クロコダイル・ダンディー in L.A.

Crocodile Dundee in L.A.

「クロコダイル・ダンディー in L.A.」 13年ぶりのシリーズ第3作。「世界がこの男を待っていた!」とパンフレットにあるが、いったいだれが待っていたというのか。13年前の第2作もあまり面白くなかったけれど、今回はそれ以上に面白くない。主演の2人、ポール・ホーガンとリンダ・コズラウスキーが13年分だけ年を取り、もはや主演を張れる魅力はないのに何か勘違いしているようだ。映画自体の作りもオーストラリアの人口20人の田舎に住むワニハンターが都会に出かけてカルチャーギャップから笑いを生むというワンパターン。3度も繰り返されると、この男、無知なのではなく、バカなんじゃないかと思えてくる。この手は一度しか使えないことにポール・ホーガン、気づかなかったのか。舞台が東京とかパリとかベルリンとか北京であれば、言葉の壁もあるし、ギャップは大きいのだろうが、基本的に訛りがあるとはいえ、言葉は通じるわけだからオーストラリアとアメリカのカルチャーギャップなんてたかが知れている。脚本の展開が安易な上に、余計な場面が多すぎ、サイモン・ウィンサーの緩んだ演出が話のつまらなさに輪をかけている。フロックだった1作目だけでやめておけば良かったのにとつくづく思う。

ミック・ダンディー(ポール・ホーガン)とNY出身のジャーナリスト、スー(リンダ・コズラウスキー)はまだ結婚はしていなかったが、長男マイキー(サージ・コックバーン)が生まれ、オーストラリアの片田舎で相変わらず幸せに暮らしていた。ただし、ワニ狩りは禁止され、ミックはツアーガイドをやっている。そこに大手新聞社の社長を務めるスーの父親からロサンゼルス支社を一時的にまかせたいという依頼が来る。支社長が死に、後任がまだ見つかっていなかったためだ。ミックは息子の見聞を広げるためにもスーとともにL.A.に向かうことにした。高速道路でのスカンク騒動やテーマパークでの機械仕掛けの大蛇破壊やストリート・ギャングの撃退など、ここからいくつかの(不要な)エピソードを経て、映画はスーが取材したハリウッドの映画製作会社の犯罪を描く。これが今回の本筋になるのだが、どうも設定が安易、展開も安易、解決法も安易である。脚本家は本当に頭を絞ったのか。とりあえず、エピソードをつなげ、犯罪を絡めて、という姿勢が見え見えだ。マイク・タイソンなんて何のために出てきたんだか、分からない。緩んだ場面の連続で、出演者にも魅力がないとなれば、映画に見るべきところはない。

映画の企画自体に誤りがあった好例だが、話をもっと悪人退治の面に絞れば何とかなったのかもしれない。それには映画の序盤から伏線を張り、各エピソードを本筋に絡めていく必要があるだろう。ミックのキャラクターは田舎のカウボーイを思わせる。設定といい、ストーリー展開といい、このシリーズ、もともとはかつてのテレビシリーズ「警部マクロード」が根底にあったのではないか、と今にして思う。映画の作りの古さはそのあたりに起因しているのかもしれない。キャラクターとその風貌を見ると、ポール・ホーガン自体は悪くない人なのだろう。企画を練り直して別の映画で捲土重来を果たしてほしい。別に悪評を浴びせられるために映画を作ったわけではないだろう。

【データ】2001年 オーストラリア 1時間37分 ギャガ=ヒューマックス共同配給
監督:サイモン・ウィンサー 製作総指揮:キャシー・モーガン スティーブ・ロビンス ジム・リーブ 製作:ランス・フール ポール・ホーガン 脚本:マシュー・ベリー エリック・エイブラハムズ 撮影:デヴィッド・バー 美術:レスリー・ビンス 衣装:マリオン・ボイス 音楽:バジル・ポールドゥリス
出演:ポール・ホーガン リンダ・コズラウスキー サージ・コックバーン アレック・ウィルソン ジェア・バーンズ エイダ・タトゥーロ ポール・ロドリゲス

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パール・ハーバー

Pearl Harbor

「パール・ハーバー」 アメリカでの興行上の理由から加えられたと思える終盤の1時間が退屈すぎる。ここから「パール・ハーバー」というタイトルとは異なる別の映画になるのである。真珠湾攻撃の仇討ちを東京空襲で果たすというこのシーン、まったく不要である。「トラ トラ トラ!」(1970年、リチャード・フライシャー、深作欣二、舛田利雄監督)がアメリカでは惨敗したそうだから、こういう構成になったのだろうが、日本公開に際して都合の悪い部分をカットするぐらいなら、ここをすべてカットして真珠湾攻撃成功の場面で終わらせても良かったのではないか。いやアメリカでの公開版もそうして上映時間を2時間足らずにまとめた方がすっきりしただろう。監督のマイケル・ベイと製作のジェリー・ブラッカイマーは映画の質よりもヒットするかどうかにしか関心がないようで、だからこういう不要な場面を加えて映画の構成を滅茶苦茶にするのである。潔くない。噴飯ものの日本軍の描き方などこの映画のひどい部分はほかにもいろいろとあるが、失敗の要因は結局この点に集約されると思う。しかもこの無能コンビは真珠湾攻撃をタイタニックの悲劇のような“アメリカの悲劇”としてとらえ、そこにラブストーリーを絡めるという極めて安易な手法を採った。アメリカローカルな発想の底の浅い映画なのである。

ハンス・ジマーの音楽で幕を開けた映画は飛行機好きのレイフ(ベン・アフレック)とダニー(ジョシュ・ハートネット)の少年時代をさらりと描く。レイフは数学には才能を発揮するが、文字を読むのは苦手という設定。これが後ほどあまり生かされないのは脚本の欠点だろう。時代変わって1941年。2人は陸軍航空隊に入り、パイロットになっていた。レイフは健康診断で看護婦イヴリン(ケイト・ベッキンセール)と出会い、お互いに愛するようになっていたが、子どもの頃からの夢を実現するため志願してヨーロッパ戦線に出征する。ダニーとイヴリンはハワイ・オアフ島へ転属になる。イギリスのイーグル飛行隊に所属したレイフは戦闘の最中、ドイツ軍機から撃墜され、海に落ちて行方不明になる。戦死の報を受け取ったイヴリンは悲しみに暮れるが、やがてレイフと共通の思い出を持つダニーと愛し合うようになる。しかし、その年の12月6日、戦死したと思われたレイフが帰ってきた。フランスの漁民に助けられたが、連絡が取れずにいたのだった。レイフはダニーとイヴリンの関係を知って激怒する。翌12月7日、日本の戦闘機が突如、米空母や戦艦が集結した真珠湾を攻撃してきた。レイフとダニーはわだかまりを捨て、迎撃へと飛び立つ。

と、ここまで1時間半かかる。ここから30分あまりにわたって描かれる真珠湾攻撃の場面は最新のSFXを使い、確かに見応えがある。地面すれすれを飛ぶ戦闘機、日米のドッグファイト、空爆される戦艦、負傷する人々を次々に描き、迫力たっぷり。だが、長すぎるし、見せ方に工夫が足りない。しかもこのクライマックスの後に映画は先に書いたようなアホな設定に突入する。歯切れが悪いことこの上ない。三角関係の清算をどうするのかと思ったら、ここでもまた都合のいい決着を用意する。レイフとダニーとイヴリンの三角関係自体がありふれたものなのだが、この決着の付け方もまたとことん安易である。

ベン・アフレックはおいといて、繊細な青年を演じるジョシュ・ハートネット(「パラサイト」)と、どこかジェラルディン・チャップリンに似ていて決して美人ではないが、光る魅力を持つケイト・ベッキンセールは悪くない。なのにこのアホな物語ではどうしようもない。ほかにもキューバ・グッティング・Jrの描き方が通り一遍であるとか、ダン・エイクロイドにもっと活躍させろとかの不満がたっぷりある。車椅子のルーズベルト大統領を演じたジョン・ボイトは演技派の名に恥じない重厚な演技だが、これとて結局、このくだらない映画に収斂されていくのであるならば、大してキャリアのプラスにはならないだろう。

【データ】2001年 アメリカ 3時間3分 配給:ブエナ・ビスタ
監督:マイケル・ベイ 製作:ジェリー・ブラッカイマー 製作総指揮:マイク・ステンソン バリー・ウォルドマン ランダル・ウォレス チャド・オーメン ブルース・ヘンドリックス 脚本:ランダル・ウォレス 撮影:ジョン・シュワルツマン 美術:ナイジェル・フェルプス 視覚効果監修:エリック・ブレヴィッグ 特殊効果:ジョン・フレイジャー 衣装:マイケル・カプラン 音楽:ハンス・ジマー
出演:ベン・アフレック ジョシュ・ハートネット ケイト・ベッキンセール アレック・ボールドウィン キューバ・グッティング・Jr ジョン・ヴォイト ダン・エイクロイド トム・サイズモア イーウィン・ブレムナー ジェームズ・キング コーム・フィオレ マコ ケイリー・ヒロユキ・タガワ

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ジュラシック・パークIII

Jurassic Park III

「ジュラシック・パークIII」

4年ぶりの第3作。スピルバーグは「A.I.」に打ち込むため、以前からこのシリーズを作りたいと希望していたジョー・ジョンストン(「ミクロ・キッズ」「ロケッティア」「ジュマンジ」「遠い空の向こうに」)が監督を担当した。普通なら、シリーズ3作目、しかも監督交代でボルテージは落ちるところなのだが、ジョンストンにその通説は通用しない。大作らしさには少し欠けるものの手堅さでは申し分なく、襲い来る恐竜からのサバイバルと壊れた家族の再生という人間のドラマをうまく融合させたエンタテインメントに仕上げている。上映時間を1時間33分とコンパクトにまとめたのは賢明な判断で、B級映画のテイストを残した、こういうスマートな映画には好感が持てる。今夏の大作の中では一番まともな演出である。ジョンストンは映画のあるべき姿とエンタテインメントの本質をよく知っており、時折こけおどし的な演出が目に付くスピルバーグよりも洗練されている。

第2作のジェフ・ゴールドブラムに代わって、今回の主役は古生物学者のアラン・グラント(サム・ニール)。第1作以来の登場で、かつての同僚エリー(ローラ・ダーン、「遠い空の向こうに」の先生役が良かった)も最初の方で顔を見せる。命からがら脱出した体験から「二度とジュラシック・パークには行かない」と決めていたグラントだったが、恐竜化石発掘の研究費は底を突きかけ困っていた。そこへ会社社長のポール(ウィリアム・H・メイシー)とその妻アマンダ(ティア・レオーニ)から、「サイトB(ソルナ島)の上空を飛ぶからガイドしてくれ」との依頼が来る。ジュラシック・パークの周辺は立ち入り禁止で飛行も禁じられている。夫妻は金の力でコスタリカ政府から許可を取ったという。

夫妻が雇った乗務員と助手のビリー(アレッサンドロ・ニヴォラ)とともにグラントは島へ向かう。ところが、ポールはサイトBの上空にさしかかったところで、予定通りという感じで着陸を強行する。またも金持ちの道楽かと思われたが、実はポールが会社社長というのは真っ赤な嘘。8週間前に島で行方不明になった息子リック(トレヴァー・モーガン)を探すのが目的だった。夫婦仲も冷え込んで別居中。リックは妻の恋人とともにパラセーリングの途中で行方不明になったのだった。島に降り立った一行に当然のように恐竜たちが襲いかかる。飛行機は凶暴なスピノサウルスに破壊され、島からの脱出は不可能。一行は脱出の可能性を探るため、海岸を目指してジャングルを突き進む。一人また一人と犠牲者を出しながら、襲ってくる恐竜たちからどう逃げ切るかが見どころとなる。

CGの技術は4年前よりも確実に上がっており、ティラノザウルスとスピノサウルスとの戦いなどは怪獣映画ファンが喜びそうな迫力。第1作では技術的に描けず、前作でもラストにちらりとしか出せなかったプテラノドンが今回は大いに見せ場を作っている。これとおなじみのヴェロキラプトル。今まで以上に知性を持った恐竜として描かれ、人間たちを恐怖に陥れる。飛ぶことにこだわりを見せるジョンストン演出の例にもれず、プテラノドンの飛翔する描写には見応えがある。そのプテラノドンの最初の登場シーン、霧の中の橋を渡ってくる姿はまるで悪魔のようだ。飛び方やアングルは平成「ガメラ」シリーズのギャオスの影響があるのではないかと思える。

しかし、そうした技術的な部分もさることながら、ジョンストンの持ち味は演出の的確さの方にあり、無駄な描写を一切廃してユーモアと緊張感たっぷりに映画は進行していく。過不足なく描かれた1時間33分と言うべきで、これは超大作の上映時間ではないし、もう少しSFにシフトしても良かったのではとの思いも残るが、見終わって満足感は高かった。プロの仕事を見たという感じ。第4作を作るなら、またジョンストンに撮らせてほしいものだ。

【データ】2001年 アメリカ 1時間33分 配給:UIP
監督:ジョー・ジョンストン 製作:キャスリーン・ケネディ ラリー・フランコ 製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ 脚本:ピーター・バックマン アレクサンダー・ペイン ジム・テイラー キャラクター原案:マイケル・クライトン 撮影:シェリー・ジョンソン プロダクション・デザイン:エド・バリュー 衣装:ベッツィー・コックス 音楽:ドン・デイヴィス 特殊効果スーパーバイザー:マイケル・ランティエリ ライブ・アクション・ダイナソー:スタン・ウィンストン・スタジオ 視覚効果スーパーバイザー:ジム・ミッチェル アニメーション&視覚効果:ILM 恐竜コンサルタント:ジャック・ホーナー
出演:サム・ニール ウィリアム・H・メイシー ティア・レオーニ アレッサンドロ・ニヴォラ トレヴァー・モーガン マイケル・ジェッター ブルース・A・ヤング ジョン・ディール ローラ・ダーン

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千と千尋の神隠し

「千と千尋の神隠し」 大ヒットした「もののけ姫」から4年、宮崎駿は恐ろしく完成度の高い作品を作ってしまった。テーマと物語の見事な融合。豊かすぎる細部の描写。完璧なアニメーティング。良くできた古典を見せられたような充実感がある。「不思議の国のアリス」のような話なのに、なぜこんなに焦点深度の深い作品になるのか。異世界の物語で現代の日本を語り、10歳の少女に託して人間の本質を語っているからにほかならないだろう。物語に身を委ねることの快楽を覚えずにはいられず、続きの物語を知りたくてたまらない気持ちに駆り立てられてしまう。それは傑作小説を読む時に感じる切実な感情と同じものである。宮崎駿はまぎれもなく堅固な思想と作家性を持つ監督だが、同時に圧倒的な大衆性をも備えている。それがほかの凡百の映画とは一線を画す作品を生み出す理由なのだと思う。この作品でまたも引退をほのめかしているようだが、そんなことをさせてはいけない。世界に通用する数少ない日本の監督なのだ。この映画にはそんな宮崎駿の並々ならぬ思いが感じられる。アニメの狭い枠を軽々と飛び越えた傑作であり、絶対に見逃してはならない作品。

10歳の荻野千尋は引っ越しの途中で道に迷い、両親とともに古ぼけたトンネルの中に入る。トンネルを抜けた場所は荒れ果てており、かつてのテーマパークのように思われた。美味しそうな匂いに惹かれた両親は誰もいない中華料理店で料理をガツガツと食べ始める。気が進まなかった千尋は周囲を歩き始めるが、やがて日が暮れると、そこは異様な世界に一変した。正体不明の化け物のような存在が跋扈する世界。恐怖を覚えた千尋は両親のもとへ帰るが、2人とも豚の姿に変わっていた。逃げ出した千尋を助けたのはハクと名乗る少年だった。ハクは千尋に湯屋「油屋」で働くよう指示する。人間がこの世界で生き延びるためには油屋を支配する魔女・湯婆婆(ゆばーば)に仕事をもらうしかない。働く意志を持たないものは両親のように豚にされるか、消されてしまうのだ。千尋は油屋の地下にあるボイラー室で釜爺の仕事を手伝った後、湯婆婆に会い、湯女として働くことを許される。名前は千に変えられた。これまで両親の庇護のもとで暮らし、何もできなかった千尋は先輩のリンやハクに助けられて懸命に働く。ヘドロをだらだらと流しながら歩く河の神オクサレ様にうまく対応し、自分を持たないカオナシの乱暴を止めたことで、周囲の理解を得られるようになる。

働かなければ生きていけないというのは現実社会の単純な真理だ。宮崎駿は物語に現実を反映させているのだが、それだけでなく、この物語にはさまざまな寓意が込められている。オクサレ様やカオナシ、湯婆婆、その息子で巨大な赤ん坊・坊も含めてキャラクターは単純な善でも悪でもない。環境によってキャラクターは善にでも悪にでもなれるという描き方には極めて説得力がある。そして豊かなイマジネーション。様々な神々の姿、細部の凝った作りには圧倒される。ファンタジーに不可欠の異世界の見事な構築がこの映画にはある。映画は後半、湯婆婆の姉・銭婆(ぜにーば)によって傷ついたハクを助けるため、そして両親を人間に戻し、元の世界へ帰るために奔走する千尋を描く。千尋は何の力も持たない普通の少女だが、そのキャラクターはコナンやルパンやナウシカなど宮崎駿の映画の主人公と共通するものだ。観客の胸を熱くさせる懸命な姿、一途な思い。これが映画を引っ張っている。

映画の構成は異世界への迷い込みと、そこからの帰還という閉じたものだから、自然とプロットの完成度は高くなる。しかし、この密度の濃さには恐れ入る。立派な作品であるにもかかわらず、どこか息苦しかった「もののけ姫」とは異なり、ユーモアも随所に挿入される。優れた物語が持つ普遍性と観客の心をつかんで放さない魅力をこの映画は備えており、例を見ない大ヒットは当然のことと納得できる。

【データ】2001年 2時間5分 配給:東宝
監督:宮崎駿 製作総指揮:徳間康快 原作:宮崎駿 脚本:宮崎駿 音楽:久石譲 作画監督:安藤雅司 美術監督:武重洋二 プロデューサー:鈴木敏夫 主題歌:木村弓「いつでも何度でも」
声の出演:柊瑠美 入野自由 夏木マリ 内藤剛志 沢口靖子 我修院達也 神木隆之介 玉井夕海 大泉洋 はやし・こば 上條恒彦 小野武彦 菅原文太

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