映画とネットのDIARY(tDiary版)

since 2004/07/15
ここは古い日記です。2013年11月からadiaryを使った新サイトに移行しました。
検索エンジンからのアクセスで、お探しのキーワードが見あたらない場合はNamazuで再検索してみてください。
映画の感想一覧 2004年7月以降 2005年  2006年  2007年  2008年  2009年

2011年07月07日 [Thu]

「春との旅」

左半身が少し不自由で、明らかに脳梗塞の後遺症と思える姿で仲代達矢演じる忠男が家を出る。その後を孫娘の春(徳永えり)が追う。春が給食の仕事で勤める学校が休校となり、春は東京へ出て行くことに決めた。一人娘は5年前に自殺して、忠男は春と2人暮らし。春が出て行けば、忠男は一人では生きていかねばならない。それに自信がない忠男は疎遠の兄弟たちを訪ね、居候を決め込もうと思ったのだ。忠男は春と一緒に兄弟たちを訪ねていく。

兄弟たちにはそれぞれに事情があり、自分勝手に生きてきた忠男を引き取ることを拒否する。その中で浮かび上がってくるのは家族の絆だ。春は別れた父親と会いたいと思うようになる。大滝秀治や淡島千景、香川照之、小林薫、田中裕子らが出てきては印象に残る演技を見せる。こうした俳優たちがそろったのは脚本が良かったからだろう。キネ旬ベストテン16位。監督は小林政広。

「奇跡」

九州新幹線開業に合わせたお仕着せ企画をここまでの映画にするのは立派。あと30分ほど短かったら、文句なしの傑作になっていたのではあるまいか。九州新幹線の一番列車がすれ違う時に願いを言うと奇跡が起きる。それを信じた鹿児島と福岡に離れて暮らす小学生の兄弟を巡る話。

奇跡を縦糸とするなら横糸は自分が住む地域への愛着だ。桜島の降灰に「意味分からん」とうんざりしていた兄の航一(前田航基)は桜島が大爆発して住めなくなり、また家族4人で暮らせたらと思っているが、ラストでは風向きを見て、「今日は灰は降らへんな」と考えを変える。是枝裕和は安易な奇跡を描くことよりも子供たちの成長にスポットを当てている。まいるのは描写の隅々がいちいちうまいこと。凝ったストーリーでなくても、生き生きとした細部の描写で映画はここまで素敵になれるのだ。

「シェルター」

ジュリアン・ムーア主演のホラー。というよりは遅れてきたオカルト映画という感じ。ちょっと今風の映画としては物足りない。主人公の精神分析医が多重人格の青年(ジョナサン・リス・マイヤーズ)を診察しているうちに恐ろしい領域に足を踏み入れることになる。監督はスウェーデンのマンス・マーリンドとビョルン・ステイン。IMDBの評価は5.9。

「お引越し」

1993年の相米慎二監督作品。@宮崎映画祭。田畑智子が今と同じ顔なのに驚く。桜田淳子が出ているのにも驚く。桜田淳子はこの前年に合同結婚式に参加しており、これが芸能活動最後の作品らしい。という感慨はあるにしても、映画としては田畑智子のうまさと、桜田淳子、惜しいという印象しか残らない。桜田淳子は20歳過ぎてからの方が良くなって、僕は女優として密かに期待していたのだが、惜しい。

両親の離婚を11歳の少女の目から見た作品。終盤にある田畑智子がさまよう場面は普通の映画なら不要としか思えず、もっとテーマを突き詰めた方が良いのにと思うところだが、これはこれで魅力がある。作家の刻印みたいなものか。キネ旬ベストテン2位。とはいっても、この年のキネ旬ベストテンにはたいした作品はありませんね。この作品が去年の16位だった「春との旅」より素晴らしいかと言えば、全然そんなことはなく、むしろ「春との旅」の方が映画の出来は上だろう。年単位のベストテンは相対的な評価でしかないものなのだ。

ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」

DLPのためか発色が今ひとつ。それを除けば、劇団新感線の舞台をうまく撮影・編集していると思う。カット割りも悪くない。ただし、どうも見ていてフラストレーションがたまるのは舞台と観客の一体感みたいなものがこの作品の観賞体験からは抜け落ちてしまうことだ。やっぱり生の舞台を見たいという気持ちがむくむくとわき起こってくる。だからこれは舞台を見られない人のためのものというだけでなく、長いPRフィルムとしての側面を持っている(3時間16分で、途中休憩が15分入る)。

17世紀のイベリア半島が舞台。女海賊のアンヌ・ザ・トルネード(天海祐希)は他の海賊しか狙わない。その用心棒が石川五右衛門(古田新太)。ある日、アンヌは小国の王位継承者であることが分かる。宰相による腐敗政治をただすため、アンヌは女王になることを承諾するが、それは仲間の海賊との戦いの始まりを意味していた。

これは天海祐希を見るための作品で、天海祐希が出てくると、画面が一気に華やかになる。すらりとした長身の天海祐希はさすがに宝塚出身だけに舞台でひときわ映えるのだ。後半にはベルばらのオスカルを思わせる衣装があったりする。天海祐希は未だに映画での代表作がない人で、彼女のこの作品のような魅力を引き出す映画の企画をしてほしいものだ。


2011年07月10日 [Sun]

「二十四の瞳」

1954年の木下恵介監督作品。同年のキネ旬ベストテン1位。なんとこの年は黒澤明「七人の侍」が公開された年だが、「七人の侍」は3位に終わっている。それだけ黒澤作品に対する反発があったのだろう。「七人の侍」が再軍備映画などという見当外れの批判を受けたのに対して、「二十四の瞳」は静かに反戦を訴える。昭和29年という時代にはそこが評価されたのか。

小豆島の小学校の分教場に赴任してきた大石先生(高峰秀子)と12人の子供たちとの交流を描く。前半のほのぼのとした描写が後半、戦争と貧困によって悲しい運命をたどる子供たちの姿に涙涙の展開となる。残念ながら市民プラザでの上映はセリフが聞き取りにくかった。

「ジョナ・ヘックス 傷を持つ復讐者」

原作はDCコミックスのグラフィック・ノベルの西部劇。妻子を殺され、顔にやけどを負わされたジョナ・ヘックス(ジョシュ・ブローリン)は賞金稼ぎとして暮らしていたが、軍隊に捕らえられ、テロリストのターンブル(ジョン・マルコヴィッチ)を殺すよう依頼を受ける。ターンブルはヘックスの妻子を殺した男だった。ヘックスには死者と話せる能力があるが、それ以外に派手な見せ場がないのがつらいところ。ミーガン・フォックスも出ているが、なんで出たんだろうというぐらいの役柄。監督はアニメーション「ホートン ふしぎな世界のダレダーレ」のジミー・ヘイワード。監督の人選を誤ったのが失敗の原因か。IMDBの評価は4.6。日本では劇場公開されなかった。

「ランナウェイズ」

「ランナウェイズ」パンフレット

1970年代のガールズロックバンド、ザ・ランナウェイズの盛衰を描く。ランナウェイズは日本で人気が出てアメリカに波及した。映画は予算がなかったためか、日本でのロケは行っていないようだ。日本で人気が出た理由も描かれない。僕はリアルタイムで当時のランナウェイズの人気を知っているし、僕自身、テレビで見て興味を持ったのだが、なぜ人気が出たのかは知らない。きっと売り方のうまいプロデューサーが日本のレコード会社にいたのだろう。アメリカで色物バンド的な評価しかないことは日本にも伝わっていた。

映画はボーカルのシェリー・カーリー(当時はチェリー・カリーと言っていた)をダコタ・ファニング、リーダー的存在のギタリスト、ジョーン・ジェットをクリステン・スチュワートが演じる。ビリングでは「トワイライト」シリーズで人気を確立したスチュワートがトップに来る。映画の基になったのはカーリーの自叙伝「NEON ANGEL」で、ジェットはエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。

とりあえずカーリーの自叙伝に沿って作られているので、カーリーのアルコール中毒の父親とか、離婚した母親(なんと、テイタム・オニール)とか、姉マリーとの確執とか、ドラッグに手を出す姿とか、実力よりも人気が先行することに悩む姿とかが多く描かれる。しかし、映画を支えているのはファニングよりもやっぱりスチュワートの方だ。スチュワート、さらに伸びる要素がいっぱいのように思える。将来的にはハリウッドを支える女優になってもおかしくない魅力を放っている。

監督はこれが長編デビューのフローリア・シジスモンディ。映画のまとめ方は可もなく不可もなしのレベルだった。

「レクイエム」

「ヒトラー 最期の12日間」のオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督作品。サンダンス映画祭で監督賞と脚本賞を受賞し、2009年の東京国際映画祭では「5分間の天国」(原題)のタイトルで上映されたが、劇場公開はされず、昨年7月にDVDが発売された。

1975年の北アイルランド、アルスター義勇軍のアリスター・リトルが報復テロとしてカトリック教徒のジム・グリフィンを殺害する。33年後、刑務所から出所していたアリスター(リーアム・ニーソン)はテレビ局からグリフィンの弟ジョー(ジェームズ・ネスビット)と会う企画を持ちかけられる。ジョーは復讐心に燃え、ナイフを忍ばせて撮影現場に向かう。

上映時間1時間29分。憎しみの連鎖を断ち切るというテーマは真っ当で、緊張感のある演出も良いが、話に今ひとつ深みが足りないように思う。もう一山ほしかったところだ。IMDBの評価は6.8。


2011年07月13日 [Wed]

ロケフリ復活

DLNAによって、ブルーレイに録画した映画をパソコンで見られるようになったが、たまにはテレビも見たい。かつてはロケーションフリーを使っていた。1年ほど前から使えなくなって、押し入れにしまい込んでいる。既にロケフリは生産中止だし、ソフトがWindows7にも対応していない。今はVULKANO FLOWやSlingbox、DIGIZONといった同種のデバイスがあり、ほとんど買う気になった。買うなら、安いVULKANO FLOWだろうが、どれも国産ではないのが引っかかる。機能的にもHD[画質への対応とスマートフォンで見られるだけで、ロケフリと大差ないのだ。SONYはロケフリの後継製品を出せばいいのにと思うが、まねきTV訴訟の影響もあって期待するのは難しいだろう。

で、いろいろ検索してみたら、ロケフリのソフトLFA-PC20はWindows7でも動くという記述がいくつかある。とりあえず、古いロケフリを引っ張り出してきた。動けば、余計な出費をしなくてすむ。設定してみると、無線LANのところでどうしてもうまくいかない。どうやらハードウェアの障害のようだ。押し入れにしまいこんだのも、これが原因だったのだった。長男のPSPではつながってもパソコンにはつながらない。クライアントモードにならないのだ。あきらめかけたのだが、考えてみれば、テレビにつないでるイーサネットコンバーター(EC)があるのだった。これに有線でつなげば、うまくいくかもしれない。

やってみたら、あっさりつながった。なーんだ。続いてリモコンの設定をやってみる。これまた何度やってもうまくいかない。もしかしたら、と思ってIRシステムケーブルを変えてみたら、操作できるようになった。Diga(BWT2100)の場合パナソニックの「HD対応HDD+DVD」を選べば、ほとんど操作できる(たまに間違えることがある)。こうなると、どうせならケーブルテレビのSTBも動かしたい。で、楽天にIRケーブルを注文(なんとたったの260円。税、送料を入れても423円。しかもポイントで買った)。

ロケフリの場合、画質はアナログだし、画面サイズも最大640×240なので拡大すると、画質が荒くなる。まあ、そんなに熱心にテレビを見るわけではない(見るのはニュースぐらいだ)し、映画はDLNAで見ればよいのだから、かまわない。こういうAV伝送機器、需要はかなりあると思う。国産メーカーはどこか作らないのか。


2011年07月21日 [Thu]

「エアベンダー」

評判に聞いていたほど悪くはない。アメリカでラジー賞を受賞したのは基になったTVアニメ「アバター 伝説の少年アン」との比較した上でのことだろう。むしろ、M・ナイトシャマラン独特のトンデモなアイデアがないのは利点で、原作があったことでシャマランのつまらないアイデアは封印されたのに違いない。

とはいえ、大作感はまったくなく、話も簡単すぎる。3部作として企画されたそうで、ラストはいかにもまだ続きますという感じだが、アメリカでの評判がメタメタなので次作以降ができるかどうか。

「ヤギと男と男と壁と」

アメリカ陸軍の超能力部隊を描いたコメディで、ジェフ・ブリッジスやジョージ・クルーニー、ケヴィン・スペイシーという名優たちが出ていること自体が驚き。というか好感を持った。映画はそんなに面白くないのだが、この好感というのは大事で、退屈せずに見られたのも憎めない映画になっているからだ。

主人公の記者をユアン・マクレガーが演じるのは超能力部隊の兵士たちがジェダイ戦士と呼ばれることからのキャスティングだろう。まあ、そのあたりからして冗談のようなものだ。監督はグラント・ヘスロブ。

「BOX 袴田事件 命とは」

1966年に静岡県で起きた袴田事件を描く高橋伴明監督作品。長時間の過酷な取り調べによって自白を強要し、証拠をでっち上げる警察の捜査もデタラメなら、無罪を訴える裁判官の意見を封じ、多数決で判決を決める裁判所もデタラメ。信じられないほどのこのデタラメさが袴田巌死刑囚を40年以上も拘置所に閉じ込め続ける結果になった。最高裁が再審請求を認めないのは自分たちの過去の間違いを認めたくないためか。袴田死刑囚は死刑確定後、拘禁反応によって精神状態に変調を来しているという。そういう状態に至らしめた司法の責任はとてつもなく重い。見ていて怒りが沸々とわき上がってくる映画である。

映画は2007年に「無罪であるとの確証を持ちながら、死刑判決を書いた」と告白した当時の主任裁判官・熊本典道を中心に描く。熊本を演じるのは萩原聖人、袴田死刑囚を演じるのは新井浩文。熊本は判決後、裁判官を退職し、袴田の支援に回る。映画としてはそうした熊本の苦悩の部分を余計に感じる。もっと硬質のドキュメントタッチに徹した方が良かっただろう。そうしたことが影響したのか、キネ旬ベストテンでは33位に終わっている。

しかし、こうした映画は作ることに意味がある。高橋伴明は明確にえん罪事件であるとの主張を前面に出し、現在もまだ拘置所に閉じ込められたままの袴田死刑囚の不当な扱いを浮き彫りにしている。主張にぶれがないのが良く、事件を広く知らしめることに意味があるのだ。進行中の事件なのだから、その意味はとても大きい。

BOXとは袴田死刑囚が元プロボクサーであることと、閉じ込めるという意味をかけてあるそうだ。それに加えて、エンドタイトルではBOXのOXを○(無罪)か×(有罪)かの意味で表現している。それにしても、まだどうなるか分からないが、東電OL殺害事件の急展開を見ると、こうした司法のあり方、今もあまり変わっていないのかと思える。

「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」

「ジョジョの奇妙な冒険」の作者による、映画論というよりもホラー映画のエッセイという感じの新書。読んでいて、ハタと膝を打つ部分はないが、作者のホラー映画への愛着がにじみ出ていて好ましい読み物になっている。荒木飛呂彦と僕はほぼ同年代で、取り上げられている映画もほぼリアルタイムで見てきた映画が多い。70年代以降の映画に限っているので、僕のトラウマになっている「マタンゴ」とか「世にも怪奇な物語」の3話目「悪魔の首飾り」(フェリーニ)のような強烈な作品はないのが残念だが、それでもホラーをあまり見ていない人には良いガイドブックになるのではないか。冒頭には作者のホラー映画ベスト20があり、1位には「ゾンビ完全版」が挙げられている。


2011年07月25日 [Mon]

「大鹿村騒動記」

幼なじみと駆け落ちした妻が18年ぶりに村に帰ってくる。しかも認知症になっていて、幼なじみは妻を「返す」と言う。折しも村では300年の伝統がある大鹿歌舞伎の公演が迫っていた。というシチュエーションは面白く見たが、話がやや深みに欠けるきらいがある。認知症も歌舞伎もどうも描き方に突っ込みが足りないのだ。原田芳雄の遺作として記憶される作品か。

「塔の上のラプンツェル」

シンプルな話なのにとても面白い。「美女と野獣」を見た時に正統的な物語の力強さを感じたが、この映画も同じような力強さがある。細部の表現の豊かさ、3DCGの技術の高さにも感心した。馬のマキシマスの描き方などとてもうまい。子供から大人まで楽しめ、ディズニーの長編50作目にふさわしい傑作だと思う。監督はバイロン・ハワードとネイサン・グレノ。音楽はアラン・メンケン。

「ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1」

つまらないわけではないが、ハリーとロンとハーマイオニーがヴォルデモートから逃げ回っているだけで、これならば1時間程度にまとめられたのでは。最終作を2作に分けたのは興行上の理由が大きいのだろう。

「アンストッパブル」

暴走した貨物列車をどう止めるかというサスペンス。黒澤明原案「暴走機関車」と同じアイデアであるにしても、相変わらず冴えたトニー・スコットの映像感覚が見応えのある映画になった理由だろう。アンドレイ・コンチャロフスキー「暴走機関車」(1985年)よりずっと面白い。しかし、この最後の解決策、最初からやっていれば良かったのではないか。 

「マチェーテ」

「グラインドハウス」にあった偽予告編を本編化するというアイデアに遊び心があって楽しい。決してハンサムとは言えないダニー・トレホにとって初の主演作。主人公のマチェーテがマチェーテ(山刀)を振り回し、首や腕が飛ぶ血みどろのアクションはいかにもB級映画の雰囲気をむんむんと漂わせている。

映画の魅力に大いに貢献しているのはジェシカ・アルバとミシェル・ロドリゲスの女優2人で、健康的で完璧な美貌のアルバと男勝りながらセクシーなロドリゲスが対照的な魅力を発散している。ロバート・ロドリゲスは女優の趣味が良い。ロバート・デ・ニーロ、スティーブン・セガール、リンジー・ローハン共演。ついでに特殊メイクアップアーチストで監督でもあるトム・サヴィーニも出ている。

「『踊る大捜査線』あの名台詞が書けたわけ」

「踊る」の名前があった方が売れるのだろうし、出版社が考えたタイトルなのだろうが、これほど中身を表していないタイトルも珍しい。脚本家・君塚良一がこれまでに出会った人々の言葉を収録した本。登場するのは大学卒業後に師事した萩本欽一をはじめ明石家さんま、いかりや長介、亀山千広などなど。中でも大将こと萩本欽一の言葉が多く、どのエピソードにも君塚良一の大将への敬愛が感じられる。

収録された言葉はどれも含蓄に富んでいる。一つ挙げれば、「本当のチャンスは小さな仕事としてやって来る」。これも大将の言った言葉である。

 「どうしてチャンスを見逃してしまうんですか?」
 大将は子どもに教えるように、柔らかい言葉を選んでくれた。
 「……わかりやすく大きな仕事としてチャンスはやって来ないんだよ。だから、ややこしいんだ。小さな仕事の小さな成果を見た人が、次にチャンスをもたらしてくれることがあるわけね」

著者はこの言葉を裏付けるものとして出世作となったテレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の脚本を依頼された時のエピソードを披露する。当時、著者は単発ものや深夜ドラマの脚本を書いていた。後に「ずっとあなたが好きだった」のプロデューサーを務めるスタッフがある夜、酒に酔って帰宅し、深夜ドラマを見ていたら、台詞が突飛で面白いドラマが放送されていた。プロデューサーはエンドロールに目をこらし、君塚良一の名前を見つけて、「この人に賭けてみよう」と思い、依頼したのだそうだ。

著者はドラマの脚本を書くのが夢で小さな仕事にも精いっぱいの力を尽くしていた。それがなかったら、目を留められることもなかっただろう。「チャンスは直接的には来ない。違う顔をして目の前に現れる」。日々のルーティンワークや小さな仕事について「自分にはもっと大きな仕事ができるのに」などと不平不満を言い続けていると、大きな仕事が来ることなど望み薄なのだ。

200ページほどの新書なのでスラッと読めて、しかも面白い本。「踊る」や君塚良一のファンでない人にもお勧めしたい。

 

[管理人にメールする] [シネマ1987online]