アンナと王様

ANNA AND THE KING

「アンナと王様」ジョディ・フォスターの演技が映画を救っている。表情、リアクションが繊細で的確で、感心するほどリアルなのである。タイ王室の家庭教師という役にふさわしい知性(なんせエール大学主席卒業ですから)と演技に対する計算の正確さは驚きに値する。「アンナと王様」はジョディ・フォスターの最高作でもなんでもないが、実力を思い知らされる映画ではある。共演のバイ・リンはキネマ旬報2月上旬号でこう語っている。「ジョディを見ていると、彼女を通して真実が見えてくる瞬間があるのよ。…(中略)…俳優なら誰でも、演じるときには真実に近づこうとするし、正しい感情をとらえようとする。彼女にはそれができるのよ。なのに才能にあぐらをかくことなく、とても努力しているわ」。こういう姿勢をプロというのだろう。これに比べると、“アジア映画の帝王”チョウ・ユンファは分が悪かった。懐の広い演技を見せてくれてはいるが、ただニコニコ笑っているだけではフォスターにかなうわけがない。

実在の英国人家庭教師アンナ・レオノーウェンズの原作に基づく「王様と私」以来2度目の映画化である。今回はミュージカルではなく、モンクット王(チョウ・ユンファ)とアンナの秘めた愛に当時のタイを取り巻く情勢を加えてある。タイ政府の撮影許可が得られなかったため、映画はマレーシアで撮影することになり、「クレオパトラ」以来といわれる大がかりな宮殿のセットを建築。製作費は7000万ドルに膨れあがったという。残念なのはセットの壮大さがあまり生かされていない点で、とても7000万ドルもかけた映画には見えない。

1862年のタイが舞台。実際のモンクット王は1904年生まれだから、この時58歳。28歳の未亡人アンナに恋愛感情が生まれるかどうかは疑わしい。そこを信じさせるのが映画の力で、モンクット王は実際よりも若く、23人の妻と44人の側室と58人の子どもがいる(近く10人生まれる)という設定である。アンナは男尊女卑が徹底し、王が絶対的な力を持つタイの現状に最初は戸惑うが、徐々にモンクット王の魅力を理解するようになる。王の方も男と対等の態度を取るアンナに惹かれていく。アンナが協力して開く夜会のシーンが最初のクライマックスで、ここでモンクット王はアンナにダンスを申し込む。美しいナイトドレスのアンナと王が踊るシーンはとてもロマンティックだ。身分と文化の差があるから所詮結ばれない恋なのだが、お互いの秘めた感情は通じ合う。海岸でアンナと王がキスしそうになって結局しないシーンをはじめ、この2人の関係は大人で、ハードボイルドである。

大作を意識したためだろうけれど、タイとビルマのごたごたなどはなくても良かったような気がする。ラスト近くのアクション・シーンは観客サービスが見え見えである。もう一つ、王の側室として恋人との中を裂かれたタプティム(バイ・リン)のエピソードも、もっと軽く扱った方が良かっただろう。この2つをできれば点景に収めて、アンナと王の関係にもっと焦点を絞り込み、上映時間をあと20分ほど刈り込めば、映画の完成度は増したと思う。

【データ】1999年 アメリカ 2時間27分 20世紀フォックス配給
監督:アンディ・テナント 脚本:スティーブ・ミアーソン ピーター・クライクス 原作:アンナ・レオノーウェンズ 製作総指揮:テレンス・チャン 撮影:カレブ・デシャネル プロダクション・デザイナー:ルチアーナ・アリジ 衣装デザイナー:ジェニー・ビーバン 音楽:ジョージ・フェントン
出演:ジョディ・フォスター チョウ・ユンファ バイ・リン トム・フェルトン シード・アルウィ ランダル・ダク・キム リム・ケイ・シュー メリッサ・キャンベル キース・チン マノ・マニアム

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ストーリー・オブ・ラブ

STORY OF US

「ストーリー・オブ・ラブ」結婚15年目、離婚の危機にある夫婦を描いているが、ほとんど退屈。ロブ・ライナー監督の才能を疑いたくなるような失敗作である。失敗の原因は、はっきりしていて、脚本がいい加減なのである。離婚の危機を乗り越えるのに、ラストのミシェル・ファイファーの長いセリフだけで説得するには無理がある(ファイファーの演技はいい)。夫婦間の亀裂が何ら修復されないまま、元のさやに収まるのでは何の解決にもならない。こんな素人が書いたような脚本を映画にしてはいけない。ロブ・ライナーは出演もしているが、演技する暇があったのなら、アラン・ツウァイベルとジェシー・ネルソンの脚本にもっと手を入れるべきだった。エリック・クラプトンのロマンティックな音楽だけが光っていた。

登場人物が画面に向かって語りかけるなど、「恋人たちの予感」のような作りである。ベン(ブルース・ウィリス)とケイティ(ミシェル・ファイファー)は長年の夫婦生活で感情の食い違いが目立つようになっていた。2人の子どもの前では仲の良い夫婦を演じているが、ささいなことで怒鳴り合うようになり、亀裂は大きい。子どもたちがサマーキャンプに入るのを機会に別居を試みる。そこから先はストーリーと呼べるものではない。2人がそれぞれ、これまでの結婚生活を振り返るのだ。出会いから結婚、子供の誕生、日常生活、カウンセリング、関係修復をするためのベニス旅行などがスケッチ風の描写で描かれる。いつものロブ・ライナーらしく、クスクス笑える場面は多いのだが、それだけのこと。基本的には深刻な話だから、そうした場面がうまく結びついていない。ファイファーとウィリスが怒鳴る場面が多いのにも閉口してしまう。

「結婚なんてロマンスの抹殺装置よ」。ケイティの友人が話す場面があるが、その言葉通り、恋愛期間中とは違って結婚は現実。単なる夫婦の日常を描いただけでは、ロマンティックにはなりにくい。だからロマンティック・コメディが得意なロブ・ライナーの資質とはかみ合わなかったのだろう。こういうテーマなら、ウディ・アレンやイングマール・ベルイマンあたりを引き合いに出したくなる。

【データ】1999年 アメリカ 1時間36分 ワーナー・ブラザース配給
監督:ロブ・ライナー 製作・脚本:アラン・ツウァイベル ジェシー・ネルソン 撮影:マイケル・チャップマン 美術:リリー・キルバート 音楽:エリック・クラプトン マーク・シェイマン 衣装:シェイ・カンリフ
出演:ブルース・ウィリス ミシェル・ファイファー コリーン・レニソン ジェイク・サンドビグ ティム・マティソン ロブ・ライナー ジュリー・ハガティ リタ・ウィルソン ジェイン・メドウズ トム・ポーストン ベティ・ホワイト レッド・バトンズ ポール・ライザー

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13ウォーリアーズ

THE 13TH WARRIOR

「13ウォーリアーズ」 マイケル・クライトン「北人伝説」(EATERS OF THE DEAD)を原作にジョン・マクティアナンが監督したアクション映画。中世を舞台にしたヒロイック・ファンタジーのような設定だが、“剣と魔法”の剣はあっても魔法はないから、なんとなく物足りない。ジェリー・ゴールドスミスの音楽に随分助けられているし、出来そのものも決して悪くはないが、130億円もかけた超大作にはとても思えず、「七人の侍」を意識したと思われる雨の中の戦闘シーンも極めてあっさり終わる。盛り上がる場面がなく、原作のダイジェストになってしまっているのである。アントニオ・バンデラスも主人公として活躍の場があまりない。これならば、アクションができるバンデラスを起用する意味はなかったのではないかと思う。

アラブの詩人イブン(アントニオ・バンデラス)は人妻に恋をしたため、辺境の地の大使として国を追われる。従者メルチシデク(オマー・シャリフ)とともに旅を続ける途中、勇猛な北方の民の一団と出会う(原作によると、これはバイキングだ)。そこに霧の中から現れるという魔物に蹂躙される国の少年が助けを求めてくる。巫女の占いによると、国を救うには13人の戦士が必要。男たちは次々に名乗りを挙げるが、13人目の戦士は国外の者が必要とされ、イブンも戦士に選ばれてしまう。一行がたどり着いた国(というかほとんど集落)の住民の話では、魔物は“ヴェンドル”と呼ばれ、人を食う怪物の集団だった。森の中の小屋には食いちぎられた死体が残っていた。その夜、魔物たちが襲ってくる。そして戦士と魔物たちの決死の戦いが始まる。

原題の「13番目の戦士」が邦題ではなぜか「13人の戦士」に変わっている。その割には戦士たちのキャラクターの描き分けが不鮮明。大男のブルヴァイ(ウラジミール・クリッヒ)と策略家のハージャー(デニス・ストーイ)ぐらいしか印象に残らない。これが侍たちの個性が豊だった「七人の侍」に比べるべくもない理由。魔物の正体もマイケル・クライトンらしい設定ではあるが、ちょっと期待はずれだ。第一、魔物のボスの描き方が不十分であんなに簡単にやられてしまっては、なんだたいした敵じゃないなと思えてしまう。

日本での公開順序は逆になったが、これはマクティアナンが昨年の「トーマス・クラウン・アフェアー」の前に撮った作品で、マクティアナンは得意のアクション分野でうまくいかなかったから、タッチを変えて「トーマス…」を撮ったのではないか、と邪推したくなる。バンデラスとゲスト出演的なオマー・シャリフを除けば、ノースターといえる映画で、その分、セットなどに予算をかけたのだろう。大作の雰囲気はないが、登場する騎馬の数は確かに大作並み。それを生かし切れていないことが惜しまれる。

【データ】1999年 アメリカ 1時間42分 ギャガ・ヒューマックス配給
監督:ジョン・マクティアナン 原作:マイケル・クライトン「北人伝説」(EATERS OF THE DEAD) 脚色:ウィリアム・ウィッシャー ウォーレン・ルイス 撮影:ピーター・メンジスJr. 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 衣装デザイン:ケイト・ハリントン 美術:ウォルフ・クルーガー 製作総指揮:アンドリュー・G・ヴァイナイ イーサン・ダブロウ
出演:アントニオ・バンデラス ダイアン・ベノーラ オマー・シャリフ デニス・ストーイ ウラジミール・クリッヒ リチャード・ブレマー トニー・カラン ミーシャ・ハウザーマン ネイル・マフィン アスビョルン・リイス クライヴ・ラッセル ダニエル・サウザン オリバー・スヴェイナル アルビー・ウッディントン ジョン・デ・サンティス

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スリーピー・ホロウ

SLEEPY HOLLOW

「スリーピー・ホロウ」 すべての謎が合理的に説明されるミステリかと思っていたが、そうではなく、亡霊と魔女の存在を認めた上でのフーダニット、ホワイダニットになっている。なぜ連続殺人は起きたのか、犯人とその動機を合理的な頭脳(?)を持つ捜査官が突き止めるわけである。原作のおとぎ話「スリーピー・ホロウの伝説」を「セブン」のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが自由に脚色し、ハマー・プロの怪奇映画が好きというティム・バートン監督が本家をしのぐ見事な映像美でまとめ上げた。美術、セット、ダークな雰囲気が抜群の出来栄えで、ダニー・エルフマンの音楽も快調。アカデミー賞で美術、撮影、衣装デザインの3部門にノミネートされたのも当然だろう。このストーリー、SF的設定に理解を示さない一部のミステリファンは眉をひそめるかもしれないけれど、亡霊と魔女が出てきてもミステリの精神は息づいている。ウォーカーの脚本も、肩すかしを食わされた「セブン」などよりはずっと良くできていると思う。

時代は魔女や亡霊がでてきてもおかしくないような1799年。科学を信奉するニューヨークの捜査官イカボッド・クレーン(ジョニー・デップ)がハドソン川をさかのぼった所にある小さな村スリーピー・ホロウの連続殺人の捜査に派遣される。殺されたのは3人。いずれも首を切断されており、村では首なし騎士の亡霊の仕業と考えられていた。首なし騎士は20年前、独立戦争で残虐の限りを尽くした騎士で、首を切断されて殺された。その怨みから首を求めて殺人を犯しているというのだ。イカボッドは信じず、独自の捜査を始める。殺人はさらに連続し、イカボッド自身も首なし騎士を目撃。魔女に教えられた“死人の木”の根もとから騎士が現れるのを見るに及んで、その実在を信じざるを得なくなる。問題は亡霊が何者かに操られているらしいこと。その犯人と動機が後半の焦点になる。

イカボッドが科学捜査の道具を使う場面などはまるで「シザーハンズ」。捜査官が不思議な村にやってくるというのは「ツインピークス」を思わせる設定だ。しかもこの捜査官はちょっとしたことですぐに失神してしまうのである。バートンらしいユーモアが随所にあって、僕はクスクス笑いながら見た。ストーリーに奥行きを持たせているのは、イカボッドが見る夢の描写で、イカボッドの母親もまた魔女と誤解されて夫(つまりイカボッドの父親)に殺された経緯が明らかになる。スリーピー・ホロウの不気味な雰囲気、出演者たちの衣装やメイクアップ、最初と最後に出てくるニューヨークのセットなどいずれも独自の雰囲気がある。霧の立ちこめる森の描写は、フツーの森にしか見えなかった「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」に比べて格段に素晴らしく、バートンがプロの実力を見せつけたといったところか。

首なし騎士に扮したのは「スター・ウォーズ エピソード1」のダース・モール役レイ・パーク(当然、顔は映らない。“首あり騎士”の方はクリストファー・ウォーケン)。ブーンと効果音を響かせながら、剣を振り回す騎士のきびきびしたアクションもこの映画の魅力の一つだ。「エド・ウッド」のマーティン・ランドーやハマー・プロの怪奇映画でドラキュラを演じたクリストファー・リーがゲスト出演的な役柄で出ているのもファンにはうれしい。

【データ】1999年 アメリカ 1時間46分 マンダレイ・ピクチャーズ提供 日本ヘラルド映画配給
監督:ティム・バートン 製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ 原作:ワシントン・アーヴィング「スリーピー・ホロウの伝説」 原案:ケヴィン・イェーガー、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー 脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー 音楽:ダニー・エルフマン 撮影:エマニュエル・ルベツキー 衣装デザイン:コリーン・アトウッド プロダクション・デザイン:リック・ヘインリック
出演:ジョニー・デップ クリスティーナ・リッチ ミランダ・リチャードソン マイケル・ガンボン キャスパー・ヴァン・ディーン イアン・マクダーミッド マイケル・ガフ クリストファアー・リー ジェフリー・ジョーンズ マーク・ピッカリング リサ・マリー クリストファー・ウォーケン マーティン・ランドー(クレジットなし)

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マグノリア

magnolia

「マグノリア」 ロサンゼルス郊外のサン・フェルナンド・バレーを舞台にさまざまな人々の1日を描く群像ドラマ。主人公はいない。どの人物も対等に描かれ、次々にエピソードが綴られていく。個々の描写に説得力があるし、編集も素晴らしい。複数のストーリーが同時進行するこの映画を破綻なくまとめられたのはポール・トーマス・アンダーソン監督の非凡な手腕によるものだろう。音楽のセンスの良さとそれを利用したMTV的な映像の作りも際立っている。登場人物がエイミー・マンの歌をリレーして歌う場面の楽しさ(ここは監督自身はミュージカルと言っているが、長い映画のインターミッション的意味も持つ)はその最たるものである。さらに唖然呆然のクライマックスによって、この監督の異能ぶりがはっきりする。ドラマトゥルギーの基本としてこうしたクライマックスは不可欠なのだが、それにしてもなんというアイデアだろう! 僕は驚き、そしておかしくなった。登場人物の一人のように「こんなこともある。こんなこともあると思ってた」とつぶやくしかないではないか。不本意な過去を持つ登場人物たちが、すべての過去を断ち切り、再スタートするための契機として、このクライマックスの衝撃はなくてはならなかったのだと思う。

主要登場人物は12人。それぞれに相関関係があるが、ストーリーとしては大まかに5つに分けることができると思う。末期ガンで死の床にあるアール・パートリッジ(ジェイソン・ロバーズ)と妻(ジュリアン・ムーア)、実の息子フランク(トム・クルーズ)が絡むパート、やはりガンで余命2カ月となったクイズ番組の司会者ジミー・ゲイター(フィリップ・ベイカー・ホール)と妻ローズ(メリンダ・ディロン)、家出した娘クローディア(メローラ・ウォルターズ)を中心にしたパート、この娘と警官ジム(ジョン・C・ライリー)の出会い、クイズ番組に出演する天才少年スタンリー(ジェレミー・ブラックマン)と父親(マイケル・ボウエン)の話、そしてこのクイズ番組で有名になったが、今は電気店の広告塔でしかないドニー・スミス(ウィリアム・H・メイシー)の話−の5つである。

ドニーと警官ジムの話を除けば、これは家族についての話であることが分かる。そしてこの2人を含めて共通するのがいずれも自分の過去に後悔や失敗を抱え、現状に満足していない人たちばかりであるということである。アンダーソン監督はこの登場人物たちの中で唯一ジミー・ゲイターに対してだけ、何のシンパシーも持っていないらしいが、そのほかの人物はいずれも善人に属するタイプである。しかしその苦悩は大きい。映画はこの登場人物たちを十分に掘り下げ、奥行きのあるドラマを生み出していく。例えば、アール・パートリッジ。病気の妻を見捨てて家を出たため、息子フランクは14歳で母親の看病をしなければならなくなった。それ以来音信不通となっていたが、パートリッジは死ぬ前に一目息子に会いたいと願う。現在の妻はパートリッジの財産目当てで結婚したのだが、死の床にあるパートリッジを見て初めて自分が夫を本当に愛していることに気づく。そして遺産はいらない、遺言を書き換えてくれと弁護士に頼むのだ。看護人フィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)の努力でフランクの消息は分かり(セックス教団の教祖として有名になっていた)、フランクは父親の元を訪れる。過去の恨みから最初は罵詈雑言を投げつけるが、意識の薄れてきたパートリッジに対して、やがて「死ぬな、死なないでくれ」と泣き崩れることになる。

勤務中に拳銃をなくしてしまうジム(黒沢明「野良犬」がモデルという)、バーテンに愛されるために歯を矯正しようとするドニー、父親の期待に応えようとしてけなげに知識を蓄え続けるスタンリー、父親に裏切られてクスリに溺れているクローディア、その誰もが愛しく思えてくる。出色のキャラクター、出色のストーリー展開である。細部のリアルさも相当のもので、看護人フィルが雑貨店に届け物を頼むシーンには笑ってしまった。実にありそうな話なのである。

この映画のように複数のストーリーが同時進行するタイプをミステリではモジュラー型という。「ミステリマガジン」4月号はテレビのミステリを特集しているのだが、その中で1980年代からアメリカのミステリ番組はモジュラー型が多くなったという指摘があった。さまざまな事件が同時進行し、解決する事件もあれば解決しないままの事件もあるというリアルでスピーディーな描き方。刑事ドラマ「ヒル・ストリート・ブルース」を嚆矢として、今では「ER」などの普通のドラマでも取り入れられている手法であり、アメリカの視聴者にとって珍しいものではないだろう。僕はこうした状況も、まだ若い(撮影当時29歳の)アンダーソン監督に影響しているのではないかと思う。先に挙げたMTV的な映像と併せてアンダーソン監督のスタイルの基礎は実はそれほど深遠なものではなく、身近なところから発しているのかもしれない。もちろん、だからといってこの映画の価値が減じるわけではないことは強調しておこう。見応えのある人間ドラマを描くには人間に対する深い洞察力が必要なのである。

アカデミー助演賞にノミネートされたトム・クルーズは熱演だけれど、それ以上に僕はジュリアン・ムーアの演技にも感心した。涙がこんなに似合う女優とは思わなかった。

【データ】1999年 アメリカ 3時間7分 ニューラインシネマ提供 日本ヘラルド映画配給
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 製作:ジョン・アセラー 製作総指揮:マイケル・デ・ルーカ リン・ハリス 主題歌:エイミー・マン 音楽:ジョン・ブライオン 撮影:ロバート・エルスウィット 衣装デザイン:マーク・ブリッジス プロダクション・デザイン:ウィリアム・アーノルド マーク・ブリッジス 特殊効果:ルー・カールッチ 視覚効果:ジョセフ・グロスバーグ 
出演:トム・クルーズ ジェレミー・ブラックマン メリンダ・ディロン フィリップ・ベーカー・ホール フィリップ・シーモア・ホフマン ウィリアム・H・メイシー リッキー・ジェイ アルフレッド・モリーナ ジュリアン・ムーア ジョン・C・ライリー ジェイソン・ロバーズ マイケル・ボウエン メローラ・ウォルターズ エマニュエル・L・ジョンソン

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