映画とネットのDIARY(tDiary版)

since 2004/07/15
ここは古い日記です。2013年11月からadiaryを使った新サイトに移行しました。
検索エンジンからのアクセスで、お探しのキーワードが見あたらない場合はNamazuで再検索してみてください。
映画の感想一覧 2004年7月以降 2005年  2006年  2007年  2008年  2009年

2005年01月18日 [Tue]

Wnn8 for Linux/BSD2月25日発売

郵送でバージョンアップの案内が来た。特長と機能によると、入力予測機能の進化やGTK+2への対応、連想変換、入力補正などが新しいのか。WnnもATOKの参入でLinuxでは難しいところにあるだろう。ディストリビューションにバンドルしないのかな。

プラグインアップデート

CVSから取得してmakerss.rbとdisp_referrer.rbをアップデート。うまく動いているようだ。と、思ったら、RSSの方は少し改造してXSLスタイルシートの行を挿入するようにしていたのだった。で、修正してOK。

tDiaryはもう少しドキュメントが欲しい。プラグインを自作する時にけっこういろんなサイトを参考にする必要がありますね。


2006年01月18日 [Wed]

[MOVIE] 「亀も空を飛ぶ」

「亀も空を飛ぶ」パンフレットキネ旬ベストテン3位。イランに住むクルド人監督であるバフマン・ゴバディがイラク北部の村に生きるクルド人の子供たちの過酷な生活を描く。地雷で手や足をなくした子供が普通にいたり、除去した地雷を売って生活の糧を得る子供たちの姿、過去の恐ろしい出来事に心を痛め、いつも無表情な少女の姿には言葉を失うが、この映画が優れているのは両腕をなくした少年が予知能力を持っているというファンタスティックな設定や日々のユーモアを織り込んで普遍的な映画に仕上げていることだ。現実から近いところで成立させたフィクションで、現実に軸足を置きつつ、フィクションの有効性を最大限に生かしている。クルド人の監督だから、描いてあるのは弾圧と迫害と虐殺にさらされてきたクルド人の悲惨な現状なのだが、これは単に戦争の犠牲になるのはいつも子供たちだ、という風に設定を無視して短絡的に受け取ってしまっても悪くはないと思う。映画を見た後、すぐにどこかの子供を救える募金に協力したくなる気分にさせる映画である。

アメリカのイラク侵攻前の2003年春、トルコ国境に隣接する北部の村が舞台。大人たちは間もなく始まる戦争の情報を得ようと、テレビのアンテナを立てるのに必死だ。主人公の少年ソランはそうした衛星アンテナの設置も行っているのでサテライトと呼ばれる。サテライトは村の子供たちを率いて、地雷を除去し、それを売っている。ある日、この村に両腕をなくした少年ヘンゴウと赤ん坊リガーを背負った少女アグリンの兄妹がやってくる。アグリンに一目惚れしたサテライトは何かと世話をするようになる。ヘンゴウは地雷の埋まった場所を言い当てたり、トラックの爆発を予言したりする。予知能力があるらしい。アグリンはいつも無表情で、なぜかリガーを嫌っている。

こうした設定の下、映画は村の子供たちの日常を活写していく。子供たちはただ悲惨ではなく、笑顔も見せるし、たくましさもあるが、そうした姿が逆に痛ましい気分を起こさせる。しかし、個人的に心を揺さぶられたのは過酷な子供たちの姿よりも、地雷原の中に迷い込んだ幼児を助けようとする主人公サテライトの姿。子供たちのリーダーで、要領のいいだけの少年かと思えたサテライト、実はしっかりしたいいやつなのである。サテライトは戦争孤児で、アメリカに憧れている。フセインから弾圧を受けてきたクルド人にとって、アメリカの侵攻は弾圧からの解放を意味する。政治的な観点から見れば、アメリカはベトナム戦争でも北ベトナム政府から迫害されていた山岳民族に反政府勢力を組織させたし、この映画もそういう風に利用される恐れがあったが、ゴバディはアメリカを信用していず、「独裁者がフセインから変わっただけ」というスタンスのようだ。化学兵器で虐殺を行ったフセインよりはまし、といったところか。アカデミー外国語映画賞のイランの代表作品になったにもかかわらず、賞にノミネートされなかったのはそういう部分があるからかもしれない。

イラクではアメリカの後押しによってクルド人の大統領が誕生したが、クルド人が本当に弾圧と迫害から逃れるためにはクルド人の国を作るしかないだろう。クルド人はトルコ、イラン、イラク、シリアなどに分散しているから問題は複雑で、そのめどは全くない。民族と住む国が一致しない悲劇(母国語と母語が一致しない悲劇)はいつになったら解消されるのだろう。

パンフレットによれば、映画でヘンゴウを演じる少年ヒラシュ・ファシル・ラーマンは実際には地雷ではなく、感電事故で両腕をなくしたそうだ。本当に目が見えなかったリガー役の赤ん坊アブドラーマン・キャリムはその後手術を受け、視力を取り戻したという。


2009年01月18日 [Sun]

Liteboxプラグイン

「エッジ」表紙

入れてみた。今までimage.rbも使っていなかったが、画像の位置指定がCSSでできることを知ったので使うことにした。LiteboxはLightboxより軽量なので、ブログで使うには良いと思う。同じような効果を実現できるが、違うのはbodyタグにonload="initLightbox()"と入れなくてはいけないこと。あれ、でもこの日記には入ってないな。それにしても軽量なのは良いことなので、ホームページでもこっちを使うかな。左の画像はそのテスト。クリックすると大きくなる。

鈴木光司の「エッジ」は一昨日買った。まだ導入部分を少し読んだだけ。amazonのレビューは5件しかないが、賛否両論といったところか。鈴木光司の本を読むのは「リング0」以来。「リング」「らせん」「ループ」3部作はSFにあまり詳しくない人が一生懸命考えて書いたSFという感想を持った。それでもホラーの「リング」からSFの「ループ」にいたる構想は大したものだと思った。今回もSFらしい。過度な期待はせずに読んでみよう。

不審な入金催促メール

家内のau携帯に「モバイルコンテンツ料金が未払いのため、課金作動中です。明日までに入金をお願いします」というCメールが入ってきた。アルファネットという会社名で出してある。よくある架空請求だろう。検索してみたら、そのアルファネットのホームページに当社名を名乗る不審な入金催促メールにご注意くださいというページがあった。12月18日ごろから始まったそうで、勝手に名前を使われて迷惑しているらしい。

Cメールの場合、ランダムな電話番号宛てに出しても届くからなあ。auはこういうメール、迷惑メールとしてシャットアウトできないのかな。


2013年01月18日 [Fri]

「シャーロック」のセリフのうまさ

ルームシェアするためにベーカー街221B番地に来たジョン・ワトソン(マーティン・フリーマン)がシャーロック・ホームズ(ベネディクト・カンバーバッチ)に聞く。

「こんな一等地なら高いだろう」
「大家のハドソンさんが特別に安くしてくれた。数年前、ご亭主が死刑判決を受けた時、僕が助けた」
「死刑執行を止めてやったわけか?」
「いや、確実にした」
(「シャーロック」第1シーズン第1話「ピンク色の研究」)

遅ればせながら、元日に放送された英国BBSのドラマ「シャーロック」第2シーズン第1話「ベルグレービアの醜聞」を見て、その出来の良さに驚いた。編集、カット割り、セリフ、ストーリーと俳優の演技が高いレベルでまとまっている。特にアイリーン・アドラー(ララ・パルバー)がスマートフォンに設定したパスコードが明らかになる場面でうなった。それまでよく分からなかったアイリーンの心情が鮮やかに浮かび上がるパスコードだったのだ。これはうまい。シャーロック・ホームズを現代に移すなど、ほとんど失敗が目に見えるような試みだが、このドラマのスタッフは相当に頑張って、成功を収めている。かなりエキセントリックな変人のコンサルタント探偵シャーロックと元軍医で常識人であるワトソンのコンビは映像化されたホームズの決定版になりそうな魅力的キャラクターだ。

で、評価の高い第1シーズン第1話の再放送を心待ちにした。16日に放送された「ピンク色の研究」を見て、これなら大評判になるのも無理はないなと思った。ロンドンで連続自殺事件が発生する。自殺者はいずれも自分で毒を飲んでいた。自殺者の間につながりはなく、自殺する理由もなかった。他殺の可能性がある。警察のレストレード警部(ルパート・グレイブス)はシャーロックに調査を依頼する。

犯人が被害者に自殺させる方法にもなるほどと感心したが、それ以上にこのドラマ、セリフのうまさが際立っていた。ユーモアとウィットにあふれ、いかにも英国らしい粋なセリフが多いのだ。膝を打って「うまい!」と思わされたセリフを2つ引用しておく。

まず、病院のモルグ(死体安置所)に勤務するモリー・フーパー(ルイーズ・ブリーリー)とシャーロックの会話。モリーは密かにシャーロックに思いを寄せている。

「もし良かったら、お仕事が終わった後にでも…」
「口紅をつけてるの初めてだな」
「ちょっと、気分転換に…」
「ごめん、それで?」
「仕事が終わったら、コーヒーでもどう?」
「ミルクなし、砂糖は2個で」

かわいそうなモリー。しかし、もっとかわいそうな言葉が待っている。

「ああ、モリー、コーヒーありがとう。口紅落としたの?」
「に、似合わないから…」
「塗ってた方が良かったよ。君は顔立ちが、地味だから」

続いて事件現場。仲の悪いサリー・ドノバン巡査部長(ヴィネット・ロビンソン)に嫌みを言われた後、シャーロックはこれまた仲の悪い鑑識官のアンダーソン(ジョナサン・アリス)に制止される。

「ここは犯罪現場だ。荒らすんじゃないぞ。分かってるな」
「よく分かってる。奥さんはずっと留守か?」
「推理したみたいな顔するな。誰かに聞いたんだろう」
「デオドラントで分かった」
「デオドラント?」
「男用だ」
「当然だろう、俺は男なんだから」
「サリーと同じ香りだ。鼻につくな。入っていいか?」
「な、何が言いたいんだか知らないが…」
「何も言ってないよ。きっとサリーはちょっと遊びに来て、そのまま君の家に泊まることにしたんだろうな。床も磨いてくれたんだろう? サリーの膝の状態からして」

どれもキャラクターに密接なセリフで、シャーロックのキャラクターがよく分かる。こういううまいセリフが書ける脚本家がいるなら、作品の面白さはある程度、保証されたようなものだ。

「シャーロック」は1シーズンに3話しか作られていない。この点について、脚本家の1人であるスティーヴン・モファット(「タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密」)は「九十分という長さなんで、あの作品は“映画”として考えている。一話が一時間ものじゃないとわかったから、ああいう規模の作品にせざるを得なかった。映画並みの規模と重みがなくちゃならないんだ」と話している(ミステリマガジン2012年9月号)。映画なら1年で3本というのは多すぎるぐらいで、事実、「シャーロック」もすべてが傑作というわけではない(どれも水準は超えている)。まあそれでも3本のうち1本でも傑作を残してくれるなら、何も言うことはない。今年放送される第3シーズンにも大いに期待できるだろう。日本での放送が楽しみだ。


[管理人にメールする] [シネマ1987online]