ラットレース

Rat Race

「ラットレース」パンフレットの表紙ゴースト ニューヨークの幻」のジェリー・ザッカーが久しぶりに本領を発揮したコメディ。予告編を見てキャノンボールのような作品かと思ったが、その通りで、200万ドル獲得を目指して6組の親子やカップル、家族、兄弟が700マイル(約1000キロ)を奔走する。手練れのコメディアンをずらりと並べ、それぞれのキャラクターを紹介する導入部分がやや単調になるのは仕方がないのだが、ジェリー・ザッカーの演出はここから大いに笑わせてくれる。こんなに本気で笑わせられたのはアメリカ映画ではホントに久しぶり。当然のことながらザッカーのコメディセンスも「ケンタッキー・フライド・ムービー」(1977年)や「フライング・ハイ」(1980年)のころよりは随分、洗練されたのである。

出てくるだけで存在感がありすぎるローワン・アトキンソンのみ、導入部分では紹介されず(紹介しようがないキャラだし、後のエピソードの伏線でもある)、いきなりラスベガスのホテルの一室に登場する。そこはスロットマシンで金色のコインを出した男女が集められていた。大金持ちでギャンブル好きのドナルド・シンクレア(ジョン・クリース)が、ニューメキシコの駅のコインロッカーにある200万ドルを最初にたどりついた者に与えると宣言(ささっと説明して、いきなり号砲を鳴らすのがおかしい)。一同、半信半疑だったが、6分の一という確率の高さと欲には勝てず、飛行機、ヘリ、車で懸命にニューメキシコを目指すことになる。ここからはさまざまな笑いのオンパレード。短いシーンで爆笑のエピソードを次々に描き、息つく暇がない。ジョーク・ブックのような構成は「ケンタッキー…」のころから変わらないのだが、進歩したのはそれぞれのキャラクターをしっかり描き分け、話がつながっていく点だろう。

予告編ではアトキンソンの存在が強調されていたが、メインなわけではなく、あくまでもキャラクターの一人。スタート直後にホテルのロビーで立ったまま眠ってしまい、30分ほど画面から消えるのだ(ナルコレプシーか、お前は)。これは懸命な処理で、アクの強すぎるキャラは控えめに出した方がいいのである。その代わり、ホテルを出た直後の場面から爆笑である。特に心臓を巡るエピソードがブラックなギャグのつるべ打ちでおかしい。アトキンソン同様、ウーピー・ゴールドバーグも控えめな扱いだ。リスを巡る爆笑場面にはクレジットなしで出演のキャシー・ベイツが怪演している。これはアメリカの田舎で実にありそうな話。ルーシー(ルシル・ボール)のそっくりさん大会に向かうバスの運転手を務める羽目になるキューバ・グッティング・Jrのエピソードも悪夢のようなおかしさ。

シチュエーション・コメディにスラップスティックで味付けし、ラストは嫌な金持ちに一撃を与える気持ちよさ。長年にわたり「サタデー・ナイト・ライブ」の脚本を担当していたというアンディ・ブレックマン(「Oh!引越し」「星に想いを」)の脚本の功績は大きく、久々の「コメディの快作」と、少しおまけの評価をしておこう。

【データ】2001年 アメリカ 1時間52分 配給:松竹
監督:ジェリー・ザッカー 製作総指揮:リチャード・ベイン ジェームズ・ジャック 製作:ジェリー・ザッカー ジャネット・ザッカー ショーン・ダニエル 脚本:アンディ・ブレックマン 撮影:トーマス・アッカーマン プロダクション・デザイン:ゲイリー・フルトコフ 衣装:エレン・ミロジニック 音楽:ジョン・パウエル
出演:ローワン・アトキンソン ジョン・クリース ウーピー・ゴールドバーグ キューバ・グッティング・Jr セス・グリーン ジョン・ロヴ ブレッキン・メイヤー エイミー・スマート キャシー・ナジミー ラナイ・チャップマン ヴィンス・ヴィーラフ デイブ・トーマス ポール・ロドリゲス ウェイン・ナイト キャシー・ベイツ(クレジットなし)

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地獄の黙示録 特別完全版

Apocalypse Now REDUX

「地獄の黙示録 特別完全版」パンフレットの表紙 23年ぶりに劇場で再見。53分の未公開映像を付け加えたという。が、印象はあまり変わらない。初公開時はキルゴア中佐(ロバート・デュバル)の空の騎兵隊シーンのスペクタクルな描写に興奮と強烈なインパクトを受けたが、今回は2度目のためそれほどでもなかった(もちろんテレビでも何度も見ている)。他のスペクタクルなシーンに関しても同様で、この映像的インパクトがないとなると、「地獄の黙示録」の印象は極めてフツーのものとなる。カーツ大佐(マーロン・ブランド)がなぜ、軍を抜けて密林の奥地に君臨しているのかについてはウィラード大尉(マーティン・シーン)が川を遡る過程で詳細に語られ、確かに全体のストーリーは分かりやすくなっているのだが、分かりやすくなった分、単調にもなった。初公開時には視覚的体験だけに圧倒的な印象を受け、話は二の次だったのだが、今回はストーリーを追うことになる。そうなると、戦場のさまざまな側面を体験させるというこの映画の構成は凡庸なのである。クライマックス、マーロン・ブランド登場シーンの弱さは相変わらず。これは撮り直しができないので仕方ないだろう。よく指摘されるようにブランドとシーンが同じ場面で演技していないのが決定的に弱く、ブランドの一見分かったような哲学的セリフが連続するこのクライマックスを大きく変更しない限り、「地獄の黙示録」は何を追加しても超力作以上の作品にはならないと思う。

今回付け加えられた映像の中ではフランス・プランテーションのシーンが最も長い。戦火の中でも自分たちの土地を動こうとしない、かつてのベトナムの盟主フランス人たちの描写はベトナム戦争の過去と現在(当時の)を結ぶ接点とも言える。しかしコッポラのベトナム戦争に対するスタンスがここで示されるのかと思うと、そうでもなく極めて一般的な見方に終わっている。この映画が作られた時代(ベトナム戦争終結の数年後)を考えれば、戦争に対する視点が明確でなかったのも分かるような気がする。戦争の現実を明確に描くには実に1987年の「プラトーン」まで待つ必要があったのだ。

1975年のベトナム戦争後、アメリカではさまざまな戦争後遺症映画が封切られた。「ドッグ・ソルジャー」のようなアクションから「ディア・ハンター」「帰郷」などの深刻なドラマまで多種多様(「ディア・ハンター」がロシアン・ルーレットの場面で強く非難されたのはご存じの通り)。その中でも「地獄の黙示録」は異色の存在だった。公開前はベトナム戦争をスペクタクルに扱うなんてと思ったものだが、ジョセフ・コンラッド「闇の奥」を元にした脚本はスペクタクルな映像とは異なり、人間の内奥に向かうストーリーだ(今思えば、キルゴア中佐がサーフィンのために村を襲撃する設定は「ビッグ・ウェンズデー」のジョン・ミリアスらしい)。「闇の奥」を持ち出したあたりにコッポラの失敗はあったのではないか。これは文学的アプローチであり、いくらかの普遍性をも持ちうるにしても、戦争の現実からは遠ざかることになる。メタファーとしての戦争でしかないのである。「地獄の黙示録」は下手をすると、「ディア・ハンター」と同じ欠陥を持つところだった。コッポラは要するに自分が何をすればいいのか分かっていなかったのではないかと思う。クライマックスの難解さは監督に迷いがあり、着地点を見いだせなかったことが要因だろう。

キルゴア中佐の場面が実に良くできているのは、そんな映画の中で唯一、明解さを備えているからだ。急いで付け加えておくと、このシーンはもちろん強くデフォルメされており、実際の戦場とは異なるものだろう。ベトナム人の船に出会ったウィラード大尉の一行がふとしたことでベトナム人たちを皆殺しにしてしまうシーンの方がより真実に近い描写と言える。あそこでウィラードの一行は相手が何を考えているか分からないから殺してしまった。これはアメリカ人のベトナム人に対する考え方と同じものである。ただし、最初に引き金を弾くのは黒人のローレンス・フィッシュバーンではなく、白人の方がよりリアルだったかもしれない。

ドアーズの「ジ・エンド」やローリングストーンズ「サティスファクション」を聞くと、個人的にはノスタルジーに近い気持ちを抱く。マーティン・シーンやハリソン・フォードが若いのは当然だが、ローレンス・フィッシュバーン(クレジットではラリー・フィッシュバーン)の初々しさには驚いた。当時はマーロン・ブランドを除くとノースターの映画と言われたが、今となってはオールスターキャストの映画になっている。

【データ】2001年 アメリカ 3時間23分 配給:日本ヘラルド
監督:フランシス・フォード・コッポラ 製作:フランシス・フォード・コッポラ 共同製作:フレッド・ルース ゲイリー・フレデリクソン トム・スタンバーグ 脚本:ジョン・ミリアス フランシス・フォード・コッポラ 音楽:カーマイン・コッポラ フランシス・フォード・コッポラ 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 美術:ディーン・タボラリス ナレーション:マイケル・ハー
出演:マーロン・ブランド ロバート・デュバル マーティン・シーン フレデリック・フォレスト アルバート・ホール サム・ボトムズ ローレンス・フィッシュバーン デニス・ホッパー G・D・スプラドリン ハリソン・フォード ジェリー・ザイスマー スコット・グレン シンシア・ウッド コリーン・キャンプ リンダ・カーペンター クリスチャン・マルカン オーロール・クレマン

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オーシャンズ11

Ocean's Eleven

「オーシャンズ11」パンフレットの表紙 「オーシャンと11人の仲間」(1960年、ルイス・マイルストン監督)をスティーブン・ソダーバーグ監督がリメイク。ラスベガスのカジノの売上金1億6000万ドルを刑務所から出所したばかりのダニエル・オーシャン(ジョージ・クルーニー)と11人の仲間が盗もうとする。ソダーバーグの前作「トラフィック」とは全く異なる軽い仕上がりのエンタテインメントだ。ホテル王ベネディクト(アンディ・ガルシア)を騙すコンゲーム的要素があるので、脚本は観客にも罠を仕掛けてくるが、これも軽い仕掛け。盗みの作戦自体は「スパイ大作戦」を思わせるものである。盗みだけではドラマティックにならないので、オーシャンと別れた妻(ジュリア・ロバーツ)との関係を味付けにしているのがポイントで、これがなかなか効果的。メンバーを紹介する序盤は単調でやや退屈だけれど、盗みの作戦が始まる中盤から面白く、長い描写を持たせる工夫を懲らしている。ソダーバーグはソフィスティケートな映画を目指したという。その意図は成功しており、コメディタッチの水準作というところか。

ダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)は窃盗で4年の刑期を終えた後、すぐに次の盗みを計画する。ラスベガスの豪華ホテルの地下にある金庫から3大カジノの売上金1億6000万ドルを強奪する計画。オーシャンは仲間でいかさまトランプ師のラスティー(ブラッド・ピット)とともに人材を集め始める。スリのライナス(マット・デイモン)、爆破の達人バシャー(ドン・チードル)、引退した元詐欺師ソール(カール・ライナー)など一癖もふたクセもある連中がそろった。ホテルのオーナーのベネディクトはオーシャンの元妻テス(ジュリア・ロバーツ)と付き合っている。ホテル偵察中にそれを知ったラスティーは「仕事に私情を持ち込んだ」としてオーシャンを計画から外す。しかも決行の日、オーシャンは警戒するベネディクトから監禁され、仲間だけで計画は実行されることになる。

ソダーバーグは多くの登場人物をてきぱきと描き分けている。ただし、あまりエモーションが続かない。テッド・グリフィンの脚本は前半、オーシャンの真意を伏せており、単なる盗みの計画が進行しているとしか思えないからだ(その意味でこれはハードボイルドの手法を意識した脚本だと思う)。ラスティーの主張とは逆に、こういう映画は主人公の私情が強く入らないと面白くはならない。元妻とベネディクトの関係が描かれてから面白くなるのだが、敵役のベネディクトについてはもう少し憎々しく描く必要があった。元妻をベネディクトから取り返したいというオーシャンの動機は納得できるのだが、これにもう一つ何か(以前からの因縁とか)をプラスすると良かったと思う。冷酷非情な男に一撃を与えるカタルシスが不足しているので、見ていてオーシャンたちの活躍に喝采を叫ぶほどの共感は持てない。

ジョージ・クルーニーはおしゃれなオーシャンにはぴったりの配役。マット・デイモンやブラッド・ピットも相変わらずうまいし、ロブ・ライナー監督の父カール・ライナーは監督業よりも俳優としての方が適しているのではないかと思う。オーシャンたちに協力する元ホテル経営者役でエリオット・グールドが出演しているが、相当老け込んでおり、体型も変わり、一目ではだれだか分からなかった。音楽の選曲は良く、控えめな使い方にも好感が持てる。

【データ】2001年 アメリカ 1時間57分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:スティーブン・ソダーバーグ 製作総指揮:ジョン・ハーディー スーザン・イーキーズ ブルース・バーマン 脚本:テッド・グリフィン 撮影:ピーター・アンドリュース(スティーブン・ソダーバーグ) 音楽:デヴィッド・ホルムズ 美術:フィリップ・メシーナ 衣装:ジェフリー・クアランド
出演:ジョージ・クルーニー マット・デイモン アンディ・ガルシア ブラッド・ピット ジュリア・ロバーツ ケイシー・アフレック スコット・カーン ドン・チードル エリオット・グールド カール・ライナー バーニー・マック エディー・ジェイミソン シャオボー・クイン レノックス・ルイス ウラジミール・クリシュコ

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ジェヴォーダンの獣

Le Pacte des Loups

「ジェヴォーダンの獣」パンフレット 18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方に残る凶暴な野獣の伝説を基にした自由な映画化。印象に残るのはアメリカ先住民のマニを演じるマーク・ダカスコスの素晴らしいアクションと相変わらず美しく、イザベル・アジャーニに似ているモニカ・ベルッチ(「マレーナ」)。この2人に関しては大いに満足。映画自体もホラー、アクション、コスチューム劇などさまざまな要素を詰め込んで、クリストフ・ガンズの演出、サービスたっぷりである。主人公が終盤、急に強くなるのが不自然であるなど、細かい傷は目に付くし、ややシャープさに欠ける場面もあるが、美しい自然と神秘的な雰囲気を漂わせた演出は及第点と言っていい。徐々に姿を現す野獣の見せ方もうまく、2時間18分を飽きさせない。

国王ルイ十五世統治下の1765年。ジェヴォーダン地方で殺戮を繰り返す野獣の正体を突き止めるため、国王は自然科学者のフロンサック(サミュエル・ル・ビアン)を派遣する。フロンサックには武力の達人で兄弟の誓いを立てているマニが同行。地元の若い貴族マルキ・トマ・ダプシェ(ジェレミー・レニエ)は2人に協力し、野獣を捕まえようとする。映画は二十数年後のフランス革命で糾弾されるこのマルキの回想で語られる。フロンサックは地元の貴族の令嬢マリアンヌ(エミリエ・デュケンヌ)に出会い、一目で恋に落ちる。マリアンヌにはアフリカで片腕を亡くした兄ジャン(ヴァンサン・カッセル)がおり、ことあるごとにフロンサックと対立する。そんな中、国王が派遣した討伐隊に地元も協力して野獣捕獲の大作戦が始まり、巨大な狼が退治される。これで野獣事件は表向き解決、ジャンの策謀でマリアンヌとの仲を裂かれたフロンサックもパリに帰る。だが、野獣の仕業と思われる事件はなお続いた。マルキの要請を受け、フロンサックとマニは再びジェヴォーダンに向かう。映画はここから独自解釈で野獣の秘密を明らかにしていく。

フロンサックは人知を超えた野獣の存在など信じていない合理的な考え方の持ち主。という設定はティム・バートン「スリーピー・ホロウ」を思わせる。この映画の場合、その合理的な考え方通りに野獣の正体が明かされる。この正体と物語を回想するマルキのその後の運命が見事な対比となっているのがうまいところ。余韻を残すラストになっている。野獣のSFXを担当したのはジム・ヘンソン・クリーチャー・ショップ。アニマトロクスとCGを使い、凶暴な野獣にリアリティを持たせている。

しかし最大の収穫がマーク・ダカスコスなのは衆目の一致するところだろう。最初の登場場面、一人で悪人たちをバタバタとやっつけるアクションは感心するほど鮮やか。カンフーアクションに似ているなと思ったら、香港のスタッフが参加していた(スタント・コーディネーターは「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」などのフィリップ・クォーク)。自然と交信し、不思議な力を持つマニの存在は際だっており、ほとんど主役を食っている。途中で消えるのが惜しいキャラクターである。ダカスコスは「クライング・フリーマン」(1996年)でもクリストフ・ガンズと組んでいるが、これまでの出演作はいずれもB級アクション。この大作映画で本当にスターの仲間入りを果たした感じを受ける。モニカ・ベルッチは娼婦で実は、という役柄。もう少し出番を多くしてくれると、ファンとしては嬉しかった。

パンフレットによると、マルキ・トマ・ダプシェは実在の人物で、映画同様、死刑にされるため民衆に連れ去られたが、実際には召使いや小作人たちに助けられ、ギロチンを免れたそうだ。

【データ】2001年 フランス 2時間18分 ギャガ=ヒューマックス共同配給
監督:クリストフ・ガンズ 製作:サミュエル・ハディダ リシャール・グランピエール 脚本:ステファン・ガベル 撮影:ダン・ローストセン プロダクション・デザイン:ガイ=クロード・フランソワ スタント・コーディネート:フィリップ・クォーク
出演:サミュエル・ル・ルビアン ヴァンサン・カッセル モニカ・ベルッチ エミリエ・デュケンヌ ジェレミー・レニエ マーク・ダカスコス

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