじゃない」とミスター・ローズが怒る場面があるにせよ、このルール、映画ではそれほど大きな意味は持たない。ビルマ戦線へ出征したウォリーの留守中に親しくなるホーマーとキャンディのロマンス、不幸な妊娠をしたミスター・ローズの娘ローズ(エリカ・バドゥ)のエピソードが大きくクロースアップされる。青春の輝きと人生の重さともいうべきこの明暗二つの経験を通じてホーマーは大きく成長するのである。不幸な妊娠を目の当たりにしたホーマーは堕胎の必要を痛感し、院長の行為が理解できるようになる。それは作者アーヴィングの主張でもあるのだろう。
ハルストレムの演出は細部の描写が豊かだ。犬の子でも探すように孤児院を訪れる里親、それでも里親に気に入られ、引き取ってもらいたいと願う子どもたちの描写などは切なく胸を打つ。主演のトビー・マグワイアは繊細な演技を見せるけれど、あまり成長を感じさせないのが難か。ケイト・ネリガンとジェーン・アレキサンダーというかつての贔屓女優二人が一様におば(あ)さんになっているのは悲しいが、しっかり脇を固めて映画に重みを与えている。
【データ】1999年 アメリカ 2時間6分 フィルム・コロニー提供 配給:アスミック・エース
監督:ラッセ・ハルストレム 製作:リチャード・N・グラッドスタイン 原作・脚色:ジョン・アーヴィング(アカデミー脚色賞) 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン ハーヴィ・ワインスタイン ボビー・コーエン メリル・ポスター 共同製作:アラン・C・ブロンクイスト レスリー・ホールラン 撮影:オリバー・ステイプルトン 衣装デザイン:レネー・エールリッヒ・カルフュス 音楽:レイチェル・ポートマン
出演:トビー・マグワイア シャーリーズ・セロン デルロイ・リンド ポール・ラッド マイケル・ケイン(アカデミー助演男優賞) ジェーン・アレキサンダー キャシー・ベイカー エリカ・バドゥ キーラン・カルキン ケイト・ネリガン ヘヴィ・D K・トッド・フリーマン パ・ドゥ・ラ・ユエルタ J・K・シモンズ イヴァン・デクスター・パーク ジミー・フリン ロニー・R・ファーマー エリク・バー・サリヴァン スペンサー・ダイアモンド ショーン・アンドリュー ジョン・アルバノ スカイ・マッコール・バータシアク クレア・ダリー コリン・アーヴィング
「ミッション・インポッシブル」の4年ぶりの続編というよりは、ジョン・ウー監督らしいアクション映画に仕上がっている。ブライアン・デ・パルマ監督の前作が物語の世界を壊すベクトルを持っていたのに対し、ジョン・ウー版は物語の設定だけを借りてあとは自由にやらせていただきました、という感じ。中盤以降のアクションの切れ味はなかなかのもので、クライマックスのオートバイの追跡シーンは白眉。主演のイーサン・ハント役トム・クルーズも肉体を鍛え上げ、カンフーを駆使したアクションを頑張っている。惜しいのはぎりぎりに追いつめられた主人公の感情が爆発するような場面がないこと。「男たちの挽歌」など香港時代のジョン・ウー映画にあったエモーショナルな高まりがあまり感じられないのである。激しいアクションの裏付け、あるいは必然性に乏しい。それまで指令で動いていた主人公は中盤から愛する女を助けるために行動するようになる。これがエモーションを高めそうで高めないのがつらいところだ。アクションは堪能できるのに、全体的に薄味な感じがするのはそのためだろう。
物語は人を30時間余りで死に至らしめる強力な殺人ウイルス「キメラ」を巡る攻防。ハントは盗まれたキメラを女大泥棒のナイア・ホール(タンディ・ニュートン)と協力して取り戻すようIMF司令官のスワンベック(アンソニー・ホプキンス)から指令を受ける。盗んだのは元IMFの諜報員ショーン・アンブローズ(ダグレイ・スコット)。ナイアはアンブローズの元恋人で、IMFの狙いはアンブローズの元に潜入させ、情報を探ることにあった。アンブローズはキメラとそのワクチンであるベレロフォンを製薬会社に売りつけようとしている。ハントが製薬会社の研究室に侵入し、アンブローズの一味と銃撃戦になるのが中盤の見せ場。トム・クルーズは横っ飛びで銃を撃ったり、カンフーアクションを披露する。ここで危機に陥ったハントを助けるため、ナイアはただ一つ残ったキメラを自分に注射してしまう。救うには20時間以内にワクチンを注射しなければならない。あまりにもジョン・ウー的なシチュエーション、演技である。ここからハントの目的が任務からナイアを助けることに変わるわけである。
キネマ旬報7月下旬号に掲載されたジョン・ウーのインタビューを読むと、ウーがいかにアクション映画を良く分かっているか理解できる。「どんなアクションシーンでもフィーリングの無い、感情のないものは嫌だね。アクションのためのアクションは、嫌いだ。ハリウッド映画にはそうしたアクションが結構多いけど、闘う者たちの心が感じられないアクションは、ただの見せ物にすぎず、観客の心を動かさない」。まさにその通り。主人公の気持ちが高ぶって歌になり、それが高じて踊りになる、というミュージカルの定義と同様のことがアクション映画にも言えるのである。アクションの背景に主人公の感情の爆発がなければ、それはウーの言う通り“ただの見せ物”に過ぎない。今回、そこがうまくいかなかったのは脚本の設定が弱かったからだろう。ハントとアンブローズがライバル的関係で、そこに女が絡み三角関係に発展するというシチュエーションはやや安易な気がする。イーサン・ハントが強すぎることも大きく影響していると思う。
このインタビューで、ウーは影響を受けた監督としてサム・ペキンパーやヒッチコックの名前を出している。ウーのアクションに欠かせないスローモーションがペキンパーの影響なのはすぐに分かるが、ヒッチコックは意外だった。そう言えば、敵に潜入するナイアは「北北西に進路を取れ」のエヴァ・マリー・セイントや「泥棒成金」のグレース・ケリーを彷彿させる役柄ではある。セイントやケリーほどの優雅な美しさには欠けるけれども。
【データ】2000年 アメリカ 2時間4分 パラマウント映画提供 配給:UIP
監督:ジョン・ウー 製作:トム・クルーズ ポーラ・ワグナー 製作総指揮:テレンス・チャン ポール・ヒッチコック 脚本:ロバート・タウン ストーリー:ロナルド・D・ムーア ブラノン・ブラガ 原案テレビシリーズ創作:ブルース・ゲラー 撮影:ジェフリー・L・キンボール 音楽:ハンス・ジマー 視覚効果スーパーバイザー:リチャード・ユリッチ 衣装:リジー・ガーディナー
出演:トム・クルーズ ダグレイ・スコット タンディ・ニュートン リチャード・ロックスバーグ ジョン・ボルソン ブレンダン・グリーソン レイド・セルベッジア ヴィング・レイムス