シカゴ

Chicago

「シカゴ」パンフレット故ボブ・フォッシーのミュージカルの映画化でアカデミー作品賞、助演女優賞など6部門を受賞した。ミュージカル初挑戦のレニー・ゼルウィガーと過去に経験のあるキャサリン・ゼタ=ジョーンズがセクシーで華麗な歌と踊りを見せてくれる。ゼルウィガーが無難にこなしました、というレベルなのに対して、ゼタ=ジョーンズは意外にうまいので驚いた。ただもう少し体を絞った方が良かったと思う(ゼルウィガーは「ブリジット・ジョーンズの日記」とは打って変わってスリム)。無難にこなしたのは監督のロブ・マーシャルについても言え、舞台を映画に置き換える際の際だったアイデア、演出はあまり見えない代わりに、これはまずいと思える部分も一切ない。エンタテインメントとしては十分に満足できる仕上がりではあるが、当然のことながらボブ・フォッシーとはタイプがまったく違い、フォッシーが引きずっていた重たさ、ダークさがないのでなんだか物足りない思いも残る。殺人と売名をめぐる基本的には重い話を軽いユーモアにくるんで見せるのはいいのだが、悪意のカリアチュアライズの仕方が充実した歌とダンスに比べてやや単純なのである。

冒頭、舞台で「オール・ザット・ジャズ」を歌い上げるヴェルマ・ケリー(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)のシーンがいい。これで画面に引き込まれる感じがする。現実のミュージカル的場面は実はここだけで、あとは空想ということになっている。これはロブ・マーシャルのアイデアというが、映画のキャラクターが急に歌ったり踊ったりする不自然さを嫌ったのだろうか。舞台で踊るヴェルマを見つめるのがショウビズ界に憧れるロキシー・ハート(レニー・ゼルウィガー)。ロキシーはマネジャーを紹介するという口車に乗って家具のセールスマンと不倫関係を続けていたが、それが嘘と知らされ、発作的に男を銃で殺してしまう。一方、ヴェルマも妹と夫が関係しているのを知って殺害。2人は同じ女性刑務所に入れられる。ヴェルマは看守長のママ・モートン(クイーン・ラティファ)を買収し、辣腕弁護士ビリー・フリン(リチャード・ギア)を雇い、マスコミを使って新聞の一面を飾るスター的存在になる。スキャンダルを逆手に取るわけだ。ロキシーはそれを見習い、夫のエイモス(ジョン・C・ライリー)に頼んで、ビリーを雇う。ロキシーとヴェルマの関係は逆転。しかし、新しもの好きなマスコミは新たなスキャンダルがあると、ロキシーに見向きもしなくなってしまう。

刑務所と言えば、似非ミュージカル「ダンサー・イン・ザ・ダーク」にも登場したが、ここで繰り広げられる歌と踊りは当然のことながらずっと洗練されている。ダイナミックでセクシー。踊りは元々セクシーなものだし、ボブ・フォッシーの映画でもセクシーな踊りが多かったが、この映画もそのタッチを受け継いでいる。やや不健康で猥雑な感じがよく、刑務所で6人の囚人が次々に歌い、踊るシーンなどは見物である。ミュージカル場面を空想にしたことで、映画は歌と踊りを見せるための作品に特化したようだ。感情が高まって歌になり、歌が高じて踊りになるという原則はだからここにはなく、ダンスと主人公たちの感情とが今ひとつしっくりこないのはそのためでもあるだろう。ミュージカル場面を見せるための簡単なドラマなのである。そうはいってもこの歌とダンスにあふれた構成は楽しく、やはりアメリカはショウビズの本場だなという思いを強くする。

監督デビューのロブ・マーシャルは舞台とは違った振付を取り入れたそうだ。そこがオリジナリティーと言えばそうなのだが、ホントの実力は2作目を見ないとよく分からない。バズ・ラーマン(「ムーラン・ルージュ」)と並んでミュージカルに精通した監督が出てきたことは喜ぶべきか。

リチャード・ギアは最初に登場する場面の歌と踊りはおずおずといった感じだが、その後のタップダンスはぴったり決まっていた。欲を言えば、10年前にミュージカルに出ていた方が良かったのではないかと思う。ジョン・C・ライリーも「俺はセロファン〜」とダメ男の悲哀を込めて歌う場面があり、意外なうまさを見せる。「チャーリーズ・エンジェル」のルーシー・リューがカメオ出演していた。

【データ】2002年 アメリカ 1時間53分 配給:ギャガ=ヒューマックス
監督:ロブ・マーシャル 製作:マーティ・リチャーズ 共同製作:ドン・カーモディ 脚本:ビル・コンドン 原案戯曲:モーリン・ダグラス・ワトキンス 舞台版演出・振付:ボブ・フォッシー 振付:ロブ・マーシャル 撮影:ディオン・ビーフ プロダクション・デザイン:ジョン・マイアー 衣装デザイン:コリーン・アトウッド 作曲:ジョン・カンダー 作詞:フレッド・エッブ 音楽監修:モーリーン・クロウ オリジナル・スコア:ダニー・エルフマン
出演:レニー・ゼルウィガー キャサリン・ゼタ=ジョーンズ リチャード・ギア クイーン・ラティファ ジョン・C・ライリー ルーシー・リュー テイ・ディッグス コルム・フィオーレ ドミニク・ウェスト クリスティン・バランスキー エカテリーナ・シェチェルカノワ 

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X-MEN2

X2

「X-MEN2」パンフレット3年前の第1作はクライマックスの戦いでX-メンたちがあまりに弱いのでがっかりした。マグニートー(イアン・マッケラン)に対して手も足も出やしない。ウルヴァリンもジーン・グレイもストームもサイクロップスもああ、こんなものかと思った。いくら最強のミュータントであるマグニートーが相手でもこれでは不満が残る。今回は違う。X-メンたちの戦い方はパワーアップしており、話の展開にも説得力がある。怪物的な容貌のミュータントはすべて悪役という幼稚な設定も変えてあり、善と悪の対立は複雑な様相を見せる。予算がアップした分、VFXにも見応えがあり、監督のブライアン・シンガー、見事に捲土重来を果たした。

ホワイトハウスにテレポート能力を持つミュータントが侵入し、大統領の命を狙ったのが発端。一時期静まっていたミュータント登録法の復活を望む声が高まる。それを推し進めたのが大富豪のストライカー(ブライアン・コックス)で、ストライカーはプロフェッサーXことエグゼビア教授(パトリック・スチュワート)らを狙い、X-メンは窮地に陥る。ストーム(ハル・ベリー)とジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)が大統領を狙ったミュータント、ナイトクロウラー(アラン・カミング)を探しているうちにエグゼビア教授のミュータント学園は急襲され、ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)とローグ(アンナ・パキン)、そのボーイフレンドのアイスマンことボビー(ショーン・アシュモア)、火のミュータント、パイロ(ジョン・アラダイス)たちは辛くも逃げ出す。一方、エグゼビア教授はサイクロップス(ジェームズ・マーズデン)とともに収監されているマグニートーに会いに行き、そこでストライカーに捕らわれる。ミスティーク(レベッカ・ローミン=ステイモス)に救出されたマグニートーは、敵対関係にあるウルヴァリンたちと協力、ミュータント絶滅を図るストライカーに戦いを挑んでいく。

物語はウルヴァリンの体に埋め込まれた超合金アダマンチウムの秘密を絡めて展開していく。アダマンチウムを埋め込んだのはストライカーらしい。なぜ何のためにという謎をはらみつつ、クライマックスに突入していく。前作ではマグニートー対X-メンの戦いがメインになったためにそれぞれの力を発揮しようがなかったが、今回はストライカーの要塞に対してX-メンたちはアタックをかける。ウルヴァリンの超合金とジーン・グレイのテレキネシスとストームの天候を左右する力が、そしてナイトクロウラーのテレポーテーション、ミスティークの変身能力が十分に発揮されるのだ。超能力を使う場面をそれぞれに用意したストーリーはよく考えてあると思う。

若い世代のボビーとパイロも含めて登場するミュータントが前作より多くなったのに、キャラクターを明確に描き分け、ドラマを盛り上げたブライアン・シンガーの演出は賞賛に値するだろう。シンガーにとって「ユージュアル・サスペクツ」以来の優れた出来であり、アクションとVFXとドラマをうまく融合させた作品に仕上がった。2時間16分を長く感じさせない。ウルヴァリンとサイクロップスの間で揺れ動くジーン・グレイがクライマックスにたどる運命はまさにドラマティック。今回はファムケ・ヤンセンが大変良かった。これに比べると、ハル・ベリーは(美しいけれども)役柄的にはちょっと不満が残る。マグニートーとミスティークがやっぱりそういうこと考えていたのかと思わされるラストの展開を見て、第3作が俄然楽しみになってきた。

【データ】2003年 アメリカ 2時間16分 配給:20世紀フォックス
監督:ブライアン・シンガー 製作:ローレン・シュラー・ドナー ラルフ・ウィンター 製作総指揮:アヴィ・アラドラ スタン・リー トム・デサント ブライアン・シンガー 脚本:マイケル・ドアティ ダン・ハリス ストーリー:ブライアン・シンガー デヴィッド・ハイター ザック・ペン 撮影:ニュートン・トーマス・シーゲル プロダクション・デザイン:ガイ・ヘンドリックス・ディアス 音楽:ジョン・オットマン 特殊効果スーパーバイザー:マイケル・フィンク 特殊メーキャップデザイン:ゴードン・スミス 衣装デザイン:ルイーズ・ミンゲンバック
出演:パトリック・スチュワート ヒュー・ジャックマン イアン・マッケラン ハル・ベリー ファムケ・ヤンセン ジェームズ・マーズデン レベッカ・ローミン=ステイモス ブライアン・コックス アラン・カミング ブルース・デイビソン アンナ・パキン ケリー・フー アーロン・スタンフォード ケイティ・スチュワート ショーン・アシュモア キー・ウォン ダニエル・クドモア

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ボウリング・フォー・コロンバイン

Bowling for Columbine

「ボウリング・フォー・コロンバイン」パンフレットコロンバイン高校で起こった銃乱射事件の原因を探るドキュメンタリー。アカデミー賞授賞式でマイケル・ムーアが「われわれは偽の選挙で偽の大統領を持ってしまった。恥を知れ、ブッシュ」と言った意味がよく分かる映画である。ムーアはアメリカで年間1万人以上が射殺される事件が起きるのは弱者や貧困者を助けないアメリカの体制が悪いと言っているのである。見る前はガン・コントロール(銃規制)の必要性を訴える映画かと思っていたが、そうではなかった。ムーアの視点はもっと深いところを見ている。ベトナムやチリやアフガンやイランでアメリカがこれまで起こしてきた世界の警察としての“正義の戦い”が国民にどんな影響を与えたのか、ムーアは鋭く追求していく。それはインディアン虐殺の時代まで遡る要因なのである。もう、面白くて面白くて仕方がない。

銃による犯罪が多いのは銃が簡単に手に入るからだ。普通ならそう思う。ムーアはこれを認めた上で、しかしそれ以上に大きな要因を見せていく。銃があるから事件が多いのか、いや、カナダでは銃が700万丁もあっても、射殺事件は年間数十件しか起きない。人種が混合しているからか。アメリカ人の残虐性か。貧困者が多いからか。ロック(マリリン・マンソン)の影響か。そうした事々をムーアは一つ一つそうではないと例証していく。ユーモアたっぷりの突撃取材で。

ムーアの姿勢は一見、軟派のようでいて実に硬派である。しかも戦略家でもあり、乱射事件の被害者2人(Kマートで売られた銃弾がまだ体の中にあり、1人は脊椎を損傷して車いすだ)と銃弾を売るKマート本社に押しかけ、相手にされないと分かると、翌日、マスコミを連れて再訪問し、そこでKマートから銃弾の販売を止めるとの宣言を引き出してしまう。知性と勇気と行動力。太った外見からは想像できないジャーナリズム精神が、いやそれよりもこんな国にしてしまった政治家や支配階級への強い怒りがムーアには渦巻いている。

ムーアはパンフレットのインタビューでこう答えている。

コロンバイン高校の事件の直後に作品を作ろうと決めた。最初は、銃を減らせば殺人も減るといった内容の、いってみればリベラルな内容のものになると思っていたんだ。だが、作っているうちに銃そのものは真の問題じゃないことに気がついた。問題はアメリカン・メンタリティ、アメリカの精神構造なんだ。アメリカはなぜ、譲り合ったり話し合ったりして問題を解決することができずに、暴力で事を決してしまうのか。恐怖が原因だ。権力を持つ人間たちが抱える恐怖。そして我々が他人に対して感じる恐怖。《外部》に対して恐怖を抱くよう仕向けられていること。恐怖とそのために起こる暴力は、いまやアメリカの文化の一つになってしまった。

この言葉は映画の結論そのものである。取材の過程で当初立てた構想が変わっていくのはよくあることで、長編ドキュメンタリー作家としてムーアが優れているのは目に見えることをそのまま受け入れて、映画の方針を変更したことだ。Kマートの場面は弱者には高飛車な態度に出るKマートがマスコミ(権力)にはからきし弱い卑しい実態を浮き彫りにするとともに感動的な場面でもある。それは行動力がもたらした変革だからだ。

ムーアは最後に全米ライフル協会の会長であるチャールトン・ヘストンを訪ねる。この映画で異論があるとすれば、それはこの場面で、耄碌しきったヘストンを責めてもしょうがないのである。本当に改革すべきはアメリカの体制そのものなのだ(ヘストンはその傀儡みたいなものだ)。だから、アカデミー賞授賞式でのムーアのスピーチは映画を補完するものだったのだろう。

【データ】2002年 カナダ 120分 配給:ギャガ・コミュニケーションズ
監督・製作・脚本:マイケル・ムーア 製作総指揮:ウォルフラム・ティッチー 製作:チャールズ・ビショップ ジム・チャルネッキ マイケル・ドノバン キャサリン・グリン
登場人物:マイケル・ムーア チャールトン・ヘストン マリリン・マンソン ジョージ・W・ブッシュ ビル・クリントン クリス・ロック

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マトリックス リローデッド

Matrix Reloaded

「マトリックス リローデッド」パンフレットマトリックス」の4年ぶりの続編。鮮烈なアクションシーンをつないだ予告編を見て本編への期待が大きく膨らんだが、結局、予告編を超えるインパクトはなかった。アクションの撮り方、見せ方は大変良いのに物語の語り方がまったく駄目である。最初に延々とあるザイオン(仮想現実から目覚めた人類の都市)の描写はまだるっこしくて仕方なく、まるでかつての東宝怪獣映画や「マッド・マックス2」を思わせる、ありきたりで貧相な人類の描き方には大きく失望せざるを得ない。新たなビジョンのかけらもありゃしない。その後の本筋の話も分かりにくく、面白い話を思いついたのに話を構築していく際に失敗したなという感じがありあり。時間が足りなかったのだろうか。これは単にネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティー(キャリー=アン・モス)の愛を中心に据えて、なんだかよく分からないマトリックスの話を(分からなくてもなってもいいから)ばっさり省略して簡単にまとめてしまえば何とかなったのではないか。アクションを生かす話に再編集してはどうか。

一番の問題はエモーションに欠けていることにある。ネオが見る夢の中でトリニティーの死が冒頭に描かれる。これは当然、クライマックスにリピートされるのだが、それだけのことで、物語と有機的につながっていかない。マトリックスの秘密をこれにどう組み合わせるかが、脚本の腕の見せ所なのに、どうもうまくない。トリニティーの運命を暗示するようなエピソードが中盤にほしいところだった。最初の10分とラストの30分だけで十分なのである。

人類を支配するA.Iが地下深くにある都市ザイオンを攻めてくると知ったモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)やネオたちが、マトリックスの世界に入り、それを阻止しようとするのが基本プロット(「ドリームキャッチャー」に併映された「アニマトリックス」の「ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス」に絡むセリフがある)。これに前作ではエージェント・スミス、今回はエージェントではなくなったスミス(ヒューゴ・ウィービング)とネオの確執が絡む。前作で破壊されたスミスはネオへの復讐心に燃え、システムに叛逆して存在し、自分を無数に増殖をさせる能力を身につけている。今回はつまり、ネオに対してA.Iとスミスがそれぞれに攻撃を仕掛けてくるのである。話の構図としては悪くないのだが、どうもすっきりしない。スミスに時間を割きすぎたのも一因なのではないかと思う。スミスのキャラクターが前作と変わっているのは完結編への伏線だろうが、基本的にネオの行動を邪魔するだけの役柄なので、前作同様、A.Iの手先にしか見えてこない。

アクションシーンは中盤にある多数のスミスとネオの戦いと、クライマックスの高速道路でのツインズ(ニール&エイドリアン・レイメント)との戦いがCGを駆使して良くできている。良くできてはいるが、エモーションに欠けるので、単なる見せ物である。前作では新鮮だったカンフー・アクションが今となってはハリウッド映画で普通になってしまったのもデメリットだろう。

ラスト近く、現実世界のネオに新たな変化が訪れる。完結編ではこれをどう活用するのか。くれぐれも今回のようなことがないようにしてほしいものだ。

【データ】2003年 アメリカ 2時間18分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督・脚本・製作総指揮:アンディ&ラリィ・ウォシャウスキー兄弟 製作:ジョエル・シルバー 製作総指揮:グラント・ヒル ブルース・バーマン 撮影:ビル・ポープ 音楽:オーウィン・パターソン 音楽・指揮:ドン・デイビス 視覚効果監修:ジョン・ゲイター 衣装:キム・バレット
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン キャリー=アン・モス ヒューゴ・ウィービング ジャダ・ピンケット・スミス グロリア・フォスター モニカ・ベルッチ コリン・チャウ ノーナ・ゲイ ランダル・ダク・キム ハリー・レニックス ハロルド・ペリノー ニール&エイドリアン・レイメント ランバート・ウィルソン アンソニー・ウォン ヘルムート・バカイティス クレイン・ワトソン アンソニー・ザーブ

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