映画とネットのDIARY(tDiary版)

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映画の感想一覧 2004年7月以降 2005年  2006年  2007年  2008年  2009年

2004年11月28日 [Sun]

高橋源一郎の「電車男」評

きょう付けの朝日新聞にある。本質を突いていると思いながらも、これは少し意地が悪い。ちょっと引用しよう。

しかし、この本は掲示板に掲載された最後の日を素知らぬ顔で削除し、その前日までで完結させている。(中略)不可解なミステリーになるはずの「5月17日」を消し去ることで、この作品は、見事に「純愛」の顔つきをすることに成功している。

5月17日に何があったかと言えば、電車男がエルメスと性交寸前の書き込みをして、それを読んでいたスレの住人たちが、「やめろ」と忠告するのである。この部分をアップしたページもネット上にはあり、僕もそれを読んでいる。

問題はそこを削除したからと言って、非難を受ける筋合いはないということだ。批評というのは出来上がったものに対して行うもので、批評の対象が実際にあったことをどう脚色しようがかまわない。もちろん、そこに目配せするのは重要なことだが、素材と完成品とは明確に区別しなければならない。高橋源一郎は人から電車男はフィクションであると聞かされた上で、この批評を書いているのだから、出来上がったものが掲示板の書き込みと違ったところで、目くじらを立てる必要はないだろう。

「素知らぬ顔で削除」とか「『純愛』の顔つき」という意地の悪い言葉は使う人の品性を表すものでしかない。鬼の首でも取ったようなこの表現には気分が悪くなる。


2005年11月28日 [Mon]

画像の直リン

アクセスログを見ていたら、チラシ画像に直接リンクしているサイトがあったので、.htaccessで排除。マナーを知らないのか、知っててやっているのか。あきれたことにこのサイト、表示している画像はすべて直リンのようだ。時々、こういうサイトあるんですがね。スキャナ持っていないのか。いや、持っていても画像の素材自体(チラシとかパンフレットとか)を持っていないのか。

SetEnvIf REFERER "cinema1987.org"Lilith
Order Deny,Allow
Deny from all
Allow from env=Lilith

「真夜中の弥次さん喜多さん」(DVD)

宮藤官九郎の初監督作品。コント集みたいな映画で酷評が多かったが、DVDで見る分には腹は立たない。所々、笑ったし。終盤のシュールな展開は落語の影響ではないかと思う。キノコのシーンは「マタンゴ」っぽい。

長瀬智也と中村七之助のコンビは長瀬の方に分がある(役柄のせいもある)。「てやんでえ、てやんでえ、てやんでえ」「サンデー、マンデー、てやんでえ」という江戸っ子の口調が良く合っていた。

[MOVIE] 「親切なクムジャさん」

「親切なクムジャさん」パンフレットパク・チャヌク監督の復讐3部作の最終作。第1作「復讐者に憐れみを」は見ていないが、第2作「オールド・ボーイ」よりもさらにブラックな笑いの要素が増えて、コメディに近くなっている。今回は初めて女優(イ・ヨンエ)が主役を務める。誘拐殺人の無実の罪を着せられ、刑務所に13年間服役した女が罪を着せた男(「オールド・ボーイ」のチェ・ミンシク)に復讐する話。主人公はけがを負わされたわけでも肉親を殺されたわけでもないので、復讐の念としては強さに欠けるし、復讐相手のスケールが小さいなと思っていたら、終盤にもっとひどい男であることが分かる。それを受けたクライマックスのシーンはアガサ・クリスティの某作品を思わせるシチュエーション(パンフレットで滝本誠も指摘していた)であり、クリスティが描かなかったことを詳細に描くとこういうブラックな味わいにもなるのだろう。イ・ヨンエの生真面目な演技と美しいメロディの音楽に騙されそうになるが、あまり深刻に受け取らず、クスクス笑いながら見るのが正しいのだと思う。だいたい、イ・ヨンエの演技のさせ方自体にミスマッチを狙ったフシがある。刑務所の中でヒロインが「先輩もご飯をたくさん食べて、薬もたくさん飲んで…早く死んでね」と言うシーンやクライマックスの斧のシーン、時折挟まれるナレーションなどにブラック・ユーモアが弾けている。逆に言えば、こうした笑いを取るためにヒロインの境遇を不幸のどん底にはしなかったのではないか。そこまで考えて作ったブラックな映画なのだと思う。

映画は主人公のクムジャ(イ・ヨンエ)が刑務所を出所する場面から始まる。刑務所の中でクムジャは北朝鮮の年老いた女スパイの世話をしたり、いじめられた囚人仲間のためにいじめた相手に仕返しをしてやったりして、いつも笑顔の“親切なクムジャさん”と呼ばれていた。しかし、それは自分を刑務所に入れた男への復讐のためだった。囚人仲間に親切にすることで多くの協力者を作ったクムジャは出所するとすぐに復讐の準備に取りかかる。クムジャは13年前、ウォンモという少年を誘拐して殺した罪で捕まった。それは高校時代に妊娠したクムジャが助けを求めた英語講師のペク(チェ・ミンシク)の仕業だった。ペクはクムジャの生まれたばかりの子供を誘拐し、誘拐殺人の罪をかぶらなければ子供を殺すと脅迫したのだ。クムジャは復讐計画の一環で、刑務所仲間をペクの妻にしていた。ついにペクを捕らえたクムジャは山奥の廃校に連れて行く。そこでペクの他の悪行が明らかになる。

クムジャの行動の根底には誘拐されたウォンモ少年を助けられなかった自責の念があり、贖罪の意識も働いている。だから刑務所を出所後、ウォンモの両親の家へ行き、自分の指を切断する。ここも笑えるシーンになっており、「10本すべて切断しようとしたが、ウォンモの両親に止められた」とナレーションが入る上に、ウォンモの母親はクムジャの行動に真っ青になって気を失い、一緒に救急車で病院へ運ばれることになるのだ。オーストラリアに養女に出されていた自分の娘を迎えに行くシーンでの相手夫婦の描き方なども素直におかしい。血みどろのグロいシーンと笑いを織り交ぜたパク・チャヌクの演出は確信犯だなと思う。

ところが、パンフレットのインタビューを読んでみたら、主人公の復讐の動機が弱い点について、パク・チャヌクは「あえて弱い動機にしたわけですが、それは復讐を私的な恨みではなく、論理的にしたかったからです」と語っている。私的な復讐ではなく、社会の復讐。凶悪犯人を警察に渡すべきか、自分の手で裁きを下すか。それがこの映画の重要なテーマなのだという。私的な復讐はテロに通じるというパク・チャヌクの言葉はしかし、この映画では十分にテーマとして昇華していないように思う。これは後付けの理由ではないのか。もしそうしたテーマの映画にしたいのならば、クムジャ自身を強い復讐の念を持つ立場に置いた方が良かっただろう。主人公をクライマックスで傍観者的立場に置くことは、そうしたテーマを描く上では間違いである。

思えば、出世作となった「JSA」でも、パク・チャヌクは南北分断のテーマよりも細部の描写に才能を見せていた。本質的にテーマ主義の監督ではなく、エンタテインメントの監督なのである。パク・チャヌク、もしかして自分でそれに気づいていないのか。


2009年11月28日 [Sat]

NAVI1月号

ダイナミック・セーフティ・テストでエコカー3台をテストしている。電気自動車のi-MiEVとプリウス、レクサスのハイブリッドHS250h。結果はi-MiEVの勝ち。軽自動車なのに意外な結果だ。常識的に考えれば、レクサスの圧勝のように思える。総合評価(25点満点)はi-MiEV19点、レクサスHS250h18.5点、プリウス16点。もっとも価格はi-MiEVが最も高い459万9000円(レクサスは453万円)なのだ。この価格なら20点以上欲しいところではある。

プリウスとHS250hはプラットホームがカローラ系であることが災いしているようだ。シャシー性能が低いと、どんなに電子機器を積んでも限界はあるのだろう。

それにしても、i-MiEV、460万円出して買うにはちょっと小さすぎる。セカンドカー、サードカーとしてならいいけれど、セカンドカーに460万円出すにはよほど余裕のある人じゃないと無理だ。

特集は「スポーツカーアゲイン!」。エコ全盛の時代にスポーツカーは売れていないだろうな。でも車の楽しさは決してエコカーではなく、スポーツカーにあるのも事実。求められているのは楽しさとエコを両立する車なのだろう。


2011年11月28日 [Mon]

ミステリ・ベストテン

そろそろそういう季節になった。ミステリマガジン1月号には「ミステリが読みたい!2012年版」の特集がある。海外編の1位はデイヴィッド・ゴードン「二流小説家」。これは買ったけど、読んでいない。2位のフェルディナント・フォン・シーラッハ「犯罪」は感想に書いた通り、文体にしびれる傑作短編集だと思う。3位はトレヴェニアン「シブミ」の主人公をドン・ウィンズロウが描く「サトリ」。これも買ったまま読んでいない。ベストテンで読んでいるのはトム・ロブ・スミス「エージェント6」と合わせて2冊だけだった。昨年の「ラスト・チャイルド」に続いてポケミスとハヤカワ文庫で同時発売したソラン・ドヴェンカー「謝罪代行社」の16位は少し意外。いや、これも買ったまま読んでないんですけど。

国内編はミステリマガジンには書いてないが、米澤穂信「折れた竜骨」。これは買ってないなあと思ったら、子供が持っていた。そういえば、一緒に本屋に行って僕が買ってあげたのだった。僕を除く家族4人はみんな読んでいて、「ファンタジーで面白かった」のだそうだ。国内編で読んでいるのは、というか、昨日からやっと読み始めたばかりの高野和明「ジェノサイド」のみだった。しかし、「ジェノサイド」、ミステリではなくてSFだと思う。

「このミス」は12月10日に発売予定だが、狭義のミステリが中心となる「ミステリが読みたい」とは異なり、もっと幅広いエンタテインメント全般が入ってくるはず。スティーブン・キング「アンダー・ザ・ドーム」などはベストテン入り必至ではないか。

「二流小説家」と「サトリ」は「ジェノサイド」が終わったら読もう。「折れた竜骨」はその後か。


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