アメリカン・サイコ

American Psycho

「アメリカン・サイコ」

登場するヤッピーたちの描写はカリカチュアライズされ、笑ってしまう場面が多い。ブレット・イーストン・エリスの原作は読んでいないが、監督・脚本のメアリー・ハロンは一般的なシリアル・キラー(連続殺人犯)を描くことよりも80年代のヤッピーを批判的に描くことが目的だったようだ。気になるのはこういうシリアル・キラーが存在しうるのかという点。シリアル・キラーはプアー・ホワイト(低所得者層の白人。しかも幼児虐待の経験がある場合が多い)というのがお決まりだが、この映画の主人公は裕福な環境にある。仕事や生活のストレス、苦悩だけで人は殺人を繰り返せるのか。ヤッピー批判なら連続殺人を持ち出す必要はないし、快楽的な連続殺人を描きたかったのなら、ヤッピーを主人公にする必要はなかった。アンソニー・パーキンス=ノーマン・ベイツを思わせるクリスチャン・ベール(「太陽の帝国」)の虚無的な好演もあって退屈せずに見られるが、テーマと物語の設定が基本的に噛み合っていないうらみが残る。

1980年代のアメリカ。主人公のパトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベール)はウォール街の一流企業ピアース&ピアースで副社長の地位に就いている。毎日エクササイズに精を出し、健康に気を遣い、美しい婚約者がおり、何不自由ない生活。しかし、内面は空っぽだ。仲間とは、作った名刺の出来を比べ合ったりする。自分より出来のいい名刺を持っている奴に嫉妬し、殺人の動機の一つになるのがおかしい。この描写、2度目は完全にギャグである。上辺を取り繕った生活の中で、ベイトマンはある夜、衝動的にホームレスを殺す。それから殺人の衝動を抑えられなくなる。自分よりいい暮らしをしているビジネスマン、街で買った娼婦、通りで知り合った女、自分の秘書(クロエ・セヴィニー)までも殺そうとする。

ベイトマンはエド・ゲインやテッド・バンディに言及し、ビデオでトビー・フーパー「悪魔のいけにえ」を見ているぐらいだから、シリアル・キラーには関心があるのだろう(チェーンソーを持って、女を追い回す場面まである)。苦悩の果ての殺人なら分かるのだが、殺人が日常化するのに説得力がない。説得力を持たせるには最初の殺人を詳しく描く必要があった。なぜホームレスを殺さなければなかったのか。殺した後、主人公の気持ちにはどんな変化があったのか。ここさえ、十分に描いていれば、と思う。ここの描写が不十分なため、殺人に関しては「なぜ殺し続けるのか」という大事な部分がないがしろにされたままになっている。

メアリー・ハロンはイーストン・エリスの小説について「80年代の狂気をひとりのサイコパスとして人格化した」ものと受け取っている。残念ながら狂気の描き方が足りず、プロットをなぞっただけなので深みのある映画にはならなかった。なお、殺されなかったクロエ・セヴィニーを主人公にした続編“American Psycho 2: The Girl Who Wouldn't Die ”という企画があるようだが、設定からしてヤッピー批判になるはずはなく、シリアル・キラーが中心の映画になりそうだ。

【データ】2000年 アメリカ 1時間42分 配給:アミューズ・ピクチャーズ
監督:メアリー・ハロン 製作:エドワード・R・プレスマン クリス・ハンリー クリスチャン・ハルシー・ソロモン 脚本:メアリー・ハロン グィネヴィア・ターナー 撮影:アンドレイ・セクラ 美術:ギデオン・ポンテ アート・ディリー・バーデン 衣装:アイシス・マッセンデン 音楽:ジョン・ケイル
出演:クリスチャン・ベール ウィレム・デフォー ジャレッド・レト ジョシュ・ルーカス サマンサ・マティス マット・ロス ビル・セイジ クロエ・セヴィニー カーラ・シーモア ジャスティン・セロウ グィネヴィア・ターナー リース・ウィザースプーン

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大河の一滴

「大河の一滴」

五木寛之のエッセイと原案から新藤兼人が脚本化し、神山征二郎が監督した。このベテランコンビならまず死角はないと思えるのに、残念ながら映画の出来は芳しくない。小津安二郎風のホームドラマを中心にした脚本は、人生の愛と生と死をトータルに描こうという意図があったのかもしれない。しかし整理がついていない感がある。前半にある主人公の友人が恋人に金をつぎ込んで、店を潰し、自殺するという描写などは何のために描いたのか。南野陽子は好演しているのだけれど、映画の本筋に絡んでこないし、語り口が性急すぎる。後半の物語の焦点となるガンにかかった父親の生き方と、安田成美、渡部篤郎、セルゲイ・ナカリャコフの三角関係を最初から重点的に描くべきだったのではないか。不要と思える描写もいくつかある。映画が不本意な出来となった根底にはエッセイを映画化することの難しさがあるようだ。

加えて主人公を演じる安田成美の演技が誤算。この人、黙っていれば、まだ何とかなるが、セリフをしゃべり、身振り手振りが加わると、その硬さ、稚拙さにあきれるほかない。もっと自然な演技を身につけてほしいものだ。脇を固める三国連太郎や倍賞美津子らが自然体演技なので余計にそう感じられる。もう一人、相手役の渡部篤郎の演技は自然体とは言えないが、うまさを感じる。硬いセリフを普通の人間がしゃべる言葉に変換してしゃべっているよう。アドリブだろうが、うまいし、好感が持てる。

主人公・小椋雪子(安田成美)は29歳。東京で友人の川村亜美(南野陽子)が経営する輸入雑貨店で働いている。商品の買い付けにロシアへ行った際、ロシア人のガイド、ニコライ・アルテミコフ(セルゲイ・ナカリャコフ)と知り合う。ある日、東京の雪子にニコライから電話がある。ニコライはトランペット奏者でオーケストラのオーディションを受けるため、来日していたのだ。しかし、オーディションは不合格。そんな時、金沢に住む雪子の父親(三国連太郎)が倒れたとの知らせが届く。父親は肝臓ガンと肝硬変を併発していた。もって半年の命。父は手術をせず、今まで通り祖父から継いだ特定郵便局長としての仕事に打ち込む。金沢に帰ってきた雪子は幼なじみの榎本昌治(渡部篤郎)と相談し、金沢にあるオーケストラのオーディションにニコライを受けさせようとする(オーケストラがたまたまトランペット奏者を募集していた、というのはご都合主義的展開)。ニコライは昌治の家に泊まり、オーディションの準備をする。後半、際だってくるのは昌治の人の善さで、渡部篤郎の演技のうまさに加えて、実にいい役柄だと思う。

これに対して雪子のキャラクターにはどうもついていけない。「あたしやっぱり昌治と結婚するのかなあ」などと言いつつ、不法滞在で送還されたニコライに会いにロシアまで行くのに、昌治に同行するよう頼むのである。昌治は悩みながらも承諾をする。雪子がニコライの家の前でニコライの恋人を見るシーンはソフィア・ローレン「ひまわり」を何となく思い出したが、「ひまわり」の場合はあの後に厳しい場面を描いていた。この映画の場合は、ただあきらめるだけである。詰めが甘い。もしかすると、新藤兼人脚本は昌治を描くために、こういう主人公にしたのかもしれないとも一瞬思ったが、それにしてもこの主人公の性格設定はないだろう。神山征二郎は「わがままというのは心が純粋ということ」とパンフレットで語っているけれど、29歳にもなった女のわがままは迷惑なだけである。ニコライ役のセルゲイ・ナカリャコフは国際的に活躍するフランス在住のトランペッターらしい。これまた稚拙な演技というほかない。トランペットはできなくても本職の役者を起用すべきだったのではないか。

【データ】2001年 1時間53分 配給:東宝
監督:神山征二郎 製作:宮内正喜 見城徹 高井英幸 原作・原案:五木寛之 脚本:新藤兼人 撮影:浜田毅 音楽:加古隆 美術:中沢克己
出演:安田成美 渡部篤郎 セルゲイ・ナカリャコフ 南野陽子 倍賞美津子 三国連太郎 山本圭 馬淵晴子 犬塚弘 樋浦勉 橋本さとし 田山涼成 並樹史朗 安藤一夫 伊藤留奈 岩下寛 サーシャ・クリス アンナ・シミャーキナ

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Red Shadow 赤影

「Red Shadow 赤影」 かつてのテレビシリーズ「仮面の忍者 赤影」の映画版。とは言えない。キャラクターの設定だけを借りて、別の映画にしてしまっている。描かれる2つのミッションの最初のやつがもう最低である。ほとんど笑えない軽薄な描写には、ほおが引きつる。刹那的ギャグ、くだらないギャグ、テレビのコントのレベルの描写でいったい何をしようというのか。赤影をパロディにする必要はまったくなかったし、キャラクターにクールなだけではない人間味を与えたかったのなら、中野裕之監督、徹底的に方法を間違っている。まともなストーリー展開になる後半、2番目のミッションはやや持ち直すのだから、最初からこのタッチで描くべきだった。もっとも、その場限りの描写は多く、芯に骨太のものがない構成ではどうしようもない。映画と観客を甘く見てはいけない。

AD1545年の戦国時代。宇宙から飛来した“無敵の鋼”を代々引き継ぐ忍者集団・影一族は戦国大名・東郷秀信(津川雅彦)に仕え、頭領・白影(竹中直人)の下で赤影(安藤政信)、青影(村上淳)、飛鳥(麻生久美子)の3人が天下統一への任務をこなしている。最初の任務は東郷と対立する大名・六角直正(風間杜夫)の侵略阻止。3人が六角の屋敷の天井裏に侵入すると、そこには多数の忍者の先客がいた、という描写にはあきれる。これ以前の3人の子ども時代の描写の安直さ、赤影と青影の日常会話に出てくる美人銭湯だの美人按摩などという言葉もまた映画の求心力を削ぐだけである。ユーモアはあった方がいいかもしれないが、その場限りのギャグは不要である。新体操の場面など目を疑うほかない。

映画は後半、京極城にある秘密兵器(この兵器も情けなくなるほどのギャグに終わっている)をめぐって、根来弦斎(根津甚八)率いる根来忍者集団と赤影たちとの対決、権力を握ろうとする家老・竹之内基章(陣内孝則)と琴姫(奥菜恵)の確執などを描き、ようやく物語らしくなってくる。少なくとも役者に関しては豪華で、藤井フミヤの忍者も悪くないし、陣内孝則や神山繁、根津甚八などは映画のくだらなさに抵抗するかのように、時代劇らしい演技を見せてくれる。例えば、根津甚八は「闇に生き、闇に消える忍び」の悲哀を何とか表現しようとしている(セリフだけなので成功はしていない)。ここをもう少し緊密に映像化して、前半のアホな描写をばっさり切り落とし、赤影たちのキャラクターをまともに描き込めば、映画はまだ見られるものになっただろう。魅力的だった麻生久美子を早々に消してしまうのも、もったいなかった。

かつての正義のヒーローを素直に映画化することに中野監督は冷笑的な気分を持ったのかもしれない。しかし、そういう視点で映画は成功しない。金子修介、伊藤和典コンビがだれも成功するとは思わなかった平成「ガメラ」シリーズを素晴らしい3部作にしたのは徹底的に怪獣映画を愛し、怪獣映画の設定を考え抜いて突き詰めたからであり、ジャンルにおいて真に優秀なものは狭いジャンルを軽く飛び越えてしまうのである。その場限りのギャグやパロディに逃げるなどという中途半端な姿勢こそ批判されるべきものだ。

【データ】2001年 1時間48分 配給:東映
監督:中野裕之 製作:佐藤雅夫 江川信也 芳賀吉孝 KIM SEUNGBUM 原作:横山光輝 脚本:斎藤ひろし 木村雅俊 撮影:山本英夫 美術:内藤昭 内田欣哉 衣装デザイン:北村信彦
出演:安藤政信 奥菜恵 麻生久美子 村上淳 竹中直人 藤井フミヤ 舞の海秀平 谷啓 きたろう 篠原涼子 でんでん 神山繁 福本清三 田中要次 津川雅彦 松重豊 越前屋俵太 アリーナ・カバエワ 中田大輔 ピエール瀧 スティーブ・エトウ 風間杜夫 吹越満 椎名桔平 布袋寅泰 根津甚八 陣内孝則 矢沢幸治

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ウォーターボーイズ

「ウォーターボーイズ」

男子高の唯一の水泳部員がひょんなことからシンクロナイズド・スイミングを始める青春映画。なんだか「リトル・ダンサー」みたいなシチュエーションだが、感動的な展開だったあの映画とは異なり、こちらはゲラゲラ笑って見終わる。下品な笑いはなく、実にさわやか。気持ちがいい。矢口史靖監督の演出はスピーディーかつ的確で、くだらないしみじみやペーソスとは無縁のカラリとした世界。あれよあれよと言う間の1時間31分である。細かいギャグとアイデアが詰め込んであり、充実した映画に仕上がっている。ただし、クライマックスのシンクロのシーンがそれなりに見応えがあるのを認めた上で言うと、ややぎこちない部分も残る。ハリウッドがリメイクしたいといってきたらしいが、ハリウッド(のミュージカルに精通した監督)なら、ここをミュージカル的に素晴らしいシーンにしてくれるのではないか。

3年生最後の大会で唯野高校唯一の水泳部員・鈴木智(妻夫木聡)が100メートルを泳ぎ終わると、コースの左右に他の選手がいない。まだ他の選手はゴールしていないのか? 「え、まさか」とつぶやく智に「早く上がれよ」の声。何のことはない、他の選手はとっくにプールから上がっていたのだった。というオープニングから快調そのもの。廃部寸前だった水泳部はスタイル抜群の若い佐久間先生(眞鍋かおり)が顧問になったことで、活気を帯びる。佐久間先生を目当てに28人が加入するのだ。しかし、佐久間先生、実は水泳ではなくシンクロの先生であることが分かり、一挙に5人にまで減ってしまう。男子のシンクロに意欲を燃やす先生は文化祭で披露することを勝手に決めるが、なんと妊娠8カ月であることが判明(確かに水着になったら、おなかの出っ張りが目立った)。出産準備のため実家に帰ってしまう。「あとは自分たちで頑張ってね」。このあたりのつるべ打ちのギャグが最高である。智たち同様、観客もあっけにとられるほかない展開。

5人はこれ幸いと文化祭での発表は取りやめにする。しかし、周囲からバカにされたのに腹を立て、やはり文化祭を目指すことになる。ところが、プールは既にバスケットボール部が釣り堀にするため、魚を放流していた。「魚をすべてすくい上げたら、プールを使わせてやる」とのバスケット部と魚屋のおっさん(竹中直人)の言葉にカチンと来ながらも5人は魚をかき集めようとする。水を抜いて捕まえようとしたのはいいが、途中でガードマンに見つかり、作業は中断。魚がすべて死んでしまう。こうなったら、文化祭で入場料を取って弁償するしかない。という風に追いつめられた設定を用意しているのが非常にうまい。

落ちこぼれの生徒が困難を克服しながら目標に突っ走るというのはスポーツ映画の常套的描き方。「がんばれ! ベアーズ」や「シコふんじゃった。」、近くは「タイタンズを忘れない」まで必ずこういう展開を用意している。矢口監督はそうしたスポ根映画になるのを嫌ったそうで、確かにスポ根とは異なるベクトルの笑い満載の青春映画になっている(文化祭の最大の目標が近くの桜木女子高の生徒をいかに多く集めるか、という点で実行委が一致するのがおかしい)。しかし、成功の要因はやはり落ちこぼれがヒーローになるというスポ根映画の快感にある。この映画はその過程にギャグをたくさん詰め込んでいるので、単純なスポ根映画には見えないが、路線としては同じだろう。だから生徒たちがシンクロの専門家に教わらず、独力で上達するのがちょっと気になる。佐久間先生に話を聞きに行くとか、そんな専門家に教わるシーンを少し入れれば、説得力は増したと思う。

主人公をはじめ高校生を演じる役者たちはややオーバーアクト気味で、決して演技がうまいわけではないが、実に好感が持てるキャラクターばかり。主人公のガールフレンドで空手の達人を演じる平山綾もいいし、水族館のイルカの調教師役で5人に(いいかげんな)合宿特訓をする竹中直人も「Red Shadow 赤影」よりおかしかった。

【データ】2001年 1時間31分 配給:東宝
監督:矢口史靖 製作:宮内正喜 平沼久典 塩原徹 脚本:矢口史靖 撮影:長田勇市 美術:清水剛 音楽:松田岳二 冷水ひとみ 装飾:鈴村高正
出演:妻夫木聡 玉木宏 三浦哲郁 近藤公園 金子貴俊 平山綾 眞鍋かおり 竹中直人 杉本哲太 谷啓 柄本明 徳井優

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