映画とネットのDIARY(tDiary版)

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2005年04月11日 [Mon]

[MOVIE] 「きみに読む物語」

「きみに読む物語」パンフレット富豪の青年ロンと木材置き場で時給40セントで働くノアの間で揺れ動くアリーの選択の基準がよく分からない。こういう物語の場合、金持ち同士の結婚では観客の支持はまず得られないから、アリーがノアを選ぶのは自明のことなのだが、ロンを演じるジェームズ・マーズデン(「X-メン」のサイクロップス!)が悪い面もない普通の好青年に見えるのに対して、ノアの方はなんだかよく分からない男なのである。過去の熱烈な愛があったにしても、よく見れば、どちらを選ぶべきかは明らかだろう。映画はそういう意図ではないはずで、要するにノア役のライアン・ゴズリングに魅力が足りないのである。このキャスティングは逆だった方が良かったのではないかと思う。

都会から来た男と田舎の少女のひと夏の恋を描いたピアス・ハガード監督の名作「サマーストーリー」の裏返しのシチュエーションながら、そういうわけで過去の部分の恋愛描写にはそれほど感心しなかった。映画はこれに現在のアリーとノアの描写を入れることでオリジナリティーを得ている。アルツハイマーの問題を含めて描かれるこの現在のパートを演じるのは監督ニック・カサベテスの母親ジーナ・ローランズとジェームズ・ガーナー。邦題もこの部分から取られている。ただし、個人的にはこの枠組みを考慮したにしても映画は水準作のレベルと思う。

1940年のノースカロライナ州シーブロック。カーニバルの夜、ノアは都会から来た女アリー(レイチェル・マクアダムス)に一目惚れして、強引にデートに誘う。すぐに熱烈な愛に燃え上がるが、アリーの母親(ジョアン・アレン)はノアがアリーにふさわしくないと考え、交際に反対する。夏の終わり、予定より早くアリーは母親とともに都会に帰っていく。自分のことをクズ(トラッシュ)と非難した母親の言葉を聞いて、ノアはアリーと喧嘩別れしたままになってしまう。ノアは毎日、アリーに手紙を書くが、母親の妨害でアリーには届かなかった。アリーは大学に行き、ノアは軍隊に行くことになる。そして7年後、2人は再会する。

映画はひと夏の恋(あるいは若いころの恋)を燃え上がらせた相手が一生連れ添うに値するかというテーマをはらみつつ進行する。それを補強するのはアリーの母親がやはり若い頃に愛した男がいたと打ち明けるシーンだ。ジョアン・アレンの演技によって、このシーンは説得力があるけれども、それなら今は夫と形式的な夫婦であることへの思いを描く必要があったように思う。確かにセリフでは語られるのだけれども、かつて愛した男と結婚した方が良かったのか、今の方が幸せなのか、釈然としない。涙を流しながら、そういう経験を話す母親にはアリーの気持ちが分かったはず。それならば、貧乏な男との交際に反対する理由に説得力が足りない。

ニック・カサベテスは「ジョンQ」でも思ったが、父親に比べて演出力が不十分だ。細部にこだわった演出が必要なのだと思う。原作はニコラス・スパークス。2時間で読めるラブストーリーを目指したという。原作がどうかは関係ないにしても、脚本化する段階で、もう少し工夫が必要だった。


2009年04月11日 [Sat]

ScribeFire Blog Editor

Firefoxのブログ投稿用アドオン。WordPress用に以前、使った時は文字化けして使えなかった。再度、インストールしてみたら、使えた。プレビューも投稿もできた。ただし、さくらインターネットのlibxml2のバグで投稿すると、実体参照は削除される。これはWindows Live Writerでも同じだから仕方がない。

投稿した後に出るダイアログでOKをクリックすると、下書きが消えてしまう。ローカルに残すためにはNOを選んだ方がいいようだ。ブラウザに簡単に起動できるメモ機能が備わったと思えば、ブログ投稿以外でも使える。同じことはMake Linkにも言えて、普通のHTMLページを作る時にも重宝している。


2012年04月11日 [Wed]

「博奕打ち 総長賭博」

公開当時は映画評論家から黙殺されたが、1年後に三島由紀夫が絶賛して評価が高まった。というのはよく知られた話。山下耕作監督の代表作であり、任侠映画を代表する作品でもある。笠原和夫の脚本の力も大きい。

有名なのは和田誠「お楽しみはこれからだ」でも取り上げられた以下のセリフだ。主人公の中井信次郎(鶴田浩二)が、叔父貴分の仙波多三郎(金子信雄)を殺そうとする場面。仙波が天竜一家の解散を画策したために跡目争いが起こり、多くの人間が死ぬことになったのだ。

「仙波、こいつからなにもかも聞いたぜ。てめえのためにみんな死んだ。今度はてめえの番だっ」
「中井、てめえ、叔父貴分の俺に向かってドスを向けるのかよ。てめえの任侠道ってのはそんなもんなのかっ」
「任侠道? そんなものは俺にはねえ。おらあ、ただのケチな人殺しだ。そう思ってもらおう」

任侠映画のパターンを壊すこのセリフが後の「仁義なき戦い」に発展していったのだろう。金子信雄の役柄も「仁義なき戦い」の“山守のおやっさん”を彷彿させる。

「博奕打ち」シリーズは鶴田浩二主演という点は共通しているが、主人公の名前はすべて異なる。こういうシリーズも珍しい。WOWOWが「鶴田浩二特集」の枠で取り上げたシリーズは以下の通り。かっこの後にあるのは主人公の名前。

 第1作「博奕打ち」(1967年 監督:小沢茂弘 脚本:小沢茂弘、村尾昭、高田宏治)海津銀次郎
 第2作「博奕打ち 一匹竜」(1967年 監督:小沢茂弘 脚本:小沢茂弘、高田宏治)相生宇之吉
 第3作「博奕打ち 不死身の勝負」(1967年 監督:小沢茂弘 脚本:小沢茂弘、高田宏治)朝倉常太郎
 第4作「博奕打ち 総長賭博」(1968年 監督:山下耕作 脚本:笠原和夫)中井信次郎
 第5作「博奕打ち 殴り込み」(1968年 監督:小沢茂弘 脚本:笠原和夫)小嵐幸次郎
 第6作「いかさま博奕」(1968年 監督:小沢茂弘 脚本:村尾昭、高田宏治)明石常次郎
 第7作「必殺博奕打ち」(1969年 監督:佐伯清 脚本:棚田吾郎)保科金次郎
 第8作「博奕打ち 流れ者」(1970年 監督:山下耕作 脚本:鳥居元宏、志村正浩)舟木栄次郎
 第9作「札つき博徒」(1970年 監督:小沢茂弘 脚本:笠原和夫、志村正浩)柏木竜次/大島良平
 第10作「博奕打ち いのち札」(1971年 監督:山下耕作 脚本:笠原和夫)相川清次郎
 第11作「博奕打ち外伝」(1972年 監督:山下耕作 脚本:野上龍雄)江川周吉

キネ旬の「日本映画作品全集」やWikipediaにはシリーズは10作と書いてあるが、これは間違いのようだ。「博奕打ち」がタイトルに含まれない「札つき博徒」をシリーズに入れるかどうかの違いで、キネマ旬報映画データベースや東映チャンネルでは「札つき博徒」が9作目と明記してある。


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